5月13日(月)
昨夕は南三陸町の中心を通って、少し内陸に入ったこの道の駅↓でお泊り。
▲ 道の駅・三滝堂(みたきどう)での朝、今日も晴天。
南三陸の町へ再度出かける。
▲ 南三陸さんさん商店街へ。
志津川地区の事業者が集まり、2012年に仮設商店街として開設後、2017年に本設商店街に移行。28店(仮設時代は32店)が軒を連ね、賑わい再生の拠点となっている。(ウィキ)商店街の裏にまわってみる。
▲ 案内板
2011年3月13日(大津波2日後)の写真。
川向うの、左に防災対策庁舎。右に公立志津川病院が写っている。
ボクが同年の11月にこの地を訪れた時には、まだ志津川病院は残っていたがその後解体、移設されたようだ。
献花台がその前に設置されていたあの防災対策庁舎は・・・
橋を渡って回り込んでみると
▲ あの赤い鉄骨は庁舎・・保存されたようだ。
▲ 三階建ての防災対策庁舎。屋上の電波塔は保存されている。
防災庁舎の悲劇についてはあえて書くまい。
▲ この一帯は、川の堤防の復旧の他に、広く整地工事が進行中。
ずっと向こうに、大きく古墳のごとく盛り土工事がなされていた。
▲ もう一つの案内図。
防災庁舎の遺構保存だけでなく、震災復興祈念公園として造成されるようだ。
あの盛り土された場所は、「祈りの丘」になる。(来年秋に完成予定)
南三陸町をあとにして、国道45号の北上を続ける。
▲ 海岸線に沿う国道45号を走っていると、ところどころでこの標識↑(右)に出くわす。
▲ 浸水区域を示す標識だ。
この浸水区域Startのあと、防波堤工事が延々と目に入り、国道が高台に上ると「ここまでEnd 浸水区間」が現れる。
そして「○○団地」の地区表示が出てくる。
それは高台に津波後に造成された宅地箇所のようだ。
国道45号ではこの繰り返しが続く。
気仙沼市を越えて、陸前高田に入る。
▲ 奇跡の一本松
一本松の下は、陸前高田ユースホステルの遺構。
▲ 広田湾に面したここ高田松原は、7万本の松が茂り日本百景に指定されていた景勝地。
写真にもある一本松は、前面の松林とホステルに遮られてか、この松だけなぎ倒されなかった。
しかしその後枯れ死。
現在保存処理をされて、モニュメントとして保存されている。
陸前高田の隣町の大船渡へ移動する。
そこには昔からの景勝地、碁石海岸がある。
▲ 名前の由来となった碁石浜には下りず、この高台展望台へ来た。
▲ 展望台右横には、左の雷岩と右の切り立った絶壁・乱曝谷。
右の大きな雷岩では、その下部の洞に波が打ち付ける度に、ドーン、ドーンと雷のような音が。
その低い音はボクの耳に、心に響く。
▲ 展望台の左横は、ここは三陸海岸。
あくまで美しいリアス式海岸が続く。
▲ 碁石海岸のレストハウスでランチ。
上の蕎麦椀は、ここらへんの名産・柚子が練り込んであった。
海鮮丼は、もちろん満足、満足(^^)。
ランチ後は、45号線で釜石市を過ぎて、山田町で250円の立ち寄り温泉に寄って(シャンプー、ソープが無くて焦った)、宮古市へ。今日はかなり走った。
▲ 宮古市にある道の駅・みやこへ到着。
今晩はここでお泊り。
すぐ隣は、宮古湾に面した海抜ゼロメートル。トイレがすぐ後ろにあるからココ。
して、明日はすぐ近くの名勝・浄土ヶ浜へ行けるから。
( 浄土? キミ、大丈夫か? )
関連過去記事: 「北帰行 被災地へ」2011.11.26
今日の走行ルートは
赤線ルート
昨夕は南三陸町の中心を通って、少し内陸に入ったこの道の駅↓でお泊り。
▲ 道の駅・三滝堂(みたきどう)での朝、今日も晴天。
南三陸の町へ再度出かける。
▲ 南三陸さんさん商店街へ。
志津川地区の事業者が集まり、2012年に仮設商店街として開設後、2017年に本設商店街に移行。28店(仮設時代は32店)が軒を連ね、賑わい再生の拠点となっている。(ウィキ)商店街の裏にまわってみる。
▲ 案内板
2011年3月13日(大津波2日後)の写真。
川向うの、左に防災対策庁舎。右に公立志津川病院が写っている。
ボクが同年の11月にこの地を訪れた時には、まだ志津川病院は残っていたがその後解体、移設されたようだ。
献花台がその前に設置されていたあの防災対策庁舎は・・・
橋を渡って回り込んでみると
▲ あの赤い鉄骨は庁舎・・保存されたようだ。
▲ 三階建ての防災対策庁舎。屋上の電波塔は保存されている。
防災庁舎の悲劇についてはあえて書くまい。
▲ この一帯は、川の堤防の復旧の他に、広く整地工事が進行中。
ずっと向こうに、大きく古墳のごとく盛り土工事がなされていた。
▲ もう一つの案内図。
防災庁舎の遺構保存だけでなく、震災復興祈念公園として造成されるようだ。
あの盛り土された場所は、「祈りの丘」になる。(来年秋に完成予定)
南三陸町をあとにして、国道45号の北上を続ける。
▲ 海岸線に沿う国道45号を走っていると、ところどころでこの標識↑(右)に出くわす。
▲ 浸水区域を示す標識だ。
この浸水区域Startのあと、防波堤工事が延々と目に入り、国道が高台に上ると「ここまでEnd 浸水区間」が現れる。
そして「○○団地」の地区表示が出てくる。
それは高台に津波後に造成された宅地箇所のようだ。
国道45号ではこの繰り返しが続く。
気仙沼市を越えて、陸前高田に入る。
▲ 奇跡の一本松
一本松の下は、陸前高田ユースホステルの遺構。
▲ 広田湾に面したここ高田松原は、7万本の松が茂り日本百景に指定されていた景勝地。
写真にもある一本松は、前面の松林とホステルに遮られてか、この松だけなぎ倒されなかった。
しかしその後枯れ死。
現在保存処理をされて、モニュメントとして保存されている。
陸前高田の隣町の大船渡へ移動する。
そこには昔からの景勝地、碁石海岸がある。
▲ 名前の由来となった碁石浜には下りず、この高台展望台へ来た。
▲ 展望台右横には、左の雷岩と右の切り立った絶壁・乱曝谷。
右の大きな雷岩では、その下部の洞に波が打ち付ける度に、ドーン、ドーンと雷のような音が。
その低い音はボクの耳に、心に響く。
▲ 展望台の左横は、ここは三陸海岸。
あくまで美しいリアス式海岸が続く。
▲ 碁石海岸のレストハウスでランチ。
上の蕎麦椀は、ここらへんの名産・柚子が練り込んであった。
海鮮丼は、もちろん満足、満足(^^)。
ランチ後は、45号線で釜石市を過ぎて、山田町で250円の立ち寄り温泉に寄って(シャンプー、ソープが無くて焦った)、宮古市へ。今日はかなり走った。
▲ 宮古市にある道の駅・みやこへ到着。
今晩はここでお泊り。
すぐ隣は、宮古湾に面した海抜ゼロメートル。トイレがすぐ後ろにあるからココ。
して、明日はすぐ近くの名勝・浄土ヶ浜へ行けるから。
( 浄土? キミ、大丈夫か? )
関連過去記事: 「北帰行 被災地へ」2011.11.26
今日の走行ルートは
赤線ルート
残っていますね、
テレビの画面を見なが津波の恐ろしさを
感じたものでした、
同じ国内で起こった出来事とは思えないですね、モニュメントの一本松は色んな思いを
持ちながら立ち続けるんですね、
何事もなければ本当に美しい海岸線ですね、
数年前に松島辺りに旅したことあります。
立石寺への登り口辺りに芭蕉の銅像がありました。
ガンバッテ北上していますね。
どこまで上がるんですか
懐かしい女川や、南三陸町、陸前高田が見れました。
そして宮古ですか
こちらは雲が多い天気が続いていますが
青い空、青い海が続いていますね。
sora先輩がどこまで北上されるのか
興味深々で見ています。
さすがにガレキは保存遺構を除いて、もう撤去整理されています。しかしそのあとに、野原と工事中の防波堤が残されたというのが実情のようです。
>モニュメントの一本松は色んな思いを持ちながら立ち続けるんですね~
保存に何の意義があるのか、いや有るという議論を経て一本松を始めとする保存遺構が残されたようです。しかし「復興」とは何を指すのか、これは難しいと私は感じました。
>何事もなければ本当に美しい海岸線ですね~
おっしゃるとおり。ここは震災前から国立公園に指定されていたところですからね。
>立石寺への登り口辺りに芭蕉の銅像がありました~
芭蕉は松島から北上して平泉・中禅寺へ向かいましたので、松島以北の三陸は旅しませんでした。彼ならこの災害地をどう詠んだろうか。いや、もう詠めなかったでしょうね。
がんばって北の大地まで、と言いたいところですが、あはは。それはできませんので、あくまで三陸の旅、八戸までですよ。
この旅は、晴天続きで海は青く、空も青く、暑くも寒くもなく、良い旅となりました(^^)。