青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

南木佳士著 「草すべり」を読んで

2012年09月20日 22時46分28秒 | 文芸・アート
9月20日(木)

 6月下旬に浅間山へ登った時は、この本のことをすっかり忘れていました。
南木佳士(なぎけいし)著の「草すべり」 文春文庫2008年です。

    表紙カバーはトーミの頭ですね

 南木さんは群馬県生まれ。長野県佐久市在住の医師・芥川賞作家です。佐久に住んでられる方なら、だれでも知ってる佐久総合病院の内科医師を長年勤められました。

 この本は南木さん自身とも重なり合う50代の医師が主人公です。数多くの死を見つめすぎたせいで心身ともに疲弊した時期をへて、人生の折り返し点を過ぎた主人公は、山を登り始めます。

 高校の同級生だった女性(沙絵)から手紙が届き、40年ぶりに再会して登った浅間山での一日。かってはまぶしかったひと。しかし、女性も主人公も多くの事を経ての再会であり、浅間山登山に抱く意味も違う。さて、二人は浅間山の頂を目指す以外に、共有する思いを見つけるでしょうか。(今回はネタバレなし)

 表題の「草すべり」はもちろん、浅間山の外輪山・黒斑山の横から降りる急峻なこの坂道↓のこと。



 黒斑山と前掛山に挟まれたこのカルデラ状草原地帯は、今もまだ緑でいっぱいだと思いますが、どうでしょうか。(草もみじ状かな)

 この本を読んだ時は、再度山歩きができるとは思っていなかったからでしょう。読んだこと自体を、すっかり忘れていましたが、先日ふと思い出して再読してみました。


 おもしろかった箇所二つ、ご紹介します。

 火口

「 浅間に登らぬバカ、二度登るバカ

 古老たちにこういう言い伝えを聞かされる土地に生まれ育った身としては、歩く気力のあるうちに前掛山までは登ってみたい。あわよくば、登山規制を無視して、日本の火山のなかでも活動度が特に高いAランクの火口をのぞきたい。」


 作者は別のところでは、幼少の時から浅間山の予兆なしの噴火を幾度も目撃している、と書いている。したがって、土地に生まれた者としては火口まで一度は見にいくべし、しかし危険を冒してまで二度も見るのは愚かだ、という意味の言い伝えでしょう。

 私が、火口までのぞいたあと、いろいろ読んでみると、匂い、ガスにも遮られず火口の穴まではっきり見えたのは稀らしい。Lucky!  けれど、もう行かない。バカよばわりされたくないから(笑)。


▼ しかし、再度(あなただけに)禁断の火口をお見せしましょう。下部の黒いスポットが火口の中の火口でした。




 パワーポイント

「ここが山のパワーの中心なのよ。前掛山の山頂直下で、釜山のせり上がりと絶壁の立ち上がりを結ぶ線の中心。祖父に教わったのよ。この下にはマグマが満ちているから、座ると下から押し上げてくる火山のパワーが直にからだに入ってくるの。信じる信じないは勝手だけど、座るだけだから、やってみれば。」

 残念。沙絵ちゃんのこの言葉も忘れていて、座ってこなかった(笑)。座ると、ぬくとまる(上州の方言)らしい。



▲ 向こうに見える前掛山の頂上と、手前足元のガレキが火口付近だから、両点を結んだ真ん中の窪地がパワーポイントですよ。

 この文庫本(571円)には「草すべり」の他に、下記3編が収録されています。

 「旧盆」 ~ 浅間山
 「バカ尾根」 ~ 妙義山、浅間山
 「穂高山」 ~ 穂高

 ご関心あれば、お読みください。


 過ぎゆく時のいとおしさが、稜線を渡る風とともに、身の内を吹き抜ける・・・


 山をとおして、自分が見えるかも。




関連投稿記事;
浅間山登山(前編)車坂峠~草すべり~前掛山
浅間山登山(後編)前掛山~Jバンド~黒斑山~車坂峠




木曽路 奈良井宿

2012年09月16日 18時10分20秒 | 青い空の日は旅立(全般)
9月16日(日)

現代の宿場(笑)、道の駅・日義(ひよし)木曽駒高原を7時過ぎに出発しました。
さすがに御嶽山登山のあとです、良く眠れました。

この旧中仙道沿いには、宿場町が三つ比較的いい状態で保存されています。
南から、馬籠宿、妻籠宿、そして、今日朝寄っていこうと思う奈良井宿(ならいじゅく)です。
国道から外された木曽山中にあったので、よく保存されたとか。

奈良井宿にも、駐車場だけですが道の駅ができていて、そこへ停めました。
まだ、8時前ですから9時になるまでクルマの中で本を読んでます。

さあ、散策に行こう。



▲ 駐車場と川をまたいだ宿場町並みを結ぶ橋です。総檜造りの太鼓橋です。
渡るとき、檜(ひのき)の香りが漂ってきました。




▲ まだ、9時ですから観光客もまばら。ここの建物は、どこかのレトロ風に作った商売店舗と違って、ホンモノの古さと風情があります。



▲ 地場の伝統工芸、漆器を扱う店が多いようです。そういえば、今も使っている箸は10年ほど前、ここで買ったものでした。




▲ 元宿場だけあって、民宿というか宿というか宿泊処が数件ありました。
こういった処に泊まってみたいなあ。と思うだけで、やはりクルマの中を選択してしまう私ですが。

手打ちそば屋も数軒ありましたが、まだ営業していません。尋ねてみると、開店は11時ごろ。残念。

戻ろうか。


駐車場には、コスモス・秋桜が咲いていました。やっぱり、もうこのシーズンなのです。




木曽路で食べ損ねた蕎麦ですが、諏訪SAで、ざるそば大盛りを食べました。
信州そば、と書いてあったから、ま、いいことに(笑)。


午後3時帰宅。





御嶽山 登山

2012年09月15日 22時12分03秒 | 同上 (山歩き)
9月15日(土)

5時半起床。空全体が曇っている!がっかり!
しかし、日の出とともに晴れてきました。



御嶽山の頂上は、まだ雲が横にかかっているけれど、まあいいや。
出発準備だ。

▼ この鳥居をくぐり7時に出発です。


▼ 御嶽山を見上げます。頂上付近はやはり雲が。この雲海は、結局終日とれませんでした。



▼ 砂利道のあとは、木段と細い登り道が続きます。


▼ 森林限界が近いのでしょう。木々はほとんどなくなりましたが。何の木でしょうか、一部紅葉しかかっていました。そこに、風が吹いて枝が揺れました。



「風たちぬ」の情景です(笑)。


▼ 金剛童子像のところへ来ました。8合目2475mです。


▼ ここを過ぎて頂上方向を見上げると、青い。


▼ 白装束の方に初めて出会いました。正面から写真を撮るわけにはいかず、後ろ姿を。



▼ 8合目を過ぎたあたりで、頂上の稜線がスロープ状に分かちます。

  青い空と、深い緑・・・

  目が潤みます。
  


  私のこころは、これを見るとオートマティックに、ふるえるようにできているようです。  


▼ 下方を見下ろします。田の原の駐車場が、緑の山の中に白くみえます。
  残念ながら逆光で暗くなってしまいますが。



▼ おう。御嶽頂上山荘が見えてきた!もう少しだ。

同時に、硫黄の臭気が漂ってきます。

▼ MAPがありました。

▲ 丸印をつけたところを周りますよ。①下の7合目駐車場。②王滝頂上。 ③剣ヶ峰頂上。 ④二の池


▼王滝頂上2963mへ到着しました。ここには、御嶽神社頂上奥社があります。


奥社の左側から、裏のほうへ進みます。

▼ すると広大な赤茶けた岩原が広がります。そして、雲、霧に見え隠れする剣ヶ峰が姿を現します。


▼ 剣ヶ峰を目指して岩原を進みます。あ、うまく風が剣ヶ峰の雲を吹き払った。手前の頂上山荘が見えた。奥には、神社も。



とうとう最高地点にある御嶽神社頂上奥社本宮へ到着しました。

▼ 本宮へ階段82段を一気に登ろうとしましたが、無理。この連続階段がいちばんきつかった(笑)。


▼ 到着!!。3067m。


10時過ぎでした。登山開始から3時間。

美ヶ原・王ヶ鼻の石仏達の方向、北東を望みますが、雲で何も見えません。
しかし、目をつぶり念じれば見えます。
(やあ・・ 約束どおりだよ・・)



▲ 山頂神社。ここがよくTV等で放映されますね。

横の社務所みたいな建物の横で、風をよけながらお弁当を食べました。
食べていると、5年前の心臓手術後、よくここまで登れるようになった、嬉しい、ありがとう、の思いがふつふつと湧き上がりました。


さあ、降りようか。

まだ時間は十分あるから、二ノ池に寄ってみようぜ。

左にそれて行くと、二ノ池が小さく見えてきました。



さらに近づいていきます。



▲ 風化した鳥居が残っています。



▲ 雪渓も正面に残っている。浅瀬の水は澄んでいるのだけど、深いところになるとエメラルド色になるんですよねー。



▲ こんな、かわいい地蔵さんも二体ポツと、置かれていました。

このエメラルド色の二ノ池は、霧が立ち込めたり、晴れたりして、非常に幻想的でした。

追記;二ノ池は標高2900mにあり国内最高地の湖だとか2012.9.29

さあ、これで十分。
王滝まで戻って、下り始めました。

下りで、私はひざの両側の腱が痛くなりますから、今日はゆっくり、ゆっくりていねいに降りました。


▲ 駐車場も向こうに見えてきました。

足も痛くならずで、午後1時半頃に登山口に戻りました。朝7時に出発して、6時間半の山行でした。



▲ 田の原駐車場から改めてみる御嶽山。とうとう、頂上は完全に晴れませんでした。

しかし、自力で登った山では一番高く、標高差887mも一番多く、達成感がありますねー。

午後3時まで、1時間ほどクルマの中で、コーヒーをゆっくり飲んで休憩のアフターケア。

家には、明日帰ることにしよう。

山を下って、まず温泉へ行きたい。で、帰りの木曽路ぞいにある木曽駒天神温泉・清雲荘へ。



ここは、透明な温泉で、錆び付かないので長湯になってしまいました(笑)。

▼ 近くの、道の駅・日義木曽駒高原で車中泊です。


おつかれさまでした。




御嶽山を前にして

2012年09月14日 19時01分33秒 | 同上 (山歩き)
9月14日(金)

信仰の山、木曽の御嶽山(おんたけさん)へ行きます。

朝、8時自宅出発。八王子ICから中央道へ乗り、南信州の伊那ICを降りたのが
午後1時半。交通事故渋滞もあって1時間ほど余計にかかったかな。

御嶽山の麓(ふもと)の王滝村までの木曽路は、ほんと山あいの田舎道です。

王滝村から、登山口の7合目・田の原駐車場へ行く途中に、温泉があります。
おんたけ高原温泉こもれびの湯です。



▲ 側道にずれて、かなり奥の方にありました。こりゃ秘湯だな。

風呂場へ行くと、やはりまた一人。 ということになると、すぐカメラ小僧ならぬカメラオジサンになります。



▲ 浴場に入ってみると、お湯が茶色い!!。そして、錆び(サビ)の臭いが漂う。 あっ、これは鉄分が多い温泉なんだろう。初めてだ。
お湯の肌触り自体は別に違和感はありません。あったまりそうだー。
(肌に薄くワックスを塗ったような感じが残ります。)



▲ 露天風呂もありそうだと、戸を開けてみたら、大きな樽みたいのが二つある。
上のふたを手前半分開けてみると、お風呂ダルだー。湯がトコトコ入ってきます。
私が、からだを沈めると、お湯がザーっと外に溢れだしました。まさに源泉かけ
流し。

飲泉水の蛇口があって、飲んでみると炭酸の味と、サビの味がしました。
からだが錆び付いてしまいそうで、それはもう勘弁、ちょっとだけ口に含んで
やめました(笑)。

湯樽のお湯は透明なのに、浴槽のお湯はなぜ茶色いのか、受付のおじさんに
聞いてみました。初めは透明なのが、浴槽で時間が経つと酸化して茶色になる
のだとか。理科の勉強になった。



さあ、急ごう。

田の原駐車場に着いたのが午後4時半ごろ。
霧が出始めていて、周りの様子がわかりません。



▲ それに、寒い。ここは、御嶽山3067mの7合目の駐車場。標高が2180mあるから
なー。気温は、12度!!
それなのに、私はあいかわらずのサンダル、短パン、Tシャツのかっこうだ。
ジーンズも持ってこなかった。

クルマの中で待っていると、それでも少し霧が晴れてきました。

すると御嶽山の雄姿が現れてきました。



▲ まさに、眼前にそびえ立っています。 あんな上まで登れるのかなあ。

  いや、登らせてください。

(短パンで失礼ですが、明日は白装束ではありませんが、ちゃんとズボンをはきますので)


きょうは、この広い駐車場で車中泊だ。


明日、晴れてほしいなあー。

きょうは、早く寝よう 


約束のスピリチュアルマウンテンへ

2012年09月12日 23時03分27秒 | これからの旅予定
9月12日(水)

今週末、私は4連休です。



▲ オウ、これはこれは。
相変わらず暑いけれど、4日とも晴れじゃあないですか。

来月には北海道にも行くというのに、出かけてばかり(deco)、という思いも横切りますが、
この天気には抗えないよね。


よしっ。 かねてからの、あのスピリチュアルマウンテンへ行こう!!

7月に、美ヶ原高原・王ヶ鼻の石仏達にも、代わりに見てくるよと約束したあの山へ。







風立ちぬ、いざ生きめやも

2012年09月08日 01時21分53秒 | 文芸・アート
9月8日(土)

昨日、長野県諏訪郡富士見町にある富士見高原病院へ行ってきました。

富士見高原病院は、堀辰雄の小説「風立ちぬ」の舞台となったところ。
病院は旧「富士病棟」を取り壊し、6階建て新病棟を14年に完成させるとは8月28日付の新聞で知っていました。しかし一昨日の新聞では9月10日に、もう取り壊すとのことで、急遽出かけました。

堀辰雄は婚約者、矢野綾子の結核療養のために、富士見高原療養所へ付き添いで1935年の6月に入所。しかし、綾子は5か月後の12月に療養所で死去。「風立ちぬ」は彼女との療養生活を元に描かれました(1938年)。




▲ 堀辰雄は1933年逗留先の軽井沢で綾子と知り合い、34年9月に婚約します。堀29歳、綾子24歳。


「風立ちぬ」のモチーフは、死を見つめながら生きる、つかの間の生の、真の強い生命の燃え上りの美しさ、ということになるでしょうか。

1
それは、私達がはじめて出会ったもう2年前にもなる夏の頃、不意に私の口を衝いて出た、そしてそれから私が何んということもなしに口ずさむことを好んでいた、

  風たちぬ、いざ生きめやも。

という詩句が、それきりずっと忘れていたのに、又ひょっくりと私達に蘇ってきたほどの、。。


****

風立ちぬいざ生きめやも、の詩句はポールヴァレリーの詩からの堀の引用で堀の訳です。
「風が吹きかかる」、とは聖書では神が人間に語りかける時という解釈※がありますから、ヴァレリーの詩句はそれを踏まえたのではないかと思います。また仏詩は命令形になっています。ですからこの仏詩を私流に意訳すると、「主は私に言われる、おまえは生きねばならないと」。

(※「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」創世記2-7が神が風を通じて人間に働きかけた最初の事例です。)

小説では、冒頭で二人が出会ったばかりの頃、「そのとき不意に、どこからともなく風が立った」そして節子(綾子)の描いていた絵の画架を倒す場面があります。その時に、私(堀)がつぶやく詩句として、最初に出てきます。

そして、節子が入所した後;

「私、なんだか急に生きたくなったのね・・・・」
それから彼女は聞こえるか聞こえない位の小声で言い足した。
「あなたのお蔭で・・・・」


という文脈のあと、上記1のくだりが続き、その詩句が再度出てきます。

小説全体が非常にリリカル(抒情的)な中で、モチーフを強める印象的な詩句として、引用されてますね。


松田聖子のヒット曲に「風立ちぬ」があります。昨年、紹介しました。♪風立ちぬー今は秋ーのあの歌はもちろん、堀辰雄のこの小説から着想を得ていると思います。




▲ 私の文庫カバー画。最近の新潮文庫本カバーは療養所の画ですが、私はこの方が「風立ちぬ」のイメージに合って、良いと思います。


さて、私と節子の旧富士見高原療養所を見てまわりましょう。

実は、私は07年8月にも来ています。その時は土曜日で、平日でなかったため建物の中を見学できませんでした。それで、今回中を見たかったのですが、公開は9月2日で終了していました。残念。
で、今回も外観を少し見れただけです。



▲ 富士見高原療養所の本館「富士病棟」(1926年築)正面。これだけが、今に至るまで保存されていました。



▲ 上記富士病棟の右側側面からです。10日取り壊しのため、もう重機が入っています。
9月2日までは、ここから中に入れて、資料展示室も見れたのですが、もう立ち入り禁止。



▲ 病棟の裏側からです。多角形パティオ風の入り口?がレトロですね。



▲ ここからが、病棟の裏へ行く道。小説では、何度も「裏の雑木林」という表現で出てくる所です。小説どおり、少し小高くなっています。手前に、これまた何度も言及される「落葉松林(からまつ)」です。

この雑木林を抜けてさらに上がっていくと。そうです、ここに出ます↓。



▲ 八ヶ岳(南側)が見えてくるのです。何度も小説に出てきます。

2
「それにきょうはとても気分が好いのですもの」
つとめて快活な声を出してそう言いながら、彼女はなおもじっと私の帰ってきた山麓の方を見ていた。
「あなたのいらっしゃるのが、ずっと遠くから見えていたわ」
私は何も言わずに、彼女の側に並んで、同じ方角を見つめた。彼女が再び快活そうに言った。
「此処まで出ると、八ヶ岳がすっかり見えるのね」







▲ 現在の富士見高原病院の正面。1926年設立時は、結核治療のための高原のサナトリウムでしたが、現在は地域医療のための立派な総合病院です。



▲ Harmonyを停めた駐車場には、今も白樺が。。 いいですねー。

「八ヶ岳山麓のサナトリウム」「Fのサナトリウム」は無くなりますが、小説「風立ちぬ」の中に、読者の心の中に、永遠に残ります。

さあ、帰ろう。私も堀辰雄をまねて、つぶやきながら。


  風立ちぬ、いざ生きめやも



テンプレートも今日から、秋バージョンに替えます。

秋・北海道への旅 フェリー予約

2012年09月02日 14時52分29秒 | これからの旅予定
9月2日(日)

北海道へのフェリーを予約しました。シーズンではないため、予約は容易です。

10月 5日(金) 新潟を10:30発、翌日 小樽 4:30着
10月14日(日) 小樽を19:30発、翌日 新潟15:30着

1ヶ月前予約割引等もあって、片道18000円、Harmonyとの一人旅
2段ベッドの相部屋です。

今回のテーマは、Eat & Watch 北海道

北の大地で、美味いものを食べて! 美しい紅葉を見てこよう!




あと1か月あるので、今回はできるだけスケジュールを練って、効率よく巡りたい
と思います。

四国旅で感じたのは、私はやはりきっちりした旅行日程をこなすほうが、安心で
満足するようだ。リタイアしていれば、放浪型になるのだろうが、まだ戻る日が
決められている現状では、スケジュール消化型のほうが、かえって落ち着くのです。


健さんは南へ行ったが、Soraは北へ行くのだ・・・ (まだ、物語の中だよコノ人)