平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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2010年08月10日 | Weblog
 戦争映画は青少年を戦争に夢を持たせる。暴力映画、暴力漫画も同じ。世の中そんな甘くはない。だまされてはつまらない。人間の生命はお金には変えられない価値がある。
 平和、幸福は人間の求めるものだ。笑顔の家庭、安心の世の中、天下泰平は万人が求めるものだ。その昔、中国では太平の時代があった。役人は汚職をやらず、青少年は年上を大事にする。人々の心も穏やかで道で拾ったお金は届けた。就職も困らず、齢をとっても困らず、話は飛んでしまったが、要するにだまされないことである。
 核兵器があれば国は安全と思い装備をするのであろうが、しかし、大量に人を害にする武器である。人間にもルールがある。常識ある社会生活してこそ世間が認める。戦争にもルールを設けるべきだ。大量殺人化学兵器や何十年も後遺症にする兵器は廃棄にすべきである。

 昭和の始め頃、第二次大戦の時、日本は軍部が力を持っていた。憲兵隊を使い言論を統制した。自由に発言したならば早速警察が身柄を押さえた。そして、ヤキを入れた。逆らうものはひどい仕打ちをした。
 青年らも軍隊へ。強制てきであった。軍隊では鍛える。言うこときかないにはバットにちかいものでヤキである。純粋な青年にもヤキである。
 ひどいものだ。戦争は。多大のひとが外地でなくなった。むしけらのように。夢、ロマンを、希望を持った青年は目を輝かせていた。しかし、平気で鍛えた。暴力で。日本国の名をもって逆らうものは弾圧した。青年はめの輝きは失せ、失意のドン底であった。
 そして、特攻隊の命令だ。逆らうのは反逆の名を持って弾圧。ひどいものだ戦争は。そして、武器を、無敵の武器開発に懸命になり各国はあらそう。核兵器はまた恐ろしい武器であった。
 しかし、戦争の時でも平和を求めていた人達は活動した。権力から弾圧されながらも平和活動した。中には、権力に拘束され絞られて我慢し時を待った人たちもいた。