あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

遊星より愛をこめて・・

2006年02月28日 15時07分06秒 | アンヌのひとりごと
今朝、数々の名作を執筆された脚本家佐々木守さんの訃報を知った。
ホントに偶然であるが、昨日居間の片づけをしていて見つけた雑誌、
写真週刊誌('05年11月号)「ウルトラセブン12話」の記事を
再度読んだばかりだった。まだ3ヶ月前の記事である。
お元気そうなお写真も掲載されていたのに「え~何で?」
まだ69才とお若いのに・・誠に残念だ。。

12話とは「遊星より愛をこめて」脚本佐々木守・監督実相寺昭雄の
作品でフジアキコ隊員の桜井浩子さんがゲスト出演なさっている。
紆余曲折あって封印されてからもう長いこと欠番になっている。

『35年の時を経て・・”抗議側”と”制作者側”の2人が初めて
 ”封印”の是非を語り合った!』
・・といった小見出しで、佐々木守氏と抗議の口火を切った方
(当時「原爆文献を読む会」に参加していたジャーナリスト)
との対談記事を改めて読むと、抗議した側も番組を見ていないので
番組自体の内容を抗議をした訳ではなく、ある出版者がニ時使用
したカードに抗議した・・とある。

出版者側のカードにつけた怪獣のネーミングが悪かった様だ。
本編にはその様なネーミングが一切出てきていない。
抗議側もこの対談の為に12話本編を見ての感想は・・
『番組を見ずに抗議したのは大きな問題だった』
・・とある様に本編自体は逆に原水爆は良くないと風刺した作品、
誰もが本編を見れば封印する必要は無い・・と思うに違いない。

私も『是非・解禁を!』と願っているひとりだ。
封印をしている円谷プロも一筋縄ではいかない難しい問題とは
重々解るが、何とか解禁を方向付ける決断だけでもして貰いたい。
座談会での佐々木氏の言葉・・
『円谷プロに頑張ってもらいたい。しんどくても少し修正する
 ことで再公開できるならば、この座談会をやった価値も出る』
・・と結んでいます。

佐々木守さんのご冥福を心よりお祈り致します。”合掌 ”

理不尽・・

2006年02月26日 15時52分51秒 | Weblog
夫は産みの母と40年以上前に生き別れた・・。

夫は台湾人の父と日本人の母の間に昭和30年11月に生まれた。
やがて35年12月・・37年1月にふたりの妹が次々生まれた。
・・そんな頃、父親が他の女性に走ってしまった。
残された4人の母子家庭、妹ふたりを兄の7才の少年に託し、
毎晩、母は割烹料理の仲居さんで日給を稼ぎに出掛けていった。
ピィピィ泣く妹達にご飯やミルクをあげ、おしめを替える、
これがたった7才の少年の日課か・・!?

小学校3年の頃、念願の新品自転車を買って貰った。
翌日に、勇んで学校から帰ったら、その自転車は既に質草に・・
お金に困った母は月賦で購入した自転車を換金したのだ、
いわゆるこれが本当の自転車操業??
アパートの雨漏りはひどいし、水道は止められるし、
タンスには赤紙が貼られる・・といった想像を絶する生活。
そんな話、私には何だか映画で見ている様な世界だ。

一番トラウマになってるのは学校の運動会だったと思われる。
寡黙な主人の口から3回ほど聞いているから分かる。
運動会のお弁当のコトだ。皆、敷きゴザの上でご馳走拡げて
家族輪になってお昼を食べているのを横目でみながら
独りウロウロ当てにならない母が弁当を持って来るのを待ったコト・・
結局来なかったのだそうな。ウ~~ン何とも可哀想。

でも、話の中には一寸矛盾もある。母が毛皮のコートを着て
授業参観に来るのは綺麗で鼻が高かった・・とも耳にしている。
たぶんお金の使い方が下手な母親なのかもしれない。

やがて父親から連絡が入り「こっちに来るか?」
迷いもせず「ウン!」と兄は一目散に父親の元にとんでいった。
少しして上の妹も来た・・そして下の妹も結局3人とも父親の手元に。
泣きじゃくりながら追いすがる幼い末妹を、母の手から兄が引き離し、
坂を泣きながら下って行った母の後ろ姿・・それが最後だった。
昭和40年夏まだ9才だった。その後2度3度、中学・高校の頃か?
瞼の母逢いたさに何度か厳しい継母の目を逃れ、家出を図って
母の田舎を訪ねたらしいが、行方知れずで再会は叶わなかった。


昨日我が家のポストに「重要書在中」なる封書が届いた。
差出人は○○株式会社・債券管理本部となっている。
それは主人の母が消費者金融から借りたと思われる返済通知だ。
再婚したらしく借りた時の姓は違っていたがその後に
離婚したと思われる。
昭和54年に借りた20万円が1283040円にもなっていて、
残念ながら既に他界してますので調査した結果
相続人である貴方さまが民法○○条により返済する事に
なるでしょう。と・・

5年ほど前にも別会社からそのような通知が主人とふたりの妹
のところへ届いた。その事で母が亡くなったことを知らされた。
慌てて弁護士さんに頼んで相続放棄の手続きをした事があった。
でも9才の時に別れたままの母の借金が、辿り辿って何とも
理不尽であろう。ましてや母親の顔も知らない妹達は尚更だろう。

フ~~ッ・・明日また弁護士さんに連絡しなきゃ。
払わなくたって大丈夫に決まっているけど、
女房としてもまたこんな厄介な事、些か閉口している。
理不尽・・。

モンロー綺麗のヒミツは・・・

2006年02月20日 14時32分26秒 | アンヌのひとりごと
昨日のスポーツ新聞に『モンロー綺麗のヒミツは・・』
・・なる見出しの記事を見つけた。  
”永遠のセックスシンボル”として、今なお愛されている
伝説のハリウッド女優マリリン・モンローの生誕80周年を記念して・
3月2日から東京・日本橋高島屋で
「マリリン・モンロー綺麗のヒミツ展」(14日まで)
が開催される。・・・とある。

もう80才になるのかァ?あれから44年も経つんだ。
36才の若さで夭折したモンロー。
時空を超える彼女のお姿は、未だにあの若い妖艶なままだ。
何ともうらやましいかぎりですなぁ。
比べちゃ何だがこの私、アンヌ隊員に憧れた少年達は
今の私を見て「詐欺だ~」・・と思うのに違いない。(笑)

そういやモンローと言えばあの有名なフィルム'62年5月、
J・Fケネディの誕生日の式典で
♪Happy birthday Mr・ president♪
・・と唄ったお姿、あれは彼女が謎の死を遂げる約2ヶ月前だ。
死因は睡眠薬の過剰摂取によるものとなっているが、
他殺説を含め未だ謎のままである。

謎の死を遂げるなんて、ミステリアスでちょっと憧れる。
けど、私ゃ生きてて良かった。
たまにゃ心無い(イヤ心有る?)妄想アンヌファンから
「アンヌはお酒も飲まないし、タバコも吸わないし、
 麻雀なんかもやらない。僕の友里アンヌは夭折したと
 思っています。この本はひし美ゆり子がアンヌ隊員に
 嫉妬して書いた物のです。」
・・とこんな言葉をツラツラ綴られた手紙を貰った事がある。
私の初エッセイを読んでショックを受けたらしい。
エッセイだけでこんなショックを受けてたんじゃまだまだ甘い!
今の私の姿を見た日にゃダブルでショック死するのじゃないの~?

でも私はしわしわだって、出っ腹だって、生きていたい。
もうすぐそこに・・微々たる厚生年金も貰わにゃあかんし・・(笑)
だって今までに女優の仕事で人並み以上の恩恵を受けたことはないモン。
神様は平等・・もうちょっと生きてりゃ、何かイイことあるに違いない。
そう夢見てもう少し生きてみたいと思いまーす。

嬉しいご招待!でも今の私にゃ・・

2006年02月13日 21時52分15秒 | 百合子のひとりごと
きょうポストに立派な封筒に「ひし美ゆり子様」
寿の金のシールが貼られた封書が届いた。
誰からだろう?結婚式の招待かな?
こんな封書は久々でワクワク。差出人を見た。
いやいや私も一応モト芸能人だったんだ・・
ってコト、思い出しちゃった~。

それは、林家木久蔵師匠のご子息の久蔵さんの
真打ち昇進祝いのご招待状。帝国ホテルだ。ウレシー!
普通のおばさんやっている人間にとって、
ミーハー気分であるが、チョウ光栄!

しか~し!最近そんな立派な席に出る勇気はないし、
ご本人にはお会いしたこともないし、
お父様の知り合いで、よく子供の結婚式に
会ったこともないおじさんおばさんが来る・・てな。
木久蔵師匠のご配慮に、何だか申し訳ない気分だけど、
この嬉しい気持ちを伝えるお手紙を書いて
ご祝儀と一緒に欠席の返信を送ることにした。

主人は「行って来いよ~」と言ってくれるけど、
「ダメダメ!私ゃ居場所がないし、着て行く洋服だって」
万障繰り合わせて行きたいのは山々だけど・・
やはり今の私にゃそんな華やかな席には、とても無理。
お父様の木久蔵師匠には大変お世話になったけど、
今、欠席に丸を付けちゃいました。

師匠とお知り合いになって40年近く経ったんだわネェ。

死語と新語・・

2006年02月10日 10時04分38秒 | アンヌのひとりごと
齢60近くにもなると、
気が付きゃ今や死語になっている単語のオンパレードでしたね。
よく娘達にそんな言葉今使わないよ・・と、度々指摘されるけど、
ま、仕方がないでしょう。
前出の「六本木野獣会」「アイビールック」「ブイブイいわす」
なんか、今や死語でしょうね?

「六本木野獣会」は「六本木族」とも言い、
今じゃイタメシ屋なんてイタリア料理もポピュラーになったが、
あれっ「イタメシ屋」も早や死語になっているかも(笑)
60年代は庶民にゃイタリアレストランなんざお呼びじゃなかった。
六本木にあった「キャンティ」や「ニコラス」といったお店は、
文化人やブルジョア階級の子弟達が集うお洒落な高級店。
そこに流入していたグループをそのように言ったのじゃないのかナ?
調べりゃそうそうたる顔ぶれがいるはずですよ。

私も連れて行かれたコトは一度や二度はあったけど、
やっぱり私は庶民が集うヤキトリ屋のほうが落ち着けたわねぇ。。

最近の日本語、なんだか侘びしくなりますね。新語が増え、
かのNHKだって意味の分からないカタカナ語が度々出て来ます。
会話にも人によってはそれどう言う意味?・・って聞くんだけど、
相手によっちゃ知ったかぶりして話を合わすコトなんか、しばしばですよ〜。

待ち倦ねた・・再会

2006年02月06日 22時56分22秒 | アンヌのひとりごと
当時の彼は23~4才、真っ赤なスポーツタイプの車に乗り
アイビールック、六本木や原宿あたりをブイブイいわせて
たんじゃないかしら。
当時加賀まり子さんや大原麗子さんで有名な
「六本木野獣会」ってな感じの男の子だった。

一度だけデートしてもらったけど(アレ言っちゃった〜)
行く店行く店お洒落な若者達ばかり集い、連れてる女性は
まるでファッション誌から飛び出した様なモデルさん風。

それに引きかえこの私、そのデートの為になけなしのお金で
慌てて買った薄クリーム色の化繊のツーピース。
ちょっとダサかったナァ。
その服を買った吉祥寺の洋品店「ひめゆり」今もあるのだろうか?
・・あれから40年近く経ったけど。。。


・・時は刻々と経ち、19時前にお店に入った。
店内はまばらで7名の団体さんと3-4組みのふたりずれ。
娘が・・
「まだどちらも見えてないわ。監督の予約席はつくったけど
 もうひと組の予約は何人?席はどの辺にとったらイイ?」
「桜井さんは何人だか?2-3人だと思うわ。見えてからでイイワ」

19時半・・監督の19時予約ももう30分も過ぎている。
落ち着かない。監督に連絡。
「予約は19時でしたよネ。今何処ですか?」
『あれ連れまだ来てない?僕は仕事でまだ30分くらいかかる』

・・・と、入り口に一人の男性。
まさか?えっ?『あ~リュウ坊!』
そうまさにブイブイいわせてたその憧れの彼だった。
38年振りの再会にお互い手を握りしめ、
いやいや私なんぞ38年振りに捕まえた~ってな感じか(笑)
彼の手はツルリとして冷たかった。
サーモンピンクのスウェーターを着ていまだにお洒落、
いくらか落ち着いた感じはお父様の本多猪四郎監督に
ソックリになった。

イヤッ・・下手な長談義はやめよう。

結果、ロコと原田監督のお連れさんとは同じ方、
そうリュウ坊だったのです。
監督の粋な計らいで、誰との待ち合わせとは言わなかったそう。
前もってロコに聞いてしまったけど、ホントに嬉しかった~。
ロコもお忙しいのによく来て下さいました。
明日早いという事で先帰ってしまいましたが、
その夜は監督とリュウ坊と彼の美人セクレタリーと4人で
監督はお疲れか?居眠りまでしておつき合い、
午前2時まで呑み続けていました~。

お店に最後まで残ってくれた主人が翌朝戻ってきて、
「よく話すことがあるよな。」・・とポツリ。
やだ、酔っ払って何か変なコト喋っちゃったかしら!?

ロコとリュウ坊とアンヌ・・

2006年02月04日 15時05分10秒 | アンヌのひとりごと
2月2日昼下がり・・今日はお店を休もうとゴロゴロしてた私に、
一本の連絡が入った。なんて言う日だっ!
このブログで話題に上がったふたりと一気に再会が叶うのだ。
電話の主はフジアキ子隊員のロコ(桜井浩子さん)からだ。

『今日、夜アンヌの店に行くけどお店に出ている?』
「ウン、ロコが来るんだったら出るわ~」
『あなたの店で待ち合わせなの。本多のリュウ坊と。
 私は少し遅れるけどリュう坊の相手しててネ』
「え~~ッリュウ坊と!ホントー出る・出る!」

ロコは女優業の他、最近はプロデユーサー業にも奔走中
何かの仕事でリュウ坊に会い「アンヌの店で呑もう」
と、約束したのらしい。

直後、今度は一昨年DVDでご一緒した原田監督から電話があり
『ひし美さん、今日はお店に出ていらっしゃいますか?』
「エエ~勿論!出てますよ~。先日は居なくて失礼しました。」
『じゃ、19時頃4-5人で伺います』
ウワ~ふた組も知り合いだ。席は傍の方がイイのだろうか?
どう言って紹介しようか?

急にせわしくなり、家の中で右往左往。何をしてイイか上の空。
リュウ坊と40年近くの再会には・・もうかなり舞い上がっている。
まず早めに家事を終らせて、美容院にも行かなくちゃ。
頭の中はあの頃のリュウ坊の顔&私の顔、そして今の私の顔が交錯し
落ち着かない・落ち着かない。
アンヌの写真集なんぞ開いちゃったり・・あ~ぁと時の隔たりを嘆いて、
ひとり鏡にあたったり・・
ウワ~~!気が付きゃ、作り掛けてた煮物を焦がしてた。トホホ。

・・時は刻々と経ち、19時前に店に入った。
ウワ~もうこれ以上ドキドキして書けませ~ん。  
つづきはまた。

ウーンなかなか『好色元禄マル秘物語』

2006年02月01日 11時46分07秒 | ゆり子のひとりごと
さて、コメントにも頂いておりますように、
井原西鶴という人物の青春にスポットを当てた粋な企画・・
実は私もこの作品が大好きです。
おっとー!18禁なのであまり声を大にしては言えませんが。
ズバリ「ひしみゆりこ」後にも先にも一枚看板になった
唯一の映画なのです。(トホッ)

実質上女優を辞める一本手前の出演映画『好色元禄マル秘物語』
因に最後の映画出演は、これを観て深作監督に認められ抜擢された
『新仁義なき戦い・組長の首』これもまたそのうち書こうかな。

先日ウチの店にファンの方たちが数人でみえて、
当然アンヌファンだろうとセブンの裏話など散々サービスした挙句、
突然ひとりが・・
「ひしみさんって走り姿かっこいいですね。陸上やってただけあるナ」
「えっ?どの作品で・・見たの?」
その方たちは勿論セブンファンでもありましたが「好色元禄・・」
の私(お夏)が襦袢姿で走り捲るシーンがカッコ良かったのですとっ。

男を手玉にとって元禄の世を逞しく生きているお夏が、
色仕掛けで射止めたはずの呉服問屋の若旦那が、
今祝言を挙げてるまっ最中だと父親に知らされた。
それを聞き逆上したお夏は襦袢姿のまま脱兎のごとく
その男の祝言に乗り込んでいく・・といったシーンは、
延々海岸沿いを・走る・走る・走る・・丸でカモシカのように速い。
ウフフ・・手前味噌ではございますが、これ好きなんですっ。

本人以上の魅力を存分に引き出して下さった関本監督に未だ感謝です。
素晴らしい演出&カメラワークには、濡れ場の多いこの映画の中でも、
唯一この走るシーンだけは誇れるのです。
よもやこのシーンがなければ?私自身この作品は封印してたかも??
いえいえ!そんなコトはありませんが、でもそれも過言じゃありません。