あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

ワンゼグ??

2006年03月31日 02時10分35秒 | アンヌのひとりごと
ワンゼグサービスとやらが4月1日から始まると
ニュースで見たが何の事やらオバサンには分からない。
デジタルだか?アナログだか?ややこしいなぁ。モウ。
メカに強そうなアンヌ隊員だったら分かるだろうに(笑)
世の中変ったよナ。私ゃもう覚える気がないよ~。

パソコン打てるだけでも私にゃ凄い進歩だと思っていたのに、
どんどん置いてきぼりくらうみたいだ。
テレビだって何年か後には総べてデジタル化になるって
言うじゃな~い。
エ~?最先端のITネットワーク??意味分かンな~い!
・・あ~あラジオ時代が懐かしいナ。

最近の電話ってさたくさん会社があるのね。
「○○にご加入頂くと何処に掛けても一分がたったの○円」
なんてアチコチから勧誘が多いけど私には電話って
NTTだけかと思ってた(笑)

先日横浜まで久々に電車に乗ったけど切符を買うのも・
改札通るのも・・随分ややっこしくなったよね。
切符買うのに販売機の上の料金表の見方が難しくて
後ろの人を待たしちゃった。
昔は「横浜大人一枚」「はい○円です」なんて切符を買い、
改札員がチョキチョキと切符キル時代だったものね・・
あ~あ懐かしいナ。

ところで私と同年齢、来年還暦を迎える1947年生まれの
お父さん・お母さん達は着いていけるのかいな??

私たちの若いころは、
電話はジーコジーコとダイヤル回し、
テレビは観音開きでチャンネルをカチャカチャ捻る、
洗濯機は絞り機なるローラーをギーコギーコ手で回す、
そんな時代だったよな。
あっそうそう!
ストッキングには後ろに縫い目の線が入ってて
ガーターベルトでとめてたっ。ウワ~懐かし~!

『ざん切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする。』
こんな時代の庶民が今の日本を知ったらビックリするんじゃな~い。
そういや最近面白いCMがあったよね。「利休も呼んでいいかな」
とかいう何かのコマーシャル、笑っちゃった〜。

ブログの恩恵!

2006年03月29日 14時39分41秒 | 地谷子のひとりごと
このブログを始めたお陰で・・何と言う事でしょう!
まさか夢にも御会い出来るとは思わなかったお方に、
実は昨日巡り会えたのです。ウ~ン何とも感動的な日でした。

先日書いた『プロボクシングと私』を読んだある方の
頼もしいお計らいに後押しされ、
私が中学1年から憧れていたボクサー、関光徳さんに
お会いすることが叶いました。
現在は「横浜光ジム」会長であの元世界チャンプ畑山選手や
現世界チャンプ新井田選手を育てた方なのです。

あれは'61(昭和36年)1月4日私が中学1年の時でした。
関光徳×チャチャイ・ラムファパー(後のチオノイ)戦
10代同士の若いふたりの試合にすっかり魅せられてしまい
関選手の大々ファンになったのです。それからと言うもの・・
彼の事を思うと夜も眠れず、寝床の横にあった障子の木の部分に
爪で相合い傘を書き 関光徳×地谷子 と真夜中の落書きを
したっけナ(テヘッ)そんなトキメキが1年以上続きました。
その後一級下の野球部のピッチャーに憧れましたが(笑)
考えてみれば関光徳さんが私の初恋の人でしょうか。
今思うと・・ソーカモネ♪ 
当時の女の子は歌手やら俳優に憧れていましたからね、
初恋に似たこの気持ちを誰にも打ち明けられないまま、
45年経った今、このブログに白状しま~す。

でも女の子が何故ボクシング?と思われるかも知れませんが
当時はテレビが一家に一台時代ですからチャンネル権は
父にありましたもので、連日連夜ボクシング三昧でした。
私のスポ-ツ好き・ドラマ嫌いはここから始まったのかもネ。

さて、昨夜お会いした関光徳さま。私の思った通りの方でした。
当時、あの甘い優しいマスクからでるハードパンチ。
そのギャップに魅せられたものですが、やはりお優しい方でした。
ジムの会長として堂々とした男気の中に、優しい笑みと
シャイな部分を備えた方。
私が古い雑誌「プロレス&ボクシング」('64年)を差し出し
サインを求めたら「サインなんか忘れたナァ」と照れながらも
快く表紙と中の写真の部分に2箇所もして下さいました。
あの頃の自分じゃ考えられない夢の様な出来事がやっと
45年後の昨日叶ったのでした。フ~~ッ昨日は感動で震えました~。

今回後押しして下さったファンの方、イエ~イ恩人をバラしちゃえ、
ETさ~ん、昨夜は本当に有り難うございました~!
あなたの後押しがなければ1人で訪ねる勇気はありませんものね。
(多謝)

日本の未来は?

2006年03月23日 12時04分50秒 | 地谷子のひとりごと
いやいや~、イイ試合でした~。
王ジャパン凱旋帰国しました。
おめでとーう!「世界で一番強いチーム」です。
一時は諦めていたなか、それがイイように転がって
『世界一』の称号を手にした今、審判のボブなんか
もうどうでもイイヤ、一気に吹っ飛びました。

勝負は時の運と言いますが、
運だけではありません。これは実力でもあります。
王監督はじめ選手一人一人がとにかく素晴らしい。
黄金チームそのものでしたね。

それにしても解散前の記者会見でのイチローの
言葉には参りました。
『ホント素晴らしい仲間にめぐり合えて・・
 ・・・もう・・やばいっすね。』

「もう・・やばいっすね。」
この一言に、ジ~~ンと胸が熱くなりました。
戦友達をたたえ、また戦友との別れの辛さに
テレも加味されている言葉だろう。
長年アメリカに居てもこの一言で「日本男児」
を感じました。ウ~~ン素敵!

それに引きかえ、ある議員の婚約会見・・
「大好きで・大好きで・・一生・・・・・」
日本を代表する公職につく武士が、いくら若い
とはいえメディアを通して言うセリフか!?
大好きな気持ちは分かるが、いやはや、
聞いてるこっちの方が恥ずかしかったよナァ。

こんなコト思うの・私がオバサンの証拠かしらネ(笑)
でも日本の未来は?・・と不安に思っている矢先に
それを打ち消すかのような素晴らしい会見がみられました。
「王ジャパン」バンザーイ!!

ウルヒロの輪!

2006年03月19日 10時28分29秒 | アンヌのひとりごと
一昨日このブログランキングが急上昇、何でだろう??
いつもは50万件中700-1000を行ったり来たりだが、
急にランキングが300位代に上がった・・何とっ!

先日のウルトラマンメビウスの主題歌収録取りの帰り、
途中まで送ったネクサス・ヒロインの五藤圭子さん。
彼女もご自分のブログにあの日のコトを書いた。五藤でポン

私のブログを紹介してくれたからだ。凄い凄いっ!
彼女のブログからたくさん私のブログに飛んで来てた。
これって面白い・・タモリじゃないけど「友達の輪!」
みたいですね。

ところで・・ウルトラヒロインって実際にお会いした方、
私の知っている方は何人いるだろう。
桜井浩子さん・星光子さん・吉本多香美さん・鈴木亜美さん・
斉藤りささん・そして今回知り合った五藤圭子さんだ。

あっそうそう「帰ってきたウルトラマン」の桂木美加さん。
東宝の後輩だが、何かの映画で一緒になり結構仲良くしてた。
その後'71年頃か?撮影所で会った時、私の元に飛んで来て・・
「ひしみさん。私も女隊員に選ばれました~。」
って報告を受けた。それを最後にお会いしてないから、
かれこれ35年も会ってないコトになる。
アメリカに居るという噂も聞いたが、会いたいものだ。

そんな人達が集まった「ウルヒロ会」があったら楽しいカモネ。
桜井さんあたり立ち上げてくれないかしら。
ウルトラ40周年を記念して・・『ウルヒロの輪!』なんてネ。

勝利の女神サマサマ・・

2006年03月17日 12時34分57秒 | 地谷子のひとりごと
ヤッター!日本準決勝進出!
WBC(国・地域別対抗野球)2次リーグに進出が叶った。
メキシコ×米国戦 2対1でメキシコ勝利。
失点率差で日本がアメリカを上回り4強に残った。
フ~~勝利の女神は日本を見捨てなかった。

先日の日本×米国戦で例のタッチアップの時
二塁塁審の判定を覆すという前代未聞の『疑惑の判定』
またもや今回もイヤなムードのジャッジが下された。
メキシコの選手の打ったHR。
ポールに当ってボールが戻って来たHRだったが、
審判はエンタイトルツーベースとの判定。

幸か不幸かそのジャッジにメキシコ選手の闘志に
火がつき2対1の僅差だが勝利した。
結果、日本に準決勝進出の権利が転がり込んだ。
勝利の女神サマは疑惑の判定を見逃さなかったか!?
バンザーイ!!

「ウルトラマンメビウス」の主題歌を唄う。

2006年03月15日 10時59分48秒 | アンヌのひとりごと
何を隠そう、昨日はレコーディング。ナヌッ?
ハイわたしめがレコーディングに行ったのです。
いやいや実はウルトラマン新シリーズの主題歌を
過去にウルトラシリーズに関わった俳優たちで
コーラスをしたと言うのが本当のところ。
西麻布のとあるスタジオで行われた。

ウルトラシリーズに関わった人々だから
集まったのは40年前から現在まで・・
これぞ「老若男女」という四文字が
ピッタシのメンバーが揃った。

佐原健二さん・黒部進さん・桜井浩子さん・
団時朗さん・高峰圭二さん・ひし美ゆり子と
若手じゃ、杉浦太陽さん・五籐圭子さん・
そしてメビウスの主役の五十嵐隼士.さんの
合計9名が集まった。
(まだ何人かは後にレコーディングの予定)

皆、それぞれヘッドホンを付けていっぱしの歌手気分。
黒部ちゃんなんか大はしゃぎで
「スイマセーン。もう一回テストをお願いします。」
なんてノリノリ(笑)
私を始め何人かの老年組?は出が早かったり
音をはずしたりで、笑い有りの楽しい一時だった。
でも、予定スケジュールの一時間も前に終了!
バッチ・グーッ・・出来上がりが楽しみだ。

さて、その帰りロコ(桜井浩子さん)が
円谷プロの新社屋(八幡山)に行くと言うので、
私の運転・ロコのナビでの珍道中。
車線を間違えると助手席のロコが窓を開け、後ろの車に
ニッコリと手を挙げ割り込みさせて貰うコトが度々(笑)
光景が目に浮かぶでしょ?やっとこさプロに辿り着いた。

初めて行った円谷ビルは・・
何と親友若原啓子さんチのすぐ近く、目と鼻の先だ。
たまたま車検中で空いてた彼女の家の駐車場に・・
こりゃ丁度イイヤと車を乗り捨て、近所の寿司屋で
宴会が始まった。
元東宝女優三人、初めてのメンバーでの飲み会は、
昔話に花が咲いてウ~~ン同窓会気分で楽しかった。

たった今、若原(井下)さんから電話が入った。
「貴女の車を運転するかと思ったら緊張して
 目が早く醒めたわ。ところでチヤちゃん。
 娘とバリ島に行こう・・って話が持ち上がって
 いるんだけど一緒に行かない?」
「ウワー行きたいナと思ってたところなの。」
偶然昨日のブログに書いたけど、バリ行き実現するかもっ!

バリでの出来事・・

2006年03月14日 10時54分07秒 | ゆり子のひとりごと
最近ハマっている韓流ドラマ『バリでの出来事』イヤ
最近じゃなくて丁度1年前の深夜TBSで放映された時
すっかりハマってしまい多価いDVDまで購入した。

一年後の今、またまた深夜に放映されている。
その放送が気になって最近少々寝不足ぎみである。
何故って自分の買ったDVDはよく観ないまま次から次へ
「貸して」と言う人が多くて10ヶ月も回ったままで
まだ返ってこない。主客転倒な話である。(笑)

実は「ソ・ジソプ」という男優に魅せられてしまい、
生まれて始めて彼の写真集なんぞも買ってしまった(笑)
昨年の丁度今頃ロケ地めぐりにバリ島まで訪ねた程だ。
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昨年は3月と6月にバリに行った。3月は前記の理由だが、
6月は急遽決まった家業のアジアン料理店オープンに伴い
お店の装飾品の買い付けにだ。

バリ島というと・・初めて行ったのは1975年。
日本→バリ間をインドネシアのセンパティ航空が
直行便を開通したのを記念して、
私とカルーセル・マキさんのふたりがテレビの番組で
バリ島紹介という仕事で行った。今で言う旅番組カナ。

30年前のバリ島はまだ観光客も少なく、
日本人なんか全くと言っていいほど居なかった。
リゾート客は白人(オーストラリア人?)ばかり。
あの頃のバリはまだ撮影するのにもかなり厳重で、
撮影許可がおりるまでホテル内の撮影だけして、
私だけ一週間たらずで一足先に帰国した。
たまたま日本に仕事が待っていたからだ。

一昨年「おねえ(沢たまきさん)を偲ぶ会」で
久々に再会したカルセールさんが言っていたが・・
「あんたは先き帰ったから良いけど私は撮影許可を
 待ったら3週間もバリに缶詰めになってマイッタわ」
ですって。

今の私だと3週間も・・と思うと何とも羨ましい話だが、
あの頃の私は3週間もいたらどうなっただろう?
今と違って閑静すぎる程のバリ島、まだ今の様に
ショッピング街もないし・・
好きな人も日本に居たしナ〜(笑)

ウーンそんな事を考えていたら・・またバリに行きたくなっちゃった。

あすから春場所・・

2006年03月11日 23時24分18秒 | 地谷子のひとりごと
いよいよ明日から始まる大相撲三月場所。
今場所はどんな力士が活躍するだろうか。
朝青龍か?琴欧州?はたまた栃東の綱取りなるか。
番付表見ると・・・
何と幕内だけで32人中12人もの外国人力士だ。

外国人力士というと昭和20年代末に四股名は
分からないが、トンガ島出身のハーフ「前溝隆男」
を思い出す。トンガに居る瞼の母逢いたさに
相撲だと叶わないと後にプロボクサーに転身した。
全日本ミドル級チャンピオンまで昇ったがその後
どうなったのだろう。さて瞼の母に逢えたのだろうか?

スミマセン・・またボクシングの話になってしまった。

ボクシングと私・・パート2

2006年03月09日 13時02分00秒 | 地谷子のひとりごと
昨日のボクシング亀田興毅の試合6RKOで勝利した。
とどめはボディーだが、ちょいとローブローぎみ?
しかしジャッジはセーフだからそれが結果だ。
世界タイトル挑戦に一歩近付いた。おめでとう~。

私なりのジャッジは予告KOの5Rまではほぼ互角のイーブン、
やはり戦暦の長いボウチャンにそう安々とは勝てない、
細かいジャブを喰らい、かなり手こずったようにみえた。
一発パンチを狙い過ぎたのか、もう一寸リズムにのって
ジャブやカウンターを頭脳的に組み込んだらいいのにナ。

さて、昨夜は私めのボクシング・ヲタ暦を振り返ってみた。
時は1960年3月31日、小学校の卒業式を終えて一週間あたり、
当時まだ家にはテレビがなく父親に連れて行かれた吉祥寺の
開かずの大踏切脇にあった「今川焼き屋」で観たボクシング。
日本では一番重量級のミドル級の試合だった。
1R48秒で決着がついた海津文雄ーラッシュメイヨン(比)戦
を観てボクシングに魅せられてしまった。丸で猛牛のごとく
恐そうなメイヨンを海津がいとも簡単に料理したのである。

それ以前にも'59年、米倉・矢尾板が立続けに世界戦挑戦試合の
対パスカルペレス戦を観に吉祥寺の中華屋に連れて行かれたが、
餃子が食べられる嬉しさだけでまだそれ程の興味は湧かなかった。

1960年夏初めて我が家にテレビがはいった。
それからと言うもの中学1年~高校始めまでの数年間は
もうもうボクシングに夢中だった。世界・東洋・日本の
ランキングのランカーを空で言えた程。

中学生の私の夢は女ボクサーになりたかった。(笑)
関光徳所属の新和ジム・若松会長を訪ねようと住所まで調べた。
港区赤坂一木・・・だが、そこまで積極的に行ける勇気は・・
結局なかった。だって女ボクシングってその頃ないものね。

その後、色気も出て来たか?他の事に夢中になり
ボクシング熱もだんだんと失せてしまった。
ウフフ・・ゆり子のボクシング・ヲタ・マル秘物語でした~。

プロボクシングと私・・

2006年03月08日 17時14分56秒 | 地谷子のひとりごと
今夜、プロボクシング亀田三兄弟の長男”浪速の闘拳”こと
亀田興毅(19才)対カルロス・ボウチャン(メキシコ)の
世界タイトル前哨戦のゴングが鳴る。楽しみ~。
相手の選手”ボウチャン”何だか日本人に親しみやすい
可愛い名前だが、何とKO率70数パーセントと言うから
亀田選手も世界戦にむけてかなりの真剣勝負になること
間違い無しだ。

今夜の放送は21時からとゴールデンタイムだから良いが、
最近のボクシング放送は深夜だったり昼間だったり
見逃してしまう事が度々だ。先週の亀田大毅の試合も
楽しみにしていたのだが、後の祭り、見逃してしまった。
まさか昼間の4時放送だったとは・・。


昭和30年代半ば過ぎ日本のテレビは週4~5回はGタイムに
ボクシング中継をやっていたほど賑やかだった。
4チャン「ダイナミックグローブ」名解説者平沢雪村。。
6チャン「東洋チャンピオンスカウト」解説郡司信夫・白井義男。
あと「三菱ダイヤモンドグローブ」「リングサイドアワー」
といった放送も記憶にある。

私の少女期は父の影響もありボクシングが大好きだった。
世界タイトルマッチなんぞ放送する日にゃテレビの前で
真夏でも震えがきて毛布をかぶって観戦するほど興奮した。

私のお気に入りは関光徳選手だった。およそボクサーには
似つかわしくない甘い優しい顔した「眠り狂四郎」の異名をもつ
選手だが、世界フェザ-級タイトルマッチ、シュガーラモス
(キューバ)に挑戦した試合はTKOで負けたが、40年以上
経っても忘れられない選手のひとりである。

他にはF原田・海老原博幸・勝又行雄・高山一夫・
斉藤清作(タコ八郎)・海津文雄・益子勇治・野口恭・・
外国選手ではポーンキングピッチ・チャチャイラムファパー・
フラッシュエロルデ・エデルジョフレ等々、未だに覚えている。
あっジョーメデル(メキシコ)「ロープぎわの魔術師」と言われた
一番印象に深い外人ボクサーだ。
'61年8月13日の関光徳対メデルのビデオがあったら見たいものだ。
あっ遠山甲さん、学習院出身のいかしたレフェリーも居たナ。

こんな話を書いても団塊世代以上の人しか分からないだろうが、
ウフフ・私は今で言う「ボクシング・ヲタク」ですネ。
当時の私の愛読雑誌・・
『プロレス&ボクシング』(ベースボールマガジン社)
今でもあるのだろうか?まさかないよナ~。

昭和も遠くなりにけり・・

2006年03月05日 11時40分10秒 | アンヌのひとりごと
カラオケなんて私ゃあんまし出番はないから
いつも聴き手側になる。
ファンの方と行ったとき耳にする曲は
「ウルトラ・メドレー」やら、
彼等が少年少女期に流行った子供番組の
主題歌やアニメソングが多い。

ウチの子供たちとカラオケに行くと、
まるで聴いた事のない曲のオンパレードだ。
たまにゃ勘定支払う私に気を使ってか?次女あたりは
テレサテンあたりもサービスしてくれるが。。(笑)

私の友人のJunkoさん、私よりチョットお姉さんだが
歌は唄わないが「花街の母」などセリフ入りの曲だと
断然張切ってセリフの時だけマイクを奪い取る。
極め付け18番は「お吉物語り」の中のセリフだ。
”ハリスさんも死んだ。鶴さんも死んだ・・”

なんだか最近そのセリフが頭をよぎる日々である。

あれから40年・・ウルトラ警備隊関係でもウ~ン
~キリヤマ隊長も~クラタ隊長〜ヤマオカ長官も~マナベ参謀も~
セブンに関わったスタッフの中も大勢鬼籍に入られた。
~はじめさんも~金城さんも~大木さんも~山ちゃんも~

そう言えば、まさにウルトラの生みの親のおひとり、
ウルトラヒーローや怪獣・ウルトラホーク・隊員服・
ポインターまで数多くデザインを手がけてこられた
「成田亨先生」は亡くなられて何年になるのだろう?
2000年に私のエッセイ『アンヌとゆり子』のあとがきに
嬉しいお言葉を頂いた翌々年だから2002年2月26日、
もう4年も経ってしまった。はやいものです。
ウルトラの功績者として忘れてはならない方ですね。

ア〜ァ昭和も遠くなっちゃったんだわねぇ・・
「そのうち会いしましょうネ・呑みましょうネ」
・・という言葉はもう使えなくなっちゃった今日この頃。
やりたいことして・・会いたい人に会わなくちゃね~。

アンヌとゆり子―隊員服を脱いだ私

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ネットの難しさ・・

2006年03月03日 12時38分37秒 | 地谷子のひとりごと
昨日ひょんな事からある売れっ子脚本家のHPに辿り着き
とても興味深いコラムを見つけた。
それは同業者?・・と言うか、ある演劇集団の主催者件作家が
その売れっ子脚本家の作品を劇団で無断使用していた事に端を発し
「著作権侵害」と抗議した経緯が刻々と綴られているものだっだ。

彼はネットで無断使用を見つけたらしいが、
始めに抗議した時に相手が素直に非を認めていれば、
人間対人間・・そう大事には至らなかったのだろうに、
相手側の言い訳めいた事や嘘が重なり結果裁判にまで発展した。

正直始めはとても面白く興味をもって読み始めたが、段々と
その厳しさに怖くなり私の様な無知な人間は身の引き締まる思いがした。
裁判の結果はリンクを貼られていたが、何せ2年前の古い記事なので
リンクは「NOT FOUND」・・結果が知りたいところだ。

著作権法や肖像権等は本当に難しい。
私みたいな初心者・にわかブロガーには極力ノリだけでは
モノを書いてはいけない、改めて自分にそう言い聞かせた。

彼のHPを見つけた事の発端は先日ここのブログに書いた、
タイトル「ところで本当の40年前・・」にある。
40年来の親友の話とその娘さんがプロデューサーをしている
番組の事書きましたよね。彼とはその番組の脚本家さんなのだ。
ご自分の作品を検索していて偶然私のブログを見つけ読んだらしい。

彼から・・
「今度お母さんの勤めている店に連れて行ってくれない!」
と、言われて吃驚した・・とプロデューサーの娘はお母さんに伝えた。
親友は・・
「地谷子のブログ見たのね。貴女の作品を宣伝してくれたのよ。
 と言っといたわ。世の中狭いわねぇ、でもお店に来てくれると
 イイわね」
・・と私に笑い話の様に伝わったからホッとしたが、
人によってはそうはいかない事も考えられる。
「私の事バラしたわねぇ。」なんてね。

最近は特に個人情報保護法が厳しくなり、
世界中不特定多数の人が目にするネット上では極力
個人名を書く時は配慮をしなければ・・
と改めて書き手の責任の重大さを痛感した。

それにしてもそんな事があって彼に興味をもって検索したら
著作権侵害のコラムを見つけ偶然とは言え大変勉強になりました。
私も著作権・肖像権もっと勉強しなきゃね。