あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

瓜二つ・・

2010年07月27日 00時00分01秒 | ゆり子のひとりごと
「瓜二つ」「生き写し」この言葉がなんてピッタリなのでしょう!
もう~言わなくても分るでしょ!?
そう!彼のお父様は川谷拓三さん、拓ボンジュニアの仁科貴さんで~す。
一昨日、調布の花火大会の日、仲間と暑気払い会をやりました。
彼もお住まいが調布、参加して下さいました~。

三十数年前に「好色元禄マル秘物語」で共演したお父様の面影を彷彿とさせます。
会う度に似てくるので、ツーショット撮っちゃった~。

あの映画が縁で川谷さんが助演男優賞、私が主演女優賞を受賞!
拓ボンは遅咲きの俳優さんでこの頃からメキメキ売れ出したのでした。
授賞式にはお忙しい拓ボンの替わりにお姉ちゃんと貴君来ていました。
'76年2月だったから貴君が5歳の頃ですね~。




土用の丑の日

2010年07月26日 08時16分31秒 | 地谷子のひとりごと
今朝の東京は曇天、チト凌ぎ易いです。
と、言っても昼になればまたまた猛暑になるのかな。

今日は土用の丑の日・・う~ん美味しい鰻食べたいな。
次女が
「ね~土用の丑って何?」
そう言われると私も分らない。
調べてみると暦の上で土用と丑の日が重なった日らしい(?)
なぜ鰻を食べるかというと平賀源内の発案という説もある。
夏に売れない鰻を何とか売る為に源内に相談にいき発案されたとか。
つまり恵方巻きやバレンタインと同様らしい。

私この一週間でもう二度もたべたけど、飽きる事はないね。
ウ~ン今日もまた食べたいな。

生まれて初めて食べたのは父親に連れられて行かれた新宿の鰻屋。
多分昭和30年頃だったと記憶しているが、
その時はあまり美味しいと思わなかった。
「こんな物、何故大人は滅多に食べられないご馳走と騒ぐのだろう」
と思ったけど、
やっぱり大人になってみると私の嗜好も変りました。
今や大好物なのです。

皆さまも暑気払いに今夜は鰻で精を付けては~!

最近さ~

2010年07月23日 16時33分17秒 | 地谷子のひとりごと
最近さ~なんか生きてるコトがメンドッチィ~ってな感じだわさ。
別にさ、自ら命を絶とうという気持ちは微塵もないけどさ(笑)
なんじゃい、この暑さ!なんじゃい、この景気!
あぁぁぁぁ投げやりになっちゃうよ~。
犬も、いい加減にしてくれ~ってな感じで傍でふて寝してるわ~。

景気と陽気とが異様に拍車が掛っとる、負の連鎖だね。
私ゃ~もうもうどうにでもしとくれ!・・てな感じ!

だ・け・ど・さっ!
それでもこの状況下に真剣に頑張っている奴や、
ここが我慢のしどころと密かにほくそ笑んでる頭のイイ奴がイッパイいるんだぜ。
負けちゃいけないよ~!弱肉強食の世界だけでもない!
身を粉にして頑張る事が、少なくても勝者に繋がるかもしれないとね~。
明日は明日の風が吹く.....皆~~~っ!私みたいに投げやりにならないで!ガンバガンバ~!!

それにしても暑い~~~チト、暑さで狂っとります~ワテ(笑)

特攻隊で散ったプロ野球選手・石丸進一「人間の翼」上映会

2010年07月15日 16時33分54秒 | ゆり子のひとりごと
プロ野球はお好きですか?
伝統の一戦、阪神vs巨人戦(首位攻防)が今面白いですね。
昨日は雨で中止、今夜こそは行われるでしょうね~。
私、横浜ベイを応援しておりますが、本音はアンチGかもね(笑)
今夜は早めに夕飯の支度をすませTV観戦楽しみにしておりま~す。

さて、上映会の告知です。
特攻隊で戦火に散ったプロ野球選手・石丸進一をご存知ですか?
私も石丸選手のお話は10年前にひょんな事から知りました。
映画になったようですが、なかなか観るチャンスがありません。
機会があったら是非観てみたいと思っていた作品です。
『人間の翼 最後のキャッチボール』

それじゃ一層の事フィルムを借りて上映会を立ち上げちゃおうと、
グリソムギャングにて終戦記念日8/14、8/15に上映会を行う事になりました。
私と一緒に観ませんか~?ご一緒して下さる方は以下から申し込み下さいネ~。
グリソムギャング8月上映スケジュール

既に現在8/14は17人、8/15は6人の申し込みがあります。
キャパ24名ですので、お早めにね~

告知に以下の様な↓事が書いてありますがそんな仰々しい事は出来ません!
一応ご挨拶だけはしますが、皆さまと同じ目線で上映会に臨もうと思います(笑)

★両日共、映画上映前にひし美ゆり子さんの舞台挨拶がございます。

7月になると思い出す・・P-5(最終回)

2010年07月14日 10時35分00秒 | アンヌのひとりごと
1967年7月14日(金)...まさに43年前の今日、
半世紀を経ても未だ語り継がれる番組のオーディションが繰り広げられていました。

『奥の部屋で着替えて下さい』
言われるまま部屋に通され、いよいよ隊員服に着替えるのです。
内心...”さっき観た「ウルトラマン」の隊員服の色のほうが私には似合う”
そう思いながら手を通していたのです。

ズボンはピッタリでしたが上着のファスナーを上げる時..
”うっキツイ!”
製造方法でバストの辺に6~7センチ巾の太いゴムが施されており、
それがよりキツく、胸が押しつぶされそうです。
程なくして小道具のベルトと靴、銃とヘルメットが届き、
いよいよみんなの待ってるポインター前での撮影です。

”うわ~恥ずかしいな~”
内心そう思いながらもここ一番のオーディション、恥ずかしさを抑えながら胸を張って臨みました。
現場を取り巻く人の数が増えており、10人近くはいたでしょうか。
誰が居たかは憶えておりません、TBSサイドのプロデューサーさんあたりも居たのかな?

こうして昼下がりの世田谷区砧で世紀の写真撮影が始まったのでした(笑)
最初は森次クンとのツーショット。
この緊張の中、彼とは初対面でなかったのが唯一の救いでした。

ツーショットを何十カットも撮り終えて、ここで森次クンは先にお疲れ様です。

残すは私ひとりでのショットを多数撮られたのでした。


カラー写真もあったのですね。


「お疲れさま~」
私はこの言葉を聞く瞬間が一番至福の時なのです。
緊張感から解放され、心の底から笑顔がこぼれるのです。
仕事中にこの笑顔が出せたらイイのにね(笑)


さて翌日の事です。
いつもの友達の誕生日会をやっていました。
もうすっかり昨日の面接のことは頭から抜けていました。
愉しい誕生日会、でも家の門限は22時、
またうるさい母に叱られるから私だけ後ろ髪引かれる思いで帰宅したのです。

玄関を開けるや否や、母が息せき切って私に...
「地谷子、大変よ!なんで電話しないのよ~。
 円谷プロの新野さんって方から散々電話貰ったのに~、
 あなたが居ないからこれをウチまで届けにきたのよ。」

手渡された物は台本でした。
『レッドマン(仮題)』

「明日また電話下さるそうだから、一日家に居なさいね!」
母からきつーく怒られて、やむなく友達との先約を断り家におとなしく居る事にしました。
それにしても前日の面接の事も忘れ夜まで遊び惚ける、ろくでもない女優ですね(笑)

翌日新野さんから電話が入りました。
『台本読みましたか?あなたの役は友里アンヌ隊員です。
 メディカルセンターのシーンを明日から撮影です。
 9時開始ですので美術センターに1時間前に入って下さい。』
「は・はい!宜しくお願いします」

こうしてアンヌ隊員は誕生したのでした。
7月14日のあの運命の一日、写真の出来如何では決まらなかったかも知れません。
運良く、向こうの意向にハマったか?それとも切羽詰まっていたのか?
何はともあれ菱見百合子は友里アンヌ隊員に抜擢されたのでした~。 

めでたし、めでたし... Fin.

7月になると思い出す・・P-4

2010年07月10日 23時57分24秒 | アンヌのひとりごと
これは1967年7月14日(金)の出来事を思い出すがまま綴っているのです。
私にとって「日本の一番長い日」かもね(笑)

円谷特技プロに面接(オーディション)に向った私は
テレビ映画「ウルトラマン」を試写室で観せられ、その後キャメラテストをしていました。
原っぱでの撮影はキャメラマン&レフ板持ちの3人だけ、すると遠くから・・

ドゥルン・ドゥルン・ドゥルン・・・耳慣れない唸り音が轟いたかとおもうと、
向こうから巨大な物体(車)が道狭しとこちらに向ってきます。
何?何?
その姿はハイカラにお化粧した戦車の様でした。
私は感動というよりもこの異文化的な光景にただ目を丸くしていたに違いない。
戦車は円谷特技プロの敷地内に入り込んでいったのです。

重そうなドアが開き、グレーのユニフォーム姿の男性が下りて来ました。
「アレ~?森次クン!」
『おう!何だ菱見クンじゃないか~』

二人はつい一ヶ月前まで国際放映でお仕事をしていた仲だったのです。
『きょうは撮影の初日だったんだよ~』
「フ~ン」
この面接は訳あって下りた女優さんの代役だったとは聞かされておりません。

新野さんが寄って来て
『これは劇用車でポインターと言います。写真を撮りますから前に立って下さい』
私服で十数カット撮ったでしょうか・・


『それでは奥の部屋で隊員服に着替えてきて下さい』
「あっ・はい」
『森次さんはそのまま一寸待ってて下さい。菱見さんが着替えたら一緒に写真を撮ります』

こうして末代まで残る世紀の写真(笑)を撮る事になろうとは誰も分っていなかった。

7月になると思い出す・・P-3

2010年07月08日 22時26分11秒 | アンヌのひとりごと
「ウルトラマン」の上映が終った。
明かりが点くや否や新野さんが入って来て
『どうでしたか?』
「はい、面白かったです!」
・・と、だけしか答えられない、頭の中が真っ白で、
只々オレンジのユニフォームの鮮明な色だけが脳裏に残った。
その日のコスチュームもそうだが、オレンジ&黄色系が大好きで
こんな奇抜な色の衣装が着られるのは嬉しいな・・と内心思った。

普段から自分は目立たない個性のないタイプだと思っていたから、
地味目な洋服では女優という職業にはみられない、ただその辺の平凡な女の子だと。。

試写室を出た、太陽が眩しかった。
表には黒い皮キャメラバッグを地面に置きキャメラの準備をしてる人がいた。
まずはそのままの衣装で撮るからと、キャメラマンが会社の敷地を出、目の前の空地に案内された。
ヒメジョオンや雑草の生い茂った原っぱだった。


写真を撮られるのは結構慣れていた。
普段東宝の若手スチールマンの勉強会にとモデルを頼まれて散々撮られたからだ。

これは未だに元東宝のスチールマンが
「チャコは快くモデルを引き受けてくれて世話になったよ」
って言って下さるのです。


モノクロ写真なので説明しますが、オレンジ色に紺のアクセントのワンピーと
薄オレンジ色の帽子です。
ここではレフ板を持った助手さんとキャメラマンの三人でした。
2-30分撮ったでしょうか。
この後
「二十歳の少女は見た!!」
目を見張る程のカルチャーショックを起こすのです。

つづく・・

7月になると思い出す・・P-2

2010年07月05日 13時00分27秒 | アンヌのひとりごと
昭和42年7月暑い午後でした。
東宝からの業務命令で円谷特技プロダクションに「面接」に向った。
時間前に着いた私は恐る恐る社屋の庭に立つ・・ビクッ!
目の前を凄い勢いで路地猫2匹が次々横切り、コンクリ塀の向うに消えて行った。
ここは古い何かの跡地なのか?平屋で長屋風の建物が逆L字型に建っていた。

程なくして後ろ隅の部屋からスタッフの一人がにこにこしながら近付いて来て
『菱見百合子さんですね、私は演技課の新野です。』
物腰が柔らかで彼の声の良さと歯切れの良さがとても爽やかだった。
『ところで「ウルトラマン」というテレビ番組観た事ありますか?』
「いえっありません・・すみません」
『視聴率が40%にもいった番組なんです。ではまず一本観てもらいましょう』

薄暗い廊下を通り抜け試写室まで通された。
ドアを開けると壁に何かでかでかと貼られたものに気を取られた。
それはウルトラマンの視聴率が一話一話棒グラフにして貼られていたのだ。
20歳の新人女優にはそれがどれほど大きな意味を占めてるかはまだ解らない。
テレビ製作に携わる全ての因果がこれに凝縮されているという意識はなかった。

新野さんが映写技師さんに何か頼むと部屋から出て行った。
入れ替わりにプロデューサーの末安昌美氏を紹介された。
温厚で言葉少ない重役さんってタイプだが二人だけの試写会となった。
部屋が暗くなり「ウルトラマン」が上映された。
綺麗なカラー映像だ。
しかし試写室での映写はこれがテレビで放送されるという意識を忘れ、
普通に映画の試写気分で観てしまったので然程驚きはなかったナ。
それより末安さんと二人だけで観るコトのほうが大いに気になったよ。
咳払い一つ息づかい一つにも気を使ったものだ。フ~~

つづく・・小出しですみませ~ン。

7月になると思い出す・・

2010年07月01日 23時02分16秒 | アンヌのひとりごと
ここ何年も7月になると思い出します。

丁度私が二十歳の誕生日をむかえた直後でした・・
所属会社(東宝)の演技課、吉竹さんから一本の電話が入りました。

『チャコ~明日円谷特技プロで面接があるので行ってくれないか』
撮影所の演技課はなじみのある部署、みんなに「チャコ」と可愛がられていました。

「はい!解りました~円谷プロって何処ですか?」
『撮影所の直ぐ傍だよ。正門からもみじ屋の前を左に入ってすぐ右側だよ』
「はい分りました~」

それまで円谷プロの存在を知らなかったのです。
そう言えば国際放映で数ヶ月前にオレンジのユニフォームを着た先輩(黒部進氏)が歩いていたナ。
カッコイイナ~と思ったけど、あの作品を創っている所なのかな?

翌日・・昭和42年7月14日(金)私の記憶が当っていたら・・(笑)
面接だったら気張って行かなくちゃ~。
自分自身で誕生日の記念に買ったばかりの洋服が発揮できるチャンスができたのでした。
華やかなオレンジのワンピに薄オレンジの帽子を被って颯爽と出掛けました~。

円谷特技プロダクションは閑静な住宅街にありました。
路地を曲がるとすぐ右側に車と階段の入り口が二つあって、え〜ここがぁと思うほど古びた建物です。


あら?こんな時間だ続きはまたね~