あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

東京五輪の頃の記憶・・

2006年08月31日 21時25分50秒 | 地谷子のひとりごと
2016年オリンピック国内立候補都市が「東京」に決定した。
・・といっても2009年に最終的に決定するかどうかだが。

あれから42年経ったのかぁ・・早いもんだな。
1964年(S39年)高校二年の秋だった。

我が家にも白黒テレビが入って数年たった頃
殆どのお宅にテレビが普及していて日本中が釘付けだ。
みんなが東京五輪ムードに酔い痴れていた。
右肩上がりの高度経済成長期に、
日本は戦後の復興のあかしとして東京五輪を成功させた。
東海道新幹線が通じたのもこの年の3月だったよな。

あっそうそう、東京五輪にまつわるエピソードをひとつ。。
裸足のランナーで有名なエチオピアのアベベ選手
彼が出場した例のマラソンレースの話だが・・
あとで満田監督に面白い事を聴いた。

円谷プロ内でも円谷英二さんを始め皆テレビの前に集まったそうだ。
日本のメダル最有力候補は「君原健二選手」だった。
前評判では殆ど耳にしなかった「円谷幸吉選手」が点呼された時、
若かりし頃の満田監督が円谷英二さんに尋ねたそうだ。

「円谷選手って同じ姓だけどオヤジさんの親戚ですか??」
『イヤ関係ないよ。知らんよ。』
と、一蹴したそうです。

下馬評通りアベベ選手が大きく独走して国立競技場に戻って来た。

ところが二番手に何とあの伏兵円谷選手が戻って来たのです。
ゴール200メートル前で英国の選手に抜かれてしまったが、
それでも日本初の銅メダルの快挙でした。
当時日本中が拍手喝采に沸き返ったのは私もよく憶えています。

満田さん曰く・・
「メダルが決まった途端!オヤジさんの言葉が替ちゃってさ」
『あれはウチの親戚なんだ。』
「急に親戚になっちゃったんだよ。」
ウ~~ン円谷英二さんらしいおちゃめなエピソードですね。

あっそうだ。きょう東京で地震があったけど、
あの五輪の年に新潟に大地震があったのも憶えている。
丁度授業中だったが東京でも揺れを感じた。
ガタガタといった揺れではなく、
大船に乗っている様なゆら~り~ゆら~りと大きな横揺れだった。

最後にもうひとつ、
この年はルーブル美術館からきた「ミロのヴィーナス展」
上野の西洋美術館に学校から見に行ったよな。。

あらら、ながながと思い出に耽りましてスミマセ~ン。