2016年オリンピック国内立候補都市が「東京」に決定した。
・・といっても2009年に最終的に決定するかどうかだが。
あれから42年経ったのかぁ・・早いもんだな。
1964年(S39年)高校二年の秋だった。
我が家にも白黒テレビが入って数年たった頃
殆どのお宅にテレビが普及していて日本中が釘付けだ。
みんなが東京五輪ムードに酔い痴れていた。
右肩上がりの高度経済成長期に、
日本は戦後の復興のあかしとして東京五輪を成功させた。
東海道新幹線が通じたのもこの年の3月だったよな。
あっそうそう、東京五輪にまつわるエピソードをひとつ。。
裸足のランナーで有名なエチオピアのアベベ選手
彼が出場した例のマラソンレースの話だが・・
あとで満田監督に面白い事を聴いた。
円谷プロ内でも円谷英二さんを始め皆テレビの前に集まったそうだ。
日本のメダル最有力候補は「君原健二選手」だった。
前評判では殆ど耳にしなかった「円谷幸吉選手」が点呼された時、
若かりし頃の満田監督が円谷英二さんに尋ねたそうだ。
「円谷選手って同じ姓だけどオヤジさんの親戚ですか??」
『イヤ関係ないよ。知らんよ。』
と、一蹴したそうです。
下馬評通りアベベ選手が大きく独走して国立競技場に戻って来た。
ところが二番手に何とあの伏兵円谷選手が戻って来たのです。
ゴール200メートル前で英国の選手に抜かれてしまったが、
それでも日本初の銅メダルの快挙でした。
当時日本中が拍手喝采に沸き返ったのは私もよく憶えています。
満田さん曰く・・
「メダルが決まった途端!オヤジさんの言葉が替ちゃってさ」
『あれはウチの親戚なんだ。』
「急に親戚になっちゃったんだよ。」
ウ~~ン円谷英二さんらしいおちゃめなエピソードですね。
あっそうだ。きょう東京で地震があったけど、
あの五輪の年に新潟に大地震があったのも憶えている。
丁度授業中だったが東京でも揺れを感じた。
ガタガタといった揺れではなく、
大船に乗っている様なゆら~り~ゆら~りと大きな横揺れだった。
最後にもうひとつ、
この年はルーブル美術館からきた「ミロのヴィーナス展」
上野の西洋美術館に学校から見に行ったよな。。
あらら、ながながと思い出に耽りましてスミマセ~ン。
・・といっても2009年に最終的に決定するかどうかだが。
あれから42年経ったのかぁ・・早いもんだな。
1964年(S39年)高校二年の秋だった。
我が家にも白黒テレビが入って数年たった頃
殆どのお宅にテレビが普及していて日本中が釘付けだ。
みんなが東京五輪ムードに酔い痴れていた。
右肩上がりの高度経済成長期に、
日本は戦後の復興のあかしとして東京五輪を成功させた。
東海道新幹線が通じたのもこの年の3月だったよな。
あっそうそう、東京五輪にまつわるエピソードをひとつ。。
裸足のランナーで有名なエチオピアのアベベ選手
彼が出場した例のマラソンレースの話だが・・
あとで満田監督に面白い事を聴いた。
円谷プロ内でも円谷英二さんを始め皆テレビの前に集まったそうだ。
日本のメダル最有力候補は「君原健二選手」だった。
前評判では殆ど耳にしなかった「円谷幸吉選手」が点呼された時、
若かりし頃の満田監督が円谷英二さんに尋ねたそうだ。
「円谷選手って同じ姓だけどオヤジさんの親戚ですか??」
『イヤ関係ないよ。知らんよ。』
と、一蹴したそうです。
下馬評通りアベベ選手が大きく独走して国立競技場に戻って来た。
ところが二番手に何とあの伏兵円谷選手が戻って来たのです。
ゴール200メートル前で英国の選手に抜かれてしまったが、
それでも日本初の銅メダルの快挙でした。
当時日本中が拍手喝采に沸き返ったのは私もよく憶えています。
満田さん曰く・・
「メダルが決まった途端!オヤジさんの言葉が替ちゃってさ」
『あれはウチの親戚なんだ。』
「急に親戚になっちゃったんだよ。」
ウ~~ン円谷英二さんらしいおちゃめなエピソードですね。
あっそうだ。きょう東京で地震があったけど、
あの五輪の年に新潟に大地震があったのも憶えている。
丁度授業中だったが東京でも揺れを感じた。
ガタガタといった揺れではなく、
大船に乗っている様なゆら~り~ゆら~りと大きな横揺れだった。
最後にもうひとつ、
この年はルーブル美術館からきた「ミロのヴィーナス展」
上野の西洋美術館に学校から見に行ったよな。。
あらら、ながながと思い出に耽りましてスミマセ~ン。
その頃の事は全く記憶に有りませんが・・
円谷監督と円谷選手のエピソード、とても面白いですね。
福島の須賀川に旅行した時にズバリ「円谷製麺所」って木造の建物が有りまして、昔の円谷プロはこんなだったのかしら??って思いながら見とれてました。
もう一つ、東京オリンピックでのエピソードが・・・・
オリンピック男子体操で、NHKのアナウンサーが「ウルトラC」を連発して暫く経った頃、そのアナウンサー宛てに一通の手紙が・・・
「今度、『ウルトラQ』と言う番組を作る事になったのでウルトラって言葉を使わせて欲しい・・」との円谷監督からの直々のお手紙だったそうです。
震源地からは外れてましたけど、10階位にすんでたんで、かなりの揺れを感じて怖かったです。
円谷英二さんのエピソード、大変微笑ましく読ませて頂きました。さもありなん、って感じですよね。
そう言えば、円谷を「つぶらや」って読むのは難しいんですかね?
結構な年(大学卒業後、3・4年は経ってる)♂が大声で「えんたに」って読んだんで、思わずキツイツッコミを入れてしまいました(笑)
よかったと思ってます。ただ12年はアメリカ大陸が有力なだけに厳しいとは思いますが頑張って欲しいものです。
蒲田の師匠は64年当時ボーイスカウトで表彰式の国旗掲揚係をやっていたと言ってましたし師匠の弟さんは
小学生で1日中オリンピック中継を学校で見ていたそうです。
円谷英二さんのエピソードは笑えますね、でも同じ地域出身だから遠縁であるかもしれませんね。
ただ幸吉さんは銅メダルを取ったばかりにあの悲劇に見舞われまして例の遺書を何度読んでも胸が痛みます、合掌
日付はANNEさんと同じ10日です♪
もうすぐ・・・又一つ歳をとりますぅ~~~
(ToT)/~~~
皆さんも災害に備えておきましょうね。
それから今日から2学期でした・・・
学校に行ってきま~す!!
歩いていましたが、気がつきませんでした・・
この間、テレビで東京オリンピックの最終聖火ランナーの坂井義則さんのお元気なお姿を拝見しました。
7年前私の父が亡くなったあと、押入れの中から東京オリンピックの記事が載っている当時の青森新聞が出てきました。新聞をまるめた分厚い束が二束。
私はしばらくの間、記事に見入ってしまいました。
驚いたのはカラーの写真も何枚かありました。
あと開会式の模様を録音した四角いソノシートも。
小学生の頃から、日本武道館が憧れの場所でした。
私の場合はミュージシャンのコンサート会場としてですが・・。
中学の修学旅行で東京に行ったとき、どこを歩いているのかは分かりませんでしたが、ふと遠くを見ると
武道館の屋根が見えたんです。あの玉ねぎが!
感動して写真を撮ったのを憶えてます。
また東京でオリンピック開催が決定しましたら
武道館やバレーが行われた会場も使われるとか・・
ぜひ東京に決まってほしいですね!
ちょっとお知らせですが(^_^;)
5日(火)より4週にわたりNHK教育テレビにて
夜10.25~10.50「私のこだわり人物伝・
円谷英二」が放送されます。案内役は唐沢俊一さんです。お時間がございましたらご覧になってください。
今日は長くて申し訳ありませんでした。
なお東京に決まる確立は少ないようで
ブラジルか南アフリカ
それでいいよ
お生まれになった直後か直前だったりで
殆ど記憶がないようですね。
エッヘン、私はおねいさんだからよく憶えています。
自慢にはなりませんが・・
今日は関東大震災から83年、ウチにも生き証人がいます。
母は8才だったそうです。
「あれは阪神大震災に比べて揺れは小さかった。
火事でなくなった方が殆どだったわね。
何故ならば、阪神大震災級の地震が発生した場合、建物よりも、まず、外部の鉄骨階段が崩れ落ちる可能性が高いからです。
つまり、非常口から逃げようと扉を開けると、そこにあるべき階段が既に無く、それに気づいても、後ろから押されて先頭から4人目位までは落下してしまうからだそうです。