終の住み処建築日記

田舎暮らしのあれこれ。(2010年夏のある日より)

“大相撲芦北場所”開かれる!

2014-12-01 10:24:11 | 日記
昨日(30日)は待ちに待った“大相撲芦北場所”でした。
またまた夜中中大雨でしたが、朝からは上がり、ほっとしたところです。
朝から公開稽古も見られる、というので、9時に出ました。
我々は会場まで歩いて行くつもりで、佐敷駅の陸橋を渡り、スカイドーム下の駐車場にさしかかると、何ということでしょう!
「入り口までのシャトルバスにどうぞ」と案内があり、楽々と会場に着いてしまいました。一緒にバスに乗った年輩の婦人3名は、「天草の御所の浦から、船と電車を乗り継いで来た」そうで、相撲の人気はスゴイと思いました。
  
公開稽古は朝8時から始まっており、我々が9時半頃に着いた時には観客が結構入っていました。一番値段の高い席が一人13000円で、土産に座布団がついています。我々は「ペアマス席」二人で18000円。ちゃんと座布団を持って行ったので、何とか午後3時半終了まで座っていられました。でも、お隣の席に座ったご夫婦は何も用意しておられず、私が厚手の膝掛けを持っていたのを敷くように勧めましたが、遠慮され、とうとうビニールシートに座りっぱなしでした。
土俵に上がる順番を待つ力士達は、四股を踏んだり、屈伸運動をしながら、列を作って待っています。真ん中の写真一番後は「逸の城のお尻」です。
それは長時間熱心に稽古するものだと感心しました。郷土力士の佐田の海や天鎧鵬も盛んに稽古して、観客に拍手をもらっていました。
【十両土俵入り】

【横綱白鵬土俵入り】
  
【阿夢露、塩を撒く嘉風、遠藤】
  
【郷土力士佐田の海に抱かれる相撲大好きキッズ】

我々の席は「東の花道」のすぐ脇で、力士がすぐ近くを通ります。
この子は、多分3歳か4歳に見えましたが、すぐ前の良い席に父母と陣取り、かなりの相撲通らしく、すべての力士の顔と名前を覚えているので、「○○○おめでとう!」などと1人1人に声をかけ、抱っこしてもらったり、タッチしてもらったりと、大喜びでした。何と「△△はまわしの色がこの前と違う」などと言うし、遠い西の花道にも好きな力士が登場すると「あ、□□□だ!」と歓声を上げます。
 
私はこれを好きな力士6人分作り、掲げて応援すべく持っていきましたが、すべて西方の力士で、写真も碌に撮れませんでした。ちなみに、この難しい漢字の力士名も、この子はすらすらと読み上げたものです。天才ぶりにあんまり感心したので、みかんとお菓子をあげると喜んで食べてくれました。
【3000円のお土産つきお弁当とちゃんこ鍋(500円)】
 
お土産はすてきなカレンダーと昔懐かしい分厚い湯飲みに郷土力士名が書いてあるヤツ、でした。

 
途中からものすごい雨の音がドームの屋根に聞こえました。かなり降ったようで、帰りは駐車場なども水浸しでぬかるみ、3000人以上が一時に出るので大渋滞で大変だったようです。
我々は、一生に一度あるかどうかの大イベントを、こんなに楽に見られて、最後はすぐ近くのAPに帰るだけでラッキーでした。
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“薩摩街道ふれあいウォーク”(その2)

2014-12-01 09:45:57 | 日記
 
約2時間、うっそうとした険しい山道を登ると、急に視界が開けて「津奈木太郎峠」にたどり着きました。
「峠の茶屋」風に、地元ボランティアの皆さんが、お茶やおむすび、漬け物などを準備して待っていてくれました。
「どうやってこんな山のてっぺんまで?」と思ったら、その先を少し下ると「舗装されているが今はあまり使われていない道」があり、車で荷物を運ぶことが出来ていました。良かった! 
 道には枯れ葉が降り積もっています。
 
あとは下るだけ、と思うと、少し元気も出て来ました。でも、油断大敵!前日の雨でぬかるみ、枯れ葉でぬるぬるすべる急坂で、ツレがずるりと滑ってしまいました。幸いズボンとリュックが泥で汚れただけでケガがなくて良かったです。
「幼い時に父母を亡くし、祖父母に孝行を尽くしたことで藩主から褒賞を受けた孝女千代の墓碑」で少し休み、
 
平地に降りて、「亀萬酒造」の所で3号線を横切り、もう少しでゴールの津奈木グリーンゲイトです。道脇にはデコポンが熟れ始めています。

「重盤岩眼鏡橋」は「種山石工」が造ったそうです。
ツレの隣の方は大阪からの参加者です。「街道マニア」で日本中の街道を歩いているそうです。スゴイ!

4時間近くかかって無事ゴール。「完歩証」とお土産にジュースやお菓子をたくさんもらって、最後におれんじ鉄道の津奈木駅まで10分歩き、湯浦駅まで戻りました。前もって少しは歩く練習もしましたが、何せ山道! でも何とか完歩でき、本当に良かった!
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“薩摩街道歴史ふれあいウォーク”、歩き切りました!(その1)

2014-12-01 08:30:21 | 日記
12/1(月)曇り
いよいよ「師走」です!
仕事もしていないのに、急にそわそわしてきましたが、またまた慌ただしい週末を過ごしました。
29日(土)は、“薩摩街道歴史ふれあいウォーク”で12キロのウォーキング、昨日30日(日)は“大相撲芦北場所”を見に行き、ほぼ一日体育館に座っていました。
こういう、すてきでハイライト的な出来事は、毎月の中に折良く配分されると良いのですが、何故かこの1週間くらいにぎゅうっと押し込められて、「やや体力的に難あり」だったようです。

さて、“薩摩街道ウォーク”です。
  
当日朝方まで激しい雨が降り、開催が危ぶまれましたが、6時頃には雨が上がり、快方に向かうとの予報で実施されました。
出発式が湯浦のヘルシーパークグラウンドであり、地元8名の案内ボランティアの紹介と、葦北鉄砲隊のパーンパーンとお腹に響く号砲に送られて出発しました。
県内各地から120名ほどの参加があり、中には小学生の姿も数名ありました。元より脚力にそう自信のない私ですので、12キロを歩き切れるか心配でしたし、ツレの話しでは、相当な険しい山道を行くというので、かなり緊張していましたが、小学生と、一見して私より年配の人が圧倒的に多い中で、見苦しいことにだけはなりたくないと覚悟を決めました。
  
ヘルシーパークから早速3号線を離れ、山手の集落の方へ入って行きます。当地へ移り住んで2年近くになりますが、全く初めての道でした。
集落の人に時々声をかけながら、また、往時のゆかりの地を案内してもらいながら、街道へ進みます。
   
  
ここは、高速道路工事中の「津奈木トンネル」現場です。丁度街道をそぎ落とすように建設されており、その際の急傾斜をロープをつかんで登る最初の難所でした。
  
ロープには50センチおきに瘤を作ってあり、振興局のスタッフが手を貸してくれ、重い体を引き上げてくれたので何とか登ることが出来ました。
  
さぁ、いよいよ山道へ。山間地育ちの私でもそうそう歩かない、それは険しい道がまだかというくらい続きます。人が踏み固めただけの細くて、木の根がぼこぼこ張り出して・・・。苔むした大小の石に足を取られそうになりながら・・・。(その2へつづく)


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