終の住み処建築日記

田舎暮らしのあれこれ。(2010年夏のある日より)

熊本地震、16日目。

2016-04-29 21:24:07 | 日記
4/29(金・祝)晴れ
14日21時26分と16日1時30分の大地震からもう16日目です。身の毛のよだつような恐ろしい体験でした。
しつこいくらいの余震もこれでもかというほど次々に起こり、生きた心地もしませんでした。
2週間過ぎた今でも、日に何度か余震があり、思わず天井をあおいで震えています。
実は、2つ目の震度7に襲われた後、給湯器から水がザーザー漏れ出し、完全に壊れてしまったことが分かったので、これではもう居られないと、生後3ヶ月の孫と80歳の義母を連れて芦北のツレの元へ身を寄せていました。
熊本県の南部に位置する芦北町は比較的地震の影響も少なく、水道電気等のインフラも整っているので、避難している間はかなり安全でした。
何より毎日孫をお風呂に入れてやれるのはうれしいことで、被害のひどかった地域で、避難所や駐車場の車中泊を続けている人が多くいる中では申し訳ないくらいでした。
一方、ツレの実家は大きな被害を受けました。40年以上経った家屋で至るところ壁が落ち、サッシが外れ、室内のタンス、食器棚、その他の家具類が倒れたり壊れたり・・・。
今日はようやく、遠方の親族も帰って来て片付けることになり、我々も芦北を引き払って松橋へ戻って来たのです。
家には「危険」の黄色い紙が貼られ、今後再び住むのは難しいようでしたが、皆粛々と働き、片付けは大分進んだようです。
我が家は、2週間前までウキウキと花壇の草取りをしていた時とはガラッと景色が変わり、今や草ぼうぼうに荒れ果ててしまいました。
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引っ越しを終えて。

2016-04-12 16:00:07 | 日記
4/12(火)晴れ
土曜日曜で引っ越しを終え、ツレは赴任地で単身赴任、私は松橋の家で留守番と、別れ別れになりました。
昼間は天気が良ければ草取りに追われ、何と言うこともありませんが、さすがに夜は少々心細いです。

朝から娘夫婦に手伝ってもらい、軽トラ一台分の荷物を運びました。
午後早いうちに娘らを帰し、あとはゆっくり片付け。夜にはイタリアンのコラッジオへ挨拶がてら行きました。
前のアパートからは10分ちょっとの徒歩で行けましたが、今度は倍くらい距離があるので、何と軽トラで行ったため残念ながらワインを飲むことは出来ませんでした。
 
注文したのは、前菜3種盛り合わせ、パスタのペスカトーレ、ピザのマルゲリータです。魚介は新鮮だし味にコクがあり相変わらず美味でした。特にピザの生地がとっても美味しいです。これは一度ご賞味あれ、です。

さて、4月に入り諸般の事情でしばらく草取りをしていなかったので、その間に色んな花が咲く一方、雑草は一段とはびこってしまいました。
それでまた昨日から午前午後2時間ずつ草取りをしているのですが、中々成果が上がりません。それに油断するとまた熱中症にかかるくらい暖かくもなってきました。
自分の体と相談しながらボチボチやらねば・・・。
【ついに開いた牡丹とガーベラ】
 
【満開のモッコウバラとコデマリ】
 
【蕾のついたシャクヤク】

【一斉に新芽の出た山椒】

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芦北へ。

2016-04-08 20:59:05 | 日記
4/8(金)曇り
義父の初七日も終え、いよいよツレは芦北での勤務が始まりました。
正式な引っ越しは明日土曜日ですが、昨日から新たな公舎へ1泊で行って来ました。
あいにく強い雨風が吹き荒れる中、転入の手続きと家の掃除で丸1日過ごし、明日の引っ越し本番まで体力が残っているか微妙です。
公舎は築20年近くの一軒家で、多分長く単身赴任が続いていたからか、少々カビ臭く、家の周りは草ぼうぼうです。
 
でも、芦北らしく、その庭に甘夏とデコポンが植えてあるのは素敵です。5月には白く甘い香りの花も咲くでしょう。
これから時々行って草取りもし、少しさっぱりさせたいと思っています。

【我が家のモッコウバラと姫リンゴの花も咲き始めました。】

 
【3年目にして初めてたくさんの花芽がついたオオデマリ】
 
この緑色がもっと大きくなって真っ白になります。枝に支えきれない時は添え木をしなければいけません。
【ガーベラ。これももう何年も咲いています。】

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桜の花咲く頃に・・・。

2016-04-06 21:31:10 | 日記
4/6(水)曇り
義父が逝きました。
3/31(水)早朝、行年81歳でした。
義父は昨年8月から入院、3つの病院に転院して治療しましたが、去年暮れには不治の病と宣告され、その後は食事も摂れず点滴のみで命を繋いできました。
病院の敷地内にも道路にも、美しい満開の桜が春の到来を告げているのに、義父は今年の桜を自分の目で見ることは出来ずに逝ってしまったのです。
4月1日から芦北へ赴任する予定でしたが、仮通夜、通夜、葬儀、寺参りと続き、今日はもう初七日でした。
明日からはいよいよ新任地での勤務が始まり、引っ越しも次の週末にはしないといけません。

葬儀の日は暖かいお天気で、火葬場の桜もきれいでした。
多くの方々に送られて天に昇った義父、長い闘病の苦しみから解放され、天国で好きなカラオケでも歌っているでしょうか?


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