Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ハーブ

2017年08月02日 | ヴァイパー(毒蛇)ワイン

ベネティアを描いた絵は4枚あります。うち一枚は先にご紹介した、ピーター・オリバーが描いた19歳のベネティアとヴァン・ダイクが描いた家族4人の絵、寓意に満ちたベネティア、死の床に眠るベネティアの絵です。3枚目の絵 ( 下 ) に注目しました。

顔の部分を拡大しました。


         

 

ステュアート朝( Stuart dynasty ; 1371-1714までつづいたスコットランド起源の王朝 )では、女性は蒼ざめた顔と大きく開いた胸を誇張するために鉛白粉にビネガーを混ぜたものを塗っていました。若者の透き通る肌を模するために、網状の静脈を描いたり、鉛で作った櫛を使って眉を濃くしたり、コチニールを沁み込ませたスパニッシュウールやスパニッシュペーパーを使って唇や頬に色を付けたりしました。皮膚の上には卵白を塗ってこれらの仕掛けが見えないようにしていました。まるで磁器のお人形です。

( 中世後期からルネサンス期にかけてイタリアを中心に、顔に鉛白紛を塗り、その上に頬紅を加える化粧方法が流行しました。このメイク法は18世紀にかけてヨーロッパ全域の王侯貴族に男女問わず広がり、鉛白粉を使う上流階級層に流産や死産が多かった原因だと言われています。コチニールは製造過程で虫体の一部分が赤色色素の中に残ることがあり、それが原因でアナフィラキシーよる喘息、ショックがおこります。お化粧は女性が自発的にするものなのか、それとも男が強制的にさせるものなのか。時代の流れの中で仕方なく化粧をしていた女性もいたのではないか、特にこの時代は。と思ったりしていますが、ベネティアはどうだったのか、謎は深まります。)

奇跡に近い美しさを求めて、焼いた毒蛇の内臓を蛇毒ワインに入れて飲むこともあったようです。オーブリーは “ BRIEF LIVES “ の中で、ケネルンがベネティアに蛇毒ワインを飲むように数年にわたって強要していたと書き残していますが、化粧と同じでどちらの意志で飲んでいたかは明確ではありません。ただ彼女は敬虔なキリスト教徒であったし、結婚期間中ずっと潔白であるように振る舞っていたようです。そうして、一日の内少なくとも数時間は祈りを捧げて、また、フランシスコ会に属していてロンドンの貧しい人たちを見舞っていたのです。彼女はカードをしていてツキがあった時,儲けを貯えて積み立てる慈善活動をしていました。

( キリスト教徒にとって、自殺行為は神を裏切る行いですから、蛇毒を飲むことが死に直結するかもしれない行為であることを知っていれば、決して飲まなかったでしょう。何故飲んでいたのか、何故飲まねばならなかったのか疑問が残ります。)

 

 つづく。