Edward Sackvile, later 4th Earl of Dorset, c. 1614, by William Larkin.John Hoskins, 1635
リチャード・サックビル、4代ドーセット伯爵( 1591 –7/17/1652 )
子供は;
1. Hon Richard Sackville, later 5th Earl of Dorset
2. Hon Edward Sackville ( killed sp. at the Battle of Kidlington 11 Apr 1646; bur. at Wytham, co. Berkshire ) がいました。
彼はこの時代の“ハンサムな男“を代表するような男で、1613年8月エドワード・ブルース、スコットランド貴族キンロス卿Ⅱ世と決闘します。決闘の原因はベネティア・スタンレィです。(理由は聞かないでやって下さい。つまらんことです。)オランダ南部のベルヘン・オプ・ゾームで行われました。介添人はディグビィが務めました。サックビルは相手の胸を二突きしましたが、指を失いました。生き残ったものの、結果は惨めでした。ベネティア・スタンレィはディグビィと結婚することになるのです。サックビルとディグビィの友人関係をこの後も長く続いたということですから、彼は本当に”ハンサム”な男だったのでしょう。
リチャード・サックビル、5代ドーセット伯爵(Richard Sackville, 5th、Earl of Dorset , 9/16/1622 – 8/27/1677 )
ベネティア・ディグビィと間違えた、あのフランシス・クランフィールド( Frances Cranfield, Lady Buckhurst , 1622-1687、Lionel Cranfield, 1st Earl of Middlesexの娘 ) の夫です。
ベネティア・スタンレィが数奇な運命を過ごしてきたことは理解できましたが、絵の下に書かれた “ Lady Venetia Digby “ の謎はまだ解けません。しかし、「小画像」がいずれも小さなペンダントにしつらえられているのに対して、ヴェネティアのそれは肖像画です。依頼してペンダントにしたものに名前の明記は必要ありません。故意に名前を張り付けた裏には、ある意図があってのことでしょう。
つづく。