「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

「Doctors」  医師達の肖像 序章1 必然のハプニング

2006年09月18日 22時24分01秒 | 人々
 8月24日、いつものように風呂を終えてブログでもみようかとパソコンの前に座った午後10時を少し過ぎた時間に階下からカミさんの緊迫した声が上がってきた。

 「お義父さんが、おかしいんでお義母さんが病院連れて行くって!」

 私の家の敷地には2軒の家が並んでいる。一つは僕たち夫婦の家。もう一つは僕の父と母が住んでいる。玄関も台所もトイレも風呂も全て別。二つの家は渡り廊下で結ばれている。カミさんとしても理想的な形だ。子供の面倒は見てもらいながらお互いの生活は干渉されないのだから。

 カミさんが叫ぶように僕に知らせたのは、夜9時以降にお互いに行き来しないようにしていたので、隣なのに母が電話で知らせてきたからだ。

 僕は全身で悪い予感を感じた。

 父は36歳の時から糖尿病と闘い続けている。

 それと知れたのはトイレを改築した際に屎尿処理業者の人が指摘したからだ。トイレの便器や床板が全て取り払われて丸見えになった便所のから、全ての糞尿をホースで汲み取りながら業者のおじさんが「この家には糖尿病の人がいるよ。」といった。そして僕の父の日頃の症状を次々と言い当てたのだ。当時父は36歳、大坂万国博覧会の前の年だったと思う。

 それから病院通いが始まり、今年で37年目になる。まさしく人生の半分以上を病気で闘ってきた人だ。

 東京に就職した僕が地元の静岡に帰ってきたのも、母の「お父さんの目が見えなくなった。」という電話からだった。10年前には脳梗塞をやって一時随分と左半身が不自由だった。これらの出来事はすべて糖尿病がベースとなって体中の血管を痛めた末に起こる動脈硬化→血栓から引き起こされるものと考えられた。
 つまり高血糖の血液が血管の壁に傷をつくり、そこにコレステロールが蓄積して段々と血管を塞いで行くのだ。その結果、毛細血管に新鮮な血液が行き渡らず、血栓の出来た部位の後の部分の組織が死滅することになる。それが目に出れば白内障、脳に出れば脳梗塞、肺に出ればエコノミー症候群と同じになる。つまり糖尿病患者は体の何処に飛ぶか分からない弾丸を安全装置を外した状態で抱えているようなものであり、朝露が降りただけで落ちる極めて軽いトリガーに指をかけている状態にあるといえる。

 脳梗塞の後、父は自分の死因は2度目の脳梗塞であると予測していたらしい。それより前から自分の寿命を40代から50代と踏んでいた。だから70台まで生き長らえた自分の人生を上出来だと思っているらしい節が見える。

 そして何事にもネガティブな思考をする母親は、父が糖尿病と診断されてから自分の想像する最悪の事態を子どもたちに吹き込み続けた。僕と妹は「もうお父さんはダメかも知れない。」というセリフを何度も聞かされて、その都度復活してくる父を見て、母親を半ば狼少年化していた。

 しかし70歳代前半の人間にしてはいかにも老けた感じの見た目や、座骨神経痛で日に日に少なくなっていく散歩の距離からも、父に残された時間がそう多くないかも知れないという予感を否応なく感じざるを得なかった。

 そしてカミさんの悲鳴に似た叫びが、僕についにその日が来てしまったという予感を強く思わせ、パジャマからズボンに履き替えさせる僕の足を震えさせたのだった。