「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

「Doctors」  医師達の肖像 当直医3  呼び出し

2006年09月27日 23時52分30秒 | 人々
 彼女がひとしきり唸った後、診察ベッドに寝かされた父には酸素吸入の他に点滴とモニターが取り付けられました。

 呼吸、脈拍、血圧、心電図等のデーターが画面の右から左に流れていきます。それらは僕らがよくテレビの集中治療室の場面で見るもので、人の臨終の場面では波形が「ピー」という高い音声とともにフラットになってしまうものです。最近ではピロピロ」という警戒音も流されるようになってきました。

 僕はその一週間前に同じ病院で突然死をもたらす「ブルガタ症候群」の疑いで同じものを付けて検査を受け、しかも幸いなことに「心配なし」のお墨付きをもらったばかりなので、それほど嫌悪感は無かったのです。


 しかし今回の場合は違いました。父に取り付けられたモニターからは常に警戒音が発せられていました。僕はその音を聞きながら何の処置をもしない医療関係者に少し苛立ち始めたとき、二人の若い(僕より)医師が診療室に入ってきました。

 記憶が前後してるかもしれませんが、父はその間にレントゲンを撮りに行きました。僕は暗い廊下を運ばれていく父の傍らで手を握っていました。父の手をこんなに長い時間握ることが自分の人生の中であろうとは考えても見ませんでした。そしてこんなに冷たい手を握ることになるとも思っていませんでした。

 総合病院での当直は3人体制で行われるといいます。ですから入ってきた二人は待機してた当直の医師だと考えました。

 そしてそれと前後して、まるっきり父と同じような症状の患者さんが運び込まれてきました。呼吸困難でした。

 父とその患者さんは処置室の奥のベッドに並んで寝かされました。

 これで処置室は満杯です。

 僕はこの日珍しく救急車で運び込まれる患者がいなかったことを記憶しています。後で父とも話したのですが、あの夜はとても静かで一度もサイレンを聞かなかったと言ってました。

 僕は途中で更に緊急性を要する患者に父が優先順位を取られてしまうことを何処かで怖れていました。

 都合3人の医師が何事かを相談し、女医さんは別の夜間外来の患者さんを診察し始めました。他の二人の若い医師はモニターやレントゲン写真を見ながら何事か話し合っています。

 そして僕が医師に呼ばれました。

 彼はレントゲン写真を指さしながら言いました。

 「あなたのお父さんは多分、心不全から、心筋梗塞になって、それが原因で肺水腫を起こしています。」と言い。写真の肺の下の部分を丸くなぞりながら「この部分が白くなってますね。ここが肺水腫を引き超している部分です。水が溜まってますね。」と言いました。

 どれがどういう因果関係で結びついているのか分かりませんが、「心不全」「心筋梗塞」「肺水腫」等は、最終的な人の死因としてあげられる単語であったのでビックリしていました。

 父のを苦しめている事態が、そういう単語で表現されることに困惑を隠せませんでした。しかもその言葉は父の耳にも届いているはずなのです。

 父はちっとも意識混濁状態ではありませんでした。医師の質問にもしっかりと答えて外した答えは一つもありません。呼吸困難で体中の酸素が不足しているにも拘わらず、脳だけは、意識だけはしっかりしていることが僕を支えていました。

 そして彼は更に「いつ亡くなってもおかしくない状態です。」と続けました。

 僕は今までの対応・処置の緩やかさや父の意識レベルの高さと、今現在父が置かれている状況とのギャップに苦しみました。

 で、何もすることがないのか?と聞きたくなりました。

 そして彼等はこう続けました。

 「今、心臓の専門医がこちらに向かってます」と。


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