「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

「Doctors」  医師達の肖像 当直医1  救命救急と夜間外来

2006年09月23日 21時45分12秒 | 人々
 病院に着くと、夜間外来の入り口付近で父と僕が降りて、母は駐車場へ車を置きに行きました。僕は父の手を取って夜間外来の受付に行きました。僕は車で向かっている途中からずっと父の背中をさすっていました。精髄は神経系統の美希と言える場所です。当然、呼吸を司る神経もそこにはあります。そのとき僕に出来ることの唯一のことはその部分をマッサージしていくらかでも呼吸を楽のしてあげることでした。効果があるのかどうか分かりません。でも父の体全体が冷えていることが気になったのです。そして僕の頭には鬱病の女性と対峙しなければならなかった場面を浮かべていました。彼女は激しく泣いていました。そしてそれは自分でもコントロールできないほどの激しさだったのです。かなり年上で立場も上だった僕は、周りから後でセクハラと誤解されても仕方がないという覚悟で彼女の背中をさすり続けました。それは15分ほど続けましたが、彼女は次第に呼吸を落ち着け、泣きやむことが出来ました。

 僕は父の呼吸困難を神経性のものかも知れないと考えていました。



 外来の受付には警備員といった恰好の男性が落ち着いた態度で座っていました。
 
 僕は

 「さきほどお電話させていただいた○○です。」というと

 「ああ、それではこの書類に必要事項を書き込んで出して、そこでお待ち下さい。」といわれました。

 僕は何か調子が狂いました。

「え?」という感じでした。

 僕の素人はんだんでも父はかなり危険な状態です。

 それと事前に電話してあったので、すぐに治療を受けられるものだとばかり考えていました。

 僕の想像の中にはテレビで見た救命救急の場面がありました。敏腕の医者が患者の状況と治療方針を即座に決め、看護師と一緒に息を合わせて患者をベッドに移すのです。

 当然父もそうなるはずだと思ってました。

 ただ違うのは救急車で運ばれてこずに、自家用車で来てしまったことです。

 僕らはそれだけで救命救急患者から、夜間外来の客になってしまったようです。

 僕は父が嫌がった救急車を呼べば良かったと後悔しました。母は父の呼吸困難が始まってから何度も呼ぶことを提案しましたが受け入れられなかったようです。もしこのまま父にもしものことがあったら、僕は母を詰るかもしれないと思いました。せめて隣宅にいる長男を呼んで欲しかったくらいのことは言ってしまうかもしれない。それが母にとってどうしようもなかったことだと分かっていてもです。そしてそれが母を傷つけるだけのことだと僕は分かっているのです。

 僕は焦れました。もう少しで何か喚き出しそうな気分でした。

 ただ、それまで背中をさすっていた僕に向かい、父が「ありがとう、少し楽になったよ。」と言ってくれたことと、待合室にいた人がどうやら現在診療を受けている方の縁者であるようで、それが終われば父の番であることを材料にして踏みとどまっていました。

 どれくらい時間が経ったでしょうか、僕にも、おそらくそれ以上に父にも随分長く感じられた時間があり、父の名前が呼ばれて僕たちは、精神的に限界だった母を残して、治療室への引き戸の中に入っていきました。