「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

「Doctors」  医師達の肖像 当直医2  疲労、過労、加重

2006年09月24日 22時37分31秒 | 人々
 僕と父が診察室に入ると左手に医師が座っていた。

 若い女医さんだった。

 職業柄なのか、自分に威厳を付けるためなのか、それとも生来の性格がそうさせるのか、彼女は殊更に低い声で、父を座らせ問診を始めた。

 僕は彼女を見た途端に少し不安になったことを白状する、そしてそれは彼女の性別や若さから来るものであったかもしれない。

 でも一番大きな理由は彼女が「疲れて」いることだった。


 見た目にもはっきりとそれが分かる疲れかただった。

 今、僕たちの住んでいる静岡県の西部地方の公立病院では10月1日から夜間の診療体制が大きく変わることになる。

 時間外の診療は市内各所の民間の医院が当番制で受け持ち、公立病院では交通事故や、その病院に通院中で、病状が急変した場合などの緊急性の高いものに限定して受け入れることになっている。

 そして10時以降は通常の救急医療になるということだ。

 これは慢性的な医師不足によるものだとマスコミは報道しているが根はそう単純な問題ではないかとも思う。

 バブルの崩壊以後、僕らの仕事は効率化の点で限界まで研ぎ澄まされてきたといえる。つまり正社員は簡単に休めないという状況を創り出してきたのだ。
 加えて戦後教育の民主主義、個性重視の指導方針は社会全体の規律性を失わせ、個性という名の「わがまま」ほ助長する価値観を野放しにしてきたと言っていい。

 その結果、自分さえ良ければ良い、自分は特別だという意識を他とのバランスのを考慮に入れずに考えるようになってしまった。

 先ほど僕らのいた待合室には「夜間外来は緊急でない限り利用しないでください。」
と張り紙がしてある。

 仕事を半日以上も休んで、しかもその時間のうちの九割が待ち時間の通常の外来という実体を知っていて、しかも症状がクスリをもらっとけば明日の仕事には差し支えないくらい軽度だとしたら、そこに本当に困っている人に対する倫理観が働かないとすれば、通常よりもずっと待ち時間のすくない夜間外来を選ぶ人が多くいたということだ。

 医師達の連続勤務時間は36時間に及ぶ。しかも命と直接対峙しなければならない場面も多くある。幸いなことに父が倒れた日は救急車が一台も来なかった。しかしインフルエンザ流行時期には夜間外来だけで70人を超す人数を裁かなければならないこともあるそうだ。この数は繁盛している民間の内科医院では一日に診察できる患者数の倍にあたる。1日半眠らずに性格かつ迅速な判断が継続できているのなら、その人はきっと人間離れした能力の持ち主であるに違いない。

 そして当直医は必ずしも、その患者にとって専門医であるわけではない。

 つまり僕の想定してた、診療室の風景は拠点都市にある救命救急センターの場面でしかなく、僕らが入ったのは基本的に応急処置を目的とした一時的な治療を施す場所でしか無かったのだ。

 そして父と母はそのとき問診の上で、今から考えればとてつもなくトンチンカンな考えだったが、水とか、青汁の粉とかが軌道に入ったために起こった症状だと訴えたのだ。

 他にも糖尿病であること、血糖値をインシュリンで押さえ込んでいること、それはそれなりにコントロールできていること。高血圧気味であること、座骨神経痛であること、脳梗塞、白内障の経験があること等、持てる情報はすべて克明かつ、詳細に、説明しようとした。

 医師はその話を聞き終わって、父を診療台に寝かせ、酸素マスクを付けさせた。

 
 そして「う~ん」と悩んでしまっている風であった。

 僕は何だか絶望的な気分になってきたのだった。
 


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