「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

「Doctors」  医師達の肖像 序章2 父のプライド

2006年09月19日 22時29分31秒 | 人々
 僕が慌てて着替えて外に飛び出すと、母が父を連れて車に乗ろうとしているところだった。
 父の息づかいは異常だった。明らかに呼吸困難に陥っている。大きく肩で行きをしているが「ヒュウー、ヒュウー」と音が出るような息をしている。今までに見たことのない症状だった。今にも息が止まりそうな感じだった。しかし自分の足で歩いているし、僕の呼びかけにも応答している。
 まだ大丈夫だ、と思った。そして同時に覚悟しなくてはいけないのか。とも思った。

 人は死ぬ、そしてこれは誰の上にも例外なく来る。父も母も僕もその運命から外れることはない。

 だから僕が生きている限り、父や母の死を体験しなければならない瞬間があるはずなのである。そしてそれは突然にやってくるときもある。

 このときがそうなのか、そうなるのか、と思った。

 そしてそうであって欲しくないと強く思った。そして、そうであってたまるかという気持ちになった。

 呼吸荒く、足元がおぼつかない父の手を握って車の座席に座らせた。

 何十年も触ったことのない父の手だった。

 父は素直に僕に手をひかれ、車に乗り込んだ。

 父の手は異常に冷たかった。明らかに血液が行き渡っていない。

 しかし僕にはそれよりも、その父の素直さが哀しかった。

 息子になんか手を委ねるような父ではなかった。

 息子の世話にはならない、それが父のプライドだった。

 車の中で母が泣くように僕に訴えかけていた。

 「午後7時頃から息が苦しかったの。でもお父さん我慢してれば直るからって、病院に行こうとしないの。あんたにも言う必要ないって。私、どうしたらいいか分からなくて」 
 
 父は2,3日前からかなり具合が悪かったらしい。健康のために座骨神経痛をこらえながらも続けてきた散歩も体の不調で控えていた。昨日などは風呂から出たときに、バランスを崩して倒れるのが嫌で体を拭かなかったらしい。

 その手の話は僕の方に全くと言っていいほど入ってきてなかった。

 「余分なことは言うな!」というのが父の母に対する口癖だった。

 そしてそれは、自分の子どもたちに心配かけたくないという思いとと別に自分のみっともなさを他人にみせたくないという父のプライドそのものだったように思う。

 しかし、今回だけはそのプライドが父の命取りになるかも知れないと思った。

 母は鬱憤を晴らすかのように、僕に訴え続けている。

 僕はそれを遮るように「病院には電話したの?」と聞くと、母はかかりつけの隣町の病院にしようかと迷ったらしいが、父の様子が尋常ではないので車で3分の市民病院にしたと答えてくれた。結果的にそれは正解だった。

 父は、住んでいる街の病院ではなく車で20分ほどの市民病院に37年間通い続けてきた。なぜそういう選択になったかというと、多くの人が考えるように「なるべく良い医者にかかりたい」という考えがあったからだと聞いている。

 そして僕らが向かう先には父が選択しなかった市民病院の明かりが次第に大きくなってきた。