今日は二四節気のひとつ「清明」です。
安倍晴明の「清明」と同じ字ですね。
陰暦3月の節で、陽暦の4月4日か5日。「万物ここに至りて皆潔斎にして清明なり」関東から 西の地方では桜が見ごろで、南の国からは、そろそろツバメの渡りの便りも届く。
とあります。
また
中国で清明節は祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外であった。また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、香りと甘みがあり、高級とされている。
沖縄県では「しーみー」と発音して、中国の風習と同じく墓参りに行くが、墓の前で親類が揃って食事を楽しむ風習がある。清明祭ともいう。
という解説をするところもありますね。
とにかく春らしい春になったなあと感じる季節なのですが、現実のお天気は一向に安定せず、桜に菜の花ではなく雪が降るといった天候が続いています。
写真は大井川から取水のために作られた水路の土手に咲く桜の花です。
写真じゃ全然分かりませんが土手の道路を覆うように咲く桜は車でゆっくり通行すると結構ゴージャスな気分になります。
ただし車のすれ違いは出来ませんのでご注意を要します。
で、ここは大井川でも島田市の外れにあたり藤枝市、大井川町となっていくのですが、とても大きな工場が多い地域になります。
島田市には独特の臭いとともに記憶される東海パルプの工場群があり、この辺りに来るとネッスルコーヒー(ネスレ日本)の工場があったりして香りにおいては対照的な感じがします。
この後、藤枝市に入りますと、途端に中外製薬や持田製薬、科研製薬といった製薬会社が軒を連ねます。
いずれも大井川の豊富な水を必要としているわけですが、この辺でだいたい河口から10キロぐらいの位置になり、大井川の周辺にも人家は見られなくなります。
そしてこの工場群の道筋にいづれも桜が綺麗な姿を見せています。
製薬会社と桜の取り合わせは、
梶井基次郎「桜の樹の下には」
坂口安吾「桜の森の満開の下」
連城三紀彦「能師の妻」(『宵待草夜情』)
荒俣宏『帝都物語』エピローグ
コンセプトは”桜の樹の下には屍体が埋まっている”。
ねがはくは花の下にて春死なん
そのきさらぎのもち月の頃 西行
といった事柄が頭をよぎり、随分ひねくれた想像をする自分を卑下したくなりますがかろうじて止まっていると言った状態です。
「桜」は元々「櫻」と書きました。
しかも元々中国では「桜桃(ゆすらうめ)」のことを言っていたんですね。
で、古い字の方に「貝」が二つあって、その下に「女」の人がいるでしょう。これって、とても細かく密な状態を言うのだそうです。
冠を結ぶ組紐を「嬰」に糸偏をつけて「えい」と読ませます。その大きいのを「綬(じゅ)」と言いまして社会に貢献した人に送られる褒章(ほうしょう)に「藍綬褒章」とか「黄綬褒章」とかの「綬」でしてあれはメダルをぶる下げるための組紐の色なんですね。
褒章の種類及び授与対象を見て頂ければ分かります。
だから何が言いたいかというと「桜」って、こまかい花びらがひとつひとつ散って風にまるで一枚一枚が主役のように違った動きをしながら散るでしょう。
それがザアって大きな流れになると背筋に電気が走るほど感動するじゃないですか。
その細やかな、それでいて大胆で、豪快な桜の散り具合に僕達は魅せられているのだろうと、思います。その感じがこの漢字には出ていると思います。
なんだかまとまらなくなってしまいました。
安倍晴明の「清明」と同じ字ですね。
陰暦3月の節で、陽暦の4月4日か5日。「万物ここに至りて皆潔斎にして清明なり」関東から 西の地方では桜が見ごろで、南の国からは、そろそろツバメの渡りの便りも届く。
とあります。
また
中国で清明節は祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外であった。また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、香りと甘みがあり、高級とされている。
沖縄県では「しーみー」と発音して、中国の風習と同じく墓参りに行くが、墓の前で親類が揃って食事を楽しむ風習がある。清明祭ともいう。
という解説をするところもありますね。
とにかく春らしい春になったなあと感じる季節なのですが、現実のお天気は一向に安定せず、桜に菜の花ではなく雪が降るといった天候が続いています。
写真は大井川から取水のために作られた水路の土手に咲く桜の花です。
写真じゃ全然分かりませんが土手の道路を覆うように咲く桜は車でゆっくり通行すると結構ゴージャスな気分になります。
ただし車のすれ違いは出来ませんのでご注意を要します。
で、ここは大井川でも島田市の外れにあたり藤枝市、大井川町となっていくのですが、とても大きな工場が多い地域になります。
島田市には独特の臭いとともに記憶される東海パルプの工場群があり、この辺りに来るとネッスルコーヒー(ネスレ日本)の工場があったりして香りにおいては対照的な感じがします。
この後、藤枝市に入りますと、途端に中外製薬や持田製薬、科研製薬といった製薬会社が軒を連ねます。
いずれも大井川の豊富な水を必要としているわけですが、この辺でだいたい河口から10キロぐらいの位置になり、大井川の周辺にも人家は見られなくなります。
そしてこの工場群の道筋にいづれも桜が綺麗な姿を見せています。
製薬会社と桜の取り合わせは、
梶井基次郎「桜の樹の下には」
坂口安吾「桜の森の満開の下」
連城三紀彦「能師の妻」(『宵待草夜情』)
荒俣宏『帝都物語』エピローグ
コンセプトは”桜の樹の下には屍体が埋まっている”。
ねがはくは花の下にて春死なん
そのきさらぎのもち月の頃 西行
といった事柄が頭をよぎり、随分ひねくれた想像をする自分を卑下したくなりますがかろうじて止まっていると言った状態です。
「桜」は元々「櫻」と書きました。
しかも元々中国では「桜桃(ゆすらうめ)」のことを言っていたんですね。
で、古い字の方に「貝」が二つあって、その下に「女」の人がいるでしょう。これって、とても細かく密な状態を言うのだそうです。
冠を結ぶ組紐を「嬰」に糸偏をつけて「えい」と読ませます。その大きいのを「綬(じゅ)」と言いまして社会に貢献した人に送られる褒章(ほうしょう)に「藍綬褒章」とか「黄綬褒章」とかの「綬」でしてあれはメダルをぶる下げるための組紐の色なんですね。
褒章の種類及び授与対象を見て頂ければ分かります。
だから何が言いたいかというと「桜」って、こまかい花びらがひとつひとつ散って風にまるで一枚一枚が主役のように違った動きをしながら散るでしょう。
それがザアって大きな流れになると背筋に電気が走るほど感動するじゃないですか。
その細やかな、それでいて大胆で、豪快な桜の散り具合に僕達は魅せられているのだろうと、思います。その感じがこの漢字には出ていると思います。
なんだかまとまらなくなってしまいました。
始まりと終わりが「あ」段で明るい感じがし、真中の音が「K」という子音を伴うことで引き締めているから、とても美しい響きになっているのだと思います。
日本では字については、いろいろと発言される方はいるのですが、言葉本来の響きの美しさに言及される方は、ほとんどいないのが残念です。
ボクは自分の名前(もちろん本名のこと)も、字面は非常に気に入っているのですが、いいにくいし言葉の響きがよくないので、好きではなかったりします。
で、「さくら」の「さく」は文字通り「咲く」という動詞だった可能性をみても良いのかなと思ったりしますが、言語学とか音韻学に造詣も何もないので、今のところは想像するしかありません。しかし、「咲く」という動作の象徴として「桜」の花にそれを感じたのだとすれば古代日本人の感性も捨てたモンじゃないなと思います。
→そうですね!
それは十分承知しているつもりで
単に、自分のサクラへに対する想いを書いてしまいました。(お気を悪くなさったのならごめんなさい)
聞きかじりですが
サは神
クラは土台だということです。
つまり神が宿る木ということでしょうか?
というのは漢字の性質をいったのもで、「葵区のあおい君」さんのコメントを批判したものではありません。誤解を与えてしまったようで恐縮です。
〉サは神
クラは土台だということです。
つまり神が宿る木ということでしょうか?
桜に神性をを感じていたというのは納得できる部分はあります。
僕もなんとか調べてみようかと思います。
ありがとうございました。