「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

「春風駘蕩」龍馬のごとく

2006年01月31日 23時10分31秒 | 漢字歳時記
「漢字歳時記」とかやってる以上参加しないわけにはいかないでしょう。というわけで春風駘蕩をあげましょう。(しゅんぷうたいとう)と読んで意味は春風がのどかに吹くさま。転じて、性格・態度がのんびりしてるさま。となっています。(広辞苑)こいつは非常に微妙な評価でして、かなり自己満足に陥りやすい状態で、人から見れば「昼行灯(ひるあんどん・ぼんやりしている人や役に立たない人をあざけっていう語)」となります。大きな出来事があった場合の対処の仕方で違ってくるのかなとか、色々考えたんですが結論に行き着きまして、それは「風」ではないかということです。
 熟語の中に「風」が入っている。行灯に「風」禁物でしょ。そこが違うんではないかと気が付いたんですね。
 つまり、人物でも、その人に何か「風」を感じれば「昼行灯」にはならないわけで、「行灯」の周りの空気って対流しにくそうじゃありませんか。まあ実際には対流があるから絵が動いたりする回り灯籠みたいなやつがあるんですけどね。

 高知県の桂浜に建っている「坂本龍馬の像」を見ると「風」を感じませんか?僕なんか龍馬が懐手して何かに寄りかかっている有名な写真でも「風」を感じてしまうものな。
 是非、僕もそっち側の人間でいたいなと思うわけです。

 「龍馬が行く」を書いた司馬遼太郎さんは菜の花が好きだったでしょ。

 菜の花も司馬さんも「風」がよくお似合いだと思うのですよ。それも「春一番」のような強い風ではなく、髪をすこし揺らすような強さの風じゃないかなと思うのです。

 「春」
という字は「3人の日」と書きます、なんて歌詞が昔ありましたが、元々の意味は違います。




という字がありまして(しゅん)と読みます。

 (とん)は糸偏をつけると分かると思いますが「」となって(もっぱら)の意味があります。の字は編み糸の縁の糸を結び止めた房飾りの形で

 
というよく分からない字からきてます。

 ちなみに編み糸の末端を結び止めた形は「」となります。

 
何となく分かりますね。最終的に図の一番下の字には氷をあらわす字を入れて現在のになっているんですね。

 で、結び目を=閉じこめられている と解釈して、それを打ち破って草の芽が外に出てくるのが「春」ですから、上に「くさかんむり」を付けたんですね。それが時間をかけて字形変化したものだといわれてます。

 どちらでも良いことなんですがね。

 僕は世の奥様方に「にまた枚責任が積み重なる」だと思って励ましてあげてくださいな。

 そうすると昼行灯が一躍目覚めて泰然自若(たいぜんじじゃく)ゆったりと落ち着いて平常とかわらないさま、にみえてきませんか。

 う~ん、今日は何がいいたいのか分からないようになってしまった。はんせいします。


 明日の日の出は6:41 日没は17:09

 月は8:30にでます。

 明日から二月です。僕のもっとも苦手とする(運気が下がる)時期ですが頑張っていきます。


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