昨日は娘羊の授業参観日でした。5年生になって初の参観です。
内容は、5年生になっての抱負・・・のような題の作文を発表する。作文発表は、書くものを読むだけだし、全員が当たるので結構見所ポイントの高い参観です。
と、思ったところ、これが以外や以外。つまらない。みな、同じ内容なので、飽きてきました。特に、はじめのほうに娘羊が発表してしまい、あとは、えんえん聞くだけとなると、もういけません。
一生懸命な子どもたちには、申し訳ないのですが、このところのハードな生活で疲れが溜まっていたので、睡魔が襲ってきました。
さて、どういう同じ内容か。それは、みな、「頑張る、頑張りたい」と言う内容。作文の題がすでにお決まりで、なかなか個性の出せないのにもってきて、子どもたちが成長するにつれて、なんだか個性のない、画一的なつまらない人間に成長しているような気がしてなりません。
日本の学校では、感情を抑える教育をしている・・とは、ホメオパスR先生がおっしゃっていましたが、まさにそんな感じです。感情を抑えつつ、元気に遊んだり、笑ったりだけは、奨励していますので、その他の否定的な感情は、極力排除されています。
低学年のうちは、みな生き生きと個性のある子どもだったのに、見るたび見るたび、型にはまった子どもに成長しているようで、悲しくなってしまいました。
健康な感情とは、もっと生き生きと感受性にとんだものであるはずです。
それは、学童期において、たのしいなーとか、悲しいなーとか、感動したー・・などの感情が動くような教育をしなければ、育ちません。それは、一見、記憶力を要するお勉強とは全く異なったこと。目に見えない、内側の成長です。
今の日本では、子どもの感情を育てない。身体は目に見えるから育てますが、感情も同じように育てなくては、いけないのですね。つくづく思いました。
だからといって、学校を辞めるわけにはいきません。すぐに学校が変わるわけでもありません。そして娘の通う学校を否定してしまったら、今その現状の中ですら、自分を育てようと努力している子どもたちに、可哀想です。
なので、学校外の活動をすることが重要になってくるのでしょう。親が認識をもって、補えばいいのですね。それを感じた授業参観でした。
息子の授業参観は、続きとさせていただきます。
まったくですね。
これからは、親も認識を高めて子育てをしていかなければ、いけないと思うのです。もっと、子どもをよく見る・・そのことから始める、それが第一歩ですね。
私も学校行事の折に触れ、モヤモヤした気持ちになるのですが、
まさにその気持ちを羊飼いさんがブログにしたためてくださいました。
そして、確かに高学年になるほど、「いい子」になってしまう子達が多くなっているようです。
大人が「喜びそうな」、体裁を保つような回答をするような子達が。
やはり、今の大人の価値観や対応にもかなり問題があるのでしょうね。
それに、「画一的」なのも大人が精神的に大人になっていないから、
そうなってしまうのだと思います。画一的=管理がしやすい。
今は、管理の社会ですからね。
変なアウトローにはなってほしくはありませんが、
その子がその子の幸せを見つけられるように、
親は考えていく必要があるのでしょうね。