Movieな空間

映画大好き人間の気ままな空間です!!

今年の映画観賞実績

2006年12月07日 22時14分30秒 | Weblog
 愕然としたことがあった。
ムービー・ウォーカーが、今年封切された映画の中で、自分が最高だと思った映画の投票を行っている。今年1月から12月までに上映された洋画・邦画全358作品の一覧があった。この機会に、自分で観た映画(試写会、鑑賞券によるもの、DVD他)をすべてマーカーしてみると、「えっ!」と思うような結果になった。
今年封切り映画で、観賞した作品数は、50作品しかなかった。
確かに、来年封切りの映画の試写会や昨年以前に公開された映画をDVDで観たりしているため、今年の映画ではないものもあるのだろうが、しかし、自分的には、もっと観ているように思ったのだが、結果は、14%の観賞率に留まってしまった。
 なんとなく、この結果を受けて、落胆してしまった。意外にも、今年の作品
をあまり観ていないのであった。来年は、もう少しこだわって、年内上映の
映画を一生懸命観ていこうと強く決意した。

劇場型映画

2006年12月06日 05時19分44秒 | Weblog
 映画の中には、「劇場型映画」というものがある。要するに、映像のリアル感や奥行きの深さ、音響の臨場感が素晴らしいものを、私はこう呼んでいるのだが、この種の映画を観ると、本当に舞台を観て来たような錯覚に陥ってしまう。『オペラ座の怪人』、『ブラック・ダリア』がそれである。オペラ座の怪人は、元々、舞台で演じられてきた歌劇であったものを、映画化したものであり、当然と言われれば、そうかもしれない。しかし、映像をカメラと通して捉えたものを、映画館で放映しているのに、何故このように、リアルな臨場感を味わうことが出来るのだろう?オペラ座の柱や舞台、シャンデリア等が非常に立体的な映像で、しかも、音響が素晴らしく、実際に舞台で歌劇を見ているのと、ほとんど変わりがないのである。舞台製作に携わってきたアンドリュー・ロイドが、映画でも同様に脚本・演出を行ったため、なんら舞台での感覚と差異を感じさせない出来上がりにしていることに、本当に驚く。監督にジョエル・シュマッカー、俳優は、ファントム役に
ジェラルド・バトラー、歌姫・クリスティーヌ役にエミー・ロッサムを起用している。見事に、「劇場型映画」を作り上げている。

今年一番の映画!

2006年12月05日 00時22分37秒 | Weblog
 もう12月と言う事で、今年の映画を総決算したいと思う!
先ずは、洋画部門で、自分選択作品第一位は、ブルース・ウィルスの『16ブロック』ですね。本当に、映像に釘付けにするスリリングなアクションは、最高に評価できる作品です。今年は、他に話題性の『ダ・ヴィンチコード』、劇場的なスクリーン描写に優れた『ブラック・ダリア』、特撮の『X-MEN』、『スーパーマン』なんかもありましたが、16ブロックが最高作品だと思います。
 続いて、邦画部門で、自分選択作品第一位は『手紙』ですね。人間の優しさ・思いやりをきめ細かい映像に描写しているもので、最高作品だと思います。その他で、いい映画は、『地下鉄(メトロ)に乗って』『親指さがし』『日本沈没』『暗いところで待ち合わせ』『椿山課長の七日間』『ただ、君を愛してる』なんかがありましたが、手紙が最高作品ですね。
 最後にアニメ部門で、自分選択作品第一位は、『ブレイブ・ストリー』ですね。その他には、『カーズ』『森のリトルギャング』『アタゴオルは猫の森』『オープン・シーズン』等ありましたが、物語の内容・面白さから、ブレイブ・ストーリーが最高でした。
 来年も色々な映画を沢山観て、喜んだり、悲しんだりして、自分の感性を高めたいですね。

恐怖映画について

2006年12月04日 22時54分09秒 | Weblog
こんなに寒い中、夏でも無いのに、なんで恐怖映画の話なの?
と思われてしまうが、ホラー映画も触れておかねばならないと思い投稿することに・・・。しかし、ホラー映画は、不気味なので、あまり積極的に書きたくは無いのだが・・・。
 いまだに、私の脳裏から離れない映画がある。それは、『妖婆 死棺の呪い』
(ソビエト映画)である。ソビエト独特の、寒々しい背景、その中で、古びた修道院に若き女性の死体に取り付く老婆の悪霊、これを退治するために赴く青年修僧。
いうなれば、ソビエト版エクソシストと言えるかも。本当に、映像から来る、心から寒気のする映像は、いまだに脳裏に焼きついている。オカルトといえば、フランスやイタリア映画が強いのだが、どうして、このソビエト映画は群を抜いた恐怖が一杯である。『エクソシスト』『エルム街の悪夢』『13日の金曜日』等足元にも及ばない(言いすぎか?)本当の怖さがある。観ていない方で、ホラー映画のお好きな方には、一応お勧めしておく。本当に怖いのですから・・・。
 もうひとつは、TVドラマシリーズ『怪奇大作戦』(昭和43~44年制作、円谷英二監修)の第7話「青い血の女」がそれ。当時の映像でここまでの恐怖作品は、そうない。洋館に住む老人を慕う恐怖のフランス人形。彼女が、老人のため、自分のため若い女性を、ナイフ片手に次々に襲う。人間の、しかも若い女性の新鮮な血を求めて・・・。最後に人形は追い詰められて、階下に転落、床には青い血が一杯に溢れていた・・・。怖い!
今で言えば、『チャイルド・プレイ』ということになるのだろうが、これがまた、数段怖い。
 恐怖映画は、人間の創造であるものが大半であるが、実際にこんなことが、起きていたらまともに生きていけるのか?実際にあったものの映画化『エミリー・ローズ』も今年、話題を集めた。本当に、悪魔は存在するのか??
 あまり恐怖を感じずに生きて行きたいものである。

今週は・・。『長い散歩』

2006年12月04日 00時39分28秒 | Weblog
 あっという間に、今週の始まり、「月曜日」を迎えてしまう。本当に、毎週、こんな状態で、日々過ぎていくと、すぐに、50歳を迎えてしまうのでは・・・。
でも、50歳になれば、夫婦での割引で、毎日1,000円で映画が観れるようになる・・・!これは、楽しいかも・・・。てなこと言っている場合か!?
 今週は、多忙である。会社の異動する人間の歓送迎会、忘年会があり、火曜日には、あまりTVドラマを見ない私が、唯一お気に入りの『僕の歩く道』があるので、絶対見なければ!その後、試写会『長い散歩』がある。これは、奥田瑛ニ監督の舞台挨拶付きの試写会なので、絶対に参加しなければならない。そして、『タイフーン』の映画鑑賞券が来ているので、これも観賞に行かねばならぬ。娘には、『NANA2』試写会が待っている。友人と行くらしいのだが・・・?なんで、こんな多忙な週を送らねばならないのか?最も、自業自得の話ではあるのだが・・!
 奥田瑛ニと言えば、やはり演技派俳優と言うイメージが強い。でも、今回で、松坂慶子主演の『るにん』以来、3作目になるのだとか。そんなに、監督をやっていたとは、あまり認識が無かった。映画『長い散歩』の出演者は、緒形拳、高岡早紀、杉浦花菜らである。刑事役に奥田瑛ニ監督も出演予定とのこと。がんこ一徹の校長を退職後、娘を残し、放浪の旅に出る。親にいじめを受けていた少女も、一緒に旅をすることに・・。このことが、誘拐と間違われて、事件に発展する。非常に面白そうな映画である。奥田監督のコメントも楽しみである。
 しかし、このところ、邦画の試写会が多いなあ!何でなのだろう?私的には、邦画より、洋画の方がいいのであるが・・・。あれ、今メールを確認したら、MPから、DVD3本セットの当選通知が来ていた。なんのDVDだったっけ?これも、観賞しなければならないの?頑張ろう!!

 

痛快映画『トップ・ガン』

2006年12月03日 00時21分15秒 | Weblog
 生きていく上で、色んなことがあります。楽しいこと、悔しいこと、素敵なこと、悲しく辛い事。特に落ち込んだとき、そんな時、何で発散しますか?酒、ドライブ、スポーツ、趣味・・・。私の場合は、やはり痛快な映画を観ることが、一番の解消策ですね。中でも、トム・クルーズの『トップ・ガン』が最高にいいですね。今年は、トム・クルーズは、色々な話題を提供してくれましたね。『ミッション・インポシブルⅢ』の宣伝のため、豪華クルーザーで、お台場に乗り付けたり、新幹線を貸切しファンとの集いを開いたり、大手映画会社との契約を奇行により打ち切られたりしました。でも、このトップガンは、彼が素晴らしい俳優になるための大きな足跡であった事は、間違いありません。
 海軍のパイロットで、トップ1%しか、この「トップガン」に入学する事が出来ない、超エリートのパイロット養成学校なのである。ここで、マーベリックとして海軍可変翼支援戦闘機F-14、通称「トムキャット」に搭乗し、世界最高峰のドッグ・ファイト(空中戦)を実践訓練する。親友の死、教官との恋愛等を通して、
マーベリックは成長する。インド洋沖での救出支援のため、空母から飛び立つ。
とにかく、空中戦の醍醐味は物凄い。どうして撮影したのかっと思うほどの、素晴らしい映像である。ミサイルを敵機めがけて、レーダーでロックオンし、的中するシーンは感動ものです。すべてを忘れ、スカッとできる映画なのです。

感動のTVドラマ『僕の歩く道』

2006年12月02日 11時25分28秒 | Weblog
 本当に感動するドラマですね。『僕の歩く道』です。先天性自閉症の青年・大竹
輝明役の草剛の演技が光る。
 今週のー偽りの心と真実の愛(第8話)-には、本当に泣けた!
輝明は、母・里江の教え「沢山出来るからいいことで、少ないから悪いって訳じゃないの。出来ることを一生懸命にやればいい」と動物園の園長に口ずさむ。動物を愛している振りを、障害者に理解ある振りをしている自分に痛烈のパンチを浴びせられたような衝撃を覚える園長。自閉症の息子を受け入れられなかった飼育係の古賀さん。その後二人は居酒屋へ。
古賀:「僕はどうしても、息子が自閉症だってことを
    認められなかったんです。
    父親として、ありのままの息子を受け入れることが
    出来なかったんです。
    酷いでしょう?」
園長:「・・・そうかな。
    ありのままの息子さんを受け入れることが出来なかった
    古賀さん自身は、少なくとも、ありのままだったわけでしょう?」
古賀:「・・・意味わかんない。
    わかりやすく言ってください。」
園長:「だから、
    息子さんに愛情があるふりをしなかった古賀さんっていうのは、
    ありのままの、古賀さんなわけでしょう。」
古賀:「まあ、そうですけどね。」
園長:「私は、ありのままの自分でいたことがないような気がする。
    古賀さんわかっていると思うけど、
    私が焦っているのは、
    本社に戻れないかもしれないからなんだ。
    本当の私は本社に戻ることなんかどうでもいいと思ってる。
    出世したからといって、実際にはいいことなんて、
    たいしてあるわけでないからね。
    なのに、どうして本社に戻りたいと思う?
    誰が決めたか知らないけど、男は出世しなければならないからだよ。
    他人から、久保は負けたヤツだと思われたくないからだよ。
    だから絶対に本社に戻りたいんだ。
    馬鹿げているよな、こんなことの為に、クッピーを死なせる
    ところだった。」
古賀:「・・・僕だって息子を捨てました。」
園長:「今は後悔しているでしょう?」
古賀:「・・・はい。
    大竹さんと出会ってから、いろいろと思うところがあって。」
園長:「私はこれからも、変ることはないよ。
    出世しなければならないし、
    動物たちに愛情があるふりをしなければならない。
    それから、障害者に理解のあるふりも・・・
    続けなければならない。」
   そう言い、辛そうにビールを空ける久保・・・。
   詳しくはどらま・のーと参照>>        http://dramanote.seesaa.net/article/28492556.html#more
   感動のドラマである。

人間の記憶

2006年12月02日 09時44分32秒 | Weblog
 人は、考え、行動するが、そこには常に「記憶」が介在している。このことは、以前やったことがあるので、やることが出来るという思いに繋がる。過去の記憶により、人間は生活できているのだろう。記憶とは、どれほど重要なことなのか?
食べることは、本能であるが、これも気の遠くなるような、進化の過程を経て、記憶している生命維持の記憶である。こんな経験をした、あの人は良く会う人だ、愛している人の存在を分かる・・・など、重要な人間の行為の根本には、記憶が存在せねば、成り立ち得ないことが多い。「すべて」と言っていいかもしれない。
 この記憶が、無くなったら、「ひと」はひとでは無くなるのだろうか?記憶の無い本人は、どうなんだろう?生きることにおいても、かなりの支障をきたすことは、間違いない。そうなった「ひと」は、生きる意味が無くなってしまうのだろうか?以前『ジョニーは戦場へ行った』と言う映画で、青年が戦場に行き、帰ってきたときは、手足の無い、意思を伝える口も聞けず、目も見えない、言うなれば、単なる生きた肉塊となっての帰還であった。しかし、皮膚を通しての感覚は正常であったため、外からの刺激に僅かに動く部位で反応できた。このため、他人には、単なる肉塊の植物人間と思われていたが、モールス信号で外部との会話が出来たのだった。これは、記憶を持った意思が、ジョニーにあったから出来たことであるが、
その記憶が無くなったひとの救いの道はあるのだろうか?
 『明日の記憶』『君に読む物語』『私の頭の中の消しゴム』『アルジャーノンに花束を』『フォレスト・ガンプ』『アイ・アム・サム』などは、この記憶が無くなる病気によるもの、もしくは先天的な障害によるものをテーマにした映画である。通常であれば、当たり前の記憶を失ってしまうと、どういうことになるのか?
本当に、愛していた人さえ、分からなくなり、愛自体も消滅してしまうのか?
心に突き刺さる話である。

考えさせる映画

2006年12月01日 23時42分11秒 | Weblog
映画には、考えさせる類のものが多い。人生、愛、生き方、人間として
の価値に基づくもの、友情、夢、双方の気持ち、在らねばならぬ理想に
比して、世界観等色々である。
 以前の映画、1967年制作の3部作映画『世にも怪奇な物語』は、いまだ
に、私の心に鮮烈に映像・ストーリーが刻まれている。原作は、エドガー・アラン・ポーで、フランス・イタリアの監督が、それぞれの部を制作している映画。
「黒馬の嘶く館」「影を殺した男」「悪魔の首飾り」の3部構成。
 黒馬の~は、ジェーン・フォンダと彼女の弟ピーター・フォンダが共演。
影を~は、アラン・ドロンが主演、悪魔の~は、T・スタンプが主演と、かなり
の大物が若い頃に出演していることも、非常な面白みがある。
 特に、影を~の作品は、善なる自分と悪なる自分との戦い・葛藤を見事に
表現している。一緒に観ていた父が、幼少の私に、この映画の意味を教えて
くれた。そう言う意味でも、感慨深い作品である。
 自分ともう一人の自分、常に葛藤の相対の中に存在する。正しいことと悪い
こと。しかし、どちらか一方で、存在を完結できるものではない。正しいの対極
は、常に悪である。しかし、正しいものが定義されないと、悪も存在しえない。
無人島での一人の生活の中で、正しいこと・悪いことは、同時に存在出来るの
であろうか?正しい人が存在しないと、悪い人も存在しえない。要するに、
アイシュタインの相対性理論と同じであろう。ひとつの行為を、善・悪と区別する
ことは、双方を理解し、認識しているから、区分けできることなのです。
 善と悪、正義と不正義・・・・。自分自身の中での問題なのかも・・・・・?