Movieな空間

映画大好き人間の気ままな空間です!!

最後の日

2010年12月30日 23時04分16秒 | Weblog
 2010(平成22)年も、ついに最終日を迎えようとしている。12月31日「大晦日」である。1年365日の最後の日を迎えることは、本当に感慨深いものがある。確かに、この最終日と言うものは、人間の精神的な日でしかない。12月31日も1月1日(元旦)も、宇宙の営みとしては、何ら変ることのない同じ営みの中の一つなのである。勝手に人間が、1年の終わりの年と位置づけ、何らかの意味合いを持たせているに過ぎない。何百億年の宇宙の歴史の中の、たった一瞬の出来事でしかなく、地球誕生45億年経てやってきた同じことの繰り返しの1つでしかないのも事実なのである。
 しかし、この1年は、大きなことが多かった。先ずは、今年の漢字1文字で表された通り「暑」い夏の年だった。この暑さが半端ではなく、観測史上、多くのデータを塗り替えたことにもなった。
 事件や出来事も色んなことがあった。

<今年の国内10大ニュース (読売新聞)>

1.尖閣諸島沖で中国漁船が海保巡視船と衝突、海上保安官が撮影ビデオを流出。
      
2.ノーベル化学賞に根岸氏、鈴木氏。
      
3.宮崎で「口蹄疫」発生。
      
4.113年間で最も暑い夏、気象庁発表。
      
5.鳩山首相退陣、後継に菅副総理・財務相。
      
6.小惑星探査機「はやぶさ」帰還。
      
7.参院選で民主大敗。
      
8.野球賭博関与で琴光喜ら解雇。
      
9.郵便不正事件の押収証拠改ざんで大阪地検特捜検事を逮捕、村木元局長の無罪確定。
      
10.サッカーW杯、日本は決勝T進出。
      
 
 宇宙の中での僅かな時間でも、人類にとっては、大きな時間が流れているのである。その中で(国内)、上記のようなことが起こっていた年でもあったのである。

坂本龍馬の暗殺者とは?

2010年12月29日 23時37分07秒 | Weblog
            Sakamoto Ryoma.jpg
 本日、テレビ東京で、「超歴史ロマン 戦国&幕末ミステリー完全決着SP」が放映された。中でも、驚きの内容だったのは、今年一躍有名になった歴史の獅子「坂本龍馬」を暗殺した、真の首謀者の考察だった。この番組での結論は、師弟関係にあって、龍馬がもっとも尊敬していたはずの「勝海舟」であるという結論なのだ。これには、驚きである。何故、海軍学校まで創って、龍馬と一蓮托生の思想を持って行動していた勝海舟が、龍馬を殺さねばならなかったのか?である。
                 勝海舟
 勝海舟が、坂本龍馬暗殺を企んだ理由は、自分が推し進めた「大政奉還」を元に戻さないためだったというのである。坂本龍馬は、大政奉還後、新政府の人選を始めていた。ある人物(総理大臣となるべき人)を中心に、政府を形成して行こうと言うことだったのであるが、ここには、「○○○・・・」と書かれていて明確な人名は表記されていなかった。では、ここに記すべき人は誰だったのかと言うことだが、坂本龍馬は、「徳川慶喜公」を想定していたというのである。近代日本にとって、一番の道は天皇に政権を返上するという大政奉還を決断した、徳川幕府15代将軍にして、最後の将軍となった徳川慶喜その人だったのである。これを知った勝海舟は、自分への裏切りと捉え、坂本龍馬暗殺を計画し、この慶喜公を中心とする新政府構想を葬り去ろうとしたのである。その証拠がいくつかある。先ず、京都見廻組の桂早之助を中心に、竜馬暗殺者の実行犯を募集し、面接及び身元調査を行なったことである。その人物についての面接結果、親・兄弟の構成等かなり詳細に調べ上げていた資料が残っている。霊山歴史館に所蔵されている由緒書が、それである。しかし、実行犯の一人である「今井信郎」(本人が実行犯であったことを、後に告白している)については、この由緒書が作成されていない。何故か?今井の素性を熟知している人間がいたと言うことなのである。当然にして、素性等を熟知していれば、実行犯にしやすい。また、江戸の幕府内に勤務していた今井を、急遽京都に配置転換していることからも、幕府に力を持ったものが動いていたということがはっきりする。と言うことで、今井は、勝海舟と同門の剣術派であり、共に師範代の腕利きであったこと、師範代として門下生への剣術指南を、勝海舟と共に行なっていたこと、そして、坂本龍馬暗殺後、実行犯として静岡藩の刑務所に投獄されていたはずであるが(坂本龍馬には、捕縛禁止令が幕府によって出されていた。要するに、坂本を捕まえてはいけないという命令が出されていた)、実際には、この施設の総責任者であった勝海舟によって、囚人ではなく看守等の位置づけで、給料まで支払われていたことが、当時の記録書に記載されていたということである。ここまで、厚遇されていたと言う事実から、今井にかなりの人物が関わったということが実証されるのである。
             
 これらの資料からすると、勝海舟による暗殺首謀説も、まんざら、インチキとは言いがたい。しかし、相互にあれだけ尊敬しあっていた師弟関係の二人に、このような確執が本当にあったのかは、歴史の真相のみぞ知るということか・・・。

M-1グランプリ優勝 「笑い飯」

2010年12月26日 21時40分52秒 | Weblog
         クリックすると新しいウィンドウで開きます
 いやあ、ついに優勝したんです!M-1グランプリに9回出場の「笑い飯」が、今回の最終回にて優勝を勝ち取った。この5,000組近い漫才コンビの中で、9年も連続して決勝に進出し、しかも、最後の栄冠を勝ち取ったのである。(M-1グランプリは今回が最終回となっていた) この「笑い飯」の漫才の面白さは、大変なものである。その実力がありながら、決勝では辛酸を舐めていた過去を払拭したのである。
 昨年の最終候補3組に残った時のネタは、イマイチだったが、その直前にやったネタ ゛鳥人(とりじん)゛は、抱腹絶倒の内容だった。昨年は、「笑い飯」が優勝するものと思っていたのであるが、最終ネタで、パンクブーブーに優勝を持っていかれた感があった。今年は、1回目が゛サンタウロス゛、2回目が゛小銭の神様゛で、似た様なパターンだったのが、どうかな?との思いもあったのであるが、審査員の4票を獲得し、2位のスリムクラブの独特の間、空間のある漫才を凌駕して、やっとのことで、優勝を勝ち取った。本当に良かった。この「笑い飯」の漫才は、ボケとツッコミを交互に入れ替える独特の漫才技法を持ち味としている。さすが、多くのファンを虜にして来た通りの実力が出た大会だった。

<記事>
 漫才日本一を決める「M1グランプリ2010」が2010年12月26日に行われ、笑い飯が優勝、今回で最後となるM1で、悲願の王座獲得を達成した。全9組で争われた決勝1回戦では、笑い飯と、敗者復活戦から勝ち上がったパンクブーブーが668点で同点1位。初出場のスリムクラブとあわせて3組が「最終決戦」に臨んだ。7人の審査員による投票では、笑い飯がスリムクラブを退け、第10代王者となった。笑い飯は前回まで8回連続決勝に進みながら涙をのんできたが、最後に勝者となった。

Merry Christmas !!

2010年12月25日 10時08分51秒 | Weblog

      
 本日はクリスマス。゛Merry Christmas !!゛ 西欧では、イエス・キリスト生誕の日ということで、最も高貴な日とされている。日本でも、この日の祝い方は、千差万別ながら、多くのイルミネーションで装われた輝きを最も放つ日であることには、間違いないのである。日本中、至る所電飾で飾られるこの光景は、年の瀬と合いまって、一年の集大成のような、一種異様な響きが感じられるのである。12月25日、もう1週間経つと、新年を迎えるこの時期、幸せを感じる一大イベントなのである。特に恋人たちにとって、多くのスポットが提供されている。中でも、最近の脚光は、「東京タワー」である。今建設中の「スカイ・ツリー」に高さでは追い越されたが、存在感はまだまだ負けていない。午後7時30分、東京タワーのイルミネーションが一旦全消灯される。この゛消灯をカップルで目にした二人は、永遠に結ばれる゛という都市伝説まで囁かれているのである。そして、まもなく、展望台にハートのイルミネーションが浮かび上がり、それまでと異なった光り輝く東京タワーに変身するのである。この瞬間を見るために、多くの恋人たちが東京タワーのすぐそばに、将来の幸せのキップを得るために集うのである。
     
 永遠の愛誓い合いながら、この消灯の一瞬を二人の共通の思い出に出来たカップルは、それだけで、すでに永遠の幸せの真っ只中なんだろうと感じますね。この演出は、心憎いものです。素晴らしいスポットなんですね。
 アメリカのロックフェラーの巨大なクリスマスツリーの点灯式が、毎年大きな注目で報じられますが、日本にもそれに匹敵するスポットがあるのです。それは、「銀座ミキモトのクリスマスツリー」です。ここは銀座と言う、日本一華やかな場所にあることもあって、多くの人が訪れて写真に収めています。

           2010年11月撮影
 このミキモトのクリスマスツリーは、毎年見に行きますが、本当に味わいがありますね。さすが、真珠のミキモトが手がけるツリーだと感じます。今年は、ツリーの下には、ガラス製の可愛い「きのこ」のオブジェが置かれていて、一層ツリーの輝きを引き立てています。
 そして、何といっても圧巻なのは、六本木ヒルズの周辺のイルミネーションでしょうか。表参道も綺麗なのですが、この六本木には大人っぽさが、非常に演出されていると感じますね。
    2009年11月撮影
 そんな訳で、恋人同士も、一人っきりの人も、こんなに素晴らしくライトアップされたイルミネーションをみて、この゛聖夜゛を楽しみましょう!!


B級グルメ道38 へべれけになった「萬寿園」

2010年12月23日 10時52分48秒 | Weblog
           
            中国料理 萬寿園の雰囲気1 
 昨日は、忘年会だった。この時期、忘年会を企画する会社は多いのであろうが、やはり、休前日に開催するのが、無難なのである。
 昨日の忘年会の場所は、日本橋高島屋そばの中華料理「萬寿園(まんじゅえん)」。ここは初めて利用する店であるが、グルメ系サイトでの評価はまずまずであった。店は、地下と1Fにあるが、多くのお客で、満席状態。まあ、この時期なら、しかも休み前なら、当然なのである。私どもは、地下の円形テーブルではなく、1Fの通常の長テーブル席だった。しかも、店内は狭いため、2つに分割されてのセッティングだったのである。中華で食べれるのであれば、円形テーブルで、料理を交互に廻しながら食するのが良いのであるが、まあ、この時期なら、そんなことも言ってられない。
             中国料理 萬寿園のおすすめ料理1
  この「萬寿園」は、中華料理といっても、味は辛くなく、通常の味に仕立てられている。掛かっていた掛け額にも、゛江南゛の文字があるので、四川等からい料理ではないのである。前菜風の3点盛りから料理がスタート。始めは、瓶ビールで乾杯なのだが、途中から紹興酒(銘柄は「紹興花雅酒」)に変った。この酒がうまくて、てき面に効いてしまった。次から次へ、熱燗(瓶毎温めた)の紹興酒が到着。その度にみんなに注がれていく。これは大変。酒が体中を覆い尽くしているような気分になってきた。かなり酔ってきている。骨付き豚の甘醤油煮、鳥の唐揚げ、チャーハン、フカヒレスープ等、色んな料理が出たが、既に、料理には目が行かない程の泥酔状況。2時間飲み放題もやがて終了したが、完全にへべれけ状況となった。
 翌日は、体がだるく、気分は絶不調なのであった!!「うえ~~!!!」
 「失礼しました・・・・・・・。」

素晴らしき講演 孫正義「志し高く~情報革命で人々を幸せに~」

2010年12月21日 23時51分50秒 | Weblog
              写真●30年ビジョンを発表するソフトバンクの孫正義社長
 本日は、ソフトバンク㈱代表取締役社長・孫正義の講演を聞き、感銘を受けて帰ってきた。演題は、「志し高く~情報革命で人々を幸せに~」というもので、情報革命によって、何がもたらされるか?人類はどうなるのか?それに向けてのソフトバンクの新30年戦略とは!!と言う内容だった。さすがに、IT革命の申し子・孫正義ならではの講演だった。デジタルスクリーンを使い、要所要所に、動画を導入しての講演。こんな講演はそう無い。通常、一方的に口述を聞くのみが、講演の基本スタイルであるが、今回の講演は、全く異なっていた。
 1981年ソフトバンク設立から、30年が経つ今年、当時社員2名に(全員で2名)、みかん箱に乗って講演をした時と同じように30年目の節目に、新30年ビジョンを語ったのである。当時、このように講演したが、あまりの唐突な話に、社員2名全員がすぐさま退職してしまったという苦い経験もあるようだ。IT革命は、当時としては衝撃的過ぎて、素直に理解は出来なかったのであろう。きちがい地味た社長が、たわごとを言っているような会社に居られるかということだったのだろうと、今では推測する。アインシュタインが「相対性理論」を確立した時に、あまりに破格の理論で、多くの人は理解できなかった時と同様なのだろうと思う。今回の、孫社長の講話内容は、2010年6月25日株主総会時に語った「新30年ビジョン」の内容によるものである。
 ソフトバンクは今年で創業30周年になる。孫社長は「この30年間、崖っぷちの向こうに落ちてしまうような危機に何度も直面した。2009年度はようやく営業利益で国内3位になり、今は一息ついた状況かもしれない。だからこそ原点に返り、もう一度ビジョンや戦略を確認する」とし、今回の新30年ビジョンの意味を強調した。
孫社長は「“デジタル情報革命を通じて、人々が知恵と知識を共有することを推進し、企業価値を最大化するとともに人類と社会に貢献する”という、これまでのビジョンは一行も変わらない」と話す。だが30年後、300年後にはコンピュータのチップの能力が人間の脳を越え、実質無限大のストレージやクラウド、超高速のネットワークの登場で、人間のライフスタイルを劇的に変えるだろうと予想する。そのような将来を見据えた上で、ソフトバンクという企業が30年、300年と生き残るためには、会社が進むべき方向性や、DNAを設計する必要があるとした。
 
孫社長は、これからの30年間の具体的な方向性として、「事業領域は情報産業。特定のテクノロジー、ビジネスモデルにこだわらない。世界の最も優れた企業とともにライフスタイルを革新していきたい」という方針を示した。具体的には、世界の優れた企業と、資本的結合ではなく同志的結合によってパートナシップを結ぶ。それによって「自律・分散・協調し、自己増殖していくようなシナジーグループを形成していきたい」(孫社長)と話す。その上で「現在はソフトバンク・グループは800社ほどだが、30年後には5000社にしたい」とする。さらに「今から30年後に世界でトップ10の企業になるには時価総額200兆円規模にならなければならない。私はやるつもりだ」と、30年後には現在の時価総額の約100倍に拡大したい考えも見せた。 現在52歳の孫社長は、かねてから「50代で事業を完成させ、60代で次の世代に事業を継承する」と語っている。この考えに沿って、事業をバトンタッチするための後継者育成プログラムとして、7月から「ソフトバンクアカデミア」という機関を開設することも明らかにした。
 経営を引き継いだ後は、自分の好きな絵を描くことで余生を送りたいとも言う。激動の競争化の中で勝ち残るソウフトバンクは、これからも、人々を幸せにするために邁進する。「地位も名誉も金も要らない。最終的には、人々を幸せにすることに貢献できる企業になっていたい」と語る孫社長であった。

ラーメン道24 極められた塩味「金字塔」

2010年12月19日 21時02分04秒 | Weblog
            焙煎汐蕎麦処 金字塔 - 外観写真:”焙煎汐蕎麦処 金字塔”の外観。
 妻との買い物帰り、驚きのラーメン屋を発見!赤羽に行列の出来るラーメン屋はそう多くは無いのであるが、この焙煎汐蕎麦処「金字塔」、寒い18時頃にも拘らず、多くの客が列を成している。そう言えば、TV番組「王様のブランチ」で、注目すべきラーメン屋ベスト3店の中に、この「金字塔」が入っていたことを思い出した。あの有名店が、ここにあったのか!!
          焙煎汐蕎麦処 金字塔 - 料理写真:
 この「金字塔」の一押しメニューは、゛特選塩そばなのである。細い麺、5日間熟成しローストしたベーコンがチャーシュー代わりに入っており、くちなしの実で黄色く染められた半熟煮玉子、太いシナチク、そして、芳醇な香りの塩スープ。どれも絶品なのである。妥協を許さない、この店主の意気込みが感じられる、究極の美味しいさっぱり塩ラーメン。この店では、ラーメンとは呼ばない。゛しおそば゛の呼称なのである。
 美味しい塩ラーメンは、何店舗か食べたが、この「金字塔」の味は、池袋の岩塩ラーメン「まるきゅう」以上である。要するに、私の中では、最高峰の塩そばとなったのである。これ程完成した塩味のそばを作っているとは!!本当に驚きなのである。麺の美味しさと歯ごたえ感、中華おこげが入り、塩スープのさっぱり感に芳醇な味わい、ロースト・ベーコンのとろみ加減、シナチクの香ばしさ、くちなしの実で黄色くなった煮玉子の絶妙なまったり感とうまみが、どれも最高なのであった。これ程極められた完成度の高いラーメン、もとい゛そば゛は無い。この凄さ、うまさに脱帽である。
 因みに妻は、゛赤味噌そばを食していた。これまた、しょっぱくなく、香ばしい味噌の味で、太麺を使用。これまた、美味しい゛そば゛なのであった。お互いに感動した。「こんなに美味しいラーメンは、久しぶりだったね」が、会話となったのであった。さすが、名前に恥じない「金字塔」を打ち立てた名店であった!!

食文化

2010年12月17日 22時59分57秒 | Weblog
             
                 イメージ 秘密のケンミンSHOW 「連続転勤ドラマ 辞令は突然に・・・」パーフェクトガイド!! 
 人種を決めるのは、「食文化」から見極めるのが最適であろうと思う。人種の際立ったものは、環境・宗教・食文化なのだろうと思うのである。伝統文化という大きなくくりの中で、食文化と言うものは存在するのであるが、この「食」と言うもののこだわりが、人間の境界を決定しているようでならない。日本にも、「同じ釜の飯を食うことが、親睦の最短である」と言う言葉もあるとおり、食べるものが共通の場合は至って、お互いを理解しあうことが簡単に出来るのではないかと感じるのである。
 しかし、この狭い日本でも、県や地域が異なると、全く違う食文化が存在していることに驚きを感じる。毎週、TBSでやっている「秘密のケンミンSHOW」は実にこのことを浮き彫りにしてくれる。毎日の食卓でも、風習や習慣によって、仰天な食べ方や食材が存在しているからなのである。狭い日本で、これだけ千差万別な食文化があるのであるから、世界に目を向けたら、無限の食文化が存在しているのではないかと感じる。こんな状況では、食文化の共通性からの人種のシンパシーは形成されないのかもしれない。そんなことを考えると、少々寂しく、落胆してしまうのである。
 

          
   「南部町周辺に住む青森県民は、杏の漬け物を『梅漬け』と呼び、
    ご飯と一緒に普通に食べる!?」
梅漬けに使用する杏は、南部町特産の「八助」という品種。酸味が強く、肉質が緻密で堅いことから梅漬け用として使われている。江戸中期、新種の果樹開発の際に、偶発的に誕生。それ以来、梅漬け用として親しまれ、自然と杏を梅と呼ぶようになったという。

           
   「長野県松本市で大ブレイク!? 『おやっ!』気になる物を発見!!」
松本市の書店「文岳堂」で売っている手作りおやきは、1日平均200個を売り上げるベストセラー!なんと書店の中にイートインコーナーも。 人気ナンバー1の味噌豚のほか、野沢菜、きんぴらなど、老若男女に親しめる味を提供している。

2010.12.16 OA「連続転勤ドラマ ー辞令は突然に・・・・-

キャスト

東写真

東 京一郎役
水沢   駿

はるみ写真

東 はるみ役
黛 英里佳









vol.70「福岡県・前編」

        


        
◇博多通りもん
博多の名物お菓子。福岡市の和菓子店「明月堂」が
平成5年から販売し、人気漫画「のだめカンタービレ」
にも登場する、博多の新名物。福岡のお土産ランキン
グ1位に選ばれ、福岡県内だけで1日に30万個を売り
上げる大人気商品。
        
◇東京好き
福岡県民は、進学や就職の際、大阪よりも東京に出る
人が圧倒的に多いらしい。九州で福岡がナンバーワン
という自負が強く、東京で一旗揚げようという県民が
多いという。
        
◇福岡天神
福岡天神は、岩田屋や三越、大丸など、多くの百貨店
が軒を連ね、九州全土から買い物客が訪れるところ。
九州随一の繁華街。
         da4c4b323b01327134d9daa785653915.jpg
*黛 英里佳のブログ>>http://www.mayuzumierika.com/blog/

懐かしいアイドル大集合!!

2010年12月13日 21時16分17秒 | Weblog
  

      
 久しぶりに早く家に帰ってみると、なんと懐かしいアイドルたちが出演して、当時の煌いていたVTRと生歌を披露していた。やはり、当時のアイドルは、今見ても、本当にキラキラ輝いていましたね。そんなアイドルたちも、40歳代、50歳代、60歳代になって、あの人が??と思いも寄らぬ変質している人もいれば、当時の可愛いアイドル時代とそんなに変っていない人もいます。どんな違いなのでしょうかね??
 それでは、当ブログでも、「往年のアイドル」たちを、華々しく復活させましょう。好き嫌いがあることは、やむをえないとして、誌上でのキラメキをもう一度、青春時代に戻って、堪能してみましょう!!

1.田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」
たのきんトリオの中核を占めていた田原。近藤マッチや野村とは、確執があって、今もあまり交流が無いようです。でも、和製マイケル・ジャクソンとしての踊りは、当時から高い評価でした。今は、このように踊って歌える歌手はいないのではないでしょうか?

<!-- 田原俊彦「抱きしめてTINIGHT」 -->



2.近藤真彦「スニーカーぶるーす」
田原と同様、たのきんトリオの一翼、近藤マッチ。当時は、マッチの方が男らしくて人気があったようです。いまでは、すっかりレーサーになってしまっていますね。

<!-- 近藤真彦「スニーカーぶるーす」 -->



3.城みちる「イルカにのった少年」
星の王子さまを彷彿とさせる、お人形みたいなアイドル。実際、女性なのかと思いましたものね。この雰囲気は、オカマの世界とも違っていました。純粋な、童話の世界だったのかもしれません。

<!-- 城みちる「イルカにのった少年」 -->



4.石野真子「ワンダーブギ」
はちきれる可愛さ、明るさのアイドル、それが石野真子でしたね。この人の可愛さは、天下一品なのです。

<!-- 石野真子「ワンダーブギ」 -->



5.松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」
このアイドルも、本当にお人形さんのようなかわいらしさがありました。本当に細くて、ぽっきり折れそうな体にびっくりしました。今では、オバサンパワーを爆発させる如く、連日TVに出ていますよね。

<!-- 松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」 -->



6.森高千里「17才」
美脚アイドルとしても有名な森高千里。今では結婚し、育児に専念しているようです。清純アイドルとして、沖縄出身の真っ黒い顔が健康的だった南沙織の歌っていた「17才」をリメイクしたのでした。

<!-- 森高千里「17才」 -->


絶品の白子てんぷら「とらふぐ亭」

2010年12月11日 11時51分53秒 | Weblog
          
 昨日は、親類数人が集まっての忘年会だった。忘年会と言うことで、寒くなって来たこの時期だからこそ食べたくなる、そう、「ふぐ料理」、これをを選択した。ふぐ料理は、寒くなった時期には欠かせない高級な食べものなのです。
 と言うことで、池袋の「とらふぐ亭」に直行したのでした。ここは、池袋の繁華街密集地に、唯一、和風のたたずまいを感じる空間を醸し出す店構えなのです。店の水槽の中には、巨大な゛とらふぐ゛が泳ぎまわっている。この中の、どれが本日の食材にされるのか?申し訳ないが、うまそうで、よだれが出てきてしまった。店に入ると、個室の4人掛けのテーブル席に案内された。若いアルバイト風の女性が接客。優しく応対してくれた。いざ、コース料理がスタート!!先ずは、生ビールで乾杯し、ふぐの皮をポンズで食す!!コリコリとした食感が堪らなく心地よい。
  
           
 この時に、是非とも食べたい゛白子のてんぷらを注文。この時期の白子は、大変な美味なのである。これを食べると、本当に病みつきになってしまうほどのうまさなのである。まさに、虜(とりこ)になってしまう逸品食材なのである。白子のなんとも心地よい芳醇な味わいが、てんぷらの衣と絶妙な味のハーモニーに仕上がっているのである。この白子は、当日にならないと、食せるかが分からないのである。今年は、暖かかったので、ふぐの白子の生育が弱く、食材として提供できる大きさではないことが多いらしい。そんな事で、白子を注文しても、食べれかどうかは、その時のふぐの状況によって左右されると言うことなのである。こんな状況であるため、生で食べれる白子の造りは、今回は不可だった。かろうじて、てんぷらか鍋ならOKと言うことだったのである。
          
 てっさ(ふぐの刺身)、てっちり(ふぐ鍋)とコースはメイン料理に進んでいく。本当に、とらふぐの食感は、味わい深いし、うまい。やはり、ふぐは海産物の王者なのである。あんこうも良いのではあるが、ふぐの何ともいえない味わいと食感は、最高峰なのである。酒も、゛ヒレ酒゛に変え、料理に舌鼓を打ちながら食していく。何とも幸せな気分にさせてくれる食材なのである。最後には、究極の゛雑炊゛にて、仕上げとなる。ふぐのエキス一杯のダシに、ご飯を入れ、玉子で閉じて完成。好みによって、岩塩で味付けする。この雑炊も、絶妙な味。思わず、゛やっほーーー!!゛と叫びたくなってしまった。それ程の美味。最高の味わいで、忘年会は終了したのでした。「ごちそうさまでした!!」
          

<豆知識>
この「ふぐ」という呼び方。実は西日本では「ふぐ=不具」につながるとして避けられ、代わりに「福=ふく」と呼ばれてることをご存知ですか?この「ふく」はヒョウタンすなわち「ふくべ」に、その姿が似ているのでついたとも、あるいは海底の砂を、吸い込んだ海水を吹き付けるように舞あげて、そこにいるゴカイなどをつかまえるので、その「吹く」からきたともいわれています。また地域毎に呼び方が変わり、大阪ではふぐを「てっぽう」と呼びますし、長崎では「がんば」、銚子あたりでは「とみ(くじ)」と呼んでいるそうです。呼び方ひとつにも地域によってこだわりが感じられる、「ふぐ」は日本人にとって大切な食材なのですね。