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種々の事象を統合する「インクルージョン」

2016年06月11日 23時28分45秒 | Weblog

 最近、インクルージョン(inclusion)ということが言われている。この意味は、包含、一体性という意味合いなのであるが、何故このようなことが盛んに言われるのであろうか?
 全く異なった事象やものを、その種々な側面から分析し、その共通点や包含している内容を捉え、活用とすることが、問題解決に非常に重要なことだとわかってきたからである。全く違うものを詳細に分析し、そのものの共通的な側面を見出していくことは、社会の活性化に繋がるし、問題解決の起点になるというのである。
 実に多様化した社会が種々な事象を包含している現代においては、インクルージョンの試みが必要なのであろうとも思う。本日、NHKでネット社会のひずみについて検証する場面があった。「不寛容な社会」に日本が陥っているというのである。ある意見について、非常なまでのバッシングが行われることが多いネットの世界。しかし、それを形成している人たちは、自分たちの居心地のよい世界に埋没し、その他の世界(または意見)を全く聞かなくなってしまうのである。多くの意見を聴取できる環境であるはずのネット社会が、本当に一部の集団に固まってしまい、ものの本質や善悪の判断ができない状況になってしまう、という恐ろしい側面を持っていることが分かり驚愕してしまった。確かに、2ちゃんねるの書き込みなんかを見ていると、本当に冷静な判断を持って意見を言っているとは言い難い、多くの輩が居ることに唖然としてしまう。自分の意見を主張し、相手を屈服させることに快楽を抱く、そんなつまらない人間が多く存在するのである。
 意見は主張して良い。しかし、その意見が本当に正しいかどうかの判断を、自分自身の客観的な目で見れなければ、そんな意見を言うことは大きな問題であり、相手の意見を十分に聞いてその上でさらなる意見を積み上げるならそれは非常に重要なことだと思うが、しばしば、このような状況にならないのがネット環境なのである。面と向かって話せば、自分の存在もあり責任をもった会話になるが、ネットの社会では匿名で行われる結果、自分に責任を持たないで、勝手気ままの放言を言う奴が多い。こんな状況では、まったくもって正しい論議にはならないのである。
 インクルージョンが、如実に表現されるのが、「笑点」という番組の中の゜なぞかけ゜にある。2種類のまったく異質のものを分析し、その共通点を表現するのである。例題を見てみたいと思う。

 1.坊主と掛けて日刊新聞と説く。
            ⇒その心は、「けさ」(袈裟、今朝)来て、「きょう」(経=お経、今日)読む
    坊主と日刊新聞には、一見全くの共通点がない。そこで何が共通かということで考えていくと、上記のような共通点が見られるのである。坊主は袈裟を着て経を読む。日刊新聞は、今朝に届けられて今日中に読む。という2者の共通点が、語彙で出現するのである。

それでは、もう一つの例題。

 2.「東京ディズニー・ランド」と掛けて「B」と説く。
            ⇒その心は、どちらも「シー」(シー=東京ディズニー・シー、C)の隣です。
    これなども、上記同様になんの共通点もないのであるが、シーという共通の語彙において見事に結びつくのである。東京ディズニーランドは東京ディズニー・シーの隣に位置しているし、アルファベットのBはもちろん、アルファベットのCの隣である。

それでは、最後にもう一つ、紹介しましょう。 

 3.ボクサーと掛けて、指輪の宝石と説く。
            ⇒その心は、どちらもリングの上で輝いています。
これも実に妙意なものであると感じます。ボクサーは四角いリングの上で試合をしますのでこの中で、指輪の宝石は当然にリング(指輪)の上で輝きますものね。

 このように、共通的なものを全く違うものの中で見出すことが、実に素晴らしいことであると感じるのである。