Movieな空間

映画大好き人間の気ままな空間です!!

新型コロナウィルスの猛威、俳優・岡江久美子逝去!!

2020年04月24日 23時28分13秒 | Weblog

悲痛である。俳優の岡江久美子が新型コロナウィルスによる肺炎で、昨日逝去したことが報道された。あの元気で、優しさに溢れていた岡江久美子も新型コロナウィルスの毒牙にかかってしまったのである。なんということか!志村けん以来の無念さがある。本当に憎くきウィルスである。

<記事>

新型コロナウイルスによる肺炎のため23日に亡くなった俳優の岡江久美子さんの遺骨が東京都内の自宅に戻り、受け取った夫の大和田獏さんは「本当に残念で、悔しくて、悲しいです」と話しました。

<section class="content--body">

「残念で、悔しくて、悲しい」

岡江久美子さんは4月3日に発熱したあと病状が急変して緊急入院し、23日未明、新型コロナウイルスによる肺炎のため63歳で亡くなりました。

事務所関係者によりますと夫の大和田獏さんは感染防止策を取った上で岡江さんと最期の対面はできましたが、感染を防ぐため火葬の際には、立ち会うことができなかったということです。

岡江さんの遺骨は24日午後5時すぎ、東京都内の自宅に戻りました。

大和田さんは集まった報道関係者に「久美子が帰ってまいりました。こんな形の帰宅は本当に残念で、悔しくて、悲しいです。どうか皆様もくれぐれもお気をつけください。それが残された家族の願いです。静かに送りたいと思います」と話しました。
</section> <section class="content--body">

「手を握ることも出来ませんでした」

岡江久美子さんが亡くなったことを受けて、娘で同じく俳優の大和田美帆さんが自身のブログにコメントを投稿しました。

美帆さんは「最愛の母が本当に亡くなってしまったとまだ、実感できずに娘の寝顔を見ています」と書き出したうえで、岡江さんの感染が判明した4月6日以降、家族も直接会うことができなかったことを振り返り「17日間、私と父は何も出来ませんでした。近くに行って手を握ることも母が好きだったミュージカルの曲や可愛がってくれた孫の声を聞かせることも出来ませんでした。亡くなった連絡が来ても駆けつけられず、家にいるしかない。父とも一緒にいられず母にも一度も会えず今はどこかで遺骨になって帰ってくる母をただ待っているだけです。コロナウイルスは、本当に恐ろしいです」と、思いをつづっています。

そのうえで、「私たち家族のような悲しい思いを誰にもしてほしくありません。今はただそれぞれがそれぞれの場所でできることを」と呼びかけています。


なんとも悲痛なことである。こんな状況がいつまで続くのか?このクソであるウィルスを絶滅させることができないのか?真剣に思うのである!
</section>

「花は盛りに・・・・」、巣篭もりの中で思うこと

2020年04月20日 22時05分49秒 | Weblog

新型コロナウィルスの影響で、「非常事態宣言」が全国に拡大した。人との接触を80%削減すれば、感染は終息していくとのことで、休みは極力家で過ごすことを指示されている。不要不急の外出は行わず、家で「巣篭もり」しなければならない状況が続いているのである。
 家にいることで、外界との接触が断ち切られ、非常に閉塞感を感じ、ストレスが溜まるのである。こんな状況の打破は、どんなことをすべきなのであろうか?芸能人やスポーツ選手が、色んな動画をアップし、その連携によって「巣篭もり」を耐えようと応援してくれている。お茶を飲み、本を読み、動画を楽しみ、音楽に興じ、自分の時間を価値ある、有意義なものにしていくことで、この難局を乗り越えなければならないのである。
 古くの人は、こんな世界ではどのように過ごしたのだろうか?ふと、吉田兼好の「徒然草」を思い出した。とりとめのないことを机上で書き記した吉田兼好、どのような思いで日々を過ごしていたのであろうか?

<徒然草 第百三十七段>
花は盛りに、月は(くまなきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛(ゆくへ知らぬも、なほ、あはれに情け深し。咲きぬべきほどの(こずゑ、散り萎れたる庭などこそ、見所(みどころ多けれ。歌の詞書(ことばがきにも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに(おとれる事かは。花の散り、月の(かたぶくを(したふ習ひはさる事なれど、(ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝(りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。

 (よろづの事も、始め・終りこそをかしけれ。(をとこ(をんな(なさけも、ひとへに(ひ見るをば言ふものかは。(はで(みにし(さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明し、遠き雲井(くもゐを思ひやり、浅茅(あさぢ宿(やどに昔を(しのぶこそ、色(このむとは言はめ。望月(もちづきの隈なきを千里(ちさと(ほかまで眺めたるよりも、(あかつき近くなりて待ち(でたるが、いと心深う(あをみたるやうにて、深き山の杉の(こずゑに見えたる、木の(の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば白樫(しらかしなどの、(れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて、心あらん友もがなと、都恋しう(おぼゆれ。

 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち(らでも、月の夜は(ねやのうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに(けるさまにも見えず、(きようずるさまも等閑(なほざりなり。片田舎(かたゐなかの人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の(もとには、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌(れんがして、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。(いづみには手足さし浸して、雪には下り立ちて(あとつけなど、万の物、よそながら見ることなし。

 さやうの人の(まつり(しさま、いと(めづらかなりき。「見事いと遅し。そのほどは桟敷(さじき不用なり」とて、奥なる屋にて、酒飲み、物食ひ、囲碁(ゐご双六(すごろくなど遊びて、桟敷(さじきには人を置きたれば、「渡り(さうらふ」と言ふ時に、おのおの(きも(つぶるゝやうに争ひ走り上りて、落ちぬべきまで(すだれ張り(でて、押し合ひつゝ、一事(ひとことも見洩さじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物毎に言ひて、渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。たゞ、物をのみ見んとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、(ねぶりて、いとも見ず。若く末々(すゑずゑなるは、宮仕(みやづかへに立ち(、人の(うし(さぶらふは、(さまあしくも及びかゝらず、わりなく見んとする人もなし。

 何となく(あふひ(かけけ渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、(しのびて(する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼(うしかひ下部(しもべなどの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行き交ふ、見るもつれづれならず。暮るゝほどには、立て並べつる車ども、所なく(みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく(まれに成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、(すだれ(たたみも取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世の(ためしも思ひ知られて、あはれなれ。大路(おほち見たるこそ、祭見たるにてはあれ。

 かの桟敷(さじきの前をこゝら行き(ふ人の、見知れるがあまたあるにて、知りぬ、世の人数(ひとかずもさのみは多からぬにこそ。この人皆(せなん(のち、我が身死ぬべきに(さだまりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。大きなる(うつはものに水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴ること少しといふとも、(おこた(なく(りゆかば、やがて尽きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人・二人のみならんや。鳥部野(とりべの舟岡(ふなをか、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、(ひつぎ(ひさく者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期(しごなり。今日(けふまで(のが(にけるは、ありがたき不思議(ふしぎなり。(しばしも世をのどかには思ひなんや。継子立(ままこだてといふものを双六(すごろくの石にて作りて、立て並べたるほどは、取られん事いづれの石とも知らねども、(かぞへ当てて一つを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた(かぞふれば、彼是(かれこれ間抜(まぬき行くほどに、いづれも(のがれざるに似たり。(つはものの、(いくさ(づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を(そむける草の(いほりには、閑かに水石(すいせきを翫びて、これを余所に聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、無常(むじやう(かたき(きほ(きたらざらんや。その、死に(のぞめる事、(いくさ(ぢんに進めるに同じ。

現代語訳

 サクラの花は満開の時だけを、月は影のない満月だけを見るものだろうか? 雨に打たれて雲の向こうに浮かぶ月を恋しく思い、カーテンを閉め切って春が終わっていくのを見届けないとしても、また、ふんわりと優しい気持ちになるものだ。こぼれそうなツボミの枝や、花びらのカーペットが敷かれている庭だって見所はたくさんある。短歌の説明書きなどでも「お花見に行ったのですが、既に散り去っていて」とか「のっぴきならぬ事情で花見に行けなくて」と書いてあるのは「満開のサクラを見て詠みました」と書いてある短歌に負けることがあるだろうか? 花が散り、月が欠けていくのを切ない気持ちで見つめるのは自然なことであるが、なかには、この気持ちを知らない人がいて「この枝も、あの枝も、花が散ってしまった。もう花見など出来ない」と騒ぐ。

 この世界の事は、始めと終わりが大切なのだ。男女のアフェアだって、本能の赴くまま睦み合うのが全てだろうか? 逢わずに終わった恋の切なさに胸を焦がし、変わってしまった女心と、未遂に終わった約束に放心しながら、終わりそうもない夜を一人で明かし、恋しい人がいる場所に男の哀愁をぶっ放したり、雑草の生い茂る荒れ果てた庭を眺めては、懐かしいあの頃を想い出したりするのが、恋の終着駅に違いない。澄み切った空に、光り輝く満月が空を照らす景色よりも、夜明け近くまで待ち続け、やっと出た月が、妖しく青い光を放ち、山奥の杉の枝にぶら下がったり、樹の間に影を作ったり、時折雨を降らせた雲の向こうに隠れているのは、格別に神々しい。椎や樫の木の濡れた葉の上に、月の光がキラキラと反射しているのを見ると、心が震え、この気持ちを誰かと共有したくなり、京都が恋しくなる。

 月であってもサクラであっても、一概に目だけで見るものだろうか? サクラが咲き乱れる春は、家から一歩も出なくても、満月の夜は、部屋に籠もっていても、妄想だけで気持ちを増幅させることは可能だ。洗練された人は好事家には見えず、貪ったりしない。中途半端な田舎者ほど、実体だけをねちっこく有り難がる。サクラの木の根本にへばりついて、身をよじらせ、すり寄って、穴が空くほど見つめていたかと思えば、宴会を始め、カラオケにこぶしを震わせたあげく、太い枝を折って振り回したりする始末である。澄んだ泉には手足をぶち込むし、雪が降れば、地面に降りて足跡を付けたがり、自然をあるがままに、客観的に受け入れられないようだ。

 こういう田舎者が、下鴨神社の葵祭を見物している現場は、大変ちんちくりんである。「見せ物がなかなか来ない。来るまでは観客席にいる必要もない」などと言って、奥にある部屋で酒を飲み、出前を取って、麻雀、花札などのギャンブルに燃える。見物席に見張りを立たせておいたので、「いま通り過ぎます」と報告があった時に、あれよあれよと内臓が圧迫するぐらいの勢いで、お互いに牽制しながら走り、落っこちそうになるまで、すだれを押し出して、押しくらまんじゅう。一瞬でも見逃すまいと凝視して、「ガー。ピー」と何かあるたびに奇声を発する。行列が去ると「次が来るまで」と、見物席から消えていく。ただ単に祭の行列だけを見ようと思っているのだろう。一方、都会の気高い人は目を閉じて、何も見ようとしない。都会の若者たちは、主人の世話に立ったり座ったりして、見物を我慢している。控えのお供も、品なく身を乗り出したりせず、無理をして祭を見ようとしない。

 葵祭の日だから思い思いに葵の葉を掛けめぐらせて、街は不思議な雰囲気である。そんな中、日の出に、するすると集まってくる車には「誰が乗るのだろうか」と思い、あの人だろうか? それともあの人だろうか? と、思いを巡らせていると、運転手や執事などに見覚えのある人がいる。そして煌びやかに輝く葵の葉を纏った車が流れて行くのを見れば、我を忘れてしまう。日が落ちる頃、並んでいた車も、黒山の人集りも、一体どこへ消えて行くのだろうか? 人が疎らになり、帰りの車が行ってしまうと、スダレやゴザが片付けられ、目の前が淋しくなる。そして、永遠なんて何一つ無い世の中とオーバーラップして儚い気持ちになる。行列を見るよりも、終日、大通りの移り変わりを見るのが本当の祭見物なのだ。

 見物席の前を往来している人の中に、知った顔が大勢いたので、世間の人口も、それほど多くないと思った。この人達がみんな死んでしまった後に、私が死ぬ運命だったとしても、たいした時間も残されていないだろう。大きな袋に水を入れて針で小さな穴を刺したら、水滴は少しずつ落ちるが、留まることが無いのだから最後は空になる。同じく、都会に生きる人の誰かが一人も死なない日など無い。毎日、死者は一人や二人では済まない。鳥部野や舟岡、他の火葬場にも棺桶がやたら多く担ぎ込まれる日があるけれど、棺桶を成仏させない日などない。だから棺桶業者は、作っても、作っても在庫不足に悩まされる。若くても、健康でも、忘れた頃にやって来るのが死の瞬間である。今日まで何とか生きてこられたのは有り得ないことで、奇跡でしかない。「こんな日がいつまでも続けばいいな」などと、田分けた事を考えている場合ではないのだ。オセロなど盤上にコマを並べている時は、ひっくり返されるコマがどれだか分からないが、まず一カ所をひっくり返して、何とか逃れても、その次の手順で、その外側がひっくり返されてしまう。このコマが取れる、あのコマが取れる、とやっているうちに、どれも取れなくなってしまい、結局は全部、ひっくり返されて、盤上は真っ黒になる。これは、死から逃れられないのと、非常によく似ている。兵隊が戦場に行けば、死が近いと悟って、家や自分の身体のことも忘れる。しかし、「世を捨てました」と言って隠遁しているアナーキストが、掘っ建て小屋の前で、いぶし銀に石を置き、水を流して庭をいじりをし、自分の死を夢にも思っていないのは、情けないとしか言いようがない。静かな山奥に籠もっていたとしても、押し寄せる強敵、平たく言うと死の瞬間が、あっという間にやって来ないことがあるだろうか? 毎日、死と向かい合っているのだから、敵陣に突き進む兵隊と同じなのだ。

 


青春時代の歌が懐かしい、NSP。

2020年04月18日 11時48分02秒 | Weblog

中学時代に流行った歌があった。ファークソングが流行していた時代に、ちょっと風変わりなバンドで歌われていた音楽が、今思い出すと妙に懐かしく、恋焦がれてしますのである。それは、N.S.P(ニューサデスティックピンク)という3人組の歌う音楽なのである。
 なんとも変なグループ名であるが、そのことが、非常に強い印象を与えるのであったが、その当時は心酔してしまった歌なのであった。どこか物悲しい音調や歌詞、でも自分自身にグッとくる内容の歌で、非常に心を揺さぶられた。今、聴き直しても非常に心に響く。岩手出身者である、素朴な情感が実に良いのである。
 NSP(エヌエスピー)は、岩手県出身の三人組のフォーク・グループ。一関工業高等専門学校の同級生であった三人が在学中の1972年に結成した。アマチュア時代にはニュー・サディスティック・ピンクNew Sadistic Pink)として、当初はロックを中心に活動していた。しかしフォーク調の曲でデビューするのにこの名前が似合わないという理由で、頭文字だけ取り出したNSP(N.S.P )というアルファベット三文字のバンド名に変更された。


*夕暮れ時はさびしそう  N・S・P

*NSP あせ

*NSP さようなら

*NSP 雨は似合わない

*弥生つめたい風/NSP

*NSP 八十八夜 (Live)

*春はもうすぐ


こんな時こそ、楽しい音楽に浸ろう!!

2020年04月17日 21時46分48秒 | Weblog

 今日も新型コロナウィルスの感染者が出た。しかも、東京ではこれまでの1日の最大感染者数201名を記録した。非常事態宣言が出されてから、多くの人が外出等を抑制し、人との交わりを遮断していたはずなのに、こんな感染数を出してしますとは・・・?一体、いつこのコロナウィルスの感染は終息するのであろうか?
 また、週末を迎える。しかし、全く外出ができない「巣篭もり」となるのである。ここ数週間、こんな状況が続く・・・、心身ともに疲弊してきてしまうのである。
 こんな時は、昔の懐かしいアイドル達の神々しかった時の歌を聴いたり、面白い歌に浸って、心身に安らぎを与えるしか方法がないのではないか?どこにも出かけれず、自宅でのストレス解消方法を、各自が創設していかねばならないのである!!

*麻丘めぐみ「女の子なんだもん」 1973

*岡田奈々 青春の坂道

*桜田淳子 十七の夏      by jama

*石野真子 詰め合わせセット

*山口百恵 詰め合わせセット

*Sugar ウエディング・ベル

*河内のオッサンの唄

*ヨーデル食べ放題

*ビューティ・ペア - かけめぐる青春 (1976)

*優しい悪魔 キャンディーズ 歌詞 /フル バージョン


瞑想世界、和の真髄の宮本辰彦に心酔!

2020年04月16日 21時21分32秒 | Weblog

最近、生きることへの想いが込み上げてくる。生きるとはなんなのか?生きることとは何なのか?どのように生きなければならないのか?等、考えると生きる意味が何なのかという、哲学的な思考に入ってしまうのである。生きることとは何?これについて、明確な解答ができる人がいるのだろうか?
 生きることへの意味を見いだせず、華厳の滝から身を投じた藤村操を思い出す。彼のその時の心境を謳った「巌頭之感」という、詩が残されている。
   

巌 頭 之 感

悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

                (明治36年5月22日)

この詩の中に、「五尺の小躯を以て此大をはからむとす」という一節がある。小さなものさしで、大いなるものを測ろうとするという意味なのである。人間という、とてつもなく小さなものさしで、生きることの意味を見出そうとすることは、所詮、「小躯を以て此大をはからむとす」ということなのである。人生というもの、人間の生きるといことの意味をどのように解釈し、その本質的な意味をどのように捉えるべきなのか?「いわく、不可解」なのである。まさしく、この藤村操の想いは、誰の想いにも当てはまるのである。ただ、生きることの意味を、本質まで追求しようとしている人が何れ程居るのかということにもなるのである。

 最近、ユーチューブを見ている中で、心酔してしまった人がいる。宮本辰彦である。書家であり、瞑想から色んなことを思う人、そして「和」の真髄を追求している人なのである。
 このようなたぐいの人には、心霊的なスピリチュアルな世界との交信により人間の生きることを諭そうとする人も多い。霊的世界との交信を行う江原啓之、美輪明宏、東日本大震災の発生や東京五輪の不開催を予言した松原照子・・・、このような霊的世界との交信により、事象や人生を諭す人もいる。
 しかし、この宮本辰彦は、霊的世界との関わりで思想を展開している人ではない。むしろ、「神との対話」という本を著したニール・ドナルド・ウォルシュや「ツインソウル」、、「生きがいの創造 新版」の著者である飯田史彦に近い人なのだろうと思う。人間の生まれ変わりや現世に生きている意味を教えてくれる人なのである。
 この現世に生きている意味は、「愛」の修得や実践なのであるという。精神世界(霊的世界という人もいる)で最も重要な価値観は、「愛」ということである。この愛は、恋人同士の「愛している」とは全く異なる、本質的な愛を意味している。恋人同士の愛しているは、好み、好き(すき)ということであり、根源的な愛とは異なるということなのである。しかし、人間という肉体を持った物質世界では、この愛よりも、お金や物欲というものが優先されて、見えない世界に人間は埋没している。本来、精神的存在が肉体をまとい、愛の修得に努めなけれならないはずが、完全に脱線した生き方をしているのであるらしい。これを是正することが急務なのである。

生まれ変わりの秘密と魂の世界の話 フルバージョン

愛は3つのこころ1/6 Tatsu's Dragonball


新型コロナウィルスの猛威!志村けん死亡の空虚感!!

2020年04月02日 21時35分28秒 | Weblog

 新型コロナウィルスが全世界で猛威を振るっている。中国・武漢から発症したウィルスが全世界で万延し、死者も多く出ている。4月2日の東京でも新たな感染が97人も出て、最悪の発症人数となった。いつまでこのウィルスの猛威は続くのか?芸能人やスポーツ関連の人も羅漢するなど、日本も大変な状況になっている。早くウィルス根絶できるものが開発されないかと思うばかりである。
 しかし、志村けんが亡くなってから数日経つが、空虚感が日に日に高まってきてしまっている。昨日は、志村けんの追悼番組が放映され、往年の志村けんのコントが流されていた。本当に偉大なコメディアンであり、笑いの中心だっただけに、失った今、残念な気持ちが大きいし、それが、空虚感を強くするのである。小学生、中学生の頃「8時だヨ!全員集合」を見て育ったようなもので、お笑いについてはピカイチの番組だった。その番組を支えていたのが、志村けんだったのである。大きな人物を失った感が非常に強い。辛い日々が続いている。あの番組の関係者は、もっと大きな悲しみに打ちひしがれているのだろうと推察する。何でこんなウィルスで死んでしまうのか?やるせない気持ちが大きいのである。
  追悼番組で、ザ・ドリフターズの加藤茶が弔辞を読み上げた。これにも感動してしまったのである。

「 弔辞 
 志村、ひどすぎるぞ、おまえ。一番若いおまえが俺たち差し置いて天国に行っちゃうなんてなあ。まだ、俺たちと一緒にやらなきゃならないことがたくさんあっただろ。それを勝手に一人で先に逝っちゃうなんて、おまえはバカだよ。天国の長さんも、まさか、おまえが最初に来るなんて思ってなかっただろうな。ビックリしたと思うよ。長さんの次は高木ブーだと思っていたもんな。でも、久しぶりに二人っきりでいろんな話ができるから、長さんも喜ぶんじゃねえかな。まあ、いずれそう遠くないうちに俺たちもそっちに行くと思うから、それまで長さんと酒でも酌み交わしながら、ドリフの新しいネタでも考えといてくれよ。5人がそっちに全員集合したら、そっちのお客さんを大爆笑させようぜ。約束だぞ。じゃあ、それまでゆっくりと休んでくれ。大好きな志村へ

                                令和2年4月1日、ザ・ドリフターズ・加藤茶」
涙が堪えきれないのである!


志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう PART 2/2時間SP HD