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ジョージ秋山の迷作?「銭ゲバ」「アシュラ」

2010年07月28日 23時33分39秒 | Weblog

     

         
 漫画家ジョージ秋山の原作で、忘れられない作品がある。それは、金儲けに貪欲に人生を費やす「銭ゲバ」と、人間を食らう「アシュラ」という作品である。ジョージ秋山の原作では、他に「ザ・ムーン」や「デロリンマン」等も気に入っているのであるが、それらを超えて、上述した2作品は感銘を覚えたのである。
 「銭ゲバ」は
『週刊少年サンデー』(小学館)に1970年(昭和45年)13号から1971年(昭和46年)6号まで連載された。極度の貧困から、殺人を繰り返しながら金銭と名誉を掴む1人の青年・蒲郡風太郎(がまごおり ふうたろう)の波瀾万丈ストーリー。『週刊少年サンデー』に当作が連載された際、作品の表現問題から一部の都道府県では有害図書扱いされたこともあった。作中で「金のためなら何でもする奴」と説明されている。ゲバとはドイツ語のゲバルト(暴利行為)という意味の略語で、『銭ゲバ』の原作が発表された昭和40年代当時、流行した左派政治運動に参加した学生の隠語で、国家に対する実力闘争を指す。略して「ゲバ」と言うことが多い。
<ストーリー>蒲郡風太郎は幼少の頃から左目に醜い傷が有った。父親は最低のろくでなし、母親は気だては良いが病弱。それゆえ家庭は極貧で、ときには5円の金も無いほどであった。
 貧しいながらも懸命に生きてきた風太郎にとって、心の支えとなっていたのは、母親と風太郎に優しく接する近所の青年であった。しかし、治療費が払えない母は病死、自暴自棄になった風太郎は盗みに走り、それを咎めた青年を手にかけてしまう。
 それを機に、風太郎は生まれ故郷を飛び出し、成長して大企業の社長一家に取り入って、陰で金銭の為に殺人を繰り返すことになる。遂には、社長一家を死に追い込み、企業の乗っ取りに成功し、政界進出も果たす。しかし、栄耀栄華を極めた風太郎は、誰もが予期せぬ末路を辿ることになる。

 「アシュラ」は、飢餓状態の果てに人肉を食べて生き延びる少年・アシュラの物語です。
 人肉を食べるということが道徳的にどうとか、倫理的にこうとか、人間としてああだとか、そんなたわ言を差し挟ませない状況が眼前にありまして、主人公・アシュラは人を殺して人を食べるという行動をします。それは食べられるものが人間しかいないという状況を意味しています。
 人肉食の話は死んだ人間の肉を食うことから訪れる死生観や人間観を問う傾向がありますが、この作品には生きるために人間を食うことが冒頭から虚飾なく描かれ、生きる人間より死体の数がたくさん描出されることにより、どうしようもない極限状態を表現しています。それがアシュラの母親にして食べられるものが「我が子」しかいないという場面を経て母親は発狂し、幼いアシュラの「食べる」ということへの執念の物語がはじまります。
 このような凄惨でやりばのない苛立ちが沸いてくるような展開もジョージ秋山の柔らかくかわいらしいアシュラの表情によって中和され、話自体もことさら哲学的にならないで、少年漫画らしくわかりやすいし、読後はそれほど悪くない、むしろ爽やか…と私は読んだのですが、やはり理不尽な憤りのようなものを感じられるかもしれません。
 それが「生まれてこなければよかった」と劇中で繰り返される、おそらく作者が一等伝えたかったはっきりしない主題が原因と思われます。作品の内容に沿って解説しましょう。
 アシュラは強靭な生命力で一人で生き抜きます。とある農家の残飯や食物を盗んで生きる中で、その農家も蓄えた食糧が底を尽き飢えかかります。アシュラを危険視した農夫は彼を殺そうとしますが返り討ちに遭い、片腕を切られてしまいます、アシュラは切った腕を笑顔で食べます。
 そして、アシュラは初めて人を殺します、ただ、食べるという理由だけで。農家の子を斧で殺し、その肉を焼いて食べるのです。何かを食べる少年に、農夫とその子の兄・太郎丸は色めきたち彼を襲ってその肉を食べてしまい、それが我が子であることを知った農夫は呵責に絶えられず自殺し、太郎丸は半狂乱のまま「」と呼ばれる荒れ果てた土地に迷いつきます。一方のアシュラは法師に出会います。生まれながらに獣と化した少年に僧は人間の心を育てようと、今後もたびたび登場してついにはアシュラに人間の心を取り戻させますが、それは後半の話です。
 やがてにアシュラも現れ、この無法地帯(全国的な飢饉のなかにありながら、都の公家達は荘園からの収入により華美な暮らしをしている。物語の舞台は平安時代後半とおもわれる)での権力争いや日々の過酷な労働の中で、太郎丸は当初抱いていたアシュラへの憎悪を徐々に緩和していきます。
 また、アシュラはこので若狭という女性と出会い、言葉や礼儀作法を教わり、アシュラにとって母に等しい存在となりますが物語はここから急展開します、アシュラの父の登場、そして母が再登場し、何故自分を生んだのか、こんな時代に何故生んだのか、とアシュラの叫びがコマを埋め尽くします。そして両親を殺そうとするアシュラの前に法師が登場し彼を縛り上げてしまいます。
 人間になれ、という法師に対してアシュラは獣の道(食うか食われるかの道)を歩むことを拒みません。
 さて、ここからが私にとって大変興味深い展開になります。先ほど言ったように法師とのやりとりによって彼は人間の心を取り戻しますが、アシュラのその後の行動が実に人間らしいのです。疑いようのない人間らしさといえます。
 いかにして人間の心を得るのか? 法師は自らの腕を自らの手により切断するのです。
 「どうじゃ、アシュラ、これを食え、これを食ってみろ。ほれ、なぜ食わん。食えないのか。おまえは人間なんじゃよ、だから食えないのじゃ。おまえの中にある獣と戦うんじゃ、それが人間の道じゃ。ひとをにくむな。おのれ自身をにくめ。おのれの獣をにくめ」
 序盤で農夫の片腕を食べる場面が、この山場と対照的です。作者がどこまで計算してこれを書いたのかわかりませんが、「うまい構成だな」と感じました。
 人間の心を取り戻したアシュラはその後人肉を食べませんが、彼は人を殺します。食べるためではありません、ただ殺すだけです。作者が人間の心をどのように定義付けていたのかわかりません。何故アシュラにこのような行動をとらせたのか? 人が人を殺す行為が人間らしい行為?
 近隣の人々から殺人鬼として追われる身になったアシュラは、傷つきながら逃げ延びます。そして再びのある村に戻り若狭の前に現れます。若狭は飢えていました。アシュラは人間の肉を彼女に渡しますが、それを彼女は食べるのです。人肉とわかっていながら。彼はすぐにそれがいのししの肉であることを明かすものの衝撃は隠せません、母と慕った彼女も、実母と同じだった! 法師の言葉がよみがえります、「人間のかなしいところじゃ、あわれと思え、あわれと思え」
 を去ったアシュラは都を目指します。アシュラとともにで酷使されていた少年達も彼に従います、太郎丸も含めて。
 都は村よりも餓死者が溢れているという、それでもアシュラは都に向かって走ります。そして…
 劇中のアシュラはよく泣き、笑い、怒り、実に表情豊かです。私は陰惨な内容にもかかわらず楽しんで読めましたが、これもアシュラの笑顔がとても印象深く、結構たくましく生きている姿に共感したためでしょうか。
  「もの食う人びと」の「ミンダナオ島の食の悲劇」には、日本兵に家族を食べられた人々が登場します。

…村民たちは泣き叫んではいない。声を荒げてもいない。押し殺した静かな声だった。…私の目の前には、肉親が「食われた」ことを昨日のことのように語る遺族たちがいる。「食った」歴史さえ知らず、あるいはひたすら忘れたがっている日本との、気の遠くなるような距離。私はただ沈黙するしかなかった。…

動画道⑫ 怪奇アニメの「ゲゲゲの鬼太郎」

2010年07月25日 18時56分17秒 | Weblog

 

 

  

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 怪奇漫画は、色んな作者がいる。藤子不二雄丸Aの「魔太郎がくる!!」、梅図かずおの「おろち」「へび女」、つのだじろうの「恐怖新聞」「うしろの百太郎」、永井豪の「ドロロンえん魔くん」「デビルマン」等種々の作品があるが、その中でも、異質なものである作品が、水木しげる原作の「ゲゲゲの鬼太郎」である。
 「ゲゲゲの鬼太郎」は、当初、「墓場の鬼太郎」として制作されたが、アニメ化等では、゛墓場゛というイメージに難色を示したスポンサー対策として、「ゲゲゲの鬼太郎」とタイトルを水木しげる自身が変更し、制作された経緯がある。因みに、゛ゲゲゲ゛という表現は、水木自身の幼少時のあだ名゛ゲゲ゛から来ている。
 鬼太郎は、幽霊族で、人間に近い血筋であるが、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる登場人物?は、妖怪が大半であり、鬼太郎自身の仲間である゛児泣き爺(こなきじじい)゛、゛砂かけ婆゛、゛ぬりかべ゛、゛一反木綿゛等はすべて妖怪である。また、敵対するものもすべて妖怪なのである。゛ぬらりひょん゛、゛牛鬼゛、゛夜叉゛等・・。敵対する妖怪たちも、元々は人間に住処等を追われた怒りで敵対する設定になっているが、本当に悪いものは誰かを暗黙的に示している場合が多い。鬼太郎は、人間を守る、人間の味方として設定されており、勧善懲悪的なストーリー展開なのである。
 アニメ化は、1968年のTVアニメがスタートで、当時は白黒映像だった。それから10年周期で改編され、現在に来ている。主題歌も、変更はされないが、その時代風にアレンジされたものが、テーマソング化されている。
 

 

 

                ゲゲゲの鬼太郎         390fl.jpg  
<!-- 初期 「ゲゲゲの鬼太郎」 -->


<!-- 中期「ゲゲゲの鬼太郎」 -->


<!-- 新版「ゲゲゲの鬼太郎」 -->


動画道⑪ 鬼気迫る武術俳優ブルース・リーの「ドラゴンへの道」

2010年07月24日 23時12分36秒 | Weblog

 

 

 

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 もうこの世にいない俳優は多いが、中でも今存命なら絶対に見たい俳優がいる。それは、強靭な肉体を持ち、鋼のようなアクションを披露した武術俳優ブルース・リー(李小龍)である。最近、このブルース・リー主演作品を何作か見たが、本当に素晴らしいアクションなのである。これほど洗練されたアクションは、これまでの武術作品の中にも無かった。それほど、映像に引き込まれてしまう、言うなれば、本当の真剣勝負の世界に見せられてしまうという感じなのである。1973年に32歳という若さでこの世を去ったブルース・リー。彼が心底情熱を傾けて制作された「ドラゴンへの道」(1972年制作)が、脚光を浴びる頃、もうこの世には存在しなかったのである。
 
截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても有名であり、俳優としてもそうであるが、真の武道家と言う存在でもあった。
俺が強い、といえば鼻にかけていると思われるだろう。だが、一番じゃないといえばウソをつくことになる」生前のブルース・リーが好んで口にし、文字にもしたフレーズですが、それだけ武術家、マーシャル・アーティストとしての自分の技量には絶対的な自信があったようです。
 香港時代は詠春拳や功力拳といった古典的なクンフーを学ぶ一方、外では喧嘩に明け暮れ、学んだものを実戦で使うことに夢中になり、挙句の果てには相手に大ケガを負わせて警察沙汰にもなっております。それが生誕地でもあるサンフランシスコに渡るきっかけになるわけですが、渡米直後の1960年には日本人空手家に挑まれ、シアトルのYMCA内の体育館で立ち合い、わずか10数秒で相手を倒しております(このときレフリー役を買って出たブルースの教え子の白人青年がストップウォッチで時間をはかっており、「10数秒」という時間の根拠はここにあります)。また1964年には、クンフーをアメリカ人に教えていることをめぐって地元の中国人コミュニティーとのあいだに摩擦を生じます。中国人以外にクンフーを教えるのはけしからん、というわけです。誰に教えようが自由だとの立場を崩さぬブルースと、白鶴拳というクンフーの使い手とがこれ以上の話し合いは無理とこのとき立ち合いますが、ブルースはやはりこれを負かし、以後、教授の自由を得ます(このとき相手を倒すのに2分も3分もかかったことを反省し、持久力強化のため、以後、循環器系を強くするためのトレーニングメニューを採り入れたことは有名なはなしです)。後年、映画撮影中もたびたび喧嘩を売られたブルースですが、大勢のスタッフその他が見守るなか、いともたやすくこれら挑戦者をあしらったとの目撃談は数多く残っており、ブルース・リーという人がただのアクション俳優などではなく、真の武道家であり、「マジ強かった」ということを、これらは強力に裏付けております。
 ブルース・リーの葬儀は、香港とシアトルの2ヶ所で行われたが、シアトルでは、映画関係者の中に、弟子だったジェームズ・コバーンとスティーブ・マックイーンも葬儀に参列しています。

<!-- ブルース・リー「ドラゴンへの道」 -->


動画道⑩ 感動のスポ根名作アニメ「巨人の星」

2010年07月23日 23時25分10秒 | Weblog

     

 

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 最近は、無料パソコン動画゛GyaO゛に嵌っている。と言うのも、あの懐かしい名作「巨人の星」が全話放映されるからなのである。週次で更新されており、あの感動が甦るのである。アニメでも、当時3年以上もの長き放送は、そうそう無かった、このような物語のアニメでは。もちろん、サザエさんやちびまる子ちゃんのように超ロングセラーのアニメも存在はするが、「巨人の星」のように、ストーリーが継続していくものでの長寿放送はそうないのである。まさに、この「巨人の星」は、野球を通して人間の成長を描いているもので、本当に素晴らしい作品である。野球人たちの友情や恋愛、勝負士としての厳しさ等、色んな角度から描かれている。孤独な審判と言う職業にも、スポットを当てたりもする。言うなれば、人間の生き方にまで深く言及している作品なのである。原作は梶原一騎、作画は川崎のぼるである。
 この作品は、野球を通じて、星飛雄馬という男が、大きな人間に成長していく姿を描いている。花形や伴、左門等との友情や恋愛、姉弟の愛、家族の絆と厳しさが、圧倒的タッチで描かれている。まさに、不朽の名作と言えるものである。日本人がこよなく愛する野球というスポーツを通じて、この壮大な物語が進行するところに、堪らない魅力を感じる。40年近くが経た今でも、当時と同等、いやそれ以上の感動で見ることが出来る。内容やアニメ構成は、現代でも引けを取らないほどの完成度の高い作品だったのである。


  

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 ★懐かしアニメ★巨人の星 OP



パソコンTV GyaO>>http://gyao.yahoo.co.jp/p/00654/v07043/ 


青春時代のアイドルたち

2010年07月19日 09時08分58秒 | Weblog

             

 

 

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 今、「アイドル」と言う言葉を出すと、何を連想するのだろうか?1970~1980年代にかけて、「アイドル」と言う言葉は全盛期を迎えていた。華やかで、憧れるスーパースターがアイドルだったのである。今の時代、このような芸能人は存在するのであろうか?実際、TVを見ていても、そんなアイドルと呼ばれるスターは、あまりいないように感じる。確かに、ジャニーズ系のSMAP、嵐等はこのアイドルという範疇に入るのであろうが、「アイドル全盛期」時代の、圧倒する牽引力は感じられない。新垣結衣やYUI等も、確かに人気はあるが絶対的な存在とは言いがたい。要するに、万人を有無を言わさずに、納得させる存在が「アイドル」なのである。
 1970年代からの十数年間の「アイドル全盛期」には、多くの格別な存在があった。また、アイドルの登竜門になった番組も多かったのである。「スター誕生」なんかは、この筆頭の番組だったと思う。花の中三トリオである山口百恵、桜田淳子、森昌子の出身番組でもある。新御三家と言われた西条秀樹、野口五郎、郷ひろみや沢田研二、あいざき進也、岡田奈々、松田聖子等多くのアイドルが出現した。芸能番組は、本当にこのアイドルたちが共演していただけだったと言えるほどの状況だったのである。視聴率を稼ぐには、アイドルを番組に出演させることが、絶対条件だったのである。
 それでは、中三トリオと言われ脚光を浴びていた3人から紹介したいと思う。

1.山口百恵
 芸能界を、本当にスパっと引退した神がかり的な存在。三浦友和夫人として、家庭を守る賢母なのである。
 <!-- 山口百恵「青い果実」 -->


2.桜田淳子
 「私の青い鳥」が爆発的人気となって、アイドルにのし上がった淳子。現在も、統一教会普及に努めているのだろうか?
<!-- 桜田淳子「夏にご用心」 -->


3.森昌子
 タワシ頭と言われた時代もありました。3人の中での歌唱力はNO.1でしたね。森進一との離婚から立ち直り、歌手活動を再開しています。
<!-- 森昌子「せんせい」 -->


4.岡田奈々
 50歳を過ぎた今でも、当時の美貌を保っているアイドルのひとり。奈々のデビューの時は、こんなに清楚でかわいい人が世の中にいるもんだと、驚愕しました。
<!-- 岡田奈々「青春の坂道」 -->


5.松本伊代
 主婦として子育てに頑張っています。アイドル当時は、清楚で可憐なイメージでした。
<!-- 松本伊代「センチメンタルジャーニー」 -->


6.石川秀美
 現在は、シブがき隊の薬丸夫人。全く、芸能界に復活してきませんが、子育てを頑張っているのでしょう!!はじける笑顔がかわいかったですね。
<!-- 石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」 -->


7.柏原よしえ
 妙に大人びたアイドルでした。コーヒーカップの状況がとてもよく出ていた歌でしたね。
<!-- 柏原よしえ「ハロー、グッバイ」 -->


8.ピンクレディー
 この二人は、絶大な人気でした。歌う歌は、ほとんどがミリオンセラーで、常にヒットチャートのトップでした。同郷の静岡県出身です。
<!-- ピンクレディー「ペッパー警部」 -->


9.キャンディーズ
 この3人の清楚感が堪らなく素敵でした。3人とも本当に性格が異なるのし、よく続いていましたね。
<!-- キャンディーズ「春一番」 -->


10.石川ひとみ
 この「まちぶせ」という歌、本当に流行りました。女の子の純真で強引な気持ちが、非情に良く歌詞に出ていますね。
<!-- 石川ひとみ「まちぶせ」 -->


11.ザ・リリーズ
 北海道出身で、道花の「スズラン」を意味したネーミング。双子の姉妹です。テニスウェアで、ハスキーな歌声が魅力でした。とんねるずの「雨の西麻布」の歌詞にも♪双子のリリーズ~♪とありましたね。
好きよキャプテン/ザ・リリーズ


B級グルメ道30 本マグロが絶妙「魚福」

2010年07月18日 20時48分52秒 | Weblog

  お刺し身専門お食事処 魚福
 私の「B級グルメ」の範囲は、すこぶる広い。世間に言うゲテモノやファーストフード等を中心に言っている「B級グルメ」とはかなり異なる。と言うのも、A級、B級の区分けが異なるからなのである。私の示すA級グルメとは、最良の食材で、最高のシェフや料理人が料理するもので、かなりしゃちこばって食べる高級料理を対象としている。B級グルメは、それ以外の、本当に手を掛けないファーストフード、インスタント食品を除いた、すべての料理を対象としている。しゃれた店で食べる料理でも、A級グルメに属さないものは、「B級グルメ道」の対象として、本ブログで紹介しようと思うのである。ですから、この「B級グルメ道」で紹介する料理は、相当な広範囲をテリトリーとしているのである。世間で言う「B級」とは違うのではないかと言う感想を持つ方もいるであろうが、自分の中のジャンル分けが、上述の通りなので、少々奇異に感じる料理でも、この「B級グルメ道」に掲載しているのである。この食材やこの店は、B級ではないと感じる場合もあろうが、境界を引いている範囲が、世間とは異なると言うことで、ご容赦願いたいと思うのである。
 今回は、東京ではなく、郷里に近い場所である静岡県静岡市清水区にあるお店である。ここは、毎年この季節になると訪れるている。要するに、お盆の墓参りに帰省するときに、ここには必ず訪れるのである。それ程、ほれ込んでいる店なのである。国道沿いにある、まぐろ料理の「魚福」がその店なのである。ここのマグロは、最高においしい。スーパーなんかで購入する「まぐろ」など、ここのマグロを食べたら、以後のどを通らないほどの絶品の味なのである。
           
 本マグロの入った時には、店の中のお品書きの短冊は、黄色の紙になり、マグロはすべて本マグロの料理になるのである。この本マグロ、こくがあってとろみが絶品なものなのである。これほどうまいマグロは、他のどんな店でも食べたことがない。この店で出されるマグロは、冷凍ではないのである。本当に新鮮なマグロなのである。今回は、赤身・中トロ・大トロの3種盛りの大盛り定食にした。(2980円)大盛りは、ご飯も出来るが、マグロもOKなのである。マグロの大盛りは、最高に感動する注文方法なのである。値段も、この程度で、絶妙な本マグロをたらふく食べれるのは、本当に最高なのである。新鮮なツマ、おいしいご飯に、海老と魚介類で取ったダシの味噌汁、マグロのフレークが定食の内容。本当にどれも、最高にうまい。ご飯も、相当にこだわっているようで、噛むほどに甘みが滲み出る。こんな国道沿いにある小さな店であるが、こだわりの思いは最高に強い店なのである。調理する板さんの心意気と、マグロへの思いが、本当に激しく伝わってくる店なのである。
           
 昼過ぎになると、ここの評判を聞いてか、多くのお客がやってくる。12時には、もう満席状態になってしまうほどの人気店。これからも、いつまでも営業していて欲しい、素晴らしい店なのである。


雨・・・・・・。

2010年07月15日 22時01分16秒 | Weblog

                写真
 さすがにが多い。今年の梅雨も、異常気象を反映してか非情に強烈な雨を降らせている。九州や中国地方等に豪雨が降り注ぎ、いたる所で土砂災害が発生している。道路が土砂崩れにより寸断されたり、新幹線が豪雨の影響で運転を見合わせたりと、全国で猛威を振るっている。今回の梅雨前線は、停滞気味であり、あまり移動をしないことから、このような大きな災害を引き起こしているようなのである。中国でも、揚子江沿岸が氾濫し、多くの死傷者や家屋の倒壊等が起こっているようだ。本当に、「地球は大丈夫か??」と真剣に悩んでしまう。このままの状況が続いたなら、地球の「地球としての存在」が失われてしまうかもしれない、大きな危機に直面しているのである。アメリカ アル・ゴア副大統領が撮影した映画「不都合な真実」に表れている数々の出来事が、地球規模で起こっているのである。本当に真剣に、地球改善計画を進めるか、人類の他惑星移住を考える時期に来ているのである。
 雨・・・、人間を含め多くの動物には、忌み嫌われているものなのだが、水を必要としている植物にとっては、この時期の雨は恵みなのである。乾燥地帯に生息する多くの生き物にとっても、この雨は、生きていくためには、非情に重要なのである。
 この雨は、映画にとっても、大きな映像表現を演出するものである。ジーン・ケリーの「雨に唄えば」では、雨と傘の演出による素晴らしいミュージカルが制作されている。雨に濡れながらのジーンの歌声には、感動がありましたね。こんな時は、雨もいいものだと感じました。続いて、「ショーシャンクの空に」ですね。銀行員を演じていたティム・ロビンスが、数十年を掛けて刑務所からの抜け穴を掘り続け、自由となった身に雨が降る、こんなシーンだったのです。自由になったことの素晴らしさを、雨が実にうまく演出していたと思いましたね。不倫を描いた「マディソン郡の橋」も、雨が絶妙の演出をします。雨の中、お互いに引かれた男女が会う光景は、大きな衝撃がありましたね。名優クリント・イーストウッドとメリル・ストーブの名演技によるものです。とっておきの作品は、雨を絶妙に活用した名監督・黒澤明による「七人の侍」でしょうね。農民を守る7人の侍の強烈な思いが映像に溢れていました。ハリウッドが苦手にしていた「雨」を、黒澤監督は逆手に取り、絶妙な映像に変えてしまったのです。この映画では、雨に重さを演出するため、墨汁が使われたと言うことです。さすがに、名監督たる所以ですね。ダスティン・ホフマン、トム・クルーズが共演した「レインマン」も、雨に関する映画です。「雨が降ると必ずレインマンが来る」。このフレーズが、この映画の大きな骨子なのでした。宮崎駿監督の「となりのトトロ」も、さつき、メイがバス停で出会った奇怪な精霊?トトロのシーンも、雨でした。トトロの無邪気な様子が、非情に純真さを醸し出していましたね。
 こんな風に見ていくと、雨もそう悪い代物でもないのでしょうね!!


予測

2010年07月13日 23時01分17秒 | Weblog
           占いタコ「パウル君」W杯8戦全勝で勇退
 今回のワールドカップサッカーは、スペインの初優勝で幕を閉じた。1ヶ月の長い間、多くの名勝負が繰り広げられたのも事実なのである。優勝候補と言われていたブラジル、アルゼンチン、ドイツが破れ、オランダと共に決勝まで残ったスペインに軍配が上がったのである。
 この試合結果を、見事に的中させた輩がいる。人間ではない。軟体動物のタコなのである。ドイツのオーバーハウゼンにある水族館が飼育している「パウル」くんなのである。年齢は不明だが、タコの寿命は3年と言われるいるが、パウルくんは、すでに2年生きている。ドイツの予選からの7試合と決勝戦の、合計8試合の勝者をすべて的中させたのである。占いタコと言われるパウルくんだが、占いはほとんどが外れるもので、100%的中させたことは、占いではなく預言者であると、言わざるを得ない。ノストラダムスでも、100%的中は無かったことからすると、このパウルくんは超人的な超能力を持ったタコと言えるのではないだろうか!本当に驚きの超能力タコである。
 タコもそうであるが、動物が有名になることは多い。名犬ラッシーのコリー犬、わんぱくフリッパーのイルカ、ジャイアント・パンダにレッサーパンダ、エリマキトカゲにウーパールーパー、カモノハシにフクロネズミ等、多くの珍獣たちが脚光を浴びた。しかし、今回のタコ「パウル」くんのように、予測をし、しかも100%的中させたことで脚光を浴びた動物はいない。全く、驚きの「予測」なのである。

世界最大のスポーツ祭典「W杯南ア大会」の終焉

2010年07月12日 22時07分31秒 | Weblog

         

          W杯・トロフィーを掲げるイニエスタ
 世界最大のスポーツ祭典「ワールドカップ・南アフリカ大会」が、初優勝にスペインが輝き、終焉を迎えた。本当に素晴らしい激闘の1ヶ月だったと感じる。日本との大きな時差の生じる南アフリカでの開催は、日本では、真夜中のサッカーの試合観戦となったのである。毎日が寝不足の日々、しかし、各国の名プレイヤーによる絶妙なボール捌きに、酔いしれてしまうことも多かった。また、BEST16に進出した日本代表の素晴らしい戦いにも、心底感動した。「本当にありがとう!!」と、叫びたくなってしまう。これほど感動したW杯は、無かったのではないだろうか?前回のドイツ大会も、中田英寿、中村俊輔等が居たが、こんなに感動するものではなかった。その前の、カズ、ゴン・中山の時も同様に、今回ほどの感動は無かった。何故、今回の日本代表の活躍が、こんなに感動するのだろうか??それは、チーム一丸となった結束力やチームワークが随所に出ていたし、個人の高い技術が、世界と対等の水準にまで近づいたということなのだろうと思う。チームの和と個人の技術が、相乗効果を出していたのである。今回の日本代表は、歴代の日本代表の中で、最強のチームだったと感じる。著名なスタープレイヤーは少ないが、それを上回るものが多くあった。見ていて、興奮する試合が多かったし、チャンスに必ず得点していたことも、大きな感動の要因だったのである。
 オリンピック同様に、4年1回開催される「ワールドカップ・サッカー大会」。オリンピックと同周期であるが、オリンピックよりはるかに興奮するし、感動するのである。こんなスポーツは他にない。野球もバレーボールもテニスもバスケットボールも、ラグビーもアメリカンフットボールも、W杯サッカーの比ではない。


七夕(たなばた)

2010年07月06日 22時06分16秒 | Weblog

     

 

      

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 今年も、「七夕」の季節となった。七夕の由来は、はっきりとは判明しないが、中国からの風習と日本の風習が合体して成立したらしいとしか言えないのである。この「七夕」は、夫婦であった牽牛と織姫が、結婚を機に働かなくなってしまったことに天帝が激怒し、天の川の両岸に離れ離れにさせたと言う逸話からなのである。しかし、このように夫婦が全く会えないことは、可愛そうだという事で、7月7日の「七夕」の日に、天の川にカササギに橋をかけさせて、会わせてあげたという、伝説の物語なのである。
 毎年、この時期にカルピスがアンケートを実施する。このアンケートで分かったのであるが、「七夕」について、正しく理解していない人が多いということなのだ。牽牛と織姫は夫婦なのに、恋人同士と誤解したり、牽牛、織姫の仕事(牽牛は牛飼い、織姫は機織り)を知らなかったりと、色んな結果が出るようなのである。しかし、この広大な宇宙の中で、この二つの星が織り成す「一大ロマンス」は、本当に夢がある物語なのである。どこまで膨張していくか分からない、今の宇宙空間に、壮大なロマンがあることは、非情にうれしいことなのである。暗黒の宇宙空間に、壮大な愛のロマンスがあるなんて・・・、考えただけでも素晴らしいと思いますね。
 牽牛は、わし座のアルタイルと言う星であり、織姫はこと座のベガと言う星で、どちらも光り輝く明るい星なのである。こんな輝く星を、古(いにしえ)の人たちが見ていたら、こんな素晴らしい物語を考えてしまうのも、無理の無い話しなのである。
 我がマンションでも、7月4日に盛大に、「七夕祭り」を開催した。なんせ、860世帯以上のマンモス・マンションなので。このような企画をすると、多くの人で、広大な中庭は超過密状態になってしまうのである。今回は、それまでの管理組合の主催ではなく、新たに出来た「自治会」の主催で実施された。ロビーでは、グランドピアノの演奏会(小学生低学年から高学年の19組による2部構成)や、音楽大学出身のフルート演奏カルテット(女性4人組)による演奏で、大変盛り上がった。中庭の回廊では、焼き鳥・焼きそば屋、団子・太巻き等の惣菜屋、生ビール販売、綿アメ・ポップコーン・カキ氷は自治会運営委員による販売、植栽委員会によるクッキー&ハーブティーの販売、野球部によるストラックアウト、スーパーボールすくい・くじ引き、アコーデオン奏者による大道芸と、実に多彩な催物を行なって、みんなの賞賛を受けた。オープニング和太鼓、ジャグリング・クラブ演技、ダンスクラブ演技も実施し、相当なフィーバーとなったのであった。この時期に、こんなに壮大な催しが企画できて、大変に有意義であったのでした。

 

 

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 ここで、ねずっち風に謎掛けをご披露しましょう!!
~整いました!!
 ・「七夕と掛けて、お経を読む坊さんと説きます。その心は、せいざが重要です。(七夕→星座、坊さん→正座してお経を読む)」

 ・「七夕と掛けて、目にできものができた人と説きます。その心は、どちらもがんかけをします。(七夕→短冊に願いを書いて願掛けする、ものもらいの人→目に眼帯等を掛けます)」

 ・「坊さんと掛けて、日刊新聞と説きます。その心は、けさきて、きょうよむ。(坊さん→袈裟着て経読む、日刊新聞→今朝来て今日読む)」