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安田純平に対する自己責任論的なバッシング??

2018年10月28日 21時42分49秒 | Weblog

 シリアの武装勢力に拘束され、40ヶ月ぶりに解放された戦場ジャーナリスト「安田純平」が帰国した。2015年に渡航情報を無視した上でシリアに密航し、消息を絶った安田純平を、勇敢であるとする一部の者のを除いて、危険な場所に自ら顧みずに行った戦場ジャーナリストであるので、自己責任でやるべきであるとの意見が多く聞かれる。確かに、戦場地での取材は、大きなリスクを背負って行わねばならない。ましてや、状況のはっきりしない戦場においては、十分な実態把握をするためには、相当危険な場所にまで出向き、実態を取材時なければ、真実を報道できないという、とてつもない制約があるのも事実である。
 しかし、そのような苛酷で厳しい、時には自分の命を引換にしなければならない環境で、生活の糧を得ている戦場ジャーナリストをどのように評価するかは、大きく意見が分かれるところであろうと思うのである。実態を危険な場所に踏み入れてでも解明したい、取材したいという心境に基づく行動と、ある程度の状況が分かれば、そこまで踏み込まなくても趨勢は理解できるとする行動とは、危険について自ずと線引きされるものなのである。
 今回の安田純平はどうだったのだろうか?後者のおおよそのところまでわかれば良いのではという状況をはるかに超え、実態を追求しようとしたことから、反政府武装勢力に拘束され、40ヶ月という長期間の拘束をされる結果となった。確かに、政府軍によって押さえ込まれた反政府武装組織の実態を報道するためには、危険な地帯にまで踏み込まねば、実態把握はできないし、実態の報道はできないということは分かる。政府軍であるアサド勢力が正しく、反勢力が悪だという、単純な図式でないことも十分に分かる。アサド政府軍は、化学物質を使った反政府軍への攻撃で、多くの市民が犠牲になっているのも事実である。殺戮だけを目的に、サリン等の使用不可の化学物質を相手側の攻撃に使用するなど、正義に反するものであることは如実である。こんな政府が、本当に国を統治できるのかも疑わしいのであるが、これにには、近隣諸国や大国が暗躍していることから、大きな戦闘になっている。反政府軍を支援するカタールやトルコ、政府軍を支援するロシア、一部の反政府組織を支援していたアメリアといった構図が、単なる内戦の域を超え、多国間の代理戦争になっているのである。そんな中で、日々命の危険に晒されている国民にとって、何が正義かは本当に混沌としているのである。そのことで、多くの難民を生み出しているのも事実である。
 危険な場所に出向き、その取材によって生活の対価を得ている戦場ジャーナリストを、日本政府は救出する必要があるのか?自分で渡航禁止地域に出向いての拘束は、自らの責任で対処すべきであり、禁止した場所に、自分たちの糧のために出向いた人間を、政府は救出する責務があるのだろうか?この点には、意見が分かれるところである。
 危険な戦場で実態を取材することは確かに必要である。人道的ではない戦闘行動をつぶさに取材し、世界に知らしめることをするのは、この戦場ジャーナリストしかできないことでもある。それによって、実態が分かり、如何に人道を無視した暴挙が行われているのか、その地域の人達がどれほどの犠牲を強いられているのかも、その取材で分かる。これをしないで、世界に真実の実態を知らしめないジャーナリズムは、存在が問われるということも言える。命懸けで取材されたものを、世界の人が触れることで、本当の真実が把握できるのである。このようなことから考えると、禁止されている危険地帯での取材を、自己責任論で片付けるには、大きな問題があろうと思う。そのジャーナリストによって、実態が分かる、真実が分かることこそ、世界が知るべきことなのであり、必要な情報なのであろうと思うのである。単なる自己責任論で終息されるべきものとは思えないのである。

 

一人の道 茶木みやこ(元ピンク・ピクルス)


沢田研二の騒動??

2018年10月21日 22時51分44秒 | Weblog

 あの往年のトップスター歌手だった「ジュリー」こと、沢田研二がさいたまアリーナでの公演を1時間前に急遽中断し、公演は行われなかったという騒動。
 これには、芸能界から多くの批判が寄せられている。プロとしてあるまじき行為だ、高いチケット代金を支払って駆けつけたファンを舐めている、自分勝手である等・・・、色んな批判にさらされている。実際の中断理由は、さいたまアリーナを埋め尽くすほどの観客が来なかったことに、沢田自身のプライドを傷つけられ、中止を決断したことが、本人からの発言があり、これが真実だったようである。一説には、沢田の強硬に進めようとした原発反対の署名を公演時に行うことが、さいたまアリーナ運営側と衝突し、重大な契約違反として中断に追い込まれたということも囁かれている。まあ、本人が観客の数で中断を決断したと言っているのだから、そのことを信じようとは思う。
 しかし、70歳にもなった沢田研二が、会場を埋め尽くす観客が来なかったことで公演を中断したなら、とんでもない思い違いをしているとしか言いようがない。70歳のしょうもないおっさんを、誰が高いカネを払って見ようと言うのか!本当に沢田研二のことを好きで、一生懸命支援しようと思う人たちでしか、公演に行こうとは思わないはずである。その人たちの思いを、まったく汲み取らず、独断にして独りよがりに行ったとんでもない暴挙としか感じられない。当然私も、沢田研二の全盛期に青春時代を過ごした世代なので、当時の沢田研二のカッコよさは素晴らしいと感じていたが、今回の行いは当然にして受け入れがたいものである。本人は反省しているようだが、こんなことは、70歳にもなった人間なら常識で分かるハズである。まったく、情けないとしか言い様がない。あの「ジュリーこと沢田研二」の所作としては、まったく道理に反した行いでしかない。もっと、冷静に判断すべきだったと思うのである。

【記事】
17日の公演をドタキャンした歌手・沢田研二(70)が21日、大阪府大阪狭山市のSAYAKAホールで公演「OLD GUYS ROCK」を開催し、冒頭、ファンに「僕は至らない人間です」「全て僕の責任です」と深々と頭を下げ、騒動を謝罪した。17日のさいたまスーパーアリーナ公演を開催の約1時間前に、突然中止して以降、この日は初めてのコンサート。主催者によると、1200席は全て完売しており「満員御礼」だった。

 沢田は通常、冒頭でトークを行わないが、この日は異例の形。5分以上にわたり、謝罪の気持ちを述べた。

 「僕は至らない人間です」「全て僕の責任です」「僕の性格、意地もありました」「全て僕のワガママです。本来謝罪すべきはさいたまスーパーアリーナに足を運んでくださった方々(に対して)です。本当に申し訳ないと思っています」と謝罪し、ファンに向かって深々と頭を下げた。観客の賛否は半々の反応で、「いいよ!」と支持する声も飛んだ。

 沢田は17日の公演について、運営側から9000人の集客と聞いていたのに実際は7000人だったこと、客が少なかったため中止にしたことなどを改めて自らの言葉で説明。「さいたまスーパーアリーナを満員にできなかった僕の力不足です。僕は70歳になって、白旗でなく、自分に対して赤旗(レッドカード)をあげました」と全てを背負う覚悟を口にし、「さいたまスーパーアリーナを満員にするという目標ができました。それをモチベーションにあと10年はやります」と同会場を満員にするという目標を掲げ、80歳まで歌い続ける決意も表明した。


沢田研二 カサブランカダンディ


沢田研二 ダーリング


現実と架空の粋な橋渡し!!

2018年10月18日 21時15分54秒 | Weblog

 ネットを見ていて、いたく感動する話があった。あのハミ出し警官である両津勘吉主人公の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」という秋本治氏の漫画からの話である。
 この通称「こち亀」の大ファンである人物が、実際に亀有駅近くの派出所に出向き、勤務していた警官に質問しました。「両津勘吉は居ますか?」・・・。こんな質問、我が国を守る堅い警察官にしたら、一笑に付される質問であるはずであるが、質問を受けた警察官から粋な回答が返ってきたと言う。「両津だったら、この時間はまだ寝ているよ!」。実に粋な回答である。何を馬鹿な質問をしてくるんだと普通は感じ取り、「両津勘吉は漫画の世界で、実際にはいないよ」との返しが普通の回答だろうと思う。まあ、こんな返しをされたら、こち亀ファンにとっては手痛い回答に感じられるだろうが、さにあらず。実に粋で、ファンを思った回答をする警察官がいるもんだと感心するものである。また、この人物は、亀有駅近くの別の派出所に出向き、同じように「両津勘吉は居ますか?」と質問を勤務していた警察官にした。すると、「仕事をサボって、パチンコをしてるよ!」との回答だったという。何と、粋な回答をまたまた受けたのである。あの、警察官とはあるまじき両津勘吉のことを十分に知った上での、粋な回答なのである。これには、その人物は感銘を受け、即座に亀有近くの不動産屋に行き、近隣の物件の紹介を受け、転居を決めたのだという。
 人間とは、実に味のあるものである。ましてや、堅い仕事である警察官が、こち亀ファンを十分に配慮し、なんと粋な回答をするものである。このような回答をさせたのは、亀有エリアに住んでいることが、その人に大きな影響を与えているからなのだろうと思う。住んでいる人たちの人間味、あったかい人柄が警察官にも乗り移り、このような粋な回答をさせたのだろう。だからこそ、このあったかい地域に住みたいとして、その人物は転居を決めたのだろうと思うのである。
 生きることは、いろんな環境に影響させられるものである。でも、どうせ生きていくなら、人間味ある温かい地域で、温かい人たちに囲まれて生きたいと考えるのも、至極当然のことである。同じ生きるなら、殺伐とした世界ではなく、人情の溢れる、人間味豊かな場所で、その人たちと一緒に生きたいものである。たった一回の人生なのだから、生き方は自分で選択すべきものである。
 亀有地区の人たちの、あったかい生き方が心を打つのである。人生は、豊かに人間味ある生き方をしたい・・そんなことを考えさせてくれるお話だったと思うのである。


こち亀オープニング「おいでよ亀有」


やったあ!!凄いぞ、巨人・菅野投手のノーヒットノーラン!!

2018年10月14日 20時58分28秒 | Weblog

 弱体の巨人が、クライマックスシリーズで快挙なのである。あの菅野投手が、ヤクルト相手にCSでノーヒットノーランを達成し、CSのファイナルステージに進んだ。この重要にして重大なCSでのノーヒットノーランは初めての快挙である。精彩を欠いていた巨人が、やっと黄金の時期に進もうとしているのである。
 


【記事】

 今季限りで退任が決まっている高橋由伸監督率いる巨人が、エース・菅野智之投手(29)のCS初、自身初となるノーヒットノーランでヤクルトとのクライマックスシリーズ(CS)第1ステージ第2戦でヤクルトに勝利し、CSファイナルステージ進出を決めた。巨人はリーグ優勝を決めた広島とのファイナルステージ(17日開幕・マツダスタジアム)に駒を進めた。

 巨人先発の菅野は山田哲を2打席連続三振に仕留めるなど、初回から3者凡退を続け、6回まで18人斬りで出塁を許さない“完全ペース”で前半を快投。7回は2死を取ってから山田哲に四球を選ばれ、完全は消えたが、その後もヒットを許さず、ノーヒットノーランを達成した。

 巨人打線は、2回2死から長野がヤクルト先発・原の2球目の直球をバックスクリーン左に運ぶ一発で先制。4回には、先頭のマギーが原の初球スライダーを左中間席に運び、さらに2死一塁から亀井が初球のシュートを右翼席に2ランを決めて追撃し、菅野の好投にこたえた。

 巨人のCS第1ステージを突破してのファイナル進出は、2010年、2015年に続いて3回目。過去2回はファイナル突破を阻まれており、広島とのファイナルステージで初の下克上を目指すことになる。

 菅野智之投手「達成感はすごくあります。フォアボールはもったいなかったんですけど、満足はしてます。高橋監督と1日でも長く野球ができるように。広島に一緒に行きましょう」


闘魂こめて~読売ジャイアンツ球団歌


【ミステリー】臨死体験にてタイムワープをする木内鶴彦

2018年10月13日 13時22分54秒 | Weblog

 彗星探索家である「木内鶴彦」をご存知だろうか?イケヤ・セキ彗星という彗星を発見した日本人の池谷・関という天体観測家が彗星を発見して自分たちの名が付いたのは有名な話であるが、木内鶴彦も彗星探索を行ったことで、自分の名を付けた2つの彗星を発見したことでも有名な彗星探索家なのである。
 木内鶴彦の若かかりし頃の、所謂ポックリ病という多臓器不全による臨死体験が凄い。この臨死体験により、多くの臨死者が経験する三途の川やお花畑に行ったことの体験にとどまらず、過去の幼少な自分に会いに行ったり、宇宙の創始を見に行ったり、将来の地球の未来を訪れたり等、およそ想像できない「タイムワープ」的な臨死体験をしているのである。ある時代の主要な人物の体に同化したりもできたとのことで、この時に自分が来た証拠として「鶴」の文字を当時の重要な書物や柱等に書き込んできたという。これが後に、その状況で発見されたりしていることがあり、驚きな状況なのである。
 また、月の起源についても確認されている。木内鶴彦さん 木内さんは月は1万5000年前に彗星が地球の重力に捕らえられて、今の月になったと言っています。宇宙をさ迷っていた彗星が地球の重力に捕らえられて月になったという説はほかでも聞くことがありますが、注目点はその時期なのです。木内さんの主張する時期は、極めて正確ではないかと思うのです。木内さんは彗星研究家です。星座などは熟知しています。
北斗七星の形は時代によって変わるといいます。木内さんは北斗七星の形を見ただけで、それがどの時代であったかわかる人なのです。過去の幼少期に、地球の時代に応じた北斗七星の形を時代に合わせて図表化したことが、時代を捉えるのに役立ったということなのです。それゆえ木内さんが今から1万5000年前という時期は、大いに注目していいのではないかと思います。この時期に、彗星が地球の引力に捉えられて補足され、その時に大量に水分を地球に吸収したようなのです。余りにも大量な水により、現在の海抜は2000メートルも当時から上がったということなのです。まさにこの時期が、「ノアの方舟」の時期に合致しているようなのです。



癒しのスポット!柿田川湧水公園&三保の松原

2018年10月08日 22時02分09秒 | Weblog

 昨日から、長男夫婦・孫、私たち夫婦の5人で、1泊にて静岡に墓参りに行ってきて、先ほど帰ってきたのであるが、連休三日目ということもあり、東名高速は、秦野から町田まで断続的に渋滞し、最高で25キロの渋滞に巻き込まれたのでした。やはり、連休中に遠出をするとこのようなことに遭遇する羽目になるのである。まあ、自業自得であるので、ショウガナイと諦めるしかないのであろうが・・・。
 今回は、1泊でもあったので静岡観光を楽しむことができた。
昨日行ったのが、長男が是非とも行きたいと言った「柿田川湧水公園」である。「柿田川公園の湧き水を眺めていると癒される」と仰ったのは、バルセロナオリンピック競泳金メダルを獲得した岩崎恭子さんの言葉です。岩崎さんは静岡県沼津市出身。この柿田川公園のある清水町とは目と鼻の先で、小さい頃から何度も訪れた思い出の場所だそうです。現在は東京に住む岩崎さんも、故郷に帰省する時は、お子さんとよく柿田川公園に訪れるんだそうです。
 柿田川は、「日本三大清流」のひとつと言われています。水源はあの富士山です。天然のダムと言われる富士山。富士山に降った雨や雪は土壌にしみ込んで濾過され長い時間をかけて地下水となります。
約1万年前、富士山の噴火の際に流れ出した三島溶岩流の中を降った雨雪が地下水となって通り抜け、その溶岩流の南端である清水町で地上に湧き出たのが柿田川です。湧水量は一日100万トンにもなり、日本一を誇ります。水温は1年を通じて15度を保っているそうです。「21世紀に残したい日本の自然百選」「日本の名水百選」「国指定天然記念物」にも選ばれている天下の名水です。この清らかな名水が湧水として地表に現れる場所が柿田川なのです。豊かな湧水量は、華厳の滝等を凌駕する多さなのです。
 そして、今日行ってきたのが、世界遺産にも登録された「三保の松」です。今日は快晴でもあったので、駿河湾が綺麗でした。孫は、三保の松原の海岸に、寄せては砕ける海水に浸かると、ギャン泣きでした。あれだけの広い海を見るのが初めてだったので、恐怖心が沸き起こってしまったと思われます。


兎に角、今回の旅は、面白かったのでした。

おやじの海 村木賢吉

大泉逸郎/孫

DA PUMP / U.S.A.


秋の色

2018年10月05日 23時06分17秒 | Weblog

 もう十月に入ったというのに、相変わらず夏の残党的な「台風」が日本にやってきている。もう、今年になって25号もの台風が発生しているのである。しかも、この十月にもその猛威を奮っているのである。なんかおかしな気候なのである。
 台風が、これほど発生し、しかもその全てが猛烈か強い台風というのは、ちょっと考えられない状況なのである。風速50メートルの強風が吹き荒み、100ミリ以上の降雨が降り注ぐ・・・。なんなのであろうか?各地におぞましい痕跡を残しながら、過ぎ去っていく台風。かたちあるものを、壊滅的な状況にしてしまう台風。まったく、受け入れがたい自然災害なのである。
 秋は、静かに愛おしく過ぎ去って欲しい季節なのである。いろんなことを考え、色んな物思いぬふけり、気持ちを昇華させ、また、あすからの自分を堅持し、時には形を変え、自分を成長させる・・・、そんな世界がこの「秋」という時節なのである。いろんなことを考え、物事に耽り、そして、その先をも考える。
 日本であるからこそ、この「秋」という時期を堪能であきるのである。しんみりとした空気、夏を謳歌した全てのものが、冷静さを感じ、静かにその次を見据えていく。そんな、重要にして大事な季節が「秋」のなのである。


昭和歌謡 秋の歌メドレー

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