一昨日の土曜に書いたまま、アップロードし忘れていたので、こちらから先に。昨日の件については、昼休みに無線 LAN スポットあたりから書き込む予定。
とりあえず、今は千秋楽も過ぎてぼーっとしているので、私の昔話と馬鹿ネタを書いてみる。予め断っておくが、本当につまらない馬鹿話で、ほとんどの人にとって読む価値はないので、読んだ後で文句を言わないようにお願いしたい。ちなみに、エントリタイトルの「あの人に似ている」は、高倉健と裕木奈江のデュエット曲タイトルから。作詞・作曲がさだまさしと中島みゆきの合作で、さだは後に自身のアルバムで男歌の部分だけをセルフカバーし、さらに後に中島が自身のアルバムでさだとのデュエットでセルフカバーしている。さだバージョン以外は、男歌と女歌がそれぞれの内容で並行し、サビだけ一緒、という構成になっているのだが、男歌と女歌の歌詞の噛みあっていなさ加減が非常に素晴らしい(笑)。
さて本題。今でこそ AKB48 にハマりまくっている私だが、その前は 10 年以上、アイドルに対して特段の興味は持っていなかった。それより前にしても、そんなに深くハマっていたわけではなかった。妙に濃い友人たちに恵まれていたせいで、原宿 RUIDO 時代の TPD を見ていたり、2 期生が入った頃の南青山少女歌劇団を見ていたり、そのメンバーの多数が所属していたダンススクールの発表会を見に行っていたりといったことはあるのだが、ただ「誰々ちゃん一推し」というのはほとんどなかった。
そんな私だが、その昔、かなり深くハマっていたアイドルが 1 人だけいた。具体的に誰、というのは、ちょっと気恥ずかしいので言わない(笑)。1990 年にデビューして、あまり売れないまま引退したのだが、一部のコアなファンはついていた。CD はアルバム 5 枚を出したが、コンサートは 1 回しかできなかった。アイドルとしては 1992 年頃まで、その他の芸能活動も 1994 年くらいまでにはほとんど終わってしまっているのに、ファンクラブだけは 1997 年まで続いていたし、その後も何年か、いくつかの事務所に所属だけはしていて、最後は業界屈指の大手プロダクションと契約していた ( でもほとんど仕事はなかったと思う ) という、なかなか謎な人だった。
その人が引退した後、私はアイドルにはほとんど興味を持たなかったのだが、それでもたまに書店やコンビニなどで、雑誌の表紙などを見て、アイドルを含む女性タレントに興味を持つことがないわけでもなかった。しかし、そういうことが何度か続くと、どうしても「自分の好み」というのが、露骨に分かってしまうのである。具体例を挙げると久保亜沙香さん、と言えば、分かる人は分かるだろう。ちなみにここで具体的に名前を挙げられるのは、結局私は久保亜沙香さんにハマらなかったから、なんだけれども、タイプとして言えば、私のストライクゾーンの真ん中にかなり近いことは間違いない ( 言うまでもないが、ど真ん中はかつてハマったアイドルだ )。
で、久保亜沙香さんと言って分かる人なら気がつくと思うのだが、その路線からすると、私が今、中西さん一推しなのは、どう考えてもつじつまが合わないのである。実際、最初の 1 箇月くらい、私が中西さんにあまり興味がなかった(^_^;)ことは、このブログでも何度か書いた通りだ。今ですら、メンバーのプロフィール写真などを見比べて、たまに「どーして中西さんにハマったのかな」と不思議に思う瞬間があるくらいだ。まあ、中西さんにハマった理由は、これも再三言って来たように、ステージ上でのパフォーマンスにあったわけで、私としては、似たようなルックスの子ばかり気になってしまうという過去の呪縛(笑)から逃れたということなのかなと思ってもいたのだ。
しかし。最近になって、ぜーんぜん別の意味で、私がかつて唯一ハマった人と、中西さんの共通点が見えて来た、ような気がするのだ。1 つは「並外れて家族好き」という点で、まあ幸せな家庭で育てられて来たということではあると思うんだが、その度合いの著しさが、妙に重なって見えることがあるのだ。加えて先日の FC ブログでは、お風呂に 1 日何回も入ると書いてあったのだが、これも昔ハマったアイドルが同じことを言っていたもので、私にとっては激しく既視感を覚えたのだった。単なる偶然でしかないことを 2 つ並べても、それがどうということはないはずなのだが、妄想というのは連鎖するもので、そう言えば「すごく良い子なんだけど、芸能界で生きて行くには、ちょっとまじめ過ぎて、線が細くないか」と心配になるあたりも似ている…などと思い始めてしまうのだった。
それについては、私の友人が「里菜ちゃんはかわいいけど、今のままじゃ、あの子が好きな松浦亜弥には絶対になれないよね」と表現したことがある。その理由は「松浦亜弥みたいな、いつでも私が一番!と言って前に出て来る図々しいほどの強気さが、里菜ちゃんにはないから」ということだそうで、残念ながら私も基本的に同意見だ。まじめで一生懸命、は良いことだ。自分の力を冷静に見極め、おごらないのも大切なことだ。だが、やるべきことをひたすらやってさえいれば、周りの人が自動的に評価してくれる、というのは、ちょっと違うように思う。いや、中西さんがそう思っているかどうかは分からないけれど、ただ、もうちょっと自己アピールを押し出しても良いような気がするのだ。
芸能、という言葉の通り、自分自身の芸とか能力とかを売って生きて行く以上は、それなりにセルフプロモーションというものも必要なはずだ。自分の強みはこれです、ここを見てください、と打ち出していく積極性も、これからは必要になって来るのではないか。もちろん他人の足を引っ張ったり、不当に蹴落としたりするような真似は、心の貧しい人のすることであって、そんなことをすべきではない。と言うか、改めて言わなくても中西さんはしないだろうけれど(笑)。だが一方、いくら仲良しのメンバーといえども、ステージの上ではライバルでもある、という心構えは、きちんと持っていて良い。チーム A の中で、あるいは AKB48 の中で埋没してしまうことのないよう、少なくとも自分から一歩身を引いてしまうことはないようにして欲しいと思う。
とりあえず、今は千秋楽も過ぎてぼーっとしているので、私の昔話と馬鹿ネタを書いてみる。予め断っておくが、本当につまらない馬鹿話で、ほとんどの人にとって読む価値はないので、読んだ後で文句を言わないようにお願いしたい。ちなみに、エントリタイトルの「あの人に似ている」は、高倉健と裕木奈江のデュエット曲タイトルから。作詞・作曲がさだまさしと中島みゆきの合作で、さだは後に自身のアルバムで男歌の部分だけをセルフカバーし、さらに後に中島が自身のアルバムでさだとのデュエットでセルフカバーしている。さだバージョン以外は、男歌と女歌がそれぞれの内容で並行し、サビだけ一緒、という構成になっているのだが、男歌と女歌の歌詞の噛みあっていなさ加減が非常に素晴らしい(笑)。
さて本題。今でこそ AKB48 にハマりまくっている私だが、その前は 10 年以上、アイドルに対して特段の興味は持っていなかった。それより前にしても、そんなに深くハマっていたわけではなかった。妙に濃い友人たちに恵まれていたせいで、原宿 RUIDO 時代の TPD を見ていたり、2 期生が入った頃の南青山少女歌劇団を見ていたり、そのメンバーの多数が所属していたダンススクールの発表会を見に行っていたりといったことはあるのだが、ただ「誰々ちゃん一推し」というのはほとんどなかった。
そんな私だが、その昔、かなり深くハマっていたアイドルが 1 人だけいた。具体的に誰、というのは、ちょっと気恥ずかしいので言わない(笑)。1990 年にデビューして、あまり売れないまま引退したのだが、一部のコアなファンはついていた。CD はアルバム 5 枚を出したが、コンサートは 1 回しかできなかった。アイドルとしては 1992 年頃まで、その他の芸能活動も 1994 年くらいまでにはほとんど終わってしまっているのに、ファンクラブだけは 1997 年まで続いていたし、その後も何年か、いくつかの事務所に所属だけはしていて、最後は業界屈指の大手プロダクションと契約していた ( でもほとんど仕事はなかったと思う ) という、なかなか謎な人だった。
その人が引退した後、私はアイドルにはほとんど興味を持たなかったのだが、それでもたまに書店やコンビニなどで、雑誌の表紙などを見て、アイドルを含む女性タレントに興味を持つことがないわけでもなかった。しかし、そういうことが何度か続くと、どうしても「自分の好み」というのが、露骨に分かってしまうのである。具体例を挙げると久保亜沙香さん、と言えば、分かる人は分かるだろう。ちなみにここで具体的に名前を挙げられるのは、結局私は久保亜沙香さんにハマらなかったから、なんだけれども、タイプとして言えば、私のストライクゾーンの真ん中にかなり近いことは間違いない ( 言うまでもないが、ど真ん中はかつてハマったアイドルだ )。
で、久保亜沙香さんと言って分かる人なら気がつくと思うのだが、その路線からすると、私が今、中西さん一推しなのは、どう考えてもつじつまが合わないのである。実際、最初の 1 箇月くらい、私が中西さんにあまり興味がなかった(^_^;)ことは、このブログでも何度か書いた通りだ。今ですら、メンバーのプロフィール写真などを見比べて、たまに「どーして中西さんにハマったのかな」と不思議に思う瞬間があるくらいだ。まあ、中西さんにハマった理由は、これも再三言って来たように、ステージ上でのパフォーマンスにあったわけで、私としては、似たようなルックスの子ばかり気になってしまうという過去の呪縛(笑)から逃れたということなのかなと思ってもいたのだ。
しかし。最近になって、ぜーんぜん別の意味で、私がかつて唯一ハマった人と、中西さんの共通点が見えて来た、ような気がするのだ。1 つは「並外れて家族好き」という点で、まあ幸せな家庭で育てられて来たということではあると思うんだが、その度合いの著しさが、妙に重なって見えることがあるのだ。加えて先日の FC ブログでは、お風呂に 1 日何回も入ると書いてあったのだが、これも昔ハマったアイドルが同じことを言っていたもので、私にとっては激しく既視感を覚えたのだった。単なる偶然でしかないことを 2 つ並べても、それがどうということはないはずなのだが、妄想というのは連鎖するもので、そう言えば「すごく良い子なんだけど、芸能界で生きて行くには、ちょっとまじめ過ぎて、線が細くないか」と心配になるあたりも似ている…などと思い始めてしまうのだった。
それについては、私の友人が「里菜ちゃんはかわいいけど、今のままじゃ、あの子が好きな松浦亜弥には絶対になれないよね」と表現したことがある。その理由は「松浦亜弥みたいな、いつでも私が一番!と言って前に出て来る図々しいほどの強気さが、里菜ちゃんにはないから」ということだそうで、残念ながら私も基本的に同意見だ。まじめで一生懸命、は良いことだ。自分の力を冷静に見極め、おごらないのも大切なことだ。だが、やるべきことをひたすらやってさえいれば、周りの人が自動的に評価してくれる、というのは、ちょっと違うように思う。いや、中西さんがそう思っているかどうかは分からないけれど、ただ、もうちょっと自己アピールを押し出しても良いような気がするのだ。
芸能、という言葉の通り、自分自身の芸とか能力とかを売って生きて行く以上は、それなりにセルフプロモーションというものも必要なはずだ。自分の強みはこれです、ここを見てください、と打ち出していく積極性も、これからは必要になって来るのではないか。もちろん他人の足を引っ張ったり、不当に蹴落としたりするような真似は、心の貧しい人のすることであって、そんなことをすべきではない。と言うか、改めて言わなくても中西さんはしないだろうけれど(笑)。だが一方、いくら仲良しのメンバーといえども、ステージの上ではライバルでもある、という心構えは、きちんと持っていて良い。チーム A の中で、あるいは AKB48 の中で埋没してしまうことのないよう、少なくとも自分から一歩身を引いてしまうことはないようにして欲しいと思う。
西崎華子と似ている制服向上委員会の望月菜々も好きでした。女優の菊川怜とこの二人は似ていると今でも思いますね。
りなてぃんに限らず、現時点でアイドル歌手としてデビューできる程の力をもってるメンバーは残念ながらいないですよね、、。
カギさんの言う通り、オーラをもっている雰囲気はなかなか厳しいと思います。