常識なんて、もともとくつがえされるものだ。
常識は時代とともに変化するものだ。
医学も科学も、
昔の常識は、今の非常識だ。
だから、
今の常識が、未来の非常識にだってなるはずなのに。
その時代、その時に生きている人たちには
「常識」とは不変の絶対的なものだと、思いこんでしまうらしい。
今回、
30歳の若き女性研究者が見出したSTAP細胞の発見のニュースは、
まさに、
常識にとらわれない人の、柔軟な発想が生んだものだろう。
過去の常識や今ある常識にとらわれている人間には
新しい視点も発想も生まれないだろう。
「脳脊髄液なんて、漏れない。
漏れるはずがない。」
そういう「常識」にとらわれた医師がいた。(今もいるだろうが。)
脳脊髄液が漏れることが証明されてわかってくると、
今度は
「漏れるとしても、それはごく、稀だ。」とくやしまぎれに言い張る。
その上、
「交通事故で漏れる」ということをなるべく少なくしたい人たちは、
事故で漏れるというより、
その人の体質に原因がある。
とそっちの方にばかり興味関心を持っているようにさえ、感じる。
どんな分野でも、
常識にとらわれ、新しい視点を攻撃してくる人はいる。
だから、
この若き女性研究者も、
「やめてやると思った日もあった、
泣きあかした夜もあった。」という短い言葉の裏に、
どれだけのバッシングを体験してきたのかと想像する。
「(研究を)きょう1日がんばろう、
明日1日がんばろうと思っていたら、
5年たってしまった。」という彼女の言葉に、
私は思わず、苦しさに耐える気持ちは私も同じだったと、
過去の自分の記事を思い出した。
「脳脊髄液減少症の実際の患者に向き合っている先生方も、
患者や医師に批判されたりする、こんな得にもならないめんどうくさい脳脊髄液減少症患者の治療はごめんだ、もうやめよう、と思うかもしれないけど、
がんばって取り組み続けてほしい」と思った。
いつか必ず、先生方の臨床例の積み重ねは、世界の医療に大きな貢献を残すと思うから。
同時に、患者の症状のつらさは、一分一秒ですら耐えがたいものもあるのは、
私は充分わかっているけど、
でも、患者も症状のつらさにまけないで、
私がこのブログをはじめて、最初に書いた文章のように、
今日いちにちだけ、明日一日だけ生きようと思って、生き続けてほしいと思っている。
いつか必ず、
よりよい治療法が出てくると信じて。
過去記事:2006年8月6日 ブログをはじめたわけ