脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

復興支援ソングは、私たち闘う患者応援ソングでもある。

2012年07月07日 | 小さな幸せ

今日は七夕なんですね。

こちらは曇っていて、天の川見えそうにありません。

 

さて、早起きは3文の得です。

回復するには、

薬や医師にばかりたよらないで、患者がやるべきことがあるって、先日書きましたが、

規則正しい生活は、私が実践してきたひとつ。

 

髄液漏れの起きられない症状があるからって、

いつまでも寝ている人はいませんか?

私は座っている姿勢が長く維持できないほど症状が重い時でも、1回は普通の朝の時間に5時半とか、6時半には起きましたよ。

それを、闘病中ずっと続けてきました。

どんなに症状がつらくて朝起きられなくても、そこが患者の根性の見せどころです。

がんばって、決まった朝の時間に一度は起きて、トイレいって、外の朝の空気すって、光浴びて、

何でも口に入るもの飲んで食べて、それからまた横になればいいんです。

これ、人間の生態リズムを維持し、脳機能を回復するうえで大事ですよ。

 

さて、早起きしてここ見て下さっている方だけにおしらせ。

本日、これから約4時間後、

NHKで午前11時20分から放送される

復興支援ソング「花は咲く」のフルバージョンぜひ、聞いてください。

復興支援ソングは、私たち「闘う患者支援ソング」でもありますから。

ぜひ聞いてください。

 

この曲は被災者に寄り添うために作られたようですが、

世間や医学界の無関心、無理解と闘う脳脊髄液減少症患者の私の

今までの深く傷ついた心もいやされ、励まされる歌詞、曲で、

この曲を聞くと、

悲しみの向こう側に、未来の人たちの笑顔が見えて、自分の人生は無駄ではなかったと、思えるようになってきて、

生き残って、こうして伝えられたことが、少しだけ幸せな気持ちになります。

 

今まで誰にも病として認められず、亡くなっていったであろう、過去の患者さんたちや、

亡くなった原田先生に、

「きっと脳脊髄液減少症を普通の病と同じくらいに当たり前に助けてもらえるような

社会にするため、国にも医学界にも認めさせてみせる。見てて。」と

勇気がわく曲ですから・・・・・。

7月21日までの限定放送ですから、土曜日は明日も含めてあと3回しかありませんから。

以下NHKのサイトより転載

__________

  • 放送期間:2012年5月19日(土)~2012年7月21日(土)
  • 放送時間:総合/毎週土曜日/午前11:20~
  • 備考:以下の2地域については、別時間での放送になります。
    • ◆近畿地方 総合/毎週月曜日/午後4:50~
    • ◆中国地方 総合/毎週土曜日/午後0:40~

___________

このほかにもBSでも放送されます。

詳しくはこちらのページの放送予定をご覧ください。

 

作詞者の

岩井俊二さんが聞いた「被災した石巻の先輩が語ってくれた言葉」だという以下の話。

「僕らが聞ける話というのは生き残った人間たちの話で、

死んで行った人間たちの体験は聞くことができない

生き残った人たちですら、亡くなった人たちの苦しみや無念は想像するしかないのだと。」の言葉も

私たち患者と共通する思いであり、胸を打たれます。

 

私たち、脳脊髄液減少症患者にとっても、

たとえ、長く見逃され苦しみぬいてきた昔昔の交通事故被害者での脳脊髄液減少症患者の話であっても、

それは、生き残った幸運な人間たちの話ばかりで、

不幸にも脳脊髄液減少症によって殺されてしまった人たちの話は一切聞けないんです。

だから、

私たち幸運にも生き残った患者たちは、

亡くなった人たちの苦しみや無念を想像しながら、自らの体験を元に、

この病について語り続けなければいけないと思います。

 

最近の交通事故での脳脊髄液減少症患者さんが、マスコミに出て必死でお話してくれているのを見ると、

感謝の気持ちでいっぱいになりますが、

でも、何かたりないものもいつも感じます。

 

それは、自分たちの苦しみを訴えるだけで、

私たち、大昔の脳脊髄液減少症患者の苦しみを代弁してくれる言葉がほとんど見当たらないこと。

 

私たちのことまで、代弁して伝えてくれようとする気持ちが、

コメントから伝わってこないこと。

 

もし一言、想像力を働かせたコメントが加わって、それがマスコミによって放送されたら、

それを見た視聴者の頭の中にも、想像力が広がるのにと、いつも残念に思っています。

 

たとえば、こんな風に。

「私は、脳脊髄液減少症と診断されるまでに交通事故から数か月かかった。

その間、症状を訴えても、医師にも家族にもなかなかわかってもらえなくて本当につらかった。

時には、保険金めあての詐病まで疑われているのがわかり、悲しかった。

 

診断治療まで数か月の患者の私でさえ、こんなに精神的にも身体的にもつらいんだから、

私より、もっともっと正しい診断に至るまでに時間がかかった人たちはどんなにつらいことか。

今までにもたくさん全国で交通事故があったわけだから、

過去の交通事故被害者の中に、脳脊髄液減少症が見逃されて、今も苦しんでいる人がいるのではないか?

過去の交通事故被害者の中には、この診断治療に至れず、私のように、誰にも症状を信じてもらえなかった人たちが大勢いるのではないか?

私は幸運に早期に、脳脊髄液減少症という病名にも、専門医にも、たどりつけた。

家族にも支えられ、自費の治療もうけられた。

日常生活も家族に支えられている。

でももし、あのまま何年も見過ごされ続け、誰にも気づかれず、正しい診断治療ができる医師の存在も知らず、家族にも誰にも病人として認めてもらえず、

助けてもらえなかったら、自分はどうなっていたか?

自費の治療を受けることが経済的にできなかったら、・・・・自分はどうなっていたか?

この病が、普通の病気やけがのように、日本中の医師に認知され、数々の症状の特徴が理解され、いつ誰に起こっても、早期に医師により気付いてもらえる日がきてほしい。」

 

という、想像力を働かせたコメント、見る人に問題提起や気付きを与えるコメントがあったなら、

身近なこととしてとらえる人たちが増えると思うのです。

 

もし、マスコミで脳脊髄液減少症のことを訴えて伝えてくれる患者さんたちが、

自分のことだけではなく、

自分の体験を元に、想像力を膨らませて、ひとこと、

過去の交通事故被害者のことまで考えてコメントすることができたら、

そのコメントにより、

この病について何も知らない人たちの想像力も広げてくれると思うのですが。

 

マスコミ報道を見る人たちが「あら、あの患者さん気の毒ね」で終わらず、

自分の身近なこととして、もっともっと想像力がおよび、

この病が見逃されることの恐ろしさ、ことの重大さに

気付くきっかけとなるかもしれませんから。

 

普段は自分の苦しみと向き合うので精いっぱいで、

過去の患者のことや、亡くなった患者のことなんて、想像力が働かないかもしれません。

でも、過去に確かにいたはずです。

誰にも理解されず、誰にも症状の原因を突き止めてもらえず、誰にも相手にされず、治療もされないまま、

症状に苦しんで苦しんで、周りから責められながら必死で生きようとし、孤独の中で、

自死を選んでしまったり、高次脳機能障害や症状に殺されて命つきていった人たちが・・・。

働けなくなり、解雇され、頼れる家族もなく、衰弱して孤独死していった人たちが・・・。

 

私には想像できます。

だから、何度もその思いをこのブログで書いている。

 

脳脊髄液減少症に関しても、過去に見逃され、亡くなっていった人たちのことを想像しながら、

私たち生きている患者たちは、この脳脊髄液減少症という病の残酷さ、理解されないその特徴を、

語り続けていかなければならないと思います。

 

いつかきっと、わかってもらえる。

いつかきっと・・・・。

 

患者自らも想像力を働かせ、

考えながら、語り続け、世間に伝え続けていきましょう。

この「復興支援ソング=闘う脳脊髄液減少症患者支援ソング」を口ずさみながら・・・。

作者の岩井さんが「想像力を膨らませて、亡くなった方の思いと、被災地に生き残った人たちの思いも組みいれて書いて下さった以下の歌詞」

 「かなえたい夢もあった、変わりたい自分もいた。」

「傷ついて傷つけて、報われず泣いたりして」

「誰かの歌が聞こえる

誰かを励ましてる

誰かの笑顔が見える

悲しみの向こう側に

 

誰かの想いが見える

誰かと結ばれてる

誰かの未来が見える

悲しみの向こう側に」

 

この歌詞のように、私は長く脳脊髄液減少症が見逃され、

誤解され、信じてもらえず、心は孤独で、悲しみと苦しみの人生だったけれども、その向こう側に

「いつか生まれる君のために」、この社会、よい方向へ導かねばと使命感を感じています。

 

「私は何を残しただろう・・・・」

生き残ったものとして、脳脊髄液減少症のことを訴え続け、

未来に生まれてくる人たちのために、何かを残したいと思います。

 

コメント
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