本日6月21日は
「がん支えあいの日」だそうです。
昨日20日は日本財団の助成事業で
乳がんで闘病中の山田邦子さんが参加しての記念イベントも、
東京で行われたようです。
がん支えあいの日ということで、
5月に書きかけてあった以下の記事の存在を思い出しましたので
少しだけ抜粋します。
『5月12日のNHKの朝のニュースで
脳外科医のオーケストラが、
脳腫瘍の子供たちのために、チャリティーコンサートを開いた」とのニュースを見ました。
また、
朝日新聞社の週刊朝日増刊号「新 名医の最新治療」という本も
「本誌は収益の一部を日本の対がん活動のために寄付します。」と書いてあるのも新聞広告で見つけました。
TBSは局をあげて、「余命1ヶ月の花嫁」を通して
乳がんの早期発見早期治療を呼びかけてくれているようです。
こういうニュースを知るたび、
「がん撲滅キャンペーン」を知るたび、
こんなにも世界中の社会の理解と支援を得られている、
こんなにも、世界中の医師や研究者が、
がん撲滅のために、病の研究や新薬の研究に、競って、真剣に取組んでくれている
「がん患者さんたちがうらやましい」と
私はついつい思ってしまうのです。』
以下ダラダラといつものようにまとまらない文章が続くのですが、
本日はここまでにしておきます。
ただ、こんな本音を書くと、
「がん患者さんがうらやましい」という言葉じりだけをとりあげて、
「がん患者でもないくせに、がん患者さんの痛みも抗がん剤の苦しみも、
命を落としていくつらさも知らないくせに、なんという浅はかで失礼なことをいう。」と、
お叱りをうけるであろうことがわかっていましたので、
記事はUPしないままでした。
でも、本日の「がん支えあいの日」に、
勇気を出して、
私の思いを少しずつでもお伝えしたいと思います。
私自身、
健康で、幸せで、人生が順調な人から、
「脳脊髄液減少症患者さんは、死なない病で,
不定愁訴程度のたいしたこともない症状で、働かないで家にいてうらやましい。」
などと思われたら、
「この病の苦しみも知らないくせに」と頭にくると思います。
でも、相手が何らかの病を抱えた患者さんで
「そういう思いに至るまでの患者の心理過程」をきちんと説明してもらえれば、
その人がそう思う気持ちが、理解できるかもしれません。
だから、「他の病をうらやましい」、という発想や発言が
その病の当事者の患者さんたちを不快にさせてしまう危険性は
充分わかっていますが、
あえて、
そういう感情を持ってしまうに至るまでの、
脳脊髄液減少症患者の心理過程について、
今後少しずつ、
休み休みでも書いていきたいと思っています。
そうでなければ、
私のような脳脊髄液減少症患者の「他の病がうらやましい」心理は、
いつまでたっても世間に理解されないで、誤解されたままで、
ただ、その人個人の考え方のゆがみや、
人格を問われ、馬鹿にされ、非難され、責められて
おしまいになりますから・・・。
なぜ、他の深刻な病の患者さんたちの苦しみも経験したこともないくせに、
知りもしないくせに、
「うらやましい」なんてことを考えてしまうのか?
なぜ、深刻な病を抱えて心身ともに苦しんでおられる、
他の病名の患者さんまでうらやましいという感情を持ってしまうのか?
なぜ、医療に最善を尽くされて亡くなられていく患者さんですら、
「うらやましい」と感じてしまうような、
病んだ精神状態にまで至ってしまうのか?
少しずつでも説明しないことには
過去から現在まで生き延びた脳脊髄液減少症患者の,
そういった心理過程を言葉にすることが「タブー視され」、
誰も口をつぐみ、永遠に闇に葬られてしまえば、
今後の脳脊髄液減少症患者の、
「心のケア」にも生かせないと思うからです。
「誰にも理解されない、助けてもらえない、
苦しい症状を感じてしまう、この自分や肉体を早く脱ぎ捨ててしまいたい。」
「早く死んで楽になりたい。」
「死によって、病の苦しみから解放される人がうらやましい。」
「自覚症状が出る前に検診で、病を指摘してもらえる患者さんがうらやましい。」
「症状を訴えてすぐ病名がつく患者さんがうらやましい。」
「健康保険での検査や治療が用意されている病の患者さんがうらやましい。」
「充分な入院での療養も用意されている患者さんがうらやましい。」
「有効な対症療法や、緩和ケアが用意されている病がうらやましい。」
「症状を訴えて、すぐさま、検査でその症状を裏付ける検査結果がでて、
症状を医師に、ウソではなく、
思い過ごしでもなく、気のせいでもないと信じてもらえ、
晴れて病人とすぐ認めてもらえ、対応してもらえる患者さんがうらやましい。」
と、考えるようになってしまうまでの、
脳脊髄液減少症患者の追い詰められた心の過程を、
どうかお怒りにならずに、
なぜ、患者がそんな気持ちに至ってしまうのかを、
少しだけこの機会に、立ち止まって、
一緒に、静かに考えていただけませんか?。
交通事故、転倒転落などで、誰にでも明日にでも
なってしまう可能性のある脳脊髄液減少症は、
放置すれば深刻な事態になり、
早期発見、早期治療が大切だという点では
がんと同等の病だと私は常々思っています。
がんと同様、誰にでも起こりうる、
決して他人ごとではない病です。
がんと同じく、
多くの人の理解と支援が必要なのです。
それなのに、
脳脊髄液減少症患者たちはまだまだ孤立無援の状態なのです。
それどころか、脳脊髄液減少症という、
見た目ではわからない苦しい症状を抱えているのに、
病人とさえ認められず、
周囲から非難され、責められていたりするのです。
病人なのに、心身の苦痛にひたすら耐え、
健康な人と同じ仕事や家事を周囲に求められながら、
周囲には健康な人と同様に、こなすことを求められ、
叱咤激励されながら、生きているのです。
充分な入院期間も、健康保険適用の治療も、リハビリもなく、
ひたすら、野生動物の怪我が癒えるのを待つように孤独に耐え続けているのです。
まだ脳脊髄液減少症という病名にさえ、気づけず、
まるで無人島で、
患者ひとりで病と闘っているかのような、
そんな孤独な気持ちに陥っている人たちも、
今も数多く潜在しているはずです。
近い将来、
脳脊髄液減少症 支えあいの日、
脳脊髄液減少症 撲滅キャラバン、
脳脊髄液減少症 早期発見キャンペーン、
脳脊髄液減少症患者のためのチャリティコンサート
そして、日本脳脊髄液減少症学会ができて、学術総会
なども、
あたりまえに各地で開催され、
数多くの人たちと企業の理解と支援が得られるような社会が
必ず来てほしいと願っています。
おまけ・・・・
NPO法人 キャンサーリボンズ
がんに限らず、脳脊髄液減少症だって、
誰もが支える側にも支えられる側にもなる病であることを知ってほしいです。
脳脊髄液減少症が誰にでも起こりうるありふれた不定愁訴に隠れている病だということがまだまだ世間に知られていないだけです。
日本対がん協会
日本がん看護学会
日本脳脊髄液減少症看護学会なんてできるといいなぁ・・・・
無理か?
がん性疼痛緩和推進コンソーシアム
脳脊髄液減少症性の疼痛の緩和ケアにもどなたか真剣に取組んでくださいませんかねぇ・・・ひどくなるとがん患者さんの痛みとひけをとらないと思うのですが、・・・・ダメですかねぇ・・・
日本緩和医療学会
脳脊髄液減少症という病の緩和ケアの必要性は視野に入ってますか?
日本癌学会
ブルークローバーキャンペーン
第17回日本乳癌学会学術総会
脳脊髄液減少症は老若男女の誰にでも起こりうる病です。
早期発見、適切治療大切なのは、脳脊髄液減少症でも同じです。
朝日さん、脳脊髄液減少症患者の「早期発見・適切治療」の大切さも伝えてはくれないのですか?
「患者を生きる読者編」でも取り上げられないところをみると、
脳脊髄液減少症患者は無視ですか?
どんな過酷な病であっても、命に限りがある病であっても、
周囲や医療のあたたかい理解と支援があれば、
最後までその人らしく、おだやかに生を全うすることができると思います。
脳脊髄液減少症患者が、
孤独と、無理解な社会への悲しみと、絶望の中で、
ひとり亡くなっていくことがないように、
症状の苦しみを軽視されて、誰にも理解されないまま、
病の症状で思うように動かない体や頭を
病のせいだと理解されず、「ダメなやつ」と
誤解されながら、
周囲に、責められながら叱られ、
「他の社会に認知されている病がうらやましい」と思うほどに、
悲しい思いで毎日を過ごしている脳脊髄液減少症患者さんを
もうこれ以上出すことがないように、
脳脊髄液減少症という病の理解と、
長期戦の闘病中の、患者の緩和ケアなどによる、QOL(人生の質)の向上にも
一刻も早く、社会の皆様の、
ご理解とご支援をいただけたらと思います。
Drのブログ記事
「がん支えあいの日」だそうです。
昨日20日は日本財団の助成事業で
乳がんで闘病中の山田邦子さんが参加しての記念イベントも、
東京で行われたようです。
がん支えあいの日ということで、
5月に書きかけてあった以下の記事の存在を思い出しましたので
少しだけ抜粋します。
『5月12日のNHKの朝のニュースで
脳外科医のオーケストラが、
脳腫瘍の子供たちのために、チャリティーコンサートを開いた」とのニュースを見ました。
また、
朝日新聞社の週刊朝日増刊号「新 名医の最新治療」という本も
「本誌は収益の一部を日本の対がん活動のために寄付します。」と書いてあるのも新聞広告で見つけました。
TBSは局をあげて、「余命1ヶ月の花嫁」を通して
乳がんの早期発見早期治療を呼びかけてくれているようです。
こういうニュースを知るたび、
「がん撲滅キャンペーン」を知るたび、
こんなにも世界中の社会の理解と支援を得られている、
こんなにも、世界中の医師や研究者が、
がん撲滅のために、病の研究や新薬の研究に、競って、真剣に取組んでくれている
「がん患者さんたちがうらやましい」と
私はついつい思ってしまうのです。』
以下ダラダラといつものようにまとまらない文章が続くのですが、
本日はここまでにしておきます。
ただ、こんな本音を書くと、
「がん患者さんがうらやましい」という言葉じりだけをとりあげて、
「がん患者でもないくせに、がん患者さんの痛みも抗がん剤の苦しみも、
命を落としていくつらさも知らないくせに、なんという浅はかで失礼なことをいう。」と、
お叱りをうけるであろうことがわかっていましたので、
記事はUPしないままでした。
でも、本日の「がん支えあいの日」に、
勇気を出して、
私の思いを少しずつでもお伝えしたいと思います。
私自身、
健康で、幸せで、人生が順調な人から、
「脳脊髄液減少症患者さんは、死なない病で,
不定愁訴程度のたいしたこともない症状で、働かないで家にいてうらやましい。」
などと思われたら、
「この病の苦しみも知らないくせに」と頭にくると思います。
でも、相手が何らかの病を抱えた患者さんで
「そういう思いに至るまでの患者の心理過程」をきちんと説明してもらえれば、
その人がそう思う気持ちが、理解できるかもしれません。
だから、「他の病をうらやましい」、という発想や発言が
その病の当事者の患者さんたちを不快にさせてしまう危険性は
充分わかっていますが、
あえて、
そういう感情を持ってしまうに至るまでの、
脳脊髄液減少症患者の心理過程について、
今後少しずつ、
休み休みでも書いていきたいと思っています。
そうでなければ、
私のような脳脊髄液減少症患者の「他の病がうらやましい」心理は、
いつまでたっても世間に理解されないで、誤解されたままで、
ただ、その人個人の考え方のゆがみや、
人格を問われ、馬鹿にされ、非難され、責められて
おしまいになりますから・・・。
なぜ、他の深刻な病の患者さんたちの苦しみも経験したこともないくせに、
知りもしないくせに、
「うらやましい」なんてことを考えてしまうのか?
なぜ、深刻な病を抱えて心身ともに苦しんでおられる、
他の病名の患者さんまでうらやましいという感情を持ってしまうのか?
なぜ、医療に最善を尽くされて亡くなられていく患者さんですら、
「うらやましい」と感じてしまうような、
病んだ精神状態にまで至ってしまうのか?
少しずつでも説明しないことには
過去から現在まで生き延びた脳脊髄液減少症患者の,
そういった心理過程を言葉にすることが「タブー視され」、
誰も口をつぐみ、永遠に闇に葬られてしまえば、
今後の脳脊髄液減少症患者の、
「心のケア」にも生かせないと思うからです。
「誰にも理解されない、助けてもらえない、
苦しい症状を感じてしまう、この自分や肉体を早く脱ぎ捨ててしまいたい。」
「早く死んで楽になりたい。」
「死によって、病の苦しみから解放される人がうらやましい。」
「自覚症状が出る前に検診で、病を指摘してもらえる患者さんがうらやましい。」
「症状を訴えてすぐ病名がつく患者さんがうらやましい。」
「健康保険での検査や治療が用意されている病の患者さんがうらやましい。」
「充分な入院での療養も用意されている患者さんがうらやましい。」
「有効な対症療法や、緩和ケアが用意されている病がうらやましい。」
「症状を訴えて、すぐさま、検査でその症状を裏付ける検査結果がでて、
症状を医師に、ウソではなく、
思い過ごしでもなく、気のせいでもないと信じてもらえ、
晴れて病人とすぐ認めてもらえ、対応してもらえる患者さんがうらやましい。」
と、考えるようになってしまうまでの、
脳脊髄液減少症患者の追い詰められた心の過程を、
どうかお怒りにならずに、
なぜ、患者がそんな気持ちに至ってしまうのかを、
少しだけこの機会に、立ち止まって、
一緒に、静かに考えていただけませんか?。
交通事故、転倒転落などで、誰にでも明日にでも
なってしまう可能性のある脳脊髄液減少症は、
放置すれば深刻な事態になり、
早期発見、早期治療が大切だという点では
がんと同等の病だと私は常々思っています。
がんと同様、誰にでも起こりうる、
決して他人ごとではない病です。
がんと同じく、
多くの人の理解と支援が必要なのです。
それなのに、
脳脊髄液減少症患者たちはまだまだ孤立無援の状態なのです。
それどころか、脳脊髄液減少症という、
見た目ではわからない苦しい症状を抱えているのに、
病人とさえ認められず、
周囲から非難され、責められていたりするのです。
病人なのに、心身の苦痛にひたすら耐え、
健康な人と同じ仕事や家事を周囲に求められながら、
周囲には健康な人と同様に、こなすことを求められ、
叱咤激励されながら、生きているのです。
充分な入院期間も、健康保険適用の治療も、リハビリもなく、
ひたすら、野生動物の怪我が癒えるのを待つように孤独に耐え続けているのです。
まだ脳脊髄液減少症という病名にさえ、気づけず、
まるで無人島で、
患者ひとりで病と闘っているかのような、
そんな孤独な気持ちに陥っている人たちも、
今も数多く潜在しているはずです。
近い将来、
脳脊髄液減少症 支えあいの日、
脳脊髄液減少症 撲滅キャラバン、
脳脊髄液減少症 早期発見キャンペーン、
脳脊髄液減少症患者のためのチャリティコンサート
そして、日本脳脊髄液減少症学会ができて、学術総会
なども、
あたりまえに各地で開催され、
数多くの人たちと企業の理解と支援が得られるような社会が
必ず来てほしいと願っています。
おまけ・・・・
NPO法人 キャンサーリボンズ
がんに限らず、脳脊髄液減少症だって、
誰もが支える側にも支えられる側にもなる病であることを知ってほしいです。
脳脊髄液減少症が誰にでも起こりうるありふれた不定愁訴に隠れている病だということがまだまだ世間に知られていないだけです。
日本対がん協会
日本がん看護学会
日本脳脊髄液減少症看護学会なんてできるといいなぁ・・・・
無理か?
がん性疼痛緩和推進コンソーシアム
脳脊髄液減少症性の疼痛の緩和ケアにもどなたか真剣に取組んでくださいませんかねぇ・・・ひどくなるとがん患者さんの痛みとひけをとらないと思うのですが、・・・・ダメですかねぇ・・・
日本緩和医療学会
脳脊髄液減少症という病の緩和ケアの必要性は視野に入ってますか?
日本癌学会
ブルークローバーキャンペーン
第17回日本乳癌学会学術総会
脳脊髄液減少症は老若男女の誰にでも起こりうる病です。
早期発見、適切治療大切なのは、脳脊髄液減少症でも同じです。
朝日さん、脳脊髄液減少症患者の「早期発見・適切治療」の大切さも伝えてはくれないのですか?
「患者を生きる読者編」でも取り上げられないところをみると、
脳脊髄液減少症患者は無視ですか?
どんな過酷な病であっても、命に限りがある病であっても、
周囲や医療のあたたかい理解と支援があれば、
最後までその人らしく、おだやかに生を全うすることができると思います。
脳脊髄液減少症患者が、
孤独と、無理解な社会への悲しみと、絶望の中で、
ひとり亡くなっていくことがないように、
症状の苦しみを軽視されて、誰にも理解されないまま、
病の症状で思うように動かない体や頭を
病のせいだと理解されず、「ダメなやつ」と
誤解されながら、
周囲に、責められながら叱られ、
「他の社会に認知されている病がうらやましい」と思うほどに、
悲しい思いで毎日を過ごしている脳脊髄液減少症患者さんを
もうこれ以上出すことがないように、
脳脊髄液減少症という病の理解と、
長期戦の闘病中の、患者の緩和ケアなどによる、QOL(人生の質)の向上にも
一刻も早く、社会の皆様の、
ご理解とご支援をいただけたらと思います。
Drのブログ記事