先週月曜の1月12日からはじまった、
月曜9時のドラマを、めずらしく、先週最後まで見ました。
そのドラマとは、
ヴォイス~「命なき者の声」~
僕達は 失われた命を救う医学と出会った。
今日、第2回が放送されます。
先週は見ようと思ってみたのではなく、たまたま見ただけですが、
このドラマは何かいつもと違って、惹かれるものを感じ、
つい最後まで見てしまいました。
おまけに、今日も見たいと思っています。
今回のこのドラマ「ヴォイス」の第1回を最後までみてしまったわけは、
今までの医療ものテレビドラマや医療ドキュメンタリーでは、
脳外科医や、心臓外科医の、
人の命を、迅速に確実に華麗な手術で救うことが脚光
を浴び、いつもカッコよく紹介され、
そうでない地味な分野の医師にはあまり光が当たってこなかったような現実に
個人的に不満を持っていたせいかもしれません。
そんな私にとって、
地味な法医学がテーマのドラマが、新鮮だったからかもしれません。
また、自分の経験から、
突然死した方の中に、「脳脊髄液漏れ」が直接の死因の人や、
脳脊髄液減少症とわからないまま、
この病の、高次脳機能障害や、手足の急な脱力や
意識喪失などの症状が原因で
二次的に事故死した人がいるに違いない、と常々私が考えていたせいかもしれません。
昨年の17歳の力士の暴行死が
最初「病死」とされた事件といい、
最近の、母親による最近混入水の注入という、新しい小児虐待で、
すでに複数の子が死なされている事実が浮かびあがってきた事件といい、
私は、不審死や突然死を遂げた人の死因を、
丁寧に検証して、解剖できちんと真実を解き明かしてくれることに情熱を傾けてくれる解剖医が、もっと増えてほしいとかねてから願っています。
長年脳脊髄液減少症を見逃され続け苦しみ続けた私は、
生きた人の病因を正しく診断することも大事だけれども、
亡くなった人の死因を、正しく判断することだって、同じくらい大切だと思っています。
患者が人として、
正しい診断と正しい治療をして、病気を治し、
人の命を救ってもらう権利と同じくらい、
死者には、「正しい死因を判断してもらう権利」と、
遺族には「正しい死因を知る権利」があるように、私は思います。
「法医学」という、とても地味な分野だけれでも、
今とても必要とされている、
そして、人の最後を「診断」するという
とても重要なテーマを取り上げているドラマだと思います。
今までも、法医学シーンがあるドラマは「科捜研の女」などあるにはあったと思うのですが、私はちらっと見たこともあるのですが、ドラマにつかまってしまうほど、引き込まれた経験はありませんでした。
今回の「ヴォイス」と今までの「法医学」ドラマとの違いは、
主人公たちが単に「法医学」に興味や情熱や使命をもった人間というだけではなく、
過去に法医学に救われたり、
法医学に救われることがなく無念の思いをしたりと、身をもって法医学の重要性を感じている「当事者」の若者たちが登場している点だと思います。
つまり、法医学という医学をもって、ただ、
医師が職業人として第3者の視点で死者をとらえて、死因を解明していこうとするのではなく、
医師の卵の若者たちが、未熟ながらも、
「過去に当事者でもあった自分の思い」を「死者の思い」に重ねて、
命の消えたなきがらである死者の視点で、
思いをたどるように真実を明らかにしていくような人間味が
私をひきつけたのだと思います。
自分のことのよう死者や遺族と向かい合う登場人物たちに
惹かれたのだと思います。
自分のことのように、生きた患者と向き合ってくれる医師も、
増えてほしいと思います。
命があってもなくても、人間は「モノ」じゃないですから。
その分野の重要性を過去に身をもって知り、志して学ぶものと
そうでないものとは、
職業人となった時の意識に大きな差がでるように思います。
怪我も重い病気もしたことも、
診断のつきにくい病気になったこともなく、
交通事故にもあわず、脳脊髄液減少症で長く理不尽な思いをしたこともなく、
健康に恵まれ、医大に合格し、
何の苦労もなく、医師になり、ストレートな人生を生きてきて、
挫折も困難の経験も少なく、
興味のおもむくまま専門医になって、たまたま
脳脊髄液減少症の治療や研究に携わるようになった医師と、
自身が過去に、脳脊髄液減少症などの診断されにくい病になったり、
症状の苦しみを理解されない病や怪我を負った経験があり、
医療に相手にされないことでの医療の限界と冷酷さを体験したり、
社会にも家族にも、
症状の苦しみが理解されないことでも孤独感にさいなまれたり、
生活も仕事も、日常が奪われるほどの症状を抱えてもなお、異常なしと言われ続けたり、
得たいのしれない、恐ろしい出たり消えたりする症状の数々と、
病気と認められない、理解されず、何の根本的医療支援も受けられない絶望感と、
仕事も、学ぶことも、日常生活も、すべてが今までのように行かなくなって精神的にも経済的にも追い詰められる過酷さなどを、
身をもって体験して知っている医師、とは
同じ脳脊髄液減少症治療医であっても、
患者の精神的身体的苦しみの理解度、共感度が大きく違うと思います。
もちろん、現実には
理解されない病気経験のある人や、怪我で長く苦しんだ人や、
法医学の重要性を身をもって経験した人ばかりが、
医師になっているわけではありませんから、そんな医師はほとんどいないと思います。
でも、今回のドラマの第1回を見ながら、
「その分野の重要性を身をもって体験して学んで知った人間が、
その分野の専門家になるのが理想的」と
そんな事をつい考えてしまいました。
法医学という、地味な医学。
華麗なメスさばきで人の命を救うことで、脚光をあびることもない、法医学。
助かった患者自身からも家族からも感謝され、
その医療技術が社会からも医学界からも賞賛されることもない、法医学。
でも、死者の声なき声を聞きとり、真実を読み解くことのできる、
選ばれし人の、技術と判断を要する医学である、法医学。
このドラマの
「命なき者を救う医学」という言葉は
まさにピッタリの言葉だと思います。
こういうドラマを見て、この「法医学」という分野の重要性に気づき、
興味を持って志してくださる医学生が増えてほしいと願っています。
単に人体への興味だけではなく、確実に生きて死んでいった
死者の人生に思いをはせ、
その人の人生をいとおしむ気持ちをもった人に
解剖医を目指してほしいと思います。
実は殺されたのに、自殺や事故死や病死にされたり、
その逆で、病死なのに殺されたと間違って判断されて、
周囲をトラブルに巻き込んだりと、
現実の「死因」と違う「死因」とつけられたまま、
「事実」を解き明かされないまま、
あの世に葬りさられ、無念の思いをする死者や、遺族が
今後は少しでも減ることを願っています。
事実が早い段階で解き明かされる事で、
同じ様な事故や事件が無防備に繰り返えされることを防ぐ意味でも、
もっと法医学を学び、解剖で死者や遺族を救おうとする医師も増えてほしいと思います。
最近は「死後画像診断」など、
死者の真実の死因をCTなどで検査することも一部で始められたようですが、
死者や遺族が「真実の死因」を知る権利と、
死してなお、死んだ人も遺族も
せめて「真実を知ることで救われる医学」が、
せめて、「命を失ってしまった人の思いを、受け取る医学」が
もっとあたりまえになる日が、早くきてほしいと思います。
生きた人間を扱う、華やかで脚光を浴びる医学と
死んだ人間を扱う、地味だけれども、亡くなった人を救う医学。
命の消えた死者に向き合い、死者の声を聞き、真実を解き明かす医師もいれば、
社会や医療界の無理解や批判にさらされながら、
それでも患者を救おうとして、脳脊髄液減少症患者の苦しみと地道に向き合い、治そうと日々努力してくれている脳脊髄液減少症の治療医もいるのです。
かっこよく描かれた医師ドラマにあこがれて、医師になった人ばかりなら、
仕事内容がカッコよくて、華麗な、そんな医師の仕事にばかり、
希望者が集中してしまうような気がします。
地味で、めだたない、そんな医師の仕事にもスポットあてたドラマで、
地味だけれども、必要で重要な医学の分野に気づき
法医学も、
脳脊髄液減少症の治療も、目指してくれる若者や、医学生や医師が増えてくれることを願いながら、
今夜も見てみようと思います。
ドラマの中で
若い医学生に向けて
「これからの法医学にはイマジネーションが必要だ。」と、
時任三郎演じる法医学の教授が言いましたが、
同じように、一般の医師の、
ありふれた症状の生きた患者の診断にも、
「イマジネーションが必要だ。」と私は思います。
医学の常識にとらわれ、
教科書的な知識にとらわれ、イマジネーションのない医師には
脳脊髄液減少症の早期発見は難しいと思います。
医師にイマジネーションがなければ、
死者の「本当の死因」を見抜くことも、
生きた患者の症状の「本当の病因」を突き止めることも、難しいのは
同じだと思います。
「ヴォイス~命なき者の声~」このドラマの今後の展開に期待したいと思います。
このドラマに関する朝日新聞記事は
本日のテレビ欄と、
昨日の日曜版のbe週間TVナビ「番組レシピ」にも詳しく書いてありますが、
やはり記者の番組紹介記事は、
患者の私の視点とは全く違って感じました。
死後画像診断(AI)についての記事はこちら
月曜9時のドラマを、めずらしく、先週最後まで見ました。
そのドラマとは、
ヴォイス~「命なき者の声」~
僕達は 失われた命を救う医学と出会った。
今日、第2回が放送されます。
先週は見ようと思ってみたのではなく、たまたま見ただけですが、
このドラマは何かいつもと違って、惹かれるものを感じ、
つい最後まで見てしまいました。
おまけに、今日も見たいと思っています。
今回のこのドラマ「ヴォイス」の第1回を最後までみてしまったわけは、
今までの医療ものテレビドラマや医療ドキュメンタリーでは、
脳外科医や、心臓外科医の、
人の命を、迅速に確実に華麗な手術で救うことが脚光

そうでない地味な分野の医師にはあまり光が当たってこなかったような現実に
個人的に不満を持っていたせいかもしれません。
そんな私にとって、
地味な法医学がテーマのドラマが、新鮮だったからかもしれません。
また、自分の経験から、
突然死した方の中に、「脳脊髄液漏れ」が直接の死因の人や、
脳脊髄液減少症とわからないまま、
この病の、高次脳機能障害や、手足の急な脱力や
意識喪失などの症状が原因で
二次的に事故死した人がいるに違いない、と常々私が考えていたせいかもしれません。
昨年の17歳の力士の暴行死が
最初「病死」とされた事件といい、
最近の、母親による最近混入水の注入という、新しい小児虐待で、
すでに複数の子が死なされている事実が浮かびあがってきた事件といい、
私は、不審死や突然死を遂げた人の死因を、
丁寧に検証して、解剖できちんと真実を解き明かしてくれることに情熱を傾けてくれる解剖医が、もっと増えてほしいとかねてから願っています。
長年脳脊髄液減少症を見逃され続け苦しみ続けた私は、
生きた人の病因を正しく診断することも大事だけれども、
亡くなった人の死因を、正しく判断することだって、同じくらい大切だと思っています。
患者が人として、
正しい診断と正しい治療をして、病気を治し、
人の命を救ってもらう権利と同じくらい、
死者には、「正しい死因を判断してもらう権利」と、
遺族には「正しい死因を知る権利」があるように、私は思います。
「法医学」という、とても地味な分野だけれでも、
今とても必要とされている、
そして、人の最後を「診断」するという
とても重要なテーマを取り上げているドラマだと思います。
今までも、法医学シーンがあるドラマは「科捜研の女」などあるにはあったと思うのですが、私はちらっと見たこともあるのですが、ドラマにつかまってしまうほど、引き込まれた経験はありませんでした。
今回の「ヴォイス」と今までの「法医学」ドラマとの違いは、
主人公たちが単に「法医学」に興味や情熱や使命をもった人間というだけではなく、
過去に法医学に救われたり、
法医学に救われることがなく無念の思いをしたりと、身をもって法医学の重要性を感じている「当事者」の若者たちが登場している点だと思います。
つまり、法医学という医学をもって、ただ、
医師が職業人として第3者の視点で死者をとらえて、死因を解明していこうとするのではなく、
医師の卵の若者たちが、未熟ながらも、
「過去に当事者でもあった自分の思い」を「死者の思い」に重ねて、
命の消えたなきがらである死者の視点で、
思いをたどるように真実を明らかにしていくような人間味が
私をひきつけたのだと思います。
自分のことのよう死者や遺族と向かい合う登場人物たちに
惹かれたのだと思います。
自分のことのように、生きた患者と向き合ってくれる医師も、
増えてほしいと思います。
命があってもなくても、人間は「モノ」じゃないですから。
その分野の重要性を過去に身をもって知り、志して学ぶものと
そうでないものとは、
職業人となった時の意識に大きな差がでるように思います。
怪我も重い病気もしたことも、
診断のつきにくい病気になったこともなく、
交通事故にもあわず、脳脊髄液減少症で長く理不尽な思いをしたこともなく、
健康に恵まれ、医大に合格し、
何の苦労もなく、医師になり、ストレートな人生を生きてきて、
挫折も困難の経験も少なく、
興味のおもむくまま専門医になって、たまたま
脳脊髄液減少症の治療や研究に携わるようになった医師と、
自身が過去に、脳脊髄液減少症などの診断されにくい病になったり、
症状の苦しみを理解されない病や怪我を負った経験があり、
医療に相手にされないことでの医療の限界と冷酷さを体験したり、
社会にも家族にも、
症状の苦しみが理解されないことでも孤独感にさいなまれたり、
生活も仕事も、日常が奪われるほどの症状を抱えてもなお、異常なしと言われ続けたり、
得たいのしれない、恐ろしい出たり消えたりする症状の数々と、
病気と認められない、理解されず、何の根本的医療支援も受けられない絶望感と、
仕事も、学ぶことも、日常生活も、すべてが今までのように行かなくなって精神的にも経済的にも追い詰められる過酷さなどを、
身をもって体験して知っている医師、とは
同じ脳脊髄液減少症治療医であっても、
患者の精神的身体的苦しみの理解度、共感度が大きく違うと思います。
もちろん、現実には
理解されない病気経験のある人や、怪我で長く苦しんだ人や、
法医学の重要性を身をもって経験した人ばかりが、
医師になっているわけではありませんから、そんな医師はほとんどいないと思います。
でも、今回のドラマの第1回を見ながら、
「その分野の重要性を身をもって体験して学んで知った人間が、
その分野の専門家になるのが理想的」と
そんな事をつい考えてしまいました。
法医学という、地味な医学。
華麗なメスさばきで人の命を救うことで、脚光をあびることもない、法医学。
助かった患者自身からも家族からも感謝され、
その医療技術が社会からも医学界からも賞賛されることもない、法医学。
でも、死者の声なき声を聞きとり、真実を読み解くことのできる、
選ばれし人の、技術と判断を要する医学である、法医学。
このドラマの
「命なき者を救う医学」という言葉は
まさにピッタリの言葉だと思います。
こういうドラマを見て、この「法医学」という分野の重要性に気づき、
興味を持って志してくださる医学生が増えてほしいと願っています。

単に人体への興味だけではなく、確実に生きて死んでいった
死者の人生に思いをはせ、
その人の人生をいとおしむ気持ちをもった人に
解剖医を目指してほしいと思います。
実は殺されたのに、自殺や事故死や病死にされたり、
その逆で、病死なのに殺されたと間違って判断されて、
周囲をトラブルに巻き込んだりと、
現実の「死因」と違う「死因」とつけられたまま、
「事実」を解き明かされないまま、
あの世に葬りさられ、無念の思いをする死者や、遺族が
今後は少しでも減ることを願っています。
事実が早い段階で解き明かされる事で、
同じ様な事故や事件が無防備に繰り返えされることを防ぐ意味でも、
もっと法医学を学び、解剖で死者や遺族を救おうとする医師も増えてほしいと思います。

最近は「死後画像診断」など、
死者の真実の死因をCTなどで検査することも一部で始められたようですが、
死者や遺族が「真実の死因」を知る権利と、
死してなお、死んだ人も遺族も
せめて「真実を知ることで救われる医学」が、
せめて、「命を失ってしまった人の思いを、受け取る医学」が
もっとあたりまえになる日が、早くきてほしいと思います。
生きた人間を扱う、華やかで脚光を浴びる医学と
死んだ人間を扱う、地味だけれども、亡くなった人を救う医学。
命の消えた死者に向き合い、死者の声を聞き、真実を解き明かす医師もいれば、
社会や医療界の無理解や批判にさらされながら、
それでも患者を救おうとして、脳脊髄液減少症患者の苦しみと地道に向き合い、治そうと日々努力してくれている脳脊髄液減少症の治療医もいるのです。
かっこよく描かれた医師ドラマにあこがれて、医師になった人ばかりなら、
仕事内容がカッコよくて、華麗な、そんな医師の仕事にばかり、
希望者が集中してしまうような気がします。
地味で、めだたない、そんな医師の仕事にもスポットあてたドラマで、
地味だけれども、必要で重要な医学の分野に気づき
法医学も、
脳脊髄液減少症の治療も、目指してくれる若者や、医学生や医師が増えてくれることを願いながら、
今夜も見てみようと思います。
ドラマの中で
若い医学生に向けて
「これからの法医学にはイマジネーションが必要だ。」と、
時任三郎演じる法医学の教授が言いましたが、
同じように、一般の医師の、
ありふれた症状の生きた患者の診断にも、
「イマジネーションが必要だ。」と私は思います。
医学の常識にとらわれ、
教科書的な知識にとらわれ、イマジネーションのない医師には
脳脊髄液減少症の早期発見は難しいと思います。

医師にイマジネーションがなければ、
死者の「本当の死因」を見抜くことも、
生きた患者の症状の「本当の病因」を突き止めることも、難しいのは
同じだと思います。
「ヴォイス~命なき者の声~」このドラマの今後の展開に期待したいと思います。

本日のテレビ欄と、
昨日の日曜版のbe週間TVナビ「番組レシピ」にも詳しく書いてありますが、
やはり記者の番組紹介記事は、
患者の私の視点とは全く違って感じました。

死後画像診断(AI)についての記事はこちら