脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

あれから3年・・・・

2008年04月25日 | つぶやき
JR宝塚線の脱線事故から、
25日でちょうど3年がたつのですね・・・。

そのことになかなか気づけないほど、

昨年に比べ、この事故に関するテレビ報道が少なくなった気がします。

「悲しいことは思い出したくない。」という、
被害者や遺族への配慮もあるのでしょうか?

でも、この列車事故の悲惨さは、
世の人々に忘れてほしくはないです。

ただ電車に乗っていただけなのに、
いきなり亡くなってしまった人の無念。

命が助かっても、目に見える後遺症や
目に見えない後遺症を負ってしまった被害者の方がたの
その後の試練・・・。

事故は列車事故も、交通事故も
規模の大きい小さいにかかわらず、
加害者も被害者も苦しめます。

そんな中で、何の罪もない被害者を
さらに精神的に経済的に苦しめるような社会にだけは
なってほしくはないです。



テレビでは、毎日のように交通事故の報道がされています。

大きな事故でないために、
報道されない事故は、もっともっと多いことでしょう。

交通事故の報道を耳にするたび、

自分には何の罪もないのに、理不尽な事故に巻き込まれてしまう方がたを思い、
心を痛めています。

事故当時、
一人の医師の見立てで軽症と判断されてしまい、

実は人生も変えてしまいかねない
大怪我の「脳脊髄液減少症」になってしまっている方がたの、
存在をも想像し、
私は心を痛めています。

脳脊髄液減少症は、私のように、
事故当時は目だった外傷もなく、
一般的な検査にも症状を裏付ける異常が出ない方も多いと思われます。

きっと今も、軽症と判断されて
「異常なし」と放置されている方も多いはずです。



軽症に見えて、実は重症。

時間差でじわじわといろいろな症状が出て、

精神的にも肉体的にも経済的にも、
何重にも、
何年にもわたって、苦しめられ続ける脳脊髄液減少症。

その上、後遺症として認められず、
充分な補償も得られず、

病態として社会から認められず、
的確な診断や治療をいつでもどこでも受けられる体制も、
まだまだ充分ではなく、

健康保険の適用も
社会的な救援策も得られていない厳しい現状に置かれている
脳脊髄液減少症

誰にでも、いつでも起こりかねない「怪我」であるにもかかわらず、

そのことが忘れられ、

脳脊髄液減症?なにそれ?と
「自分には関係ない」と思っているようにさえ感じてしまう、
社会の冷たさや無関心さ。

脳脊髄液減少症は、
仕事や家族やすべてを失い、
自殺にさえ追いやられかねない、後遺症なのに、

あの想像を絶する、
ものすごい異常な症状の数々に襲われたまま、

誰にも助けてもらえず、
いくら医師に訴えても、「気のせい」「異常なし」と
適切な診断も適切な治療も受けられないまま放りだされることが、

人間を死に追いやりかねないほど過酷なことなのに、

その深刻さがなかなか社会に伝わらない・・・。

その、救援対策を急ぐ意味が、
なかなか社会に伝わらない・・・。

日常生活ですら辛い時期の闘病中の患者が自ら、
このことを訴えても、訴えても、
なかなか社会に伝わらない・・。

家族にさえ症状の苦しさを理解されず、
そのまま家族を失ってしまったり、

症状のために仕事ができなくなり、職場を失い
収入もなくなってしまったら・・・。

異常なし、精神的なものと医師に言われ、
家族にも「気の持ちよう」と言われ、

叱咤激励され、

いくら自分で努力をしても
いつまでたっても症状が消えず、
それどころがだんだんと症状の種類が増え、
日常生活さえ、ままならないほどに症状が悪化してしまうとしたら・・・

収入も理解も得られないこの世で、
過酷な症状に耐えて生きていくだけの気力を振り絞ることは
かなり難しいことなのは当たり前です。

その上、
本人も、周囲も、自殺に追い込んだ真の原因が
脳脊髄液減少症と気づかないままのことも多いことでしょう。

私は、最近の自殺者急増の背景に、
脳脊髄液減少症が潜んでいる気がしてしかたありません。


もし、脳脊髄液減少症が原因の数々の苦しみが原因で自殺してしまっても、
生前、
本人や家族が脳脊髄液減少症のしわざと気づいていなければ、

自殺者の統計には、原因として、
経済苦、病苦、などと脳脊髄液減少症が2次的に及ぼした苦しみのみが
記録されていることでしょう。

自殺防止に取り組む方がたは、
「死を選ぶ前に、誰かに相談して。」と、
いとも簡単に言いますが、

おそらく、自殺してしまった方がたの一部は

いくら苦しみを相談しても、
つらさを訴えても、
誰にも理解もされないし、真剣にとりあってもらえないし、
助けてもらえないと感じてしまったから、
自ら死を選んでしまったのだと私は思います。

この際、
自殺防止対策にあたる立場の方がたにもぜひ、

死に追いやりかねない
この「脳脊髄液減少症」の症状も、
置かれている過酷な現状も、
詳しく学んで知ってもらいたいと思っています。


そして、自殺防止の視点からも、
脳脊髄液減少症患者に、支援の手をさしのべてほしいと思います。

一見、怪我人に見えない、理解されないけれど、
確かに存在し、
ひどい症状に苦しめられる、れっきとした事故後遺症です。

いくら医師や専門家の肩書きを持っていない人がこの病態を否定しても、
事故も症状も経験のない人間の話より、
体験者である患者、被害者の言い分を、聞いて信じてほしいです。

この病態は確かに存在します。
そして、症状は軽減したり、治ったりします。

しかし、別の病名がつけられ、方向違いの治療や、
異常なしと放置されれば、
いつまでたっても治りません。

まるで本人に責任があるかのように見せかけながら
じわじわと苦しめながら、人生を狂わせてしまう、
恐ろしい事故後遺症なのです。

こんなにも理不尽なめにあっている被害者にもかかわらず、

本人も医師も家族もその事実に気づかないままほったらかされて、
数々の原因不明の不定愁訴に苦しみ続けている方がたが
今もきっと数多くこの社会に潜在していると思います。

これは国にとっても、労働力に換算しても大きな損失だと思います。

どうか、この事故後遺症の存在を知ってください。

どうか、この事故後遺症の深刻さを知ってください。

どうか被害者の苦しみをわかろうとしてください。

治せる病態は、
早期に、
確実に診断治療をすることで治すことが、

国の医療費の財源にとっても、
労働力確保の観点からも、未来を担う子供たちにとっても、
どんなに得策なのかに気づいてください。

自己保身のために、
あるいは組織の利益優先のために、

「存在する脳脊髄液減少症」という病態を、「ない」ものとして、
かき消すことに、お金とエネルギーを費やしている人や組織は、

やがてその行為が自分たちの墓穴を掘ることでしょう。

この事故後遺症が存在しないなどと言っている、
否定派医師や保険会社の方がたは

人間らしい思いやりの心
どうか取り戻してください

もし、自分が、家族がこの後遺症にさせられてしまったらと想像して、

どうか、プライドも意地も、欲も、自己愛も捨てて、

私たち被害者の生の声に耳を傾けて
真実を知る努力をしてください。

否定する皆さんの中にも、
きっと人間らしい良心と正義心があると信じています。


何の罪もない人々が交通事故に巻き込まれることがなくなりますように・・・。

列車事故も、もう2度と起こりませんように・・・。

事故が原因で、人生が狂わせられる方がたがいなくなりますように・・・。

事故が原因で、体や心の傷だけでなく、さらに過酷な症状や人生に
絶望してしまう被害者や、その家族が、
もうこれ以上でませんように・・・。

事故が原因で起こった目に見える傷だけでなく、

見えない心の傷も、体の内部の怪我も、狂わせられた人生の補償も
きちんと保険会社や社会に理解され、
適切な支援が得られるような日が来ますように・・・。

そして、何の罪もない事故被害者が、
適正に早急に、手厚く救済されることが、

当たり前の社会になりますように・・・。

参考
昨年の4月25日の私の記事


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