今思えば少し恥ずかしいことなんだけど、
BLOGを始めて1年近く経った頃、自分の書く記事に過剰に自惚れた時期があった。
創作空間C-Uに混ぜてもらったり幾人かのブロガーの方たちに褒められたり励まされたりしたこともあって、実のところ大して人気の無い私のBLOGなんだけど、本当は自分の書くモノはすごくいいんではないかと、幸せな錯覚をした。
折りしも久しぶりに小説というものを読み始めた頃。私はそれまで長い間本というものを滅多に読まなかった。せいぜい農業や暮らし、仕事に結びつく実用書くらい。小学・中学の頃は確かに「乱読」少年だったけれど、高校以来小説など数えるほどしか読んでいない。哲学書などは推して知るべしである。
唯一読むものといえば、もっぱらマンガだった。
その私を懐古的趣味である読書に駆り立てたのは、どうせBLOGを書くのならやはり「いい文章」を書きたいという表現手法に対する向上心があったからだと思う。
それでまず、現代小説を読むことにした。
最初に村上春樹を選んだのは、かねて他所のBLOGの中でしばしば記事ネタとして挙げられていたし、現代作家を代表する人とも聞いたことがある。またいつだったか読んだ「羊を巡る冒険」がとても面白い物語だったことも関係している。
図書館から村上春樹ばかり借りて来て立て続けに4、5冊読んでみた。折りしも冬だったから時間はたっぷりとある。
そして思った。これがプロの作家か。意外と大したことないじゃないか。
表現手法はさまざまな面で素晴らしいし、読む者をぐっと引き込む。確かに面白くて意外性に富んでいる。
しかしあまり内容が無い。
心に残るものが無い。
ほとんど娯楽としてしか意味が無いじゃないか。
誤解を怖れず思い切って言えば、当時そんな感想を持った。まことに当人が読めば腹の立つことだろう。何しろこんな「私」に言われているのだから。けれど正直な話なので勘弁して欲しい。私は本当にその世界に対して世間知らずなのである。
そうして私は、俄かにニョキニョキと気が大きくなってしまった。
ああいう小説がもてはやされるくらいならば、意外とこの世界は底が浅いかもしれない。自分もいま少し精進すれば、あれほど面白くはなくてもやがてはもっと読み応えのある作品を書けそうな気がする。もしかしたら自分には今まで思いもかけなかった「作家」という職業も、将来勤まるのかもしれない。けれど本当にあれが「プロ」と呼ばれる人であれば、それは自分の目指すものではないな。私はプロになんかならない方がいいのかもしれない。etc.etc・・・
とまあ、そんなことを本気で思ったし、そのことを思い切ってBLOGのレスかなにかで書いた憶えもある。
しかし今思えば本当に浅はかだった。もちろんそんな妄想は、その後ひと冬通い続けた図書館で手にしたたくさんの本によって、夏の朝の露のごとく跡形もなく消え去った。幸いながらなのか当然のことなのか、何冊もの素晴らしい本に出会う。ううん!と唸り、自分には到底書けそうに無い筆力に言葉もなく圧倒された。
やはり作家の世界も奥が深い。いかに情報発信がしやすい時代とはいえ、真に求められるものを書くにはそれ相応の精進が必要なんだと思った。
私の幸せな思い上がりの時は、こうしてほんの瞬きの間に去って行ってしまった。
しかしここで思うのだけれど、
こうして思い上がったり落ち込んだりしてもいいのじゃないか?
振り返れば今までさまざまな場面でいろいろなことに膨れたり縮んだりを繰り返して来た。もしかしたらこれは自分という存在のひとつの「性質」なのかもしれない。縮んだり膨れたり。昇ったり下がったり。
そんな波の上下を繰り返しながらもどこかに向かっていく。今回だってそんな浅はかな私がやがては「気づく」だろうと静かに見守ってくれていた人もいるだろう。やがて気がつく、そんな自分を信じて。そう、確かに私も今までそうしてたくさんのことに気づいてきた。
時には思い上がってもいい。そしてそれの背反として、落ち込んでもいい。もしそれらが無かったのならば、人生は今よりとても平板なものになるだろう。小説で言えばさっぱり「面白くない」物語。
アップダウン、そんな変化を楽しみながら生きるのも実は面白いのかも知れないし、自分自身無意識のうちに自分なりに一番「楽しそうな」生を選んでるのかも知れない。
【写真は卵に変身したミーコ。思い上がった後必ず落ち込むんだって・・・】
BLOGを始めて1年近く経った頃、自分の書く記事に過剰に自惚れた時期があった。
創作空間C-Uに混ぜてもらったり幾人かのブロガーの方たちに褒められたり励まされたりしたこともあって、実のところ大して人気の無い私のBLOGなんだけど、本当は自分の書くモノはすごくいいんではないかと、幸せな錯覚をした。
折りしも久しぶりに小説というものを読み始めた頃。私はそれまで長い間本というものを滅多に読まなかった。せいぜい農業や暮らし、仕事に結びつく実用書くらい。小学・中学の頃は確かに「乱読」少年だったけれど、高校以来小説など数えるほどしか読んでいない。哲学書などは推して知るべしである。
唯一読むものといえば、もっぱらマンガだった。
その私を懐古的趣味である読書に駆り立てたのは、どうせBLOGを書くのならやはり「いい文章」を書きたいという表現手法に対する向上心があったからだと思う。
それでまず、現代小説を読むことにした。
最初に村上春樹を選んだのは、かねて他所のBLOGの中でしばしば記事ネタとして挙げられていたし、現代作家を代表する人とも聞いたことがある。またいつだったか読んだ「羊を巡る冒険」がとても面白い物語だったことも関係している。
図書館から村上春樹ばかり借りて来て立て続けに4、5冊読んでみた。折りしも冬だったから時間はたっぷりとある。
そして思った。これがプロの作家か。意外と大したことないじゃないか。
表現手法はさまざまな面で素晴らしいし、読む者をぐっと引き込む。確かに面白くて意外性に富んでいる。
しかしあまり内容が無い。
心に残るものが無い。
ほとんど娯楽としてしか意味が無いじゃないか。
誤解を怖れず思い切って言えば、当時そんな感想を持った。まことに当人が読めば腹の立つことだろう。何しろこんな「私」に言われているのだから。けれど正直な話なので勘弁して欲しい。私は本当にその世界に対して世間知らずなのである。
そうして私は、俄かにニョキニョキと気が大きくなってしまった。
ああいう小説がもてはやされるくらいならば、意外とこの世界は底が浅いかもしれない。自分もいま少し精進すれば、あれほど面白くはなくてもやがてはもっと読み応えのある作品を書けそうな気がする。もしかしたら自分には今まで思いもかけなかった「作家」という職業も、将来勤まるのかもしれない。けれど本当にあれが「プロ」と呼ばれる人であれば、それは自分の目指すものではないな。私はプロになんかならない方がいいのかもしれない。etc.etc・・・
とまあ、そんなことを本気で思ったし、そのことを思い切ってBLOGのレスかなにかで書いた憶えもある。
しかし今思えば本当に浅はかだった。もちろんそんな妄想は、その後ひと冬通い続けた図書館で手にしたたくさんの本によって、夏の朝の露のごとく跡形もなく消え去った。幸いながらなのか当然のことなのか、何冊もの素晴らしい本に出会う。ううん!と唸り、自分には到底書けそうに無い筆力に言葉もなく圧倒された。
やはり作家の世界も奥が深い。いかに情報発信がしやすい時代とはいえ、真に求められるものを書くにはそれ相応の精進が必要なんだと思った。
私の幸せな思い上がりの時は、こうしてほんの瞬きの間に去って行ってしまった。
しかしここで思うのだけれど、
こうして思い上がったり落ち込んだりしてもいいのじゃないか?
振り返れば今までさまざまな場面でいろいろなことに膨れたり縮んだりを繰り返して来た。もしかしたらこれは自分という存在のひとつの「性質」なのかもしれない。縮んだり膨れたり。昇ったり下がったり。
そんな波の上下を繰り返しながらもどこかに向かっていく。今回だってそんな浅はかな私がやがては「気づく」だろうと静かに見守ってくれていた人もいるだろう。やがて気がつく、そんな自分を信じて。そう、確かに私も今までそうしてたくさんのことに気づいてきた。
時には思い上がってもいい。そしてそれの背反として、落ち込んでもいい。もしそれらが無かったのならば、人生は今よりとても平板なものになるだろう。小説で言えばさっぱり「面白くない」物語。
アップダウン、そんな変化を楽しみながら生きるのも実は面白いのかも知れないし、自分自身無意識のうちに自分なりに一番「楽しそうな」生を選んでるのかも知れない。
【写真は卵に変身したミーコ。思い上がった後必ず落ち込むんだって・・・】
すべてのものは変化をし続けている。
だから私たちの心も「魂」と呼ばれるものも、その変化の過程のひとつなんではないでしょうか。逆に言えば変わるために存在している。
今回たけさんには笑止千万なことを書いてしまいました。
加速、減速
理に合わないことを人は楽しむんですね。
だからなかなか長期休暇はとれないんですよね。もうちょっとのんびりしたいなとも思いますが。
書こうと思って出てくるんではなくて、入るものがたくさんあるからところてんのように溢れ出てくる。これがありのままの姿だと思います。そのペースを掴みリズムに乗れば創作も作文も決して苦しいものではないですね。
私の今日、「書こう」と思って悩んじゃいましたが、それを傍で見ていたミーコに笑われてしまいましたよ。そんなことをしなくても、猫はみんな周りに幸せをばら撒けるんだって。
何度もcachoさんの記事にコメントを書こうと思ったんですが、暑さで気力の乏しい時だったんです。自分の記事を挙げるのに精一杯でした。
でもこのところのcachoさんの詩、どれも素晴らしかったですよ。ますます磨きがかかったようでした。
また会いましょう。BLOGの画用紙に気軽にメモしてったらいいんじゃないかな。
思わずフフッとしてしまいました。
agricoさんの、agricoさんだから気づいて書ける文章
草取りなぞしているときにふと
思い返すことも多々あるんですよ
アップもダウンもきっとあるけれど 楽しんでみたいから
これからも GO GO!
いや、恥ずかしいので書くのを躊躇われたんですけどね。私も素直に生きようと決めているので思い切って書いてみました。
あちこちから作家や文壇を馬鹿にするなというお叱りの声が殺到したらどうしようかと思ってましたよ。
しかしある意味、思い上がりって、幸せなことですね。
長くなりそうなので、メール差し上げたいと思います。
今暫くお待ち下さい。