アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

猫の恋

2007-02-14 20:31:55 | 暮らし
久しぶりに雪が降った。
本当に冬らしくない冬だ。いや、もう「だった」と言って差し支えないだろう。太陽もとうに折り返し点を過ぎて、陽射しも刻々と長くなり暖かくなってもきている。しかしわが家では今年雪掻きもしていないし、これは寒い!と思った朝を一度も迎えていない。例年ならば除雪のために活躍するバックホーが、今朝も畑の隅に所在なげに鎮座している。

雪の無い山々は既に春の色に染まり、気づけば梅の蕾も色づいていた。先日など道路を横断する蛇を目撃した。あ、あぶない!と思って車で走り過ぎた後に、もしかして轢いてしまったかと気にかかっていたのだが、考えてみればこれはそれどころの話ではない。今の時分に蛇を見るということ自体が十分「こわいこと」なのだ。今は真冬だよ。まさか、そんなことがあるはずない。あの時私の見たものが錯覚であったらと、後で深刻に思ったりした。

春といえば猫の恋。ご多聞に漏れずわが家のオス猫たちもここ数日ほとんど家に帰ってこない。朝夕のご飯時に猫数がいないのはちょっと寂しい。いつもなら玄関の扉が開くのを雪の中でも霜の中でも朝まだき暗いうちから待っている彼らだ。それがこのところメス猫ばかりに半減してしまった。しかしその代わりオス猫たちは、時間を構わず数日に一度くらいの割でてんでバラバラに帰って来たりする。いつもわが家では時間外に食事を出すことなどあまりないのだが、そんな時は特別に一皿用意して栄養価の高いものをたっぷりと食べさせてやる。はふはふと夢中になってかき込む彼らを見ながら、こういう時にたまたま外出しておらず、家にいて彼らを迎えることができた自分を少しだけ嬉しく思う。でも彼らは食べ終わるのもそこそこにまたすぐに出かけようとする。このところ満足に食べてもいないだろうに、寝てもいないだろうに。でもこんな時の彼らは本当に、生気に溢れて輝いていると思う。

今日はアポロが顔中に傷を作って帰ってきた。耳を裂かれて血まみれになって来た事も今日までに何度かあった。普段は物静かでおっとり屋の彼も、どうやら今が希少な頑張り時らしい。まあ少し休んでいけよ、と引き止める私の膝をするりと抜けて、寒がりだったはずの彼は朝から降りしきる雪の中を、急ぎ足で、意気揚々と出かけて行ったのである。
そうだ、この機会にいったい猫たちがどこに行くのかを確かめようと、急ぎ合羽を着てこたつのコンセントを抜き抜き、彼の後を追った私だったのだが、雪の中を彷徨った挙句に残念ながら見失ってしまった。彼らの世界はそうやすやすとは人間には伺えないものらしい。



【写真はこのところすっかり貫禄のついたタイン。猫家の猫では最年少の彼が、今では完璧に大黒柱の役割を果たしている。今年4歳になるから今が一番なのかもしれない。後ろのポストに乗っているのはミーコ。】



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2 コメント

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このまま春? (101)
2007-02-14 21:17:41
ご無沙汰しております。
僕は毎回読ませていただいているので、ご無沙汰しているというイメージではありませんけれど :-)

市街地に住んでいる僕にはありがたいことですが、本当にこのまま春に突入ですか? 今年の暖冬は農作物や野生の動物達に何か影響はありますか?
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どうも久しぶり。 (agrico)
2007-02-15 15:42:48
こちらこそご無沙汰してました。
この暖冬、何分未曾有のことなので、今生きている誰もがいったいどんな影響があるのかわからないのですよ。隣りの80を越す老夫婦に訊いても、今までなかったかんなあ、と答えるばかりです。
手っ取り早く推測できることとしては、まず山に雪が無いから春の田に水を引けるかどうかが心配になるところでしょうか。それと暖かいということは、暖かさに強い生き物に有利に、寒さに強い生物の生息を危うくするということだろうから、生態系内では人間の目に見えない過酷な生存競争の趨勢がドラスティックに決せられるということですかね。でもその結果はなってみないとはっきりとはわかりません。そしてわかった時には、ほとんど元に復するには遅すぎるのでしょうね。
私たちのうわべの快適さ、豊かさは(私も長い間半信半疑だったんですが、今となればほぼ確信をもって)自分自身を含めた他の生命の犠牲の上に成り立っていると言えます。現実にこんな山里に住んでいても、身の周りから生き物たちが消えていってるのですよ。私たちは日々自分自身を試験管の中に押し込めているのです。
でもどんなに水が汚れようと土が汚染されようと、私たちはそれにしがみついて生きていく他にない。それが万物の霊長とされた人間の生き方なのですね。
わが家の鶏も今年は正月から卵を産み始めました。日照時間ばかりじゃなくて、気温にも影響されるのですね。こんなことは今までなかったことです。私たちの住む環境は今、大地から変わってきているようです。
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