アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

稲の聞く足音

2004-07-31 19:52:46 | 思い
この暑さで、目に見えて稲の背丈が高くなって来た。

このところ雨の降らない日はほとんど毎日、草取りのために田んぼに入っている。
けれどもう、稲の葉先が屈んだ顔に当たるようになって来た。

コナギやオモダカはとうに花を咲かせ始めている。
セリやヤナギタデは、抜いたものからもすぐ根が生え、復活する。
タウコギは取っても取っても、まるで追いかけっこをするように次々と芽を出す。

あと何日、草取りが出来るだろう。
間もなく、稲丈が腕の長さを越えてしまう。


元々稲は、熱帯の植物だったそうだ。
東南アジア当たりが原産らしい。
はるか昔に日本に伝わってからは、長い間私たちの主食として拡大生産の一途を辿って来た。
それと同時に、品種改良もされてきている。
改良する目的はもちろん、増収、食味、耐病性、耐冷性などのためだったろう。
その結果現在栽培されている品種が今のところ残っているけれど、現代において食味や多収を追求するあまり、かえって軽視されてしまった性質もある。

例えば、病気に対する抵抗性。
ササニシキは、一般的に言えば食味はいいがいもち病に弱い。
天候の加減で病気の発生が見込まれる場合、それだけ多く薬剤を撒布することになる。
また例えば、宮澤賢治の時代に開発された「陸羽132号」は、優れた耐冷品種だったけれど、その後出て来たササニシキなどの食味の良い品種に押されて、今では実質上淘汰されてしまった。
宮澤賢治が奨励した品種だ、ということで、今でもあちこちの学校なんかでは教育や宣伝のために栽培され続けてはいるようだけれども。

無農薬栽培をしている私の知人で、未だに信念を持って陸羽132号を作り続けている人はいるが、全体の中ではほとんど無きに等しいほどの数だと思う。

現在栽培されている品種は、一に食味、二に収量のような気がする。
これは、病気が出るなら薬を撒けばいい、とにかく売れる米をたくさん出荷して稼がないと、という現代の農協の小作人化した農家の営農方針を顕著に反映している。
その年が何事も無い温暖な天候だったら確かに問題はない。
けれどもし昨年のような冷夏だったら、米は軒並み不作になる。
一年一年を自分の収穫によって生きている百姓にとっては、例え何十年に一度の冷害だとしても、とんでもない打撃になるだろう。
賢治の時代は、今のように出稼ぎや職が簡単に手に入りにくかった時代だろうから。その意味で「陸羽132号」は、当時の百姓を救うために開発された画期的な品種だったと思う。
当時も今も、日本において国の補助金や農外収入に頼らず農業経営をすることは、とても厳しいことのようだ。


「稲は人の足音を聞いて育つ」という。
まめに田んぼに通うことを奨励するという、農業に携わる人ならば誰もが知っている諺だと思う。
けれど、意外と意味を取り違えて解釈している人が多いのではないだろうか。

「まめに田んぼに通って何かしらと世話をすれば、稲もそれに応じてよく成長する。」
だから頻繁に田んぼに行って、草取りなり何なりしろ、との意味に捉えている人が案外いるようだ。
でも私が思うに、この解釈は必ずしも的を射てはいないと思う。
実際に生き物を扱っている人で、私のように思っている人は結構いるはずだと思う。
本当の意味は、
「稲を思って足繁く通うその人の思いが、稲の成長を促す。」
ことではないだろうか。
だからこの意味に気づいた人は、仮に何もすることがなくても、足しげく田んぼに通う。
もちろんそういった思いがあるものだから、行けば何やかにやと気づいたことをしたりする。
動物を扱う場合、この差は顕著に表われるけれど、相手が稲であろうと、同じことなのだと思う。
米作り名人といわれる人は、ほとんどこういう人たちではないかと思う。

作物を育てるというのは、単なる技術だけではない。

初めて米作りをする百姓が、心配して何度も何度も田んぼに通ってると、案外思いの他良い出来になったりする。
何年かするうちにだんだん安心して行かなくなると、徐々に世間並みの出来になる、というのは、このことに関係する場合も多々あるのではないだろうか。


品種選抜や栽培技術よりも、もっと基本的なものが作物栽培に関する限りある。
どうして同じようなことをして、あの人は成功し、あの人は失敗するのか。

稲も生き物である限り、人と同じくらい、好き嫌いや愛されて育つかどうかの違いがあるのではないかと思う。
稲を愛し、稲に好かれる人になりたいな、と思います。



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10 コメント

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Unknown (ぱこ)
2004-07-31 21:25:09
agricoさん、ペース落とすって言ってたのに…(笑)

agricoさんは、まるで歌を歌うように文章を書きますね。

そしてその歌は、いつも魂の歌だ…

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先日はありがとうございました。 (海猫)
2004-07-31 23:12:24
今日のコメント。この世には美味しい物だけ残っていく。だから、デブがふえている。なぜか、美味しい物は不健康。食べて、太るわりには力が出ない。でも、健康な食べ物は少し不味くても、食べたぶん力が出る。余計なぶんは外に出て太らない。今の食べ物は体をだめにするだけだ”と思う。宮沢賢治の食事は、皆いい”と言う。彼がこの事に気付いたのは、贅沢な生活と貧しい生活ができたからである。

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お久しぶりですね。 (A_L_I_V_E)
2004-07-31 23:12:43
コメントありがとうございました。また、ぼちぼち始めました。また、少しずつアップしていきます。今後とも宜しくお願いいたします。
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Unknown (take)
2004-08-01 02:03:52
「ブログはコメントで育つ」

「ブロガーのことを思って(コメントせずとも)見に来てくれている人の思いがその成長を促す」

こんな感じですか?
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ぱこさんへ (agrico)
2004-08-01 07:28:54
いや、もうペースを落とす準備を始めていますよ。



詩や物語は、平常心がないとなかなかいいものが書けませんね。

仕事に追われたり、疲れ過ぎたりして気分転換ができないと、手につきません。

遅くてもひとつひとつ、納得のいく作品を作りたいと思います。
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海猫さんへ (agrico)
2004-08-01 07:34:45
とても的を射ているコメントだと思います。

何かに気づくには、その両面を経験するのも、時には大切だったりしますね。

今の私たちの「飽食」といわれる経験も、それなりに大切なのかもしれません。



生命エネルギーということも考えると、もっともっと少ない量の食べ物で健康に生きていけるような気がします。

現に私の食べる量は、サラリーマンをしていた頃の3分の1くらいになってるんじゃないかな。



ひとつひとついろんな事に気づいていくのは、楽しいことですね。
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A_L_I_V_Eさんへ (agrico)
2004-08-01 07:38:57
私も、梅雨明けから仕事が体にこたえて、思うとおり記事を更新できなくなってきました。

でも、無理はしない方がかえっていい。

百姓は百姓なりの、マラソン選手はマラソン選手なりの、ペースがありますものね。

また時々伺わせていただきます。
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takeさんへ (agrico)
2004-08-01 07:44:03
またまた鋭いことを言いますね。

その通りだと思います。

思いは、時や空間を越えて作用するんじゃないかと思います。

そんなことを考えると、世の中に平仄の合うことはたくさんあるんですよ。

かえって目に見えないものの影響力の方が大きかったりするんじゃないだろうか。
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あせらず、 (persempre)
2004-08-01 12:52:20
まず、自分のblogに、足繁く、通いますかね。(^_^;



去年の冷夏の分、取り戻すかのような、毎日の暑さですね。

でも、何もしないと、雑草がどんどんはびこってきますからね。
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こんな時こそ (agrico)
2004-08-01 18:15:22
無理ない自分のペースが掴めるのかもしれません。

今まで順調だったり良かったりした分は、それはそれだけでもありがたいことなのだから、今ここから自分に最適のやり方を考えていけばいいのでしょうね。

元々持ってるものが少ないと、そんな気にもなりやすいです。

お互いこの夏を出来るだけ快適にしていきましょう。
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