アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

豊穣の春

2007-02-24 09:59:53 | 暮らし
朝方スヌーピーや猫たちと山を歩いたら、木々の枝はどれも若芽を孕み、冬枯れの木立の中に紛れようもない春の息吹が感じられた。先日の大雪ももうすっかり溶けている。風はまだ温かくはないけれど冷たくもない。南斜面の陽だまりにまあるい笑顔で福寿草が咲いていた。今年の春はいつもよりひと月も早くやってくる。

先日来恋に狂うオス猫たちの活動場所が判明した。玄関で餌を食べた後すぐにスタスタと去っていく彼らの後をつけること3度目、ようやく突き止めた場所は同じ集落内のとある農家の馬舎だった。馬舎といっても、もう馬も牛も飼っておらず滅多に戸を開けることもないただの物置のようなものだ。その家には共に体の具合があまりよくない老夫婦が二人きりで暮らしている。そしてそこには、真白いメス猫と、まだ大人になりたての若いオス猫が飼われていた。
実はそのメス猫(近所では皆なんとなく「シロちゃん」と呼んでいるのだが)、猫家の最長老、クマの愛人である。クマは今から5年前にどこからか流れてきてなんとなくわが家に居ついたガタイ大きなオスのアカ猫。当時痩せこけてはいたものの、風貌まるで熊のような迫力を備えていたので私が「クマ」と名付けた。人間で例えればアブドラ・ザ・ブッチャーが凄みをきかせて歩み寄ってきたような貫禄がある。事実その後わが家で体力を取り戻したクマは、群がる競争相手たちを次から次へとなぎ倒し、たちまちに近在の大ボス的存在となってしまった。
そのクマは一日のほとんどをこの古ぼけた馬舎の「愛人宅」で過ごしている。確かにシロちゃんは見た目もきれいだし顔の作りも端正なのできっと美人ネコなんだろう。相手がクマほどの猛者であれ、オトコ心を捕えて放さない魔性の魅力があるのかもしれない。よってクマはその家に入り浸り、朝晩の餌時にだけわが家に帰って来るのが日課になっている。

さて、そのささやかな愛の巣を舞台にして、猫たちは熾烈な戦いを繰り広げていた。まず主要キャストとしてはわれらが猫家のアポロとタイン、彼らは日頃粗食に耐えいざという時に発揮すべき強靭な体力を倦まず弛まず培っている。それから当の家の若いオス猫。これは実は去年タインがシロちゃんに産ませた子どもだと、もっぱら関係者は噂している。なにしろ毛の模様がとても似ているのだ。そしてその隣家のやはり若いオス猫、コタロー。しかしこれら若猫たちは実力的には猫家の猛者連に比べて数段低い位置にあるようだ。さしずめ実戦予備軍というところか。
クマはといえば、斯くのごとき多数を一度に敵に回して勇猛果敢に奮戦している。いやどれもこれもがすべて互いにライバルだと考えた方がいい。つまりバトル・ロワイヤル。ちょっと目を離したりトイレに立った僅かな間隙を突いて、猫たちは自分こそがシロちゃんをせしめようと虎視眈々としているのだ。激しい火花が交差する。知力を尽くした駆け引きの応酬。これは過酷そのもの。本当に油断もスキもあったもんじゃない。
だからタインもアポロもなかなか餌を食べに帰ってこなかったのだ。クマなどは丸3日ほど全然姿を見せなかった。きっとその間不眠不休、飲まず食わずでシロちゃん攻防戦の最前列に踏ん張っていたのだろう。たまたま私が行った時も、それはそれは華々しくも賑やかに、精神と体力の限界に挑んだ彼らの真剣勝負が展開されていた。

そういうわけで、つい最近までわが家ではオス猫たちのいない寂しい食事時を迎えていたのだったが、この頃どうやら一息ついたみたいで、平常どおりとは行かないまでもみんなそれぞれ食べに戻ってくるようになった。クマもある朝げっそりと痩せて帰ってきた。特別に用意したお肉たっぷりの皿を平らげて、お気に入りの箱の中で死んだように眠る。彼らにとっては年に一度の正念場をどうにか越したといったところか。本当にお疲れ様。なにはともあれ、大小の傷は作ったけれどみんな命に別状がなくてよかった、よかった。


久しぶりに帰ってきて、つかの間玄関でくつろぐクマ


彼らの熱がすっかり冷める頃には、この山里ももうすっかり春の装いになっているかもしれない。




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