アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

冬なりに

2006-02-01 09:52:51 | 暮らし
玄関を開けると土間にいた猫たちが我先に外へと駆け出す。
このところ暖かい日が続いたとはいえ今朝も氷点下7度。それでも朝ごはんを終えた猫たちはある者はおしっこ、またある者は近所の見回りにとそれぞれに忙しいみたいだ。見送っていると真っ白い世界の所々に彼らの黒い影が溶け込んでいく。

さて、と振り向くとアポロが蹲っていた。梃子でも動かん!さながらに肩をピッタリと火鉢に押し付けている。でも落ちつかな気にキョロキョロと辺りを見回しているのは、やはり自分だけ出て行かないでいいのだろうか?と少し不安になってるのかもしれない。それでもこの頃は「アポロ!外だよ!」と言えば思い切ったように肩を震わせ走り出すようになった。彼ももうかなり寒さに強くなっている。
でも今日くらいは、このまま居させてやろうか。人一倍寒がりのアポロにもたまにいい日があってもいい。

スヌーピーと猫たちをつれて道を歩いていると空からポロリ、しばらくしてまたポロリと小さな綿帽子が落ちてきた。静かな交響曲の序章、軽やかな妖精のダンス。天の神様が戯れに一粒一粒の結晶たちを指で散りばめているみたいだ。雪の原に目をやるとタラノキが固い蕾を梢に乗せて木霊のように立っている。

冬もこれで、半分が過ぎたんだ。

過ぎてみると速いものだ。雪の重みで庇が折れたり、ウサギの餌を手に入れるのに奔走したりといろいろなことがあった。昨日も滑り落ちる雪に集会所の引込み線が切れてひと騒動だった。それでも半ばを過ぎた季節はこれから明るい日差しを目指して確かな助走を始める。まだまだ寒い日も続くだろうが、ここまで来ればもう出口が見えているのである。

雪原に続く猫の足跡、燃える花びらのような朝ぼらけ。ふと、このまま冬がずっと居てくれればいいのに、と思った。時を止めるなんてことはもちろんできないし、もしこのまま寒かったら薪はどうするか生活費はどうしようかと実に深刻な問題も出てくるが、でもそんなことに目を瞑って考えると冬は冬でそれなりにいいものだ。この季節でなければ出会えないこと、できないことが凍える大気の中にたくさん散りばめられている。冬が来る前にあれもやろう、これもやろうと思っていたことも今となればほとんど手付かずで残されている。

今少し、冬が続いていてくれればいい。
この世に私たちが生きるに充分な時間があるとするならば、
せめて今日という日を抱き締めるように、噛み締めて生きたい。

家に帰ってカボチャの鍋を火にかける頃には、雪の玉はいつの間にか数を増やして後から後からと降りしきり、向こうの山並みを空と同じ色に霞めていた。






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2 コメント

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私も (yocchi)
2006-02-02 12:47:03
冬って好きですよー。

それも、雪に閉ざされた冬。



白い世界。雪の色って白だから、長い雪の冬も越えられるのかなぁー、なんて思ったり。





秋田に少しだけ住んでいたことがあるのですが、四季のメリハリがはっきりしてたなぁ、と懐かしく思い出します。



東京も、たまに降る雪の日は、同じ景色でも違う世界に変わりますよね。どんよりと重い色の空と、ふわふわと落ちてくる白・・・。
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雨も雪も地球の血液であり・・・ (agrico)
2006-02-02 18:53:50
小さなものに気を留めるyocchiさんだから、母なる地球をよく見ようとするあなただから雪の冬を好きになってくれるのですね。

観念の世界では雪景色はロマンチックでもありますが、暮らしの中では大雪は深刻ですし冬は厳しさを抜きに語れません。

でもそんな暮らしを知っていてそれでもこの冬を美しいと思ってくれる、その心が尊いような気がします。



自然はただそこにあるものじゃなくてそれに気づく心、その美しさを映す鏡があって初めてそこに存在する。

だから同じ場所に日々生きて、同じ景色を前にして人は違った生き方をするのでしょうね。

都会に住んでいながらにして鳥に、虫に目を留めて生きれるyocchiさんは素晴らしいですね。私が東京に住んでた頃はそんなじゃありませんでした。



人にとって水や吸い込む空気が大切なように、この地球の健康度を示すバロメーターはきっと雨や大気なんでしょう。

これが黄色い雪や黒い雪になったら・・・怖いですねえ。
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