アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

人類の絶滅

2008-05-24 11:13:22 | 思い
 多細胞生物の多様性が爆発的に増加したカンブリア紀以降、現在までの6億年の間に、地球上の生命は5度の大量絶滅を経験してきたという。1回目のオルドビス紀には生物種はほぼ半分となり、デボン紀には約30%の減。二畳紀には再び半減してこのとき三葉虫が絶滅している。4回目の三畳紀には35%の減。そして5回目の白亜紀には恐竜が絶滅した、といった具合である。
 しかし地球上の生物層は、そのたびごとに不死鳥のごとく蘇り、新しい種や新世紀への適応能力を備えた種などを前面に押し立てて見事に復活した。一度破壊された生物多様性を回復するのには1000万年ほどを要するというけれど、その後は必ず生物種の爆発的な増加が招来され、かえって以前よりも厚みを増した新たな生態系が構築されて、地球上の生物層は着実に多様性を深めていった。
 ひとつの生物種の平均寿命は、通常100万年から1000万年と推定されている。もちろんこれより遥かに長い生物もあれば短い生物もいるのであるが、いずれにせよ地球上に現れた生物種は平均して数百万年の時を生存し続けてきた。しかしここ100年の生物種の絶滅状況を見ると、その実績は見事に覆される。生物種の寿命は明らかに以前ほど長くはなくなっている。鳥類と哺乳類に限ってみても、少なくとも毎年1種が絶滅しているから、これから計算すると種の平均寿命は約1万年となる。つまり、種の平均寿命は過去に比べて1/100~1/1000、絶滅速度は、100倍~1000倍速くなってきているのだ。この数値は近い将来、1万倍に達するだろうとまで予想されている。ちなみに地球上の生物全体で見ると、現在のところほぼ15分に1種の割合で絶滅しているという。
 私たちは今、まぎれもなく6度目の大量絶滅期にあるのだ。過去の絶滅と明らかに違う点はただ二箇所。そのスピードが比べ物にならないくらい速いということと、その原因が人類という単一種の活動によっているという事実だ。
 過去の絶滅は、ほとんどの場合が気候変動によって引き起こされてきたのだが、それは1万年かかって気温が1℃動く程度のものだった。気温が上がったり、下がったり。そのような変動を緩やかに続けながら、およそ数十万年かけて過去の大絶滅は起きている。一方新しい生物種が形成されるのには100万年単位の時間がかかると言われているが、つまりそれくらいの期間の中で気候の変化が起きたとしても、新しく生まれる生物層が古いものに置き換わるに充分な時間は確保されるということだ。巨大爬虫類の絶滅の後には、しっかりと哺乳類の繁栄が用意されていた。
 しかし今現在の気温変化は、過去の100倍の速度と言われている。前世紀の100年間で気温は0.7度上昇しており、その上昇率は近年加速度的に上がってきている。過去の氷河期と呼ばれる時期と今との温度差は、せいぜい3℃程度でしかないのだが、「気候変動政府間パネル」(IPCC)の最新報告によると、仮に(今までのやり方を改めて)環境の保全と経済の発展を地球規模で両立させた社会を実現させたとしても、今後100年間で二酸化炭素の濃度は約二倍、地球の平均気温は約2℃上昇すると予想されている。そうなった場合には動植物種の少なくとも2~3割は絶滅している可能性が高い。

 このように、今までの100~1000倍と言われている驚異的な絶滅の速度に、果たして地球上の生物は対応できるだろうか。これは過去において実証された新種の形成速度を遥かに凌駕していることは言うまでもない。おまけに人類はここわずか数十年の間に膨大な数の生物種を絶滅させているため、今後の壮大な絶滅種を補うに見合うだけの新たな種の出現はほとんど期待できないのではないかとまで言われている。
 人間は生き物たちをその特質によって分類し、それぞれに固有の名前を附してきたのだけれど、現在までに命名した生物はおよそ150万種とされている。しかし、実はそれは、地球上の全生物のほんの一部、もしかしたら1%にも満たないのかもしれないと言う意見もある。科学万能時代と言われて久しいが、現代においても私たちは生き物のこと、生命や地球のこと、更には私たち自身のことでさえ、十分に「知っている」とは言えないのだ。科学は探求すればするほどに、前途の果てしない闇を垣間見、確認させるだけのものだったかもしれない。今までよかれと思ってしてきたこと、最善の策として考えてきたことで、今日私たち自身の首を絞める結果になってしまったことは計り知れない。

 航空機や船舶は地球上をひとつの経済圏として結び付けたのであったが、今私たちは同様に「ひとつの地球上の存在」として、自分たちの意思を統一し、行動をそろえなければならないのではないだろうか。今までどおりに各自が目先の利得を追い続けたり、一度手にした快適さや利便性にしがみついたりしているときではまったくないのだ。そうでなければこの状況はとてもじゃないが乗り越えられないし、6度目の大絶滅の後に私たちの子どもたちを残すことなど、到底無理のような気がするのは私だけだろうか。




【写真は、温暖化でぐったりとなったシロチャン】



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