アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

地球と人体

2008-05-25 09:28:59 | 思い
 例えば僕たちの体、人体は、それ自体単独で存在しているわけではない。一般に、人体の細胞数は60兆個と言われている(その他に赤血球が20兆個あるという)けれど、しかし僕たちの体を構成しているのはこれらの細胞だけではない。例えば腸内細菌がおよそ100種類100兆個。それと皮膚の表面や粘膜、各種臓器には夥しい数のバクテリアが住んでいるから、それらを全部含めると人体を組織する微生物の数は人体細胞のゆうに倍はあると推定されている。人体って、細胞から成るというよりは、微生物や細胞のの合体したものという方が的を射てるのかもしれないね。それらがみんなそれぞれの役割を果たしながら活動して初めて、僕たち人間は健康な状態を保つことができるんだ。
 それと同じことが、僕たちの生きている周辺の生物環境についても言える。よく生態系って言うけれど、生態系とは、お互いに相互作用を持つ生物群集とそれをとり巻く物理的環境から構成されたものをいう。ただ単に生物がたくさんいるということではないんだ。ある気候風土条件の中で、目に見えるものだけじゃなく、人間の目に見えないものも含めて数え切れないほどの種類の生命体が互いに共生したり、競合したり、捕食したりされたりしながら、蜘蛛の糸のような緻密で密接な相互連関を紡いでいる。それが生態系と呼ばれるものの本質だ。だからそれらひとつが安定した構造を構築するのにも、相応の時間がかかっている。早くても数年。通常は数十年や数百年かかることもある。
 人体や日常空間の生態系と同じように、多種類の生物の複合体で構成されるもっとも大きな集まりは、地球だと思う。地球をひとつの生命体様のものと看做した「ガイア理論」というのがあるけれど、これは比喩と捉えても言葉通りに捉えても、地球が実際に有機体の持つ活動とまったく同じような活動や反応をするという点では本当に言い得ている。怪我も負えば部分的に調子が悪くなることもあり、健康にもなれば病気にもなる。一箇所に問題が生ずればそれが全体に波及し、またそれを修復しつつバランスを取り戻す機能も備えている。その意味で地球は大きな人体なんだ。僕たちは細胞や微生物の段階から地球の段階まで、基本的にはすべて同じ原理でもって組み立てられている。「すべてを活かすことによって、全体が活かされる」ということだ。
 
 だから地球上のある生物を減らす、または絶滅させていくということは、大きく言えば人体の手足を一本失う、または麻痺させる行為に等しい。小さなものをないがしろにすることは、腸内の有用細菌(この言葉にも語弊があると思うのだけれど、僕は基本的に「有用」とか「無用」、「善玉」とか「悪玉」とかが存在するとは思わない。すべてその条件に応じた最善の調和の下に存在しているのだから。でもここではすべての腸内細菌は「有用だ」という意味で用いることにする)を減らしたり不調にさせたりして、バランスを崩してしまうことなんだ。蠅や蚊がうるさい、カラスやムクドリが邪魔だといって追いやったり殺したりするのは、それが過剰になれば、廻りまわって必ず僕たち人間の上にアウトプットとして戻ってくる。しかし元々、害獣や害虫と呼ばれるものたちは、どれも大元を辿れば人間活動の結果生まれたものだけどね。野に「雑草」という名の植物がないように、生まれながらに「害虫」と呼ばれる虫もいない。
 思うに環境問題や地球、生命体のことを考えるには、人間はあまりに忙しすぎるんだ。そこらの虫や草を引き抜いたって、邪魔な木を何本か伐り倒したって、すぐに悪い効果が顕れるわけじゃない。とやかく言われている地球温暖化の問題だって、どんな生活を続けようと数十年でとんでもない結果になるなんてことはない。地球や人類に致命的な状況が生ずるには、少なくとも100年はかかるだろう。そんな先のことにかかずらうよりも、今の幸せや楽しみを追うことの方がずっと大切だ。優先順位など比べようがない。それに自分が何もしなくたって、きっと誰かがちゃんとしてくれるだろう。実際そのようにして今まで何百年、何千年も無事にやってこれたじゃないか。そのときになればどうにかなるものさ。100年後のことは、100年後に考えたらいいのだ。だから自分は今のところ、好きなものを買って好きなものを食べて、やりたいことをやって今の便利な生活をできるだけ維持するよう頑張って、喫いたければタバコも喫ってエアコンもガンガンかけて、安くて旨い海外の商品大歓迎。みんなもそのように考えてる。
 人は関心がないことは知ろうとしないものだから、例え目の前に深刻な問題や情報が突きつけられたとしても、見て見ぬふりをして、あるいは視線を泳がせて見ようともせず、相変わらず今日はスパゲッティを食べようとか、もっとお金を儲けるには何をしたらいいとか考えてる。確かに環境問題というのは、自分のためだけを思う人の関心を捉えることはできない。子どもや孫、または遠い土地の生物や未来の人類のためを思って初めて考えられるものなんだ。その意味で環境や生物への関心の高さは、その人の心の広さのバロメーターとも言えると思う。
 今開発によって、農薬や合成洗剤などの化学物質によって、乱獲や資源の過剰利用によって、たくさんの生きものたちが死んでいっている。ここ数十年で絶滅した生物種の数は、それ以前の数万年で絶滅した数に匹敵するという。そんな大絶滅の速度は、地球という生命体の皮膚を削ぎ指を折りして、やがて遠くない未来に手をもぎ足をもいでいく結果をもたらすだろう。そうなってからでは遅いのだ。僕たちは今飛んでいる飛行機の中で、一所懸命機体のボルトを抜いたり屋根や壁を剥がそうとしている。

 今、普通の田んぼの中にゲンゴロウはいない。タニシもメダカもアカハライモリも、みんな絶滅危惧種になってしまった。タガメなんて田舎で暮らしている僕でさえも、ここ何十年見たことがない。子どものころ家の外灯に飛んで来たカブトムシもクワガタも、いつの間にかいなくなってしまった。今の子どもたちは、そんな虫たちの自然の姿を目にすることなどまずないのだろうね。
 それら生きものたちは、僕たち人間を含めて地球環境の中でみんな繋がってるのだから、専門家や政治家や、技術者やその分野で任に就いている人たちがなにかすればいいっていうものではなくて、僕たちみんな、一人ひとりが取り組まなければならない対象だ。確かに僕たちがひとつやふたつ過ちを犯したからって、今すぐ地球が壊れるなんてことはないのだけれど、でもそのことによって地球は緩慢に、かつ確実にほころびの度を深めていっている。だから今日のこと、自分のことだけを優先するのじゃなくて、身の周りで暮らしている生き物たちのこと、地球のこと、100年後の未来のことを、考えて生きたい。




【写真は、わが家の田んぼで撮影したトウキョウダルマガエル。
トノサマガエルに似ているけれど少し違う。昔から水田とともに生きてきたカエルで、よくこんなポーズをして水面にじっとしている。圃場整備などでコンクリート護岸壁を作ったりすると、指に吸盤がないので這い上がれない。農薬や中干しによっても大きくダメージを受ける。もうほとんど見ることができないほどに数が減ってきていて、環境省レッドデータブックでは準絶滅危惧種に指定されていて、県単位では絶滅危惧種に指定している所も多い。】


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2 コメント

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聞きたい事があります。 (クオン♪)
2008-05-26 19:35:52
聞きたい事があります。
絶滅した動物の数は約何匹なのですか?
どうゆう動物が、絶滅していっているのですか?
私のブログのコメントに答えを書いてください。
よろしくお願いします。
返信する
絶滅動物 (agrico)
2008-05-26 20:54:18
絶滅した動物一覧 - Wikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E6%BB%85%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8B%95%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%
によれば、例えば20世紀以降ならば86種が挙げられてますね。人間の把握していない種は把握しているものより遥かに多いので、実際はそれの数十倍はあると思います。また動物だけではなく、生物全体であれば、(財)環境情報普及センターのサイトが参考になるかもしれません。
http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&ecoword=%BC%EF%A4%CE%C0%E4%CC%C7
あなたのブログには引用したサイトのみ記しておきます。これから人間のこと、社会のこと、いろいろなことを学んでいくのでしょう。その中で自分の人間性を作るのが、一番大切ですよ。
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