今日も真夏日。外にいるだけでじっとりと汗ばむような炎天。
ところが私は、今日だけは暑さをさほど苦にしなくてもいい。
なんてったって、今日は集落の農家組合の研修旅行の日、なのだから。
この旅行は、少なくとも私がこの集落に引っ越してきてからは毎年行われている。
打ち明けて言えば、国や県からの補助金をあてにした、研修とは名ばかりの実質的な慰安旅行に近い。
全戸の家長が集まって、一応何かためになるような見学先を伺い勉強した後は、ゆっくりと温泉に浸かって懇親をはかることが慣例になっている。
今年の見学先は、山奥で杉林の間や減反田に山菜を栽培している農家だった。
かつて杉や松を植林し、林業で生計を立てていた地域は衰退し、過疎化が進む一方だ。その中で植林地に山菜を栽培しながら木が成長するのを待つという、斬新な発想と行動力には感じ入るものがあった。
さて、問題はその後の懇親の部であるが、
とある奥羽山脈の山懐にある温泉ホテル、そこの一室を借り切って、質素ながら山海の酒肴を盛ったお膳を前に、宴は始まる。
座敷には仲居さんが3人ほど付き添ってくれていて、ビールやら焼酎やらの給仕をしてくれていたのだけれど、
縁もたけなわになる頃、出し抜けにこれから踊りが始まるとのアナウンスがあった。
みんなで何ごとかとステージを見ていると、浴衣姿にちょんまげの鬘、三度笠で顔を隠した人物が摺り足で現れ、何かの曲に合わせて踊りを舞った。
「ハイ、次は『無法松の一生』!」
踊りは次から次へと続く。
何度目かで今度は色鮮やかな女物の着物を羽織って現れた。
頭には高島田の鬘を被って。
踊り手がステージを降りてお膳の前を艶やかに通った時に、目の悪い私はその時初めて、彼がオトコであることを知った。
しかも60近い年配の。
「ゲッ。あの人オトコですよ。」
「うん。そうだね。」
の人たちは、それがさも当たり前のように思っているみたいだ。
温泉ホテルの従業員は、ここまでするのか!
今まで真面目一途な人生を歩いて来た私にとっては、少なからずショックであった。
この年にしていい勉強をさせてもらった。
誰しも生活するために、きっと大変なんだろう。
そのうちステージの近くにいた旅行参加者がやにわに腕を掴まれ引きずられ、仲井さん3人ほどに両手、両足を押さえられて仰向けにさせられた。
その体を「琴」に見立てて、更に1曲。
琴になった80過ぎのご老人は、腰を振り振り。
その上を仲居さんの指が舞う。
興奮に耐え切れず手近の仲居さんに飛びかかるお年より。
田舎のお年よりは、ここまでするのか! と思った。
さて、これで終わりかと思う頃に、今度はある参加者(いずれも私以外はみんな「お年より」)が仲居さんに御指名で、舞台の袖の方へ引っ張られていった。
小柄で大人しい方だったので、またしてもなにが始まるのだろう、とみんなは思っていた。
そして、現れたのは・・・・・。
先ほどのご老人を背中に背負った仲居さんが。何かの子守唄的な演歌に合わせてお膳の間を踊り歩く。
背負われた近所のお年よりは、仲居さんの合図に従って、時おり哺乳瓶代わりのペットボトルを口に含む。
集落の慰安会は、ここまでするのか!
私がとりたてて不思議に思ったことには、
こんなことが目の前で起こっても、誰もさも当たり前のように拍手喝采し、いつものとおり飲み食いして世間話をしている。
誰も、今起こっていることに一抹の疑念や不安、または現実と常識観念とのギャップを感じる人は、いないように見える。
私は、改めて田舎に暮らす人々の奥深さを知った。
懇親会は温泉に入ってお開きになった。
タオルを忘れて来た私は、飲み残しのビールを飲みながら、
自分はまだ田舎暮らし初心者なんだなあと、思った。
【写真は「ここまでするのか!」と驚くロッキー。お前たちもそう思うだろう、と胸を撫で下ろす私です。】
ところが私は、今日だけは暑さをさほど苦にしなくてもいい。
なんてったって、今日は集落の農家組合の研修旅行の日、なのだから。
この旅行は、少なくとも私がこの集落に引っ越してきてからは毎年行われている。
打ち明けて言えば、国や県からの補助金をあてにした、研修とは名ばかりの実質的な慰安旅行に近い。
全戸の家長が集まって、一応何かためになるような見学先を伺い勉強した後は、ゆっくりと温泉に浸かって懇親をはかることが慣例になっている。
今年の見学先は、山奥で杉林の間や減反田に山菜を栽培している農家だった。
かつて杉や松を植林し、林業で生計を立てていた地域は衰退し、過疎化が進む一方だ。その中で植林地に山菜を栽培しながら木が成長するのを待つという、斬新な発想と行動力には感じ入るものがあった。
さて、問題はその後の懇親の部であるが、
とある奥羽山脈の山懐にある温泉ホテル、そこの一室を借り切って、質素ながら山海の酒肴を盛ったお膳を前に、宴は始まる。
座敷には仲居さんが3人ほど付き添ってくれていて、ビールやら焼酎やらの給仕をしてくれていたのだけれど、
縁もたけなわになる頃、出し抜けにこれから踊りが始まるとのアナウンスがあった。
みんなで何ごとかとステージを見ていると、浴衣姿にちょんまげの鬘、三度笠で顔を隠した人物が摺り足で現れ、何かの曲に合わせて踊りを舞った。
「ハイ、次は『無法松の一生』!」
踊りは次から次へと続く。
何度目かで今度は色鮮やかな女物の着物を羽織って現れた。
頭には高島田の鬘を被って。
踊り手がステージを降りてお膳の前を艶やかに通った時に、目の悪い私はその時初めて、彼がオトコであることを知った。
しかも60近い年配の。
「ゲッ。あの人オトコですよ。」
「うん。そうだね。」
の人たちは、それがさも当たり前のように思っているみたいだ。
温泉ホテルの従業員は、ここまでするのか!
今まで真面目一途な人生を歩いて来た私にとっては、少なからずショックであった。
この年にしていい勉強をさせてもらった。
誰しも生活するために、きっと大変なんだろう。
そのうちステージの近くにいた旅行参加者がやにわに腕を掴まれ引きずられ、仲井さん3人ほどに両手、両足を押さえられて仰向けにさせられた。
その体を「琴」に見立てて、更に1曲。
琴になった80過ぎのご老人は、腰を振り振り。
その上を仲居さんの指が舞う。
興奮に耐え切れず手近の仲居さんに飛びかかるお年より。
田舎のお年よりは、ここまでするのか! と思った。
さて、これで終わりかと思う頃に、今度はある参加者(いずれも私以外はみんな「お年より」)が仲居さんに御指名で、舞台の袖の方へ引っ張られていった。
小柄で大人しい方だったので、またしてもなにが始まるのだろう、とみんなは思っていた。
そして、現れたのは・・・・・。
先ほどのご老人を背中に背負った仲居さんが。何かの子守唄的な演歌に合わせてお膳の間を踊り歩く。
背負われた近所のお年よりは、仲居さんの合図に従って、時おり哺乳瓶代わりのペットボトルを口に含む。
集落の慰安会は、ここまでするのか!
私がとりたてて不思議に思ったことには、
こんなことが目の前で起こっても、誰もさも当たり前のように拍手喝采し、いつものとおり飲み食いして世間話をしている。
誰も、今起こっていることに一抹の疑念や不安、または現実と常識観念とのギャップを感じる人は、いないように見える。
私は、改めて田舎に暮らす人々の奥深さを知った。
懇親会は温泉に入ってお開きになった。
タオルを忘れて来た私は、飲み残しのビールを飲みながら、
自分はまだ田舎暮らし初心者なんだなあと、思った。
【写真は「ここまでするのか!」と驚くロッキー。お前たちもそう思うだろう、と胸を撫で下ろす私です。】
楽しい!
これは、いい!
私のいまの酔い具合だったら、解け込めそうです。
なんか、いいなあ。
agricoさん、楽しかったでしょうねえ・・・。
ことのほか私にとっては刺身や料理が嬉しいし、
時には珍しい体験もいいものですね。
でも、かえって疲れました。
女体盛りがなくてよかったですね(スミマセン、下品で・・・)
サンフランシスコとかではやっているらしいです。
アメリカ人おそるべしです。
それで、あれほどまでのサービスをしてるのか・・・。
記事には書かなかったけど、仲居さんが三味線を弾きますと言って、鉄のスコップを斜に構え、スプーンをバチ替わりに唄った一場面もありました。
もしかしたら、三味線も買えないくらい、経営が逼迫してるのかもしれませんよ。