久しぶりの更新です。
でも他愛もない話をして去ります・・。
最近は時間がなくてAKB48関連のこともひたすらROMっていたのですが、思うことが一つあるのですね。
それは依然から繰り返し主張してきたことに一貫して共通していることなのです。
私は日頃「組織」について語ることが多いのですが、いつも次のようなことに理解を求めます。
私たちに欠けているものは「アイディア」でも「意欲」でも「能力」でもない。
欠けているのは、タネを撒いたら立派な作物が育つ豊かな「土壌(組織力)」である。
組織力に欠ければ、どんな筋の良いタネでも枯れて育つことはない。
森に分け入って偶然、有益な植物(アイディア)を手にすることを狙う狩猟採集民族的な組織運営はやめて、
品種と土壌の改良を繰り返し研究し、獲得するべきものとして作物を獲得する農耕民族的な組織運営をするべきではないのか。
狩猟採集民族的な組織運営でも、運が良ければ素晴らしい動植物を獲得できるかもしれない。
だが、人類の歴史が証明しているように、地球上で繁栄しているのは農耕民族の方だ。
それは圧倒的な生産性の違いによるものだ。(養える人口でいうと10倍~100倍の違い)
農耕革命によって食料の蓄積・配分が可能になると、分業が可能になる。
これが職業を生み、また専門化を推進し、これがまた生産性を高める。
産業革命は資本蓄積・配分が可能になったことによる分業の促進という点において、農耕革命と同様であった。
農耕革命の前には言語革命があって、これが技術の伝承を可能にし、つまり農耕を促進した。
今は、IT革命によって情報の蓄積・配分が可能となり、さらに分業が進み、違いが先鋭化してきている。
もちろん、アダム・スミスが国富論で指摘したように、分業は人間の視野狭窄を引き起こすという弊害もある。
だから、今日における先進的な経営論者は、効率化と合理化によって分業を促進する近代経営管理手法を乗り越えるべく「統合」の重要性を主張する。
分業が進み過ぎた現代では、新たな別次元の問題解決の必要性に迫られている。
話がそれたが、農耕民族的な組織運営は一定の場所に留まるということではない。
それは絶え間ない試行錯誤の繰り返しということを一側面では意味しているのだ。
農耕革命は狩猟採集生活から農耕生活への非常に大きなイノベーションであった。
元来、狩猟採集生活を送ってきた人類にとって農耕生活は誇り得たものだっただろうか。
狩りで獲物を仕留めてくることに対し、農耕生活は地味で誇らしくない活動だったに違いない。
しかも原生植物のままでは生産性は低く、当初は補助的な食物にしかならなかった。
数百年~数千年という長い時間をかけて品種改良をした結果、今のような作物として有効になったのだ。
物事を単純化し過ぎと批判されるかもしれないが、つまりはこういうことだ。
その場所で獲物が取れなくなったら他の場所へ移動するだけだった狩猟採集生活ではなく、その場所で生き抜く術を磨き上げるといおう農耕生活の方が、結果として生き残ったということだ。
実際、農耕民族はその場所に留まらず、よりよい土地を求め、領土を拡大するなどした。
決して一定の場所に留まっていない。
ただ、それゆえ農耕民族は狩猟採集民族に対して好戦的で無慈悲であったことも確かなのだが・・
それも分業の賜物であって、組織運営の弊害にもなってくるので、それもまた先に述べたように別次元の問題と向き合わなければならなくなる。
ただ、アイディアを狩るのではなく、土壌(組織力)を醸成しタネ(アイディア)を撒いたら育つということの重要さを、伝えたいだけなんだ。
いや、チーム4の一周年にかけたわけではなく、AKB48全体についてだね・・
でも他愛もない話をして去ります・・。
最近は時間がなくてAKB48関連のこともひたすらROMっていたのですが、思うことが一つあるのですね。
それは依然から繰り返し主張してきたことに一貫して共通していることなのです。
私は日頃「組織」について語ることが多いのですが、いつも次のようなことに理解を求めます。
私たちに欠けているものは「アイディア」でも「意欲」でも「能力」でもない。
欠けているのは、タネを撒いたら立派な作物が育つ豊かな「土壌(組織力)」である。
組織力に欠ければ、どんな筋の良いタネでも枯れて育つことはない。
森に分け入って偶然、有益な植物(アイディア)を手にすることを狙う狩猟採集民族的な組織運営はやめて、
品種と土壌の改良を繰り返し研究し、獲得するべきものとして作物を獲得する農耕民族的な組織運営をするべきではないのか。
狩猟採集民族的な組織運営でも、運が良ければ素晴らしい動植物を獲得できるかもしれない。
だが、人類の歴史が証明しているように、地球上で繁栄しているのは農耕民族の方だ。
それは圧倒的な生産性の違いによるものだ。(養える人口でいうと10倍~100倍の違い)
農耕革命によって食料の蓄積・配分が可能になると、分業が可能になる。
これが職業を生み、また専門化を推進し、これがまた生産性を高める。
産業革命は資本蓄積・配分が可能になったことによる分業の促進という点において、農耕革命と同様であった。
農耕革命の前には言語革命があって、これが技術の伝承を可能にし、つまり農耕を促進した。
今は、IT革命によって情報の蓄積・配分が可能となり、さらに分業が進み、違いが先鋭化してきている。
もちろん、アダム・スミスが国富論で指摘したように、分業は人間の視野狭窄を引き起こすという弊害もある。
だから、今日における先進的な経営論者は、効率化と合理化によって分業を促進する近代経営管理手法を乗り越えるべく「統合」の重要性を主張する。
分業が進み過ぎた現代では、新たな別次元の問題解決の必要性に迫られている。
話がそれたが、農耕民族的な組織運営は一定の場所に留まるということではない。
それは絶え間ない試行錯誤の繰り返しということを一側面では意味しているのだ。
農耕革命は狩猟採集生活から農耕生活への非常に大きなイノベーションであった。
元来、狩猟採集生活を送ってきた人類にとって農耕生活は誇り得たものだっただろうか。
狩りで獲物を仕留めてくることに対し、農耕生活は地味で誇らしくない活動だったに違いない。
しかも原生植物のままでは生産性は低く、当初は補助的な食物にしかならなかった。
数百年~数千年という長い時間をかけて品種改良をした結果、今のような作物として有効になったのだ。
物事を単純化し過ぎと批判されるかもしれないが、つまりはこういうことだ。
その場所で獲物が取れなくなったら他の場所へ移動するだけだった狩猟採集生活ではなく、その場所で生き抜く術を磨き上げるといおう農耕生活の方が、結果として生き残ったということだ。
実際、農耕民族はその場所に留まらず、よりよい土地を求め、領土を拡大するなどした。
決して一定の場所に留まっていない。
ただ、それゆえ農耕民族は狩猟採集民族に対して好戦的で無慈悲であったことも確かなのだが・・
それも分業の賜物であって、組織運営の弊害にもなってくるので、それもまた先に述べたように別次元の問題と向き合わなければならなくなる。
ただ、アイディアを狩るのではなく、土壌(組織力)を醸成しタネ(アイディア)を撒いたら育つということの重要さを、伝えたいだけなんだ。
いや、チーム4の一周年にかけたわけではなく、AKB48全体についてだね・・