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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

原発事故後の話

2011-03-18 19:26:20 | ブログ情報(News Release)
Twitterを眺めていたら、今回の事故が落ち着いたら、福島原発周辺には人が住めなくなるが、そこに太陽光発電と風力発電の一大拠点にするというアイディアが。
土地の特徴や日照率、風量などの情報がないから実効性はよくわからないが、有効な土地活用の観点からしてとてもいいアイディアだと思う。

こういうことを考え出すと、少し明るい未来が見えてくる。
少し希望のある話に思えてこないだろうか。
それとも、こういう話も不謹慎と扱われてしまうだろうか。

費用対効果の面で成立しない話かもしれないが、事故現場が決して不毛な大地になるわけではなく、むしろ未来のための土地になるというストーリーが見えてくるだけで、ほんの少し明るい気持ちにならないだろうか。
アメリカのスリーマイル島は今では動物達が済む自然溢れる場所になっているそうだ。

世の中には不安や恐怖を好んで漁る暇人が多いけれど、本当は我々が聞きたいのはそういう話ではなく、希望に満ちた話のはずだ。
事故が収束していない今の段階で表立って言うことはできないが、落ち着いたらみんなで議論したらよいと思う。

私は微笑む。ささやかな無駄な抵抗でもやる。

2011-03-18 16:52:32 | ブログ情報(News Release)
本エントリは私の心の叫びです。

前回のエントリで「空気をつくろう!」と呼びかけたわけだが、実はそういう私も空気に呑まれていた。
それに気づいたのは昨日だ。
そして、昨日、ようやく私は吹っ切れた。

昨日、夕方の電力消費ピークに合わせて首都圏で大規模停電の恐れがあると海江田経産相が会見した。
当然ながら皆が駅に殺到した。
皆の頭の脳裏に3月11日の地震発生後に電車が全線停止した悪夢が焼き付いていたことも無関係であるまい。
電車が停止すれば数百万人が帰宅難民化するのだ。
誰もが我先に駅に走った。
私は大臣の会見がブラフ(脅し)だとわかっていながら、何に駆られてか帰宅ラッシュのピークより前に電車に乗らなければと駅に走った。

駅は人で溢れかえり、当然ながら電車の中は圧力で足が宙に浮き電車が揺れる度に腰の骨が折れそうになるほどの混雑になる。
何よりも辛いのは、電車の中が人々が殺気立って非常に息苦しい空間になることだ。
怒号が鳴り響き、喧嘩が始まる。
日本人は整然としていて規律正しいというのは一般的な話で、中には嫌な奴やうるさい奴もいる。

そんな電車に数十分ゆられて、ようやく自宅の最寄駅に着く。
今度は電車から降りるのが大変だ。
降りれないんじゃないかと思うほど混雑しているから、皆が全力で押し合うから電車内部は大変なもみ合いになる。
流れに乗れないと降りれない。

電車から降りて、筋肉の硬直で疲れ切った身体の節々をマッサージで和らげる。
なんとも言えない気持ちを抱えたまま帰るのが嫌になって、一杯飲んで帰ろうと思ったら複合商業施設は軒並み午後6時で営業終了。
外の個人商店を探すが時間が悪くどこも満席。
やるせない気持ちのまま帰りのスーパーで酒とリンゴを買って帰ろうとすると、携帯が鳴ってティッシュを買って来いと言われる。
スーパーでは既に売れ切れだったので駅の近くまで戻ってドラックストアをハシゴするが、どこも売り切れ。
おいおい・・トイレットペーパー切れそうな人はどうしろって言うんだ?
そりゃ被災地に比べれば、どうでもよい悩みかもしれないけれど。

その時、どこからともなく聞こえた気がした。


「ばっかじゃなかろうか」
「何に一生懸命になってるのさ」


あぁ・・その通りだ。
突然、自分が恥ずかしくなった。
私は一体何に追われていたのだろうか。

停電がどうした。
日本の経済活動が停電で停滞してしてしまうことは何とか防がなければならないが、停電で帰るのが遅くなったり一日帰れなくなったり、どうでもいいじゃないかそんなこと。
医療的に電気を必要としている人は別として、家の電気がつかない、暖房つかない、一食抜かなければならない、風呂に入れない。
それが何か大きな問題でもあるのか?

買いだめ走るのは経済学的に見て合理的行動だ?
馬鹿なこと言ってんじゃないよ。
全然合理的じゃないだろ。
そんな貧しい生き方のどこが合理的だ。
不幸度を増加させる最強の要素「取り越し苦労」にかられた行動だ。
幸福度に換算すれば最低だろ。

また地震が来て家族の消息が掴めないという状況ならまだしも、首都圏で無事が確認されているなら騒ぐ必要が全くといっていいほどない。
被災地や福島原発に向かう自衛隊員や電力会社職員でもないのに、家族が仕事に行ったまま1日帰れないくらいで何か問題があるのか?

今、やるべきことは被災者(被害者)ぶることじゃない。

「停電ごときでガタガタぬかすな。」

が自然と口から出た。
自分に向けたメッセージだ。

この空気に呑まれたまま右往左往することは楽だ。
集団同調バイアスにかられて何も考えずに流されればよい。
だが、私はこの空気と闘わねばならないと決意した。

とりあえず、今後は早目の帰宅をやめる。
できれば帰りに一杯飲む。
深刻なふりしてTV報道を見るのをやめる。

そして、とにかく笑う。
人々に微笑む。(気持ち悪いけど)
笑い飛ばしてやる。


とにかく、このままでは企業がバタバタ倒れていく。
そうすると人々もバタバタ倒れていくことになる。
また「反原発」の流れも勢いづいてきたが、冷静になって考えてみる必要があるだろう。
いいかい、今日本人にとっての最大の問題は「原発」なんかじゃない。
気候変動の問題もどうするつもりだ。
(私は地球温暖化問題についてのスタンスは保留しているが)
いくら短期的な目先の事象が衝撃的なものでも、長期的にもっと大きなリスクを無視してはだめだ。

空気をかえよう。
このままで損害が大きくなるばかりだ。

「退避すべきかとどまるべきか」放射線被ばくを深く心配されている方々へ

2011-03-18 12:13:30 | ブログ情報(News Release)
原子力工学の研究者である北村晴彦東北大学名誉教授の、3月17日午後時点での見解。
これぞ「ザ・大人の意見」。


このように説明をされてもなお心配される人も多いでしょう。
特に幼いお子さんを抱えておられる方は、一層心配が大きいと思います。
大きな困難なしで遠距離に避難できる方は避難するという選択肢も合理性はあると思います。心理的不安が低減することにも健康上の意味があるとも思います。

一方でその移動過程や避難先で、別の心理ストレスが高まって母子に悪影響がある可能性も無視できないと思います。
また仮に現時点での放射線量はそれほど心配しなくてよいだろうという本稿の判断は了解された方の中にも、事故のさらなる拡大と放出放射性物質量の一層の増大を懸念される方も多いと思います。その点が心配だから、やはり避難を考えたいという方々も少なくないはずです。

この点に関しては、本日現在進行中である高圧放水車による注水、外部からの電源供給ラインの接続、いずれかの手段が機能し出せば危険の度合いはだいぶ少なくなるというのが私見です。冒頭に記したように、『こんな事態を防止できなかった原子力関係者が今さら何を語ることができるのか……』『信用などしてもらえるのか』という想いをかみしめながら、それでも技術的な予測としてはあえて記しておきたいと思います。

以上を総合した上で、『退避するかしないかの総合判断は、原子力や放射線の専門家がすることではなく個人個人がすること』という田口さんの見解をはっきりと支持したいと思います。このような困難への対応は、各人が自分の判断でしていただくしかないのが現実であると思います。小生としては、その際のご参考の一助として、本稿を記しました。なお、余計なことながら、色々な事情で現実に家族としての退避行動が全くとれない方々も沢山おられると思います。そのような方々向けには、『ご心配でしょうが現実的脅威はこのような内容のものです。少なくとも現状はまだ忍耐できる範囲であると考えてよろしいと小生は考えています』という気持ちで記しました。


全文コピーしておきます。
一読する価値は大いにあります。

「退避すべきかとどまるべきか」放射線被ばくを深く心配されている方々へ(2011年3月17日午後時点の情報を踏まえて) (ガジェット通信)
http://getnews.jp/archives/105218


福島原発の件について、原子力工学の研究者である北村晴彦東北大学名誉教授に3月17日午後時点での見解をご寄稿いただきました。この見解の表明は、作家である田口ランディさんと北村晴彦名誉教授とのメールのやりとりの中でおこなわれました。ガジェット通信でのご紹介をお願いしたところ、快諾いただきました。(編集:ガジェット通信 深水英一郎)

この記事のすべての図やリンクなどをそのままの状態でご覧になりたい場合は、ガジェット通信の本サイトをおたずねください。

北村正晴 東北大学名誉教授 プロフィール
1942年生まれ。東北大学大学院工学研究科博士課程(原子核専攻)修了。工学博士(東北大学)。研究分野はリスク評価・管理学、大規模機械システムの安全学。

●放射線被ばくを深く心配されている方々へ

福島の状況は依然として憂慮すべき状態です。
原子力工学の教育研究に長年従事していた人間として、無力感、焦燥感を感じることはいうまでもありません。『こんな事態を防止できなかった原子力関係者が今さら何を語ることができるのか……』という想いもあります。ただ、今の時点ではその心はあえて封じ、放射線被ばくを深く心配されている方々へ、現状と対策に関しての私的見解を記しておきたいと思います。

小生は現状(2011年3月17日時点)でもなお、原子力発電所の近くの方々は別として、距離が100km以上離れている人は退避してもしなくても、結果に大きな違いはないと思っています。微量の被ばくは健康に影響ないなどと行政機関声明のくりかえしを言っているのではありません。自分や家族の放射線被ばくの危険を懸念し退避したいと考えることは人間として全く自然なことだしそれを否定もしていません。ただ以下の事実は、被ばくを心配する方々のご参考として記しておきたいと思います。

原子力史上最悪の原子力事故であるチェルノブイリ事故、大気圏内核実験などからは、100km、200km、いやそれ以上離れていても微量の放射性物質は移動していくことは確認されています。今回の事故でもすでに都内でも平常時より大きな放射線量は観測されていることはご承知の通りです。東京の測定値は平常値が毎時0.028~0.079マイクロシーベルトくらいなそうですが、16日午後4時~午後5時の観測値は毎時0.054マイクロシーベルトです(3月17日の日経新聞記事より)。
この値は1年間浴び続けると0.473ミリシーベルトになりますが、これは1年間分の被ばく量制限値1ミリシーベルトに達しません。そしてこの1ミリシーベルトという被ばく制限値は、それを超えた値が観測されたら直ちに危険だというわけではないこともご理解いただきたいと思います。

多くの地域で観測されている放射線量の測定値はチェルノブイリ事故の時も、もっと以前にアメリカとソ連が軍拡競争を続けていて核実験をくりかえしていたころも、すでにわれわれ日本人が経験しているレベルであることも事実なのです。決して望ましくはないですが、距離100kmを超える地域、典型的には東京あたりでの今回の放射性物質放出量が数週間継続する程度であるならば、その実害は忍耐できる範囲であると個人的には考えています。


http://www.kankyo-hoshano.go.jp/01/0101flash/01010221.html

添付資料”セシウム(Cs)137の年次変化”をご覧ください。このファイルにも記載の通り、『現在、セシウム-137の月間降下量は1970年代の1/20程度のレベルです。』とされています。言い換えればセシウム137に関する限り我々は現在の平常値と比べて20倍程度の降下量を70年代には何年間も経験していたことになります。むろんセシウム-137の降下量とすべての原子炉からの放出放射性物質とは挙動が異なりますが、大まかに見て似たような傾向は示すと思います。


http://search.kankyo-hoshano.go.jp/food/dekigoto.html

さらに添付資料“環境放射能の年次推移”をご覧ください。これらのグラフの右端近く(1998年以降)の放射性物質(ストロンチウム-90)濃度と1960年代前半を比べると概ね1,000倍も値が大きいことがお分かりいただけると思います。現在の平常値に比べて20倍ではなく1,000倍の値の放射性物質降下が何年も続いていたのです。ここでもストロンチウム-90の降下量とすべての原子炉からの放出放射性物質の降下量とは挙動が若干異なりますが、大まかに見て似たような傾向は示すはずです。そして1,000倍以上のストロンチウム-90降下量が続いていたこの期間に誕生した子供たちの中に、特に悪い影響がみられるという指摘は(あるのかも知れませんが)私は知りません。

以上は国際的にも認識が共有されている事実データだと思います。異論もあるかも知れませんが、大多数の環境放射能研究者はこのデータは認めていると思います。

現在日本で採用されている、一般人は1年間で1ミリシーベルト(1mSv)という被ばく制限値は国際的な評価組織であるICRP(International Commission on Radiological Protection)の勧告を踏まえて定められています。個人的にはこの制限値は十分合理的であると思います。自然放射能による被ばく(2.4mSv)と同程度かそれ以下の被ばくを追加で受けることが危険だとはどうしても思えないからです。

一方で、このICRP判断に対して批判的な研究者も少なくないことも事実です。代表的な批判的研究者集団として知られているECRR(European Committee on Radiation Risk)の判断を紹介した文章では、(詳細は省略しますが)以下のように述べられています。

/たとえば、チェルノブイリ事故後の小児白血病の発症では、ミニサテライトDNAivの突然変異などを考慮に入れると、ECRRが見積もる放射線のリスクはICRPの100倍から1000倍にも跳ね上がる。致死がんのリスク係数としてICRPが採用するのは0.05/Sv(「集団の線量として1Svを浴びると100人のうち5人ががんで死亡する」だが、ECRRは(中略)、致死がんのリスク係数はICRPの2倍、すなわち0.1/Svとしている.(出典:市民科学研究室・低線量被曝プロジェクト)/

つまり、現在国際的には主流であるICRPを強く批判しもっと厳しい規制を要求するECRR報告の立場をとるならば、1960年代には現在とは大いに様相の異なる小児がん発症が見られたことになると思います。
実際にECRRによれば、下記のような事実認識が述べられています。

/1959年から1963年にかけて世界中で行われた大気圏内核実験や、原発や再処理工場など核燃料サイクル施設の稼働により放出された大量の放射能により、癌やその他の健康被害など人々の健康被害が明らかに増加していると結論する。具体的には、1945年から1989年までで、6160万もの人々が被曝による癌で死亡しているという。ICRPのリスク評価モデルで計算すると、その数は117万人である。ECRRによれば、さらに160万の子ども達と胎児190万人が放射線被曝のために亡くなっている。/

この死亡者数を見るととても大きい値というインパクトを感じます。しかし45年間にわたり放射線に由来する癌死亡者数が世界中で6160万人、子供たちの被ばく死が胎児を含めて350万人という値は、一年あたりでは、それぞれ140万人、8万人となるのです.世界中の人口1950年で25億、1985年で50億人もあるという実態(従って年間死亡者は5,000万人~1億人程度)を考えたとき、これをどの程度深刻に受け取るべきかは、人によって違う見解があるでしょう。
なお上記の死亡者数は、世界的には承認されているICRPが推定している値のおよそ52倍という大きな推定値であることも再確認したいと思います。

このように説明をされてもなお心配される人も多いでしょう。
特に幼いお子さんを抱えておられる方は、一層心配が大きいと思います。
大きな困難なしで遠距離に避難できる方は避難するという選択肢も合理性はあると思います。心理的不安が低減することにも健康上の意味があるとも思います。

一方でその移動過程や避難先で、別の心理ストレスが高まって母子に悪影響がある可能性も無視できないと思います。
また仮に現時点での放射線量はそれほど心配しなくてよいだろうという本稿の判断は了解された方の中にも、事故のさらなる拡大と放出放射性物質量の一層の増大を懸念される方も多いと思います。その点が心配だから、やはり避難を考えたいという方々も少なくないはずです。

この点に関しては、本日現在進行中である高圧放水車による注水、外部からの電源供給ラインの接続、いずれかの手段が機能し出せば危険の度合いはだいぶ少なくなるというのが私見です。冒頭に記したように、『こんな事態を防止できなかった原子力関係者が今さら何を語ることができるのか……』『信用などしてもらえるのか』という想いをかみしめながら、それでも技術的な予測としてはあえて記しておきたいと思います。

以上を総合した上で、『退避するかしないかの総合判断は、原子力や放射線の専門家がすることではなく個人個人がすること』という田口さんの見解をはっきりと支持したいと思います。このような困難への対応は、各人が自分の判断でしていただくしかないのが現実であると思います。小生としては、その際のご参考の一助として、本稿を記しました。なお、余計なことながら、色々な事情で現実に家族としての退避行動が全くとれない方々も沢山おられると思います。そのような方々向けには、『ご心配でしょうが現実的脅威はこのような内容のものです。少なくとも現状はまだ忍耐できる範囲であると考えてよろしいと小生は考えています』という気持ちで記しました。

※この文章は2011年3月17日午後の時点での報道情報を踏まえて記しました(北村正晴)

巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

2011-03-17 21:02:12 | ブログ情報(News Release)
被災地の学校ではない。
だが、若者達は今回の地震を現実としてみている。
多くの大人たちは現実から隔絶された情報としてしかみていない。
若者達がその感性で感じ取っているのに対し、大人たちはメディアを通して知ってるつもりになっているに過ぎないからだ。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)2011.03.17
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/


学校からのお知らせ
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32



 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。


立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司

さすが米軍・・・自衛隊とでは戦略レベルが違う

2011-03-17 16:32:01 | ブログ情報(News Release)
さすが米軍・・世界最強と言われるだけのことはある・・

U.S. AIR FORCE
http://www.af.mil/

Special-ops Airmen open strategic runways for relief operations
米軍特殊作戦部隊のMC-130 コンバット・タロンが仙台空港に着陸したところ
http://www.af.mil/news/story.asp?id=123247144

つまるところ、米軍によって仙台空港が使えるということであり、米国からの物資の輸送状況が劇的に改善されるわけだ。

もはや戦争と同じなのですよ。
今回の地震は。
だから実践に根ざした戦略レベルが如実に表れるわけですな。
その辺のことは詳しくないですが。

持つべきものは友達

2011-03-17 12:26:13 | ブログ情報(News Release)
アメリカ第7艦隊(@US7thFlt)のTweetによると、アメリカの石油コンビナート火災などで使われるポンプが福島に向かっているとか。
原子力空母ロナルド・レーガンといい今回の地震で「持つべきものは友達」という意味が身に染みてわかる・・。
いや、もちろんアメリカはアメリカの国益に従って行動していることはわかっているが。


15日の夜、高圧ポンプが救難艦セーフガードから横須賀に降ろされ、福島原発での作業員による使用を目的として、日本政府に渡すために米空軍横田基地へと移送。また、16日の午後には追加の高圧ポンプ4基が佐世保から届けられました。


いつ福島に届くのだこれは?
にしても今回の地震がなかったアメリカ第7艦隊のTweetを見ることもなかったな・・。

3月16日になってようやく救援物資の自衛隊による輸送スキームが決まる

2011-03-17 10:04:49 | ブログ情報(News Release)
3月16日になってようやく決まるとは。
遅すぎる。
こんなことは2日目の3/13には方針を決めて走るべきなんだよ。
もともと日本政府は縦割りで統合機能が弱いけれど、今の政府には統合機能が不足し過ぎている。

地方公共団体及び民間からの救援物資の自衛隊による輸送スキーム(防衛省・自衛隊)
http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/16a.html

デマに騙されないように、まず基本的な物理学の知識を勉強してみよう

2011-03-16 18:29:39 | ブログ情報(News Release)
よいブログを見つけました。
いいですか、この内容を理解するために必要なのは、高校の教科書程度の理解です。
だから、多くの日本人が理解できるはずのレベルです。
なので私なんかはTV報道を見ていて「TV人の頭は大丈夫か?」などと思ってしまうわけです。
日本では「理系離れが・・」などと言われて久しいですが、それ以前の問題のような気がしてきました。
文系どころか感覚系ですかね。

だからチェルノブイリとは違うって何度言えば分かるんだってばよ!原発についてまとめてみた(icoro)
http://www.icoro.com/201103145746.html

今回の地震でネット世代と非ネット世代の違いがよくわかる。

2011-03-16 18:01:48 | ブログ情報(News Release)
原子核とか放射線とかと、放射線の人体への影響は別分野の話。
なぜ報道では原子力工学の先生が放射線の人体への影響の説明をしているのかが謎。

とりあえず、東大病院放射治療チーム(team_nakagawa)のtweetをフォローしましょう。

よく考えなくてもわかるけど、買占めや買い溜めに走ってる人はみんなネットを使いこない人々ばかり。
TV報道ばかりに依存しているからデマに流される。
そもそも「チェルノブイリ」と言われてパニックになるのは、明らかに情報力不足。
石油ショックや米騒動の経験しか彼らの頭にない。


そもそも放射線被ばくがある、ない、という議論は無意味です。なぜなら、ふつうに生きているだけで、私たちはみんな”被ばくしている”からです。世界平均で1年間に2.4mSv「ミリシーベルト」という量の放射線をあびます(大気、大地、宇宙、食料等から発せられる放射線を自然被ばくと言います)

昨日(2011年3月15日)、東京周辺では、1時間当たり1μSv程度の放射線が観測されています。これは、大気、食料などから普段あびている自然被ばくと比べるとどの程度のものになるでしょう?現在の東京に100日いると、2.4mSv=2400μSvあびることになります。

つまり、昨日の状況が続くと、普通は1年であびる放射線量を100日であびることになります。通常の3倍程度の放射線をあびることになるということです。まず、この放射線量が医学的にどの程度の影響を持つ量なのかを考えたいと思います。

極端な例ですが、全身に4,000,000μSv(4百万マイクロシーベルト)あびると、60日後に50%の確率で亡くなります。

200mSv(ミリシーベルト)つまり200,000μSv(20万マイクロシーベルト)が医学の検査でわかる最も少ない放射線の量と言われています。症状が出るのは、1,000mSvすなわち1,000,000μSv(百万マイクロシーベルト)からです。

もっと低い放射線量では、症状もなく、検査でも分かりませんが、発がんのリスクは若干上がります。ただし、およそ100mSv(ミリシーベルト)の蓄積以上でなければ発がんのリスクも上がりません。危険が高まると言っても、100mSvの蓄積で、0.5%程度です。

そもそも日本は世界一のがん大国で、2人に1人が、がんになります。つまり50%の危険が、100mSvあびると50.5%になるわけです。タバコを吸う方がよほど危険です。現在の1時間当たり1μSvの被ばくが続くと、11.4年で100mSvに到達しますが、いかに危険が少ないか分かります。


なんどもいうように、東京で被曝がどうだとかひたすら報道する時間があるんだったら受動喫煙対策に情熱を燃やした方がはるかに効果が高い。
個人的にもそっちの方がずっと嬉しい。
放射線よりも、その辺でタバコ吸っている人をなんとかしてもらいたい。
こちらの方がより現実的な問題です。

報道機関の被害者、増大中

2011-03-16 17:29:23 | ブログ情報(News Release)
違った意味での被害者がここにも・・
この被害者を作っているのは報道機関だ。

東日本大震災:東京駅にも避難者の列(毎日JP)
http://mainichi.jp/select/today/news/20110316k0000m040072000c.html

メディアは人々の心と現実との間に城壁のような壁をつくり、人々と現実とを隔絶させる。
人々は壁の向こうの現実をメディアを通して知る。
メディアは拡声器の役割を果たす。
人々はメディアを通じて壁の向こう側から現実を見たつもりになる。
だが、それは現実などではない。

問題は、拡声器がどのような拡声器かということだが、日本の報道機関は、まさに被害を拡散し続ける負の拡声器だ。

大東亜戦争時の異常な空気はかくして作られたか・・。

今回の原発事故は「均衡ある国土の発展」ドグマを終焉するチャンス

2011-03-15 18:48:31 | ブログ情報(News Release)
ネット上のある言論が気になって、このエントリを書く。
私は訳あって原発誘致の議論について少し詳しい。
昔、原発賛成派と反対派との激烈な攻防を見たことがあるからだ。

私の義兄弟が原発関係者と他のエントリで言及したが、実は私自身が原発誘致の争いの最中に身をおいたことがある。
原発関係者なら誰もが諦めていることだが、原発反対派を説得することはほぼ不可能だ。
反対派は原発そのものに反対なのだから、説得しようがない。

それを端的にあらわすやりとりをここに掲載しよう。

住民:原発が絶対安心といえるか?!

東電:「絶対」とは言い切れません。ですが安全性は高いです!

住民:ほら見ろ!安全じゃないじゃないか!

東電:「・・・。」

このやりとりの答えは最初から決まっている。
東電関係者が「絶対」と言えば嘘になる。
可能性が0ということは誰にも保証できない。
今回の福島原発の場合、津波の高さの想定が7mで、実際が14mだったことが問題視されている。

ということは今後、原発を建設する際、津波の高さを20mと想定すべきなのだろうか?
だが30mの津波が起きないと保証することはできないから、仮に東電が20mの津波を想定したとしても「絶対」とは言い切れない。
「絶対」などあり得ないのだ。
しかし、住民は「絶対」を求める。

だから、東電関係者がどこかで「絶対大丈夫です!」と言ってしまうことが起きてしまう。
それをもって過去に東電関係者が「絶対大丈夫と言った」などという批判が出てくる。

だがしかし、論理的思考能力を持った人なら誰でも、「絶対」を保証することが不可能であることぐらい理解できる。
住民側が絶対を求める限り、電力会社は原発を建設できない。

こんなことを繰り返していたら、日本という国のエネルギー政策は定まらない。

この難しさは何といっても「均衡ある国土の発展」ドグマから来ているのではないか。
日本国民身は憲法で移住の自由は保障されているが、どこに住んでも同様の社会福祉が提供されることを保証しているとは必ずしも受け取れない。
エネルギー政策の観点からしても、生物多様性の観点からしても、日本人は一度、どこに住むべきかについて国民的議論を巻き起こしてもよいのではないだろうか。

放射線被曝に関するわかりやすい解説サイト

2011-03-15 13:28:44 | ブログ情報(News Release)
今日は朝からネットサーフィンばかりして疲れた。
とりあえず、原発事故に関連してわかりやすく書いてあるリンク先をまとめる。

原発に関するQ&Aまとめ(SMC Japan)
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=752

東北地方太平洋沖地震の関連情報:ネット上の専門家コメント(SMC Japan)
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=750

東北地方太平洋沖地震に伴い発生した原子力発電所被害に関する放射能分野の基礎知識(放射線医学総合研究所)
http://www.nirs.go.jp/information/info.php?i3

先ほども書いたように、被曝を心配する前に喫煙をやめたまえ。
全国放送で被曝の注意をする時間があるなら受動喫煙に関する対策をした方が効果が高い。
この点、報道機関のバランス感覚が悪すぎる。


放射線に被ばくすると健康に影響を及ぼすことがありますが、その影響の有無と種類は被ばくした量で違います(図)。被ばくした放射線量が、例えば100mSv(ミリシーベルト)以下では、ただちに健康に影響を及ぼすことはありません。また、被ばくした放射線量が高いほど数年後から数十年後にがんになる危険性が高まると考えられますが、その危険性は、例えば100mSv(ミリシーベルト)の放射線量で0.5%程度です。これは喫煙や食事などの生活習慣を原因とするがんの危険性よりも数十分の一程度低い値で、過度に心配する必要はありません。

東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力発電所の現状及びその理解に役立つと思われる放射能の知識(Akio Kawasaki)
http://web.mit.edu/jam/www/NuclPwrPlnt2.pdf

基本的な知識だが、放射線は日常的に宇宙からも降ってきているので、上空に上がれば空気が少なくなるから被曝量が増える。
東京⇔ニューヨーク間を飛行機で1往復すると200マイクロシーベルトの被曝です。
つまるところ、東京⇔ニューヨーク間を5往復した人は1000マイクロシーベルトの被曝ですな。