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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

最大の敵は日本人の驕り

2010-08-23 12:10:20 | 経済
なぜ日系企業でストが起きるのか
本当の理由を話します(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100819/215871/?P=1

むぅ・・耳が痛いというか、
やっぱりさ、日本人って中国人を少し見下しているような気がするのね。
「新興国」という見方ではなくて「後進国」を見る目だよね。
日本が中国に勝っていたのは、ほんのここ100年足らずの話でしかないのにさ。
中国の経済力を煽る人々も日本には大勢いるけど、口先だけなんだと感じる。
本心のところでは、下に見てるのさ。
経済的の前に、社会的、文化的に劣ったものとして。

これはさ、実は明治から太平洋戦争の終戦まであった考えと同じだと思うね。
自分達が、明治維新に成功して日露戦争に勝利するまでになったことを驕り、
アジア諸国を劣等国として見るようになったあの時代の日本と同じ。

その後の日本がどうなったのかは言うまでもない。

辿り着いたのは「焼け野原」だった。

[つぶやき] 横浜市が物価日本一?

2010-06-25 11:13:47 | 経済
なんだってー!

横浜市、物価水準初の首位 東京を逆転 (日経新聞)
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E0E7E2E2958DE0E7E2E4E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;at=ALL

東京都区部より横浜市の方が物価が高いだって?
なぜ・・ほわい?

「東京は食料品価格の下落が大きかった」って理由になるのかなぁ。
それだと競争が東京の方が激しいってことになる。
東京も貧しくなってきたってことか。

[つぶやき] ほどほどマッチョ

2010-06-03 15:36:05 | 経済
以前、当Blogで取上げた話題『[つぶやき] 介護って人海戦術以外ないのかしら』についてだが、アゴラで池尾和人氏が関係の深い話題を取上げていたのでピックアップ。

外需依存ではなく、逆輸入代替を目指そう--池尾和人
http://agora-web.jp/archives/1022544.html

やはり当Blogの問題意識通り、単純に医療・介護産業に資本を投入したんでは日本にはジリ貧が待ち受けていると池尾氏も指摘する。


もし医療・介護・健康産業といった分野への資源投入を増やさないならば、日本人の多くが、その高齢期において惨めで不満足な状態におかれるということになる。換言すると、そうした悲惨な状態を回避しようとする限りは、医療・介護・健康産業といった分野以外で使える経済資源の量は減っていかざるを得ないということである。そうであれば、医療・介護・健康産業といった分野の生産性を高める努力をできるだけ行うとともに、残された資源の配分の効率性を改善しないと、われわれの生活水準は低下してしまうことになる。


で、どうすべきか、だが。
池尾氏は次のように述べる。


したがって、資源配分の観点からは、医療・介護・健康産業といった分野以外は、日本では比較優位がある活動しか行わないことにすべきである。そして、資源を比較優位のある分野に集中して、それで外貨を稼いで、必要なものの大半は輸入する。要するに、これまで輸入していたものを国内生産に切り替えていくことを「輸入代替」というが、いまの日本にはその逆、いわば「逆輸入代替」が求められているといえる。そして、貯蓄率の低下とともに外貨を貯め込む余裕は段々となくなっていくだろうから、貿易依存度は高まるが、外需依存度は縮小する。


結局は、基本的な認識に戻るということだ。

優位な部分を延ばす。
新しい優位な部分を創造する。
劣位な部分から優位な部分へと転換を図る。
といった経済構造の変革を行うこと以外に答えはないだろうということだ。
無駄を削ぎ落として筋肉質な構造に変革する必要があるのは、企業でも国でも変らない。

ただ、これは何についても同様だが、遊びの全くない構造というのは環境変化に弱い。
だから目指すのはごりマッチョでもなければほそマッチョでもなく、ほどほどマッチョなのである。
市場原理を重視した経済政策を主張すると、全く遊びのない構造を求めているかのように捉えられる場合があるが、必ずしもそうではないことだけは誤解されないようにしておく必要があるだろう。

当り前のことを当たり前に

法人税ゼロの衝撃

2010-04-22 19:08:18 | 経済
【スクープ】政府「法人税ゼロ」検討(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100421/214113/?P=1


政府が今回、法人税減免の対象と想定しているのは、国境を越えて活動する多国籍企業が、アジア域内の拠点を日本に新設するケースだ。「日本のアジア拠点化」を旗印に、海外、特にアジアの新興市場の活力を取り込むことで、日本経済の新たな競争力の核となりうる企業を積極的に誘致する考えだ。

[中略]

目玉となる法人課税の減免は、最大で100%免除とする。企業との個別協議で法人税率を0~10%に減免しているシンガポールなどとの対抗上、大幅な減免が必要と見ている。

[中略]

また、有能な人材を確保するために、所得課税の減免や、親族や家事使用人を含めた入国手続きの簡素化なども検討する。配偶者の就労が制限されている現状も見直す。


本当か。
ここまで踏み込むのか。
逆に日本の企業から自分達に旨味がないと反対意見が出そうだ。
一度やれば全体に広げるしかなくなる。
これは画期的だ。

グーグルが日本で生まれない理由 まえがきのみ

2010-03-11 13:40:58 | 経済
少し前の記事だが、こういう記事を読むと日本との違いが出ていて面白い。

グーグルの最新のデータセンターは非常識なほど進化している(Publickey)
http://www.publickey.jp/blog/09/post_36.html


記事によると、これまでのデータセンターでは、通常は外気と水冷を組み合わせて冷却し、外気温が高いときには冷房装置をさらに稼働させていたそうですが、その冷却装置を持たないデータセンターをグーグルがベルギーで運用開始したとのこと。

この記事では「でももし気候が変わって気温が上がってきたらどうするのか?」と突っ込んだ質問をしていますが、それに対するグーグルの回答はまさに非常識なものでした。データセンターにまたがって負荷を切り替える、というのです。

Google says it will turn off equipment as needed in Belgium and shift computing load to other data centers. This approach is made possible by the scope of the company's global network of data centers,

グーグルの回答は、そのときにはデータセンターの機器をオフにして、負荷をほかのデータセンターに切り替える、というものでした。これは、グローバルにデータセンターをネットワーク化しているグーグルだから可能なことです。

つまりサーバが熱くなったら冷房で冷やすのではなくて、単にスイッチを切って冷めるのを待つというのです。そこまでして冷房を節約することにグーグルはこだわっているのですね。

グーグルは5月に「The Datacenter as a Computer: An Introduction to the Design of Warehouse-Scale Machines (PDF)」という論文を発表していますが、この表題のように、まるで故障時にサーバを切り替えるようにデータセンターを切り替える、というスケールの大きさには圧倒されそうです。

しかもこの話には続きがあり、この記事ではさらに驚くべき考えが紹介されています。それは「月を追いかける(follow the moon)データセンター」というコンセプトです。

夜間は外気温も低く、また電気料金も安くなっています。そこで、世界中のデータセンターのうち、夜になっている地域のデータセンターだけを稼働させれば、低い外気温を活用でき、しかも夜間の安い電気料金を利用できます。これはクラウド技術者のあいだで議論されている構想ですが、グローバルにデータセンターを展開し、その負荷をダイナミックに切り替えられるグーグルであればそれを実現可能かもしれない


普通、データセンターには大量のサーバが設置されているので大規模な冷却システムを備えるものだが、工夫を凝らせば冷却システムを整えなくても済む。という話。
当然、データセンター毎切り替えるとなると、その分、処理能力に余剰が必要となるので、冷却システムにかかるコストと、データセンターを余分に持つコストと、どちらの費用対効果が勝るのかという話になる。
グーグルが後者を取るということは、冷却システムの方がコスト高だということなのだろう。

それともう一つの視点として、データセンターは大規模になると必要な電力量が大きくて、その電力需要を満たせる地域でないと建設できない問題がある。
安定した大規模な電力供給が必要なのだ。
その点、データセンター毎切り替える方式であれば、建設地の自由度が広がる。

だが、これが日本の場合、ちょっと変わる。
まず、データセンターは十分な耐震強度や冷却能力が備わっていなければならないと考える。
抜けのない管理体制もだ。
データを格納する「データセンター」の管理が万全でなければならないと考えるので、コストが高まり、それに従って料金も高くなり、顧客は増えない。
顧客が増えないとサービスの質は高まらず、またビジネス規模も発展しない。

一方、グーグル的観点に立つと、管理が万全であればよいのは「システム」全体であって、「データセンター」ではない。
システム全体でサービスが保証されればよいのであって、そのためのコストが低い方法を選べばいいのだ。
このあたりの発想の違いになんとも日米の差がわかりやすく出ている。

ただ、日本の場合、何か問題があると「データセンターの管理を怠った」などといって叩かれるため、経営者としてはコスト高だとわかっていても、データセンターに重きを置かずにはいられない。
前に当Blogでも述べたが、日本は入力ばかりが重要視されて、出力についてあまり目が行かないのである。
入力を揃えるということが重要で、出力がどうであったかは評価されない。
形式主義もこの一環なのである。
(それが最適であった環境があったからなのだが、ここでは説明は繰り返さない。)

で、ここまでは過去にも述べたことであるが、続きを少し語りたい。
入力と出力の認識に関する違いがどういうところに表れるかというと、「プロセスの創造性」に表れる。

どういうことかというと、入力偏重主義というのは、出力を入力によって制御しようとする試みである。
それに対して、出力に比重を置くと、入力だけでなくプロセスによって制御しようとするのだ。
入力を整えることではなく、プロセスを変える、既存のプロセスではない新しいプロセスを開発するという動きの違いになって表れる。
「プロセスの創造」である。
常識を変え、ルールを変え、やり方を変えるということだ。

組織論を語る上では、この柔軟性が非常に重要になる。
なぜ日本的組織がこの罠にはまり込んでしまうかであるが、それは日本的組織があまりにも環境に適応しようとしてしまうから、適応できてしまうからである。

日本的組織は適応能力が非常に高いが、構造変化に弱い。
適応し切ると組織は硬直化して柔軟性を失う。
だから、組織を進化させたいと思うなら、常に組織を適応しきらない状況に置かねばならない。ありがちな方法は、常に危機感を植えつけることであるが、より本質的な方法は、常に組織をオープンにすることである。

ちょっと時間がないのでここまで。
続きはまた今度。

「日本の産業を巡る現状と課題」を読む

2010-03-05 12:57:43 | 経済
しまった。
前回のエントリでは熱くなりすぎて、話がそれてしまった。
書き初めと書き終わり時では、書きたいことがかわってしまっていた(笑)

↓これについて語りたい。
50ページあるが、PPTでまとまっているので簡単に読める。
ただし、ここに書いてあることが全てではないし、視点によって結論も変わるだろう。
が、ここに書いてあることくらいは知っておきたい。

日本の産業を巡る現状と課題(経済産業省)
http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g100225a06j.pdf


■問題意識

・1人あたりのGDP世界ランキング推移
2000年(3位) -> 2008年(23位)

・世界GDPに占めるシェア
2000年(14.3%) -> 2008年(8.9%)

・国際競争力順位
1990年(1位) -> 2008年(22位)

・市場の中心は先進国から新興国にシフト

・日本の貯蓄率は先進国で最低水準
貯蓄少ないのだから消費性向を上げるのは困難

・日本の労働分配率は先進国中で高水準
単純には給料を増やすのは無理

=> 日本全体の「パイ」を拡大しない限り「内需」は拡大しない

・賃金はずっと下降トレンド

・日本企業の対外投資は増加、国内投資は下降

・生産機能を海外にシフトする企業は多数

・東京、名古屋圏以外の地方経済は衰退中、人口も減

・潜在失業率は905万人(13.7%)
短期的に雇用不足
中長期的には労働人口が減少

■産業構造全体の課題

・近年の所得の拡大はグローバル製造業に依存
経常利益の36%がグローバル製造4業種によるもの
そのうち半分は自動車

・雇用者報酬は横ばい
グローバル製造業は新興国との競争に直面しているから

・全就業者数中に占める製造業の比率は低い
たった17%
先進諸国でも同様

=> グローバル製造業に雇用の量を期待するのは無理

・グローバル企業とドメスティック企業の1人あたりの付加価値に大きなギャップがある
国内企業の付加価値(労働生産性)が低い

・日本の輸出依存度は低い(17.4%)
国内企業と海外の成長市場とを結びつけることが付加価値を高める要素

・日系企業は低収益体質

・日系企業は同一産業内に多数のプレーヤが存在
海外では1,2社に集約されている

・韓国企業は日系企業よりもグローバル市場に積極的
韓国国内の市場が小さいから
日系企業は国内で消耗戦を繰り広げている

・企業の少子高齢化
廃業が増えるのに対して、起業が減少

・地域ものづくり中小企業に格差
グローバルに活躍する中小企業と衰退する中小企業

■企業のビジネスモデルの課題

・世界市場が伸びるのと同時に、日系企業のシェアが低下
新しい成長市場でビジネスモデル的に出遅れる

・世界と日本の企業戦略の推移
日系企業はバブル崩壊後に国内回帰した
海外企業はモジュール化モデルで世界シェアを奪還

・日本産業の構造的行き詰まり
垂直統合モデルの限界
新興国との価格競争に勝てない

・世界市場が伸びても日系企業がシェアを維持している例
すり合わせ型の自動車
クローズ・オープン型のデジカメ

=> 電気自動車でも維持できるか

・海外企業は標準戦略で競争優位を確保

■企業をとりまくビジネス・インフラの課題

・日本の立地競争力は低下

・日本では事業コストが高い
法人課税負担が先進国最高
国港湾インフラの競争力低下
航空貨物の取り扱い競争力低下

・人材の競争力
工学系博士数が少ない
海外からの高等教育修了者の流入が先進国最低
海外からの留学生は主要先進国中最低

・金融市場の国際競争力
日本市場での上場企業数は低下し、シンガポールに圧倒的に差をつけられる

■諸外国の産業政策の積極化

ここは無視

■日本の産業構造の方向性

・グローバル製造業がグローバル市場で稼ぐ

・特定グローバル製造業以外の企業が海外の成長市場につながる

・社会課題を先取りした産業、投資を伸ばす

・今後の戦略分野
アジアの所得弾力性の高い産業
炭素生産性の高い分野
少子高齢化による市場拡大分野

専門家Blogが熱くなってきた

2010-02-26 10:06:10 | 経済
最近「インフレ目標」議論が盛り上がっていたが、東大の岩本康志氏が熱い。
菅直人氏の動きに危機感を感じたのか、連日Blogが更新されている。
ここ1年間ぐらいで日本でも専門家のBlogが注目されるようになってきた。
これは市民にとって非常に有益な傾向だ。

「インフレ目標」をめぐるネット議論の陥穽
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32325439.html

【感想】『日本経済復活 一番かんたんな方法』
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32335301.html

「将来のインフレにコミットできるか」についての学界の見方
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32344744.html

「インフレ目標」は中央銀行のコミュニケーション手段
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32366843.html

私の印象としても、高橋洋一氏はもっと論理的に突っ込んでくると思ったのに、案外さらっとしていて驚いた。
あれほどバーナンキ(現FRB議長)仕込の世界標準のインフレ目標を声高に叫んでおいて、ちょっと引き気味なのが謎だが、何事も否定はしやすいが肯定はし難いということなのだろう。

(全然話が変わるが)
そういう意味では、今の政治と官僚の住み分けのままで、官僚に結果責任を求めたらやってられなくなるんじゃないのか。
政策の実行結果の評価はすべきだが、その結果責任を官僚側でとれとするから、官僚組織に無謬性を確保するための無責任体制が構築されるのだ。

インテリジェンスは官僚機構にあるべきだが、意思決定は政治の世界でやるようにして、責任分担を明確にしないとリスクをとる政策は実行されない。
これはいつもいう小沢改革の一つなのであるが、この理念は今もって理解されていないようだ。

「福祉経済」は虚像か?

2010-02-23 12:35:24 | 経済
この知見は前提として持っておきたい。
メモ的にエントリ化。

民主党の「福祉経済」は効果が期待できるか? (鈴木亘)
http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/31374353.html

現在、民主党政権は、多額の財政赤字を出してまで実施している社会保障費拡大を、景気回復策や中長期的な「成長戦略」とまで位置づけており、最近は「福祉経済」なる造語まで登場している。

「大きな財政赤字をどうやって正当化するのか」という問いに対する政権与党の説明はだいたい↑な感じである。

経済学的に見た場合、これは単なる需要の先食いであり、成長戦略などでは到底ないし、ここまで政府債務が拡大すると、景気回復効果も基本的には怪しい。

↑経済学的にみると有り得ない説明なのだという。

こうした中、社会保障費膨張の効果を正当化する経済学的根拠がもしあるとすれば、その有力な候補の一つは、「安心回復によって、日本の高齢者が抱える多額の過剰貯蓄が消費に回る」ということである。実際、このロジックは、民主党の成長戦略ペーパーにも登場しているし、民主党の各閣僚の最近の発言にも現れ始めている。

↑この意見は、いろんなところで出ている。
が、実はこれ、このままでは妄想で終わってしまいそうなのだ。

日本では2004年時点で、1429.1兆円の家計金融資産があったが、その過半である785.2兆円を60歳以上の高齢者が保有している。家計の純金融資産ベース(456.9兆円)では、その約8割(359.1兆円)が60歳以上の高齢者の保有である。

↑日本の個人金融資産のほとんどを高齢者が保有しているのは周知の通りだ。

政府は、高齢者が金融資産を多く蓄えている原因を、公的年金を中心とした社会保障制度への不安があるためと分析しており、社会保障費充実や政策的な誘導によって過剰貯蓄が取り崩され、消費主導による景気回復や中長期的成長が起きることを期待しているのである。

↑「その高齢者のお金を市場に出すことができればいいのでは?」というほど問題は簡単ではない。

このアイディアと経済効果の試算は、2008年11月に政府系のシンクタンクであるNIRA(総合研究開発機構)が実施した『家計に眠る「過剰貯蓄」― 国民生活の質の向上には「貯蓄から消費へ」』(http://www.nira.or.jp/pdf/0804report.pdf)という報告書にまとめられており・・・

[中略]

報告書では、総じて100兆円程度の過剰貯蓄があり、それを高齢者が消費に回すような政策誘導を行なうべきとしている。

ただ、この100兆円なり179兆円なりという金額は、社会保障に対する不安だけではなく、遺産や様々な貯蓄動機を全て含んだ金額であるから、社会保障費充実によって取り崩される分はその一部である。

[中略]

社会保障に対する不安で高齢者がどれほど資産を蓄えているのか、実はまだ全く不明なのである。

↑つまるところ、高齢者が保有する個人金融資産には100兆円程度の余剰があると思われるが、社会保障の充実で、その中からどの程度市場に出てくるかは誰にもわかっていない状況ということ。

また、民主党政権が期待するように、社会保障費の拡大や制度改革によって、果たして高齢者の予備的貯蓄が取り崩され、消費が拡大するかどうかは全く別の問題である

↑その通り。理念と現実を分けて考えようということだな。

日本の高齢者の危険回避度は非常に高いため、多少の社会保障制度改革程度では消費・貯蓄行動はあまり変化しない可能性がある。

↑少なくてもこれまでそうだった。今後どうかはわからないが、楽観はできない。

社会保障費拡大に伴う増税や赤字国債増発で、将来の所得変動に対するリスクが返って高まり、予備的貯蓄が減らない可能性もある。

↑これは多いに有り得る。

日本の場合、年金を初めとする社会保障制度は全て賦課方式で運営されているため、現在の社会保障費拡大は、若者世代のより大きな負担増を意味する。このため、高齢者の予備的貯蓄が仮に減少したとしても、若者世代の合理的貯蓄、予備的貯蓄は確実に増し、一定程度の相殺が起こるであろう。

↑若者世代はもはや年金などに期待しておらぬであろうが、とりあえず国民年金の未納率が高いために、強制徴収されている厚生年金に負担を負わせようとしているのに個人的に腹が立つ。

↓それよりも、次の内容が重要。

高齢者が仮に予備的貯蓄を取り崩して消費を拡大させたとしても、投資や政府支出などの他の需要項目がクラウドアウトされない保障はない。特に現在、日本政府の債務残高は900兆円程度に迫り、GDPの2倍近くとなっているが、政府が発行する国債の大半は、国内の家計金融資産として国内で消化され、非常な低金利が保たれている。しかしながら、予備的貯蓄取り崩しにより、家計金融資産が減少すると、国債市場の受給が変化して長期金利が高まり、金利上昇が設備投資、住宅投資に影響してクラウドアウトが起きる可能性もある。

さらに、そうなると政府の国債の利払い費が大きく増加し、財政規律を意識せざるを得ないために、さらなる政府支出の抑制や、税負担を高めるといった政策反応が起きて、景気の足を引っ張るであろう。

↑膨大な債務残高が許されるのは、個人金融資産があるからなわけで、個人金融資産が取り崩されたら国債の信用が揺るぎかねないわけで、すると金利が上昇する。
ゆえに、個人金融資産をあてにした成長戦略というのはナンセンスだと。
人生にフリーランチはないように国家にもフリーランチはない。ということか。
トレードオフから逃れることはできない・・

こうして考えてみると、わが国の高齢者の予備的貯蓄が例えある程度存在したとしても、民主党政権がその取り崩しに安易な期待を掛けることは禁物であるといえる。つまり、「福祉経済」の理論的根拠は意外に希薄なのである

それ以外の「福祉経済」の理論的背景は、再分配による低所得者の消費刺激や、政策的に抑制されている介護・保育分野の潜在的需要開放であるが、それがあまり効果が大きくないことや、あまり期待できない

たぶん、経済議論をするときの「安心」というのは、アカロフ=シラーのアニマルスピリッツに出てくる「安心乗数」の方に近い。
それは、ストックを活用するという意味ではなくて、縮こまって活動しなくなったものを活発化するということだ。

最近、聞くところによるとスウェーデンなどの北欧諸国の高福祉国家が行き詰まりを見せているらしい。
支出に見合うだけの収入を確保する難しさとともに、「私」から「公」へのアウトソースによる「私」コミュニティの破壊のような話を聞く。
北欧諸国の制度の持続可能性があるや否やについて興味があるが、なんにせよ未だ理想郷は地球に存在せぬことは自覚しておきたい。
「こうすれば全てがうまくいく」かのような話題にだけは乗るまいと心しよう。と自分に言い聞かせる。

がんばれトヨタ!

2010-02-19 16:22:13 | 経済
おちゃらけならぬテキトーです。

トヨタの社長が米国議会の公聴会に出席することになったようだ。
最初、米国トヨタの社長が出席するということで批判されたが、それを受けてのことなのか。

アメリカ側からみれば、なぜ社長が出てこないのか不思議であったであろう。
経営責任者として説明責任を果たすのがCEOの役割だからだ。

だが、しかし。

残念ながら日本企業でその常識は通じない。
豊田社長が出てこないのは、社長を守るためというのは2次的要因で、1次には社長が説明できないからだろう。
とにかくトヨタの場合、今の社長はリストラをするための名目社長だけに危うい。
社長を公聴会に呼ぶことにどれだけ意味があるのかさえ疑わしい。


ガバナンス(Chikirin)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100218

営業のことは米国社長に、技術的なことは技術担当役員に聞くしかあるまい。
ただ、彼では経営としてどうすべきかという話ができない。
当然、経営の最終意志決定者であるCEOを呼べという話になる。
だが、江戸時代から合議制を尊重する日本的経営において、意志決定者は定かではない。
会議の空気で決まってしまう案件もあるのだ。

では、どうするべきか。

アメリカ経営的発想では、答えがない。
実質的な意志決定者がいないのだから。
この話は江戸末期の黒船の時も同じ。
アメリカ側は国の意志決定者との会談を望むが、日本にはそれがない。
だから話ができない。
経営の透明性などというものは初めからない。
透明性がないことが強みであったのだから、当然だ。

グローバル化の波に乗るために、アメリカン・スタンダードに乗らなければならないかはよくわからない。
それでうまくいくなら経営の透明性なんて必要ない。
ただ、やはり難しいのかもしれないが。

とにかく、個人的に望むのは、豊田社長に謝罪にだけ行くのだけはやめて欲しいと思っている。
まさか有り得ないだろうが、謝罪して誤魔化すのだけはやめてほしい。
日本だとまず謝罪会見が求められるが、今回の場合、相手が求めているのは「説明」である。
謝罪したところでプラスにもマイナスにもならないだろう。
しっかりと、状況説明をガツンっとやってきてほしい。
媚びる必要は全くない。

いかんせん、トヨタは米国内でリストラを行っているのが痛い。
生産拠点のある州知事などはトヨタ擁護を訴えているが、票目当てのポピュリスト政治家に辛らつな言葉を投げ捨てられる可能性もある。
米国内において経済的制裁を避けるためには、多少高くついても融和政策しかないように思うが、どうだろう。
鳩山政権の存在が余計に足かせになっていて、2重に苦しい。
日本代表として叩かれていると思えば、トヨタの存在の大きさもわかるというものだが・・。

21世紀は帝国の時代か

2010-02-17 09:42:38 | 経済
う~ん、、やっぱ中華帝国は違うな。
トヨタはこれから訴訟でアメリカに苛め抜かれるだろうしな。

米国債保有、日本が中国抜き首位=1年4カ月ぶり(時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2010021700002


【ワシントン時事】米財務省が16日発表した国際資本収支統計によると、昨年12月末時点の各国別の米国債保有高は、日本が7688億ドル(11月末は7573億ドル)となり、2008年8月以来、1年4カ月ぶりに首位となった。中国は7554億ドル(同7896億ドル)で2位。最大保有国の地位逆転は、貿易などで摩擦が強まっている米中関係にも影響を及ぼしそうだ。
 日本は2カ月連続で米国債保有高を増やした一方で、中国は保有高を削減してきており、首位が逆転した。中国による保有高削減は、外貨準備の運用先多様化の一環とみられる。ただ、対中ダンピング(不当廉売)調査など通商政策をめぐり米側の厳しい対応が目立ち始めた昨秋以降、米国債の保有高削減が一段と加速している。


中国にインド、ロシア、etc...21世紀は帝国の復活だな。
そもそもなぜその地域に帝国ができたかといえば、地政学的に優位であったからに他ならない。
20世紀は未開発地域の資源を、先進国が発達した機動力でむしりとることに成功したが、21世紀に入ってそれが難しくなると、地政学的な優位性が相対的に増すだろう。
それは中世の帝国が復活することを意味する。

ただ歴史はスパイラルしながらも変化し続けていくので、単純な中世の復活にはならない。
新しい形での帝国が復活するはずだ。

↓このエントリを呼んでいてふとそう思った。

「21世紀は陸と海のたたかい」~400年ぶりの歴史的大転換の始まり~(藤井まり子)
http://agora-web.jp/archives/924708.html

水野和夫氏お得意のやりすぎ歴史哲学だ。
人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか (水野和夫著)」は、哲学、歴史、経済と広範に跨って分析がされており、内容は面白いので興味のある方は読まれるといいと思う。
ただし、彼に文才がないのか超読みにくいけど・・。


日本人労働者の賃金が減るのは日本人労働者の賃金が高いから

2010-02-16 12:04:53 | 経済
TV番組でちょっと気になったのでコメントしておきます。エビデンスを示せといった批判は無視されますのであらかじめご了承ください。

昨日のBSフジLIVE PRIME NEWSに浜矩子氏と藤巻健史氏、内閣府政務官の津村啓介氏がデフレについて議論していた。

浜氏と津村氏が「ここ20年間の経験からわかることは、成長は労働者への分配に寄与しない。小泉政権下で経済は成長したが、グローバル競争のために分配は減った。成長も大事だが、現在の局面では分配の方が大事」と主張していた。
一方、藤巻氏は「ここ20年間日本はずっと不景気だった。資産下落と円高が原因だ。成長しなければ分配は増えない。円高が原因で日本人労働者の対価が相対的に上がったことが、分配が減った原因だ。」と主張し、意見の一致はみられなかった。

(私がいうのもなんだが)
浜氏と津村氏がグローバル化について理解が足りていない。
グローバル競争で企業は競争力を磨くため固定費削減に動く、結果として企業は利益を上げるが分配は減ると。
気持ちはわかるが、これは状況説明としては部分的に正しいが、成長戦略を否定する論拠としては間違い。
日本人労働者に対する分配が減るのは、ビジネスのグローバル化の中で、日本人労働者の人件費が相対的に上がっているからだ。
日本人労働者の所得が減るのは、日本人労働者の所得が高いからに他ならない。
企業経営者が搾取しているからではない。
確かに、日本国内の労働者の所得でグラフを作るとずっと成長期も含めて下降トレンドである。
だがしかし、お隣の中国を含めてみよう。
中国人労働者の所得よりも、日本人労働者の所得の方が遥かに高い。
(購買力平価ではどっこいらしいが)
中国が日本と同じものを作れるのであれば、賃金水準は中国側に引き込まれる。
これは当り前の話だ。
中国側が上がって、逆に日本側が下がる。
両国の賃金が平準化されるまでこのトレンドは続くだろう。
中国側の賃金が安いし、日本側の賃金が高いからである。

中国と同じものを作る限り、日本人労働者の賃金は安くならざるを得ない。
それが嫌なら、中国がやれないものをやるしかない。
あとは、日本でしかできないサービス業を強くするか。
アメリカがITや金融に産業構造の転換をはかったように、日本も産業構造の転換が必要だ。

例えば、最低賃金を上げる理由が、賃金の低い産業を追い出すという意味なら理解できる。
シンガポールがしたように。
最低賃金を安くせざるを得ないような産業を追い出して、政府が構造変化を強制するのも有りだとは思う。
そういう労働生産性の低いものは他国に任せて、日本は新しい産業で成長するとうい発想はあり。
実際には難しいと思うけれど。
単純に労働分配率を上げるみたいな理由でやるのはかなり間違い。

「人のための経済」ってスローガンはいいけれど。。
もともと経済って「人のためのもの」だからあえて言わんでも・・。
中国側から見れば、この状況は「人のための経済」なわけ。

こんなことは一般のビジネスマンでも理解していることなのだが、日銀出身の政務官と経済の専門家が理解していないとはどういうことなのか。
まぁ津村氏は、鳩山政権としてお立場上、発言に気をつけられているということであろう。

国家と科学とには適度な距離が必要だが、日本では科学が遠すぎる

2010-02-04 10:32:48 | 経済
いや、国家が科学に遠すぎるのか・・

地上波の報道番組のほとんどはワイドショーだと思っているが、BSやCSには結構有用な番組が多い。
視聴者が少ないから番組の影響力が小さく、これが逆に比較的に言いたい事が言える環境を生むのだろう。
ノイズとのトレードオフではあるので、バランスに欠き全く見る気の起きないやつも結構あるが、薬にも毒にもならない地上波よりはマシかもしれない。

そういう意味で当Blogも弱小Blogだからこそ、味が出せると再確認する今日この頃。
発言全てに責任を持つのは大変なので、細々と路地裏Blogを目指そうと思います。
まぁその前にこのブログの目的とか想定読者とか全く考えていないわけではありますが。

最近、高橋洋一氏が本格的にカムバックしたようだ。
彼は理系出身のためか、正しいかどうかは別として話が論理的でわかりやすい。
理系出身者が多い鳩山内閣だが、全く理系っぽい運営でないのはなぜだろう・・。
まぁ理系・文系のくくりで物事を考えるのはあまり生産的でないとお叱りをうけそうですが。

鳩山経済を科学する - 宮崎哲弥(1/4)

973兆円の重みがわからない

2010-01-28 16:30:03 | 経済
近年、日本の借金が膨張している問題が注目されているが、借金の額だけを出されても数字が大きすぎていまいちピンと来ない。
それに、例えば同じ100万円の借金をするにしても、年収100万円の人と年収1000万円の人では額が同じでも重みが違う。
アメリカのオバマ政権が積み上げている借金は半端な額ではないが、アメリカと日本では経済規模が違うので数値だけで単純比較はできない。
借金の額が大きくても、経済力がそれに応じて大きければ問題ないのである。
(収入でなくても資産を持っていれば問題ない。これは後述。)

では、日本の経済規模(GDP)に比べて日本の借金がどの程度なのか、1800年代後半からの推移をグラフにしたものが東大の岩本氏のブログに掲載されているので紹介しよう。
(以前も騒がれたが今回2010年度のデータ分がUpdateされた。)
日本の借金は、歴史的にみてどのくらいの規模なのか。
(これは必読!是非リンク先へアクセスしてください。)

国の借金973兆円 (岩本康志)
http://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/32078272.html


2010年度の名目GDPは,1月22日に閣議決定された「経済見通しと経済財政運営の基本的態度」によると,475.2兆円。対GDP比は205%になる。第二次大戦期のピークは1944年度の199%なので,それを超える。


環境が違うとはいえ、今の日本の借金は太平洋戦争末期の1944年と同レベルである。
岩本氏の計算によれば、2010年度にはついにそれを超えてしまうようだ。
このグラフと話だけ見ると、絶望的な数字に見えてくる。
ちなみにこの数字は先進国最悪の数字だ。
状況としては、「今まさに戦時中」である。
当然ながら、様々な機関が日本の財政赤字に対して警鐘を鳴らしている。


「この赤字は消費税を数十%上げないと解決できない。」類の提言をいつも見る。

にも関わらず、なぜかこの財政危機説についてあまり騒がれていない。
本来ならもっと注目されていいはずである。

これには幾つかの理由が考えられているが、専門家の間でも意見が割れていることが大きな要因であろう。

世の中には「財政赤字フィクション派」という人達がいて、日本は借金も大きいが資産も大きいので差し引きすると、それほど絶望的な借金額ではないと主張しているのだ。
(実際に計算してみた高橋洋一氏が言うのだからある程度信憑性はあるのだろう。)
彼らによれば、財政危機説を裏で操っているのは財務省だという。
国の財布を預かる財務省には、財政の健全化を至上命題とする「増税バイアス」が働いており、増税する機会を常に狙っているというのだ。
政府の規模を際限なく大きくしていくのではなく(増税ではなく)、経済成長による税収アップで増税を回避すべきだという意見は、ある程度説得的でもある。
(これは小泉・竹中改革路線でもある。今なら「上げ潮派」と呼ばれる人達の考え方だ。)

しかし、これに対する批判も当然ながらある。
借金の額が低い経済成長率による税収アップでは取り返せない水域に達していることや、少子高齢化の日本では政府支出は増加する一方、経済が大きく成長する期待が持てないため、大幅な増税しか方法がないということがある。

借金(国債発行)がどこまで可能かという問題ももちろんある。
財政危機説をとなえる人達は、もうすぐ限界がくると主張している。
国債が暴落する可能性があり、暴落した場合、日銀が国債を買え支えると思われるわけだが、その副作用で貨幣の価値が暴落し、ハイパーインフレが起きるというのだ。
ハイパーインフレで借金が無効化される代わりに日本に眠る貯蓄は全て吹っ飛ぶ。
紙幣は紙切れになるし、せっかく溜め込んだ残高は気づいたら無意味になる。
わかりやすくいえばジンバブエになると思えばいいだろう。
実際、戦後の日本ではハイパーインフレで借金を棒引きしたわけである。
(グラフで戦後急降下しているのはそれが原因)
(今が戦時なら、もうすぐ戦後か。)

国債が暴落するかどうかについても意見が分かれている。

TVによく出てくる元ミスター円こと榊原氏なんかはまだ借金できるから国債発行して不景気を乗り切れと主張しているし、その一方で多くの経済学者はいつ国債が暴落するか戦々恐々としている。

ちょっと難しいのだが、下記のブログで長期金利の上昇がどのように起きるか説明されている。

信用とデュレーション - 長期金利はどのように上昇するか(投資の消費性)
http://d.hatena.ne.jp/equilibrista/20100127/p1


いやね、自国の国債が安全だと言われてるのは合ってますよ。でもね買い支えろとは、少なくともBISには言われていない。年金や保険も、自国の国債が無難だよねとは言われているが、買い支えるべしとは誰も*4言っていない。彼らが守るべきは第一に、預金者の、保険加入者の、年金加入者の、財産だからだ。国債を売ったお金はどうするの?と思われるかもしれない。だって株買ったり、外国に投資したりすると、怒られたり、面倒な説明が必要だったり、ペナルティを喰らったりするもの。ええ、もちろんまた国債を買うんですよ。でもね、違うんだな。より償還が近い国債を買うんです。返済までの長さが短いものを。こういう動きを「デュレーションの短期化」と呼ぶ。

なぜすぐに償還される債券を買うのかといえば、より長いものと比べて、発行体の「信用」が毀損されることの影響を、あまり受けないから。だってそうでしょ。明日返してもらえる借金の値段は、5年後の財政が危ういからといって、それほど劇的には下がらない。そして皆がこうした行動を起こすと、より長期の金利から水準が上昇してくる。イールドカーブが立ってくるのだ。これは本当に怖い。

[中略]

原口大臣は年金運用を改革すると意気込んでいるし、第一生命は株式会社になるらしい。大口の投資家が、今よりも資産の評価に敏感になる*5とき、より信用の毀損を気にするとき、横並びの大好きな連中が一斉に短期化に走ったとしても、まったく不思議とは言えない。財務省が主催している国債投資家懇談会を、覗き見してみよう。その大口の投資家の方々が、我々の代理人が、あまりにもイノセントなことに僕だって驚く。一方で、あまり大きく報道されていないが、国債全体のデュレーションは、しれっと長期化されてきている。そう、財務省はわかっているのだ。いまのうちだ。

借金して無駄遣いするのはやめよう。景気は決してよくない。悪い金利上昇は、勘弁して下さい。


長期金利がジワジワと上がりはじめて、ある臨界点を超えるとリーマンショックの時に見られたように、突如として全員が売りに走ってジ・エンドである。
それが何時来るかは誰にもわからない。
来るかわかった時がその時。
「信用」っていうのはそういうものなのである。
バブルも同じ。
ファンダメンタルズはあまり関係ない。

だから専門家の間で意見が分かれて、一般に危機感が薄いのは、本当のところは誰にもわからないからなのではなかろうか。
事後的に「予言した専門家」などと騒がれるかもしれないが、実際のところどうなるかわかっていないのだ。
むしろどうなるかわかりたくないのかもしれないけど・・。
まずはブラック・スワンを読み返そう。