明日から私の所でレッスンを始める生徒がいますが、今晩、連絡事項などあったので、メールを入れました。
暫く経って返信がありましたが、そこには、先日のお試しレッスンで楽しく過ごす事が出来たこと、次のレッスンが待ち遠しく、明日は楽しみにしています…云々…とありました。
私はそれを読んで、昔、初めてピアノの講師としてある会場に行った時の事を思い出したのですが…
その音楽教室では、それまで教えて下さっていた先生がお辞めになるので、次の新講師として私が入る事になったのですが、大学出たてでまだ右も左もわからない新米講師の私にお母様方の目は厳しく
、それをわかりながら生徒達に接するのは精神的にとても大変だったのでした。
でも私としては、卒業したばかりで社会人ゼロ年生なのだから、怪訝に思われて当たり前、誠実に一生懸命やるしかない
…と思っていたので、何の愚痴も不満もありませんでした。
初めての生徒に一生懸命になって教えてみても、自分自身が緊張していてカチンコチン…技術はある程度学んで来ていても人間関係を上手に取り持って行く事が難しくて、それは学校の授業では教えてくれないことでした。
自宅でのレッスンも含めて、始めて何年かの間、生徒がピアノレッスンを楽しく感じているかどうかは、本当のところ「❓」だったと思います。
たまに「今日のレッスンは楽しかった…
もう一度やりたいな…」なんて言われる時には、その言葉は私の心の中に、大切に大切にしまわれたのでした。
さて、先ほどのメールの返信に戻りますが、そういう訳で「レッスンが楽しかったから、早く行きたいな…」という言葉を聞いて、「私はいつから生徒に「楽しい…」なんて思われるようになったのだろうか…?…」と思ったのでした。
やはりこれは、日々私を受け取って下さっている神様が支えて下さっているからですね…と思って、神様の受容を感謝しています。
「聖徒たちよ。主をほめ歌え。
その聖なる御名に感謝せよ。
まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。
夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」(詩篇30-4,5)
暫く経って返信がありましたが、そこには、先日のお試しレッスンで楽しく過ごす事が出来たこと、次のレッスンが待ち遠しく、明日は楽しみにしています…云々…とありました。
私はそれを読んで、昔、初めてピアノの講師としてある会場に行った時の事を思い出したのですが…
その音楽教室では、それまで教えて下さっていた先生がお辞めになるので、次の新講師として私が入る事になったのですが、大学出たてでまだ右も左もわからない新米講師の私にお母様方の目は厳しく
、それをわかりながら生徒達に接するのは精神的にとても大変だったのでした。
でも私としては、卒業したばかりで社会人ゼロ年生なのだから、怪訝に思われて当たり前、誠実に一生懸命やるしかない
…と思っていたので、何の愚痴も不満もありませんでした。
初めての生徒に一生懸命になって教えてみても、自分自身が緊張していてカチンコチン…技術はある程度学んで来ていても人間関係を上手に取り持って行く事が難しくて、それは学校の授業では教えてくれないことでした。
自宅でのレッスンも含めて、始めて何年かの間、生徒がピアノレッスンを楽しく感じているかどうかは、本当のところ「❓」だったと思います。
たまに「今日のレッスンは楽しかった…
もう一度やりたいな…」なんて言われる時には、その言葉は私の心の中に、大切に大切にしまわれたのでした。
さて、先ほどのメールの返信に戻りますが、そういう訳で「レッスンが楽しかったから、早く行きたいな…」という言葉を聞いて、「私はいつから生徒に「楽しい…」なんて思われるようになったのだろうか…?…」と思ったのでした。
やはりこれは、日々私を受け取って下さっている神様が支えて下さっているからですね…と思って、神様の受容を感謝しています。
「聖徒たちよ。主をほめ歌え。
その聖なる御名に感謝せよ。
まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。
夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」(詩篇30-4,5)