朝日の慰安婦検証報道はスルーするのに、左派系メディアはなぜか安部首相の原爆の日スピーチには鬼の首をとったような騒ぎぶりだ。6日の広島、9日の長崎のスピーチがまるで前年の「コピペ」のように、内容がそっくりであることが問題にされた。
確かに不用意であるとは思うが、高じて「被爆者を冒涜している」という批判はいかがなものだろうか。スピーチの中身自体は穏当なものであり、決して文句をつける筋合いではない。日頃安部首相を快く思わないメディアの意趣返しとしかいいようがない。
それと主催する被曝者団体もクレームをつけている。しかし、こうした団体のすべてが社民党、共産党、民主党といった野党と密接に繋がっており、割り引いて考える必要があると思う。
いわば彼らは戦後レジームの申し子といってよく、広島の原爆記念碑の「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しませんから」のという意味不明の精神を引き継いでいるといえる。読みようによっては原爆を投下した米軍よりも旧日本軍を非難しているように思える。いや彼らの本音はそこにあるに違いない。
原爆投下直後救援作業に当った人によると、今や無念の死が迫っている被爆者が救援者に「敵(かたき)をとってくれ」と絞り出すような声で話したという。おそらく、被爆者の気持ちは「民間人を無差別に殺戮するアメリカは許せない」ということではなかったか。
そうなると「過ちは二度と繰り返さない」という碑文は無念の死を迎えた被爆者にとっては決して受け入られる言葉ではないのではないか。しかし、被爆者団体の主張が今日犠牲になった被爆者の思いを代表しているとマスコミも信じて疑わない。
だから、安部首相の「コピペ」のスピーチを問題にし、「被爆者の冒涜」といった過剰ともいえる反応になる。それは戦後レジームからの脱却を唱える安部首相への強いアレルギーであり、こんなスピーチを巡って突然露呈する。結局のところ、こうしたマスコミも被爆者団体もともに「戦後レジーム」の受益者だということだ。
どう見ても原爆投下は、ナチスのユダヤ人虐殺とともに人道に対する犯罪であると、日本人の大多数は考えているはずだ。しかし、いまだ戦勝国側の価値観が世界を支配していて日本はこれに異を唱えることができない。
しかし、いつか日本人は無念の死を遂げた被爆者の声に応えなければならないと思う。「敵をとるということ」…もちろん日本が原爆を製造してアメリカに報復することではない。原爆による大量虐殺という人類にとっての大犯罪を世界に告発して糾弾することだ。
「美しさ」を盛んに強調されていますが、その「美しさ」は絶対的なものでしょうか。どちらかというと相対的で別の人には違和感を覚えるかもしれない。私の場合がそうです。