ここへきて、「1票の格差」に関して司法の厳しい判決が続いている。昨年の衆議院選挙は「無効」とする究極の高裁の判断だ。メディアや当の政治家自身が「国会の怠慢」と問題にしているが、どうも自分はこういった風潮には違和感を覚える。
以前自分のブログ(平成24年1月24日)でも書いたが、これは「過疎地いじめ」ではないかと思うのだ。普通1票の格差で問題になるのは、大都市の住民の民意が、過疎地のそれと比較して、極めて軽く扱われているという側面だ。これは、人口比という基準で見た見解である。
しかし、それだけで選挙の区割りを考えるべきなのか。人口比だけで考えれば、議席を「是正」すると都市部の議席が増える一方になる。結局都市部議員が大半となり、法案も政策も都市部住民の利益を優遇したものなってしまう。
ちなみ現在一票の格差が大きいのは千葉4区が高知3区に対して2.3倍の場合であるが、これを面積で比較すると逆に高知は千葉の41.6倍(小田康和氏のコラムより)となる。つまり「面積の格差」は人口比とは桁違いである。これこそが、都市部と過疎部を明確に峻別しているのだ。
一番広い選挙区は北海道12区(元ラジオ少年日誌より)で高知3区のさらに4倍となる。網走と稚内を含む膨大な地域だが、両都市は距離は330キロ、東京、名古屋360キロにわずかに30キロ短いに過ぎない。東京と名古屋の間に一体どれだけの選挙区があるだろうか。(稚内から網走を通りオホーツク沿岸の端まで進めば400キロを超える。)
1票の格差を訴えた弁護士、裁判官、この判決に賛同するメディアは本当にこんな過疎地における面積のハンデを充分に認識しているのだろうか。地方の過疎という日本の暗部ともいうべき側面を。
明治以来、日本は中央集権化に向けて突き進んできた。特に戦後は高度経済成長で拍車がかかり、大都市への人口集中、地方の過疎化というように二極分化していく。経済成長が終わってもこの流れは変わらず、逆に深刻になってしまった。
過疎化により地域生活の機能は、学校の廃校、医療、金融、商業施設の撤退や縮小へと悪化していく。最近では交通手段の基礎となるガソリンスタンドの廃業までも問題になっている。地方の過疎は郷土文化の衰退、消滅を意味する。当地の芸能や料理、あるいは方言といった地方の根幹になる大切なものが失われていく。そして、それを包容する大自然。こうした郷土文化や自然は日本古来の宝だったはずだ。
いつしか「田舎」という言葉が死語になってしまう気がする。全て大都市の視点で政策をすすめていけば、「田舎」はなくなってしまう。それは、かけがえのない日本人の心の故郷を失うことになるのではないか。
逆に国会議員を増やせばどうなのでしょうか?きくまこ先生が言われていたような・・・違う意味かもしれませんが。
都市部であれほど投票率が低いのをみると、格差とかいうより、投票率上げるのが先では?と思ってしまいます。田舎のほうが投票に熱心なのは、1票が重いからでしょうか。違いますよね・・・