粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

二つの辺野古移設反対集会、超水増しと名ばかり県民

2015-05-26 22:43:31 | 沖縄の虚像と実像

24日、国会周辺で行われた辺野古移設反対デモ、「市民団体」の呼びかけで1万5千人集まったという。そして余勢をかって、国会を取り囲み「人間の鎖」をつくったようだ。しかし、その模様を見てみると、相変わらず反原発デや憲法改正反対などの抗議デモと全く同じ調子で、スローガンをただ「差し替えて」同じ人たちが励んでいるようにしかみえない。

一番、疑問に思うのは主催者発表の動員数だ。反原発デモの時も、「7割8割引は当たり前」の状況だった。今回もその疑念を強くもつ。自分が購読しているメールマガジン(沖縄情報「ウソつきは新聞のはじまり」)でそれを解説していた。

議事堂を囲む道路の長さは約1.5キロメートルくらいですから、1メートルに2人並んでも約3000人、はみ出ている人もいて、かなり好意的?に見て3500人弱と思います。

実にわかりやすい算数の計算だ。ただ、このデモに参加した人の証言もありしっかりした裏付けもあるようだ。なんと8割近い割引だ。朝日の記事には「何重にも人間の鎖を作った」とは書いていない。まさか5段の人間ピラミッドならぬ5段の「人間万里の長城」ではあるまいに。

朝日によれば、1月の時比べて「倍増」したというが、それこそこういうのを針小棒大というのだろう。いや問題の本質は数ではなく、このデモの参加している人々の意識の問題であろう。どれほど、彼らが沖縄の基地問題を正確の理解しているかということだ。単に沖縄県民が基地によって一方的に苦しめられた被害者という感覚でしか見ていないように思える。

実際は、国の安全保障もあるが、沖縄が振興金漬けの依存症で真の自立ができないマイナス面も否定できない。あるいは移設に反対しているのは、ほとんどが県内外の官公労などの組合員やプロ市民だという実態。一般の沖縄県民とは大きく乖離していることをメディアは伝えない。だからこんなデモに参加している人々は沖縄が善で政府が悪という単純な二元論でしか考えていない感じがする。

また、その1週間前17日に沖縄で行われたやはり移設反対の「県民集会」も同様だ。翁長知事を始めとして見た目は盛大にも見える。主催者発表で3万5千人という。たた動画でよく見ると空席も目立つ。しかし、実際の数はともかく一番気になったのは、参加者の素性である。

集会を始める前に、主催者があらかじめ「お断り」を伝えていた。すなわち、観客に「幟、旗、横断幕を掲示しない」よう注意していた。おそらく、参加者が普段なら、組織名が記載されたものを堂々と掲げるからだろう。

そうすると、この「県民集会」は全国の組合を総動員した組織的な集会だというのが真相であり、「県民集会」の嘘がばれてしまう。それを恐れて主催者がこんな「お断り」をしたのだろう。県民とは名ばかりで、よく見かける「プロ市民の集会」というのが正直なところだろう。

さらに、この集会の司会を務めたのがなんと無名の女子高校生であった。「被害者としての沖縄」を訴えるのに、こんないたいけな未成年の女の子を使う。主催者の不純な動機に怒りさえ覚える。

彼女には大学では本当の沖縄を学んで欲しいと思うが、それは個人の自由だ。あるいはAKBに挑戦するもよし。しかし、辺野古で過激なプロ市民たちと若き女闘士として「座り込み」でもしたら親も心配するだろう。さらに、進入禁止の埋立て工事海域にカヌーで入って海上保安員のお世話にならぬよう、老婆心?ながら願うばかりである。

追記:最初のタイトルを変更しました。

 

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