粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

翁長知事へ、「君、国売りたもうことなかれ」

2015-09-14 21:45:27 | 沖縄の虚像と実像

最近、これほど私利私欲にまみれた政治家を見たことがない。本日、翁長雄志沖縄県知事が辺野古埋立て承認の取り消しを表明したが、その根拠が全く希薄である。「沖縄の置かれた立場」や「歴史」などを持ち出しているが、結局とってつけた口実に過ぎない。

知事として沖縄の主になるという野望を実現するために、沖縄のメディアが画策した反基地の県民世論誘導を最大限利用して知事の座を勝ち取った。そのためには共産党や社民党などの革新勢力と手を結ぶこともいとわない。利用できるものは何でも利用するという政治家の打算しかない。

ブログでは度々指摘したことだが、この知事、自民党県連幹事長時代は辺野古移設の推進者であった。ところが民主党政権になって鳩山元首相が最初「最低でも県外」を唱えたことで沖縄世論が反基地で沸騰した。背後には沖縄のメディアや革新団体の煽動が大きく働いていたのだが。

つまり、沖縄で米軍機が墜落したり、米兵が県民に暴行するといった反基地を県民に促す事故事件があったわれではない。それであれば翁長知事が基地推進から反基地への転向を正当化できないこともない。しかし、そんな根拠もなく、急に世論が変わったからというのでははなしにならない。単に時流にのっただけである。

最近になって翁長知事は戦後の米国統治を「銃剣とブルトーザー」といった強権政治として大々的に政府やメディアに訴えているが、端から見ると笑止千万である。こんな言葉、知事になって初めてつくった「造語」である。翁長氏の辞書には知事以前には全くなかったはずだ。

一口に政治家の大衆迎合主義(ポピュリズム)というが、翁長知事の場合、そんな生易しい話ではない。実際沖縄県民の関心がそれほど「辺野古基地反対」で沸騰しているとは思えない。むしろ県紙を中心としたメディアとやそれと連動している革新政党、組合といった少数だが声だけは大きい勢力に迎合していだけではないか。こうした勢力の支持を得れば知事の座は安泰という打算が働いているに過ぎない。

そのためには彼らが喜びそうな政策を行う。またそうせざるを得ない。今回の承認取り消しもそうした配慮が働いているはずだ。翁長知事が「沖縄に便軍の新基地を絶対つくらせない」と表明するのも決して本心からではなく、自分の知事としての立場を保持するためだ。共産党なども知事の姿勢を支持しつつ自分たちの発言力拡大に知事を利用する。知事と革新勢力が相互依存関係にある、

だから、この知事には県政でなんら期待できるものはない。いずれ、県民にもこの知事の本性がわかる時がくると思う。政府と対立を続けるだけでなんら生産的なものが生まれない。不毛な政治が今後とも続く。普天間は依然として危険なまま存続し続ける。年内に国連に人権理事会に沖縄の「現状」を訴えるともいう。何を訴えるというのか、そんな暇があるのなら少しは沖縄県民の福祉にプラスになる実務に専念しろといいたい。

政府や米軍をまるで目の敵にして敢えて対立を仕掛けてくるのなら、沖縄の県政が混乱し、それが日本の防衛に深刻な影響を及ぼす。それを手ぐすね引いて眺めているのが中国などの反日国である。沖縄が混乱すれば、尖閣諸島問題はもはや形骸化する。結果的に沖縄の海は中国の勢力圏内になってしまう。わざわざ武力を使わずに侵略することができる。孫子の兵法でいう「戦わずして勝つ」ということだ。そうした危機が現迫りつつある。翁長知事には、国売りたもうことなかれ、といいたい。


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