粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

クラリネット五重奏曲

2014-03-07 16:52:28 | 音楽

自分で勝手に想像していることだが、クラシックでクラリネットを演奏する人のほとんどが、一番好きな作曲家にモーツアルトを挙げるのではないか。それほどにモーツアルトがクラリネットのために作曲した2曲がクラシック史上でその評価が群を抜いており、今日世界中で最も愛されて演奏されている。

クラリネット協奏曲(K.622)とクラリネット五重奏曲(K.581)だ。クラリネット奏者が誰もが最終的に望むことは、オーケストラ、あるいは弦楽四重奏団を従えて主役のクラリネットで2曲を演奏することではないかと思う。

この2曲は、モーツアルトの代表曲でともに優劣をつけがたい。自分自身もそうであり、協奏曲を聴いた後ではこの協奏曲が最高だと思うし、五重奏曲を聴けば逆にこちらの方が傑作だと思ったりする。以前、自分のブログでクラリネット協奏曲をモーツアルトの最高傑作とつい思わず口走って?しまったが、それでいえば五重奏曲も最高傑作としても間違いでない。

最近ユーチューブでこのクラリネット五重奏曲で感銘深い演奏に出合った。(第一楽章第二楽章第三楽章第四楽章)ベレスターというスペイン生まれの若手の演奏家と彼が懇意にしている弦楽四重奏団による演奏だ。この曲は4楽章からなっているが、演奏ではそれぞれ色彩が違う楽章がバランスよく見事に奏でられている。

モーツアルトの曲の多くは哀しみと喜びが複雑に交錯してそれが人間の心の奥底から響いてくるように感じる。クラリネット五重奏曲はその最たるものであるが、そこに晩年の憂いと憧れが加わってより多彩な響きを醸し出す。

第一楽章は、この曲の秀眉といえるもので次々魅力的な旋律が流れてくる。表面的には明るく軽やかだが、どこか哀しみが伝わってくる。これこそがモーツアルトの世界そのものだ。

第二楽章は、しっとりしてすごく繊細な感情が伝わってくる。哀しみはより純化してそれが憂いそして憧れに転化していく。普段は語らないモーツアルトの心の内面の吐露といってよい。だから、この楽章だけを聴くとどうにも切なくなってたまらなくなる。

第三楽章では、少し現実に戻ってメヌエットという三拍子の舞曲となる。ただ、途中でクラリネット抜きで弦楽の美しい旋律が流れて物思いに耽る部分がある。しかし、格調高い舞曲にもどり心が落ち着かされる。

第四楽章はこれまでの憂いが嘘のようにまるで鼻歌を唱う気分にさせられる。テンポもはやく快活である。聴く者に「少しは気分を変えて明るくいこうや」とモーツアルトが語りかけているようでもある。これに聴く方が救われる。途中に少し足踏みして寂しさを感じる部分もあるが、最後はそれを振り切るかのように明るくテンポ良く締めくくられる。

モーツアルトの心の起伏に振り回されかねいが、そこがこの大作曲家を聴く上での醍醐味である。したがって、やはり四楽章を続けて聴くのが一番良いのではないかと思う。一つのストーリー展開に富んだ物語を楽しむように、あるいはいろいろな甘味を備えたスイートを味あうように。


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