粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

セシウム花粉というフィクション

2012-03-18 09:04:41 | 煽り週刊誌

報道によると、東大の研究所の調査で、東京、福島の一般市民のマスクに付着した花粉からは放射性セシウムは検出されなかったという。土ほこりから微量のセシウムが検出されたが、とても健康に影響するレベルではないということだ。

このニュースに接して「やっぱり」と思ったのは、これを煽った週刊誌の「空想ぶり」についてだ。「セシウム花粉の恐怖」を指摘したのは、自分の知る限りでは、アエラ「セシウム花粉が飛んでくる」(昨年10月17日号)、週刊文春「セシウムスギ花粉が放射性物質を日本に拡散する」(今年3月1日号)の2誌だ。タイトルだけをみればその煽りは「図星」だ。

ただ自分のブログ(昨年10月25日今年2月26日でも取り上げたように、記事内容は「羊頭狗肉」あるいは「竜頭蛇尾」も甚だしい。つまり見かけ倒しそのものだ。記事中2誌とも「専門家の証言」では共に「心配のレベルではない」との結論を出している。

したがって、今回の東大の調査と基本的には乖離していない。2誌とも今回のデータを予想して「予防線」をはっていたのだろうか。しかし共に「用心するのに越したことはない」との「懸念」を付記している。これを煽り週刊誌の「迷走」とみるのか「心憎さ」と解釈すべきかわからない。しかし記事の見出しだけをみれば「人騒がせ」にしか思えない。

最近、在日米国詩人の講演が相次ぐ抗議で中止された。「さいた、さいたセシウムがさいた」なるタイトルだが、講演の趣旨は「花が咲く春の訪れを台無しにした原発事故の現状」を訴えることらしい。(3月13日ブログ)しかし実際はそんな「セシウム花」など咲いてはいない。こんな煽り米国人の言葉など「アウト・オブ・プロブレム(問題外)」だ。

今月末には関東地方でも桜が開花するとのことだ。例年よりは若干遅いようだが、震災で自粛気味だった昨年とは違い、今年は本来の花見を大いに楽しめそうだ。日本の春はもうじき花盛りだ。

 


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